2019年11月16日土曜日

スラム解放戦線(広島)についての人捜し We are looking for the People who were involved in the "Slum Emancipation Front in Hiroshima" around 1970s to 1980s

 2020年8月6日(木)に広島集会を開催することになりました。詳細は追ってお知らせしますが、戦後の「原爆スラム」と呼ばれた基町や爆心地から立ち退きをさせられた人達、彼らを「忘却」した上で建設された「国際平和都市ヒロシマ」に関することがテーマになる予定です。
 このテーマを決める過程で「スラム解放戦線」という運動体が、1970年代から1980年代頃まで、広島の基町で活動していたことがわかりました。来年の広島集会では、こういった運動のことについても学びたいという意見が出ました。しかし、手掛かりがほとんどありません。
 そこで、関西アナーキズム研究会は、このブログで「スラム解放戦線」に関わっていたかた、もしくは、この運動に関して情報をお持ちの方からの情報提供を募りたいと思います。
 お心当たりのある方は、以下のメールアドレスまでご連絡くだい: joh.most@gmail.com

以下は、現在、唯一ある資料の一部です。

資料:『「8・6ヒロシマ」無政府主義者全国集会報告書』(1985年9月1日、11-12頁)より。
「基町という名前で川沿いにバラックが建っていました。40年前の原爆で広島市が壊滅した後、生き残った数多くの人たちがそこに一番最初に住み着いた街なんです。/そこには数多くの在日アジア人の諸君やまた部落出身者の友人の方々もたくさん住んでいました。そして、そういった中で中曽根を先頭とする日本帝国主義のその戦後は終わったんだという形での都市計画の名の下にスラム街を一掃し、高層アパートに転化していったんです。私たちはその中に入り込み、毎日日雇い仕事やちり紙交換やスクラップの回収をおこなって、彼らと寝起きを共にし、そういう環境を共有し、数多くの個別改良闘争と言うんですか、それをやってきました。[中略]電車通りに面した本通りとか呼ばれている繁華街には戦後8月6日以降には網を張って縄張りをした人がそこの土地の所有者になっている事実があるんです。しかし基町の場合は、そういうことをやったのは、不法建築だという形でそこから皆立ち退かされ、また立ち退き強制執行の時には既成政党はもちろん新左翼と呼ばれている部分の連中もまったく完黙してしまいました。私たちは新左翼既成政党に抱いていた幻想をそこでかなぐり捨てて、これからは自主独立、要するに基町自体が独立、独立した町なんだという形でもって今までやってきました。[中略]これから私たちもただ基町地区に限らず、全国の方々とともに手を取って歩んでいきたいと思います。」