2019年9月1日日曜日

闘うアナーキー(白井新平語録 その1)

「人民の闘うアナーキー」
 人民の闘うアナーキーは、天皇制権力との対決から出発しているから、反天皇制で最も果敢だったということは、大逆事件でやろうとしたのが、愚童、宮下太吉、古川力作の三人ぐらいで、主義者はみなへっぴり腰だったことをみればわかる。インテリは反軍闘争から逃げて、社会主義に変性したといえる(白井新平『アナーキズムと天皇制』三一書房、1980年、46頁)。

「無意識の本能的に敏感な反射反応」
 宮下太吉はあの時工場で組合の組織をやってみて、明治天皇制の組織的暴力装置を直視した。これを直接行動に触発したのは箱根大平台、林泉寺の禅僧、内山愚童の“小作人はなぜ苦しいか”という表紙に無政府共産と赤刷りした彼の手作りの紙の爆弾だった。それに誘われて動いたのは康楽園の花卉栽培係の古川力作だった。ひしひしと身に迫る天皇制の檻の重さを直感したのは明治の庶民の自我の、無意識の本能的に敏感な反射反応である(白井新平『アナーキズムと天皇制』三一書房、24頁)。

「社会主義の原点」
 社会主義の原点は一体何だろうとみんないろいろ言っているけれど、結局大逆事件のもとは何だったんだろうったら戦争が近づいてきて、ロシアと戦争やってね、いわゆる鉄砲玉のかわりに民衆を持っていくのはけしからんじゃないかと、つまり反戦なんだよ。だけど反戦と言えないから、いろんな風に、いわゆる歪曲していろんなことを言っているんだな(白井新平『アナーキズムと天皇制』三一書房、1980年、35頁)。

「インテリ社会主義の自惚れ」
 革命思想が輸入されたから初めて日本に革命運動が誕生したなどという考え方は、インテリ社会主義の自惚れであり錯覚だ。人民は5世紀の初めに倭の五王に近畿を征服されてから1400年、いつもカラダを張り、血を流して革命闘争をやってきたから、いまがあるのではないか(白井新平『アナーキズムと天皇制』三一書房、26頁)。

「志士仁人は人民の敵」
  時の権力に反対するものが、すべて反逆者ではない。彼らはひとたび権力を握れば、”錦の御旗” をたてて、反対派を”朝敵”とよび、逆賊として断罪する。これは社会主義の陣営でも同じパターンの繰り返しをした。反革命、裏切り者と昨日の同志を斬る。内ゲバを正当化し、理論化する心理構造は正常ではない。偏執的で病的でさえある。
 ”お題目”のために、平気で人を殺せる人間、それが大指導者であろうと、革命家と呼ばれようと、大宗教人であろうと、みな人民の敵だ。だから”志士仁人”を口にするヤカラ(輩)も人民の敵だ(白井新平「志士仁人は人民の敵 わが自伝・反逆者の系譜」『現代の眼』1981年3月号、243頁)。

「アナーキズムとは?」
 学のないわれわれ人民は、無政府主義こそ天皇制に最も透徹して完全に対決するものであるとみている。[中略]ではアナーキズムとは何なのか? マルクス主義に対峙するような革命へのイデオロギーなのか、秋山[清]の規定したようにアナキスト・コミュニズムというイデーの花園を、永遠に未来に託する意識的文化人の共通信条なのか? それとも、今この社会に生きて生活しなければならない人民が、支配し管理する国家権力に抵抗する血みどろの生き様、その生態ではないのか? それは意識するとしないにかかわらず、日本では反天皇制であり、その統治権力解放への日常闘争の底に流れる反権力的大きなうねり、潮流ではないのか?[中略]それは固定化したイデオロギーの体系ではない。人民の反権力、反天皇制の日々の闘いのうちに根をおろし、そこに培われ、生々発展し、チャンスをつかんで爆発する革命的エネルギーの本流であって、外部から教えられ指導され、革命家として自らを差別する志士仁人的なエリートのやる人民から浮き上がった生き様ではないはずである(白井新平『アナーキズムと天皇制』三一書房、1980年、13、27-28頁)。

「インチキな無政府共産党事件」
「[1935年]11月15日[白井新平から白井政子宛書簡より]
 高橋[光吉]君が、無政府共産党事件でたぶん11日の日とかにあげられた・・・・黒色ギャング銀行襲撃とともについにアナの一斉検挙、信じられないが、無政府共産党ができていて、高橋君は中央委員だと新聞では書き立てられている。
  [1935年]11月16日[白井新平から白井政子宛書簡より]
 ・・・・中心人物は全て掠屋で、神戸で裏切り者をリンチで殺人をしているらしい。暴力団狩りで掠が行き詰まり、窮して非合手段をとって、東京で幾分真面目な解放文化の連中辺りを利用して無政府共産党と云う名称をつけたのかも知れない。アナーキズムの解らない人間たちのやることだから、ボルの組織の借り物にアナのレッテルを貼ったにすぎない。アナの運動とはそんなものでない。」

  彼[芝原淳三]がピストルの入手を裏切るかも知れないとの疑心暗鬼で自分の臆病さを隠すために、行きがかりで射殺した二見[敏雄]を許してネチャーエフに似た偏執的テロリストなんて、とんでもない。性格破綻のヒロイズム熱の青年。それを高く評価する相沢尚夫も、敗戦直後、芝淳殺しなど事情も知らないで経済的に面倒を見て、最後はピストルで脅迫され、その本質を知ったが、背徳的な人民の敵だった。リンチ事件は日共の場合も資金を自由にするためのヘゲモニー争い、宮[本]顕[治]も、袴田[里見]も汚いとみられるが、こちらのは箸にも棒にもかからないニセ革命家だった。

 そもそも無政府共産党なんて観念的錯乱だ。アナーキーに党なんてあるはずはない (白井新平「日染の餓死同盟と煙突争議 わが自伝・反逆者の系譜 6」『現代の眼』1981年8月号、243頁)。 


「無政府共産党という権力的発想が生まれる土壌」
  [岩佐作太郎]老人は明治12年(1879年)生まれである。中学を出て、東京法学院(後の中央大学)卒という。もう完全に明治政権の確立後の皇国史観で育っている。[中略]地主階級の師弟が、上流の民権思想から社会主義者に移行したとしても、それは被支配者としての小作農民、その転身である都市プロレタリアの視点とは異質である。インテリ、中間階級の不平分子が、社会主義化しても、それは観念からのアプローチで生活の体験から出ないだけ一つの付け焼き刃である。その点は秋山も、岩佐老の「天皇への公開状」と『国家論大綱』の底流における同一性を指摘している。そこまでは彼の分析は正しい。が、詩人、解放文化同盟、無政府共産党の系列と、日本ナショナリズムとは、中間階級イデオロギーとして底辺においてまた同じ流れのうちにある。
 岩佐老がアナーキストであったか? 日本のアナーキズムというものが、もしその程度のものであるとするなら、自称アナーキストのすべてが実は人民の敵になる危険性がある。でなければ無政府共産党などという権力的発想が生まれる土壌はない。
 秋山が老人の『革命断想』を評して「説くところは、革命はいかにしてはならないかの警告に終始し、革命はいかに行うべきか、のプログラムについてはまだ具体的に語るものでなかった」と評すとき、その秋山のいう革命のプログラムという発想そのものにおいて、秋山それ自身の、バクーニンに対してもクロポトキンに対してもの理解がほんものでないという感がする。
 アナーキズムとは、それに拠って革命を企画するイデオロギーなのか? それとも体制権力に抵抗しなければならない被支配者の行動の潮流なのか? それ故に、イデオローグの”革命のプログラム”という発想そのものが、革命権力という人民を支配する権力の発生の土壌なのではないか(白井新平『アナーキズムと天皇制』三一書房、1980年、13、83-84頁)。