2019年8月25日日曜日

アナーキズムとナショナリズム-アナーキズムによるナショナリズムの解体は可能かー  田中ひかる:2019年8月23日、第8回国際学大会(於:淑明女子大学・ソウル)での報告要旨 Anarchism and Nationalism: Is it possible to dismantle the Nationalism by Anarchism?  Summary of Presentation by Hikaru Tanaka in August 23, 2019, at Sookmyung Women's University, Seoul, Korea

1.はじめに
  この報告では、アナーキズムがナショナリズムを解体することができるのか、という問題を検討する。
 ここではアナーキズムを、国家や資本を含む、あらゆる権力や強制を廃絶し、支配のない状況=anarchyをつくりだすことを理想とする思想や運動、あるいは、そういった状態をつくりだすための個人の生き方や日常的実践を含む幅広い概念であると定義しておく。
 他方、ナショナリズムとは「3・1運動」を含む、民族・国民の形成、ならびに、それら民族・国民を主体とする政治・経済的システム建設を目指す思想・運動と定義する。ナショナリズムは、一方では、民衆の抵抗や解放の論理であるが、他方では、権力による民衆の統合や抑圧の論理でもあり、民族・国民と異なる要素に対する抑圧・排除の論理を持つ。
 以上のように定義すれば、「3・1運動」を契機として形成され、民族国家独立を目指すというナショナリズムを基盤にしながら、アナーキズムの実現を目指していたと言われる韓国のアナーキズムは、矛盾に満ちているようにも思える。
 Dongyoun Hwangによれば、1945年以前、韓国のアナーキストたちの一部は、同時にナショナリストであり、日本による植民地支配からの解放・独立を目指し、同時に、独立後、国家と資本の解体を構想していた。
 しかし彼らの中には、自らの内面に、国家建設を目指すナショナリズムと、国家の解体を目指すアナーキズムが同居していることによって葛藤を抱えた人物もいた、ということが確認されている。
 Hwangは、こういった特徴を持ちながらも、中国と日本とのアナーキストとの国境を越えた関係の中で韓国のアナーキズムが形成されていたという点を指摘し、国民国家の枠組みによってではなく、トランスナショナルな枠組みで韓国のアナーキズムを捉えるべきであると指摘している(写真: Founding members of the Korean People’s Association in Manchuria in 1928)。
 Hwangの研究から学ぶことは多いが、ナショナリズムの否定的側面、すなわち、他の国民・民族に敵対すること、先住民やエスニック・マイノリティ、女性、LGBTなど、国民国家の枠組みに当てはまらない人々を抑圧し、排除する、あるいは強制的に「国民」として同質化していく、といった論理あるいは実態が、アナーキズムによってどこまで克服することができたのか、という点は明らかになっていない。
たしかに、日本や中国などのアナーキストと韓国のアナーキストとの連携・協力が実現し、韓国のアナーキストたちは、国外での体験により、普遍主義的な見地を獲得した、という点は指摘されている。しかしながら、国民国家を建設した結果生まれる抑圧や排除に関する問題を、韓国のアナーキストたちがどのように考えたのかについては検討されていない。
 とはいえ、この韓国アナーキストの事例は、現代的な問題を検討する上で有益な示唆を与えてくれる。なぜなら、経済のグローバル化を推進する新自由主義は、資本の拡大を国家権力の強化を通じて実現させ、それに伴い、移民・難民・マイノリティへの排除の圧力とともに、人々を単一の「国民」に統合する力が世界各地で強まっているからである。
 このような状況を変えるために様々な構想が提起されているが、この報告では、こういった問題の一つの要素であるナショナリズムをアナーキズムが解体することで、民衆の自律や連帯、人権や多様性が尊重される空間を実現することは可能であるかを考えたい。 具体的な事例として取り上げるのは、まず、ベネディクト・アンダーソンが『三つの旗のもとに』で描いた、フィリピンのナショナリストとスペインのアナーキストとの関係、次に、韓国のアナーキストたちの事例、最後に、現代のシリア北部にあるロジャヴァで実現されている政治・経済・社会の領域的な自立と自治を取り上げ、アナーキズム的な論理に基づきながら、個人や集団の人権や多様性を保証し、一定の領域的な独立を獲得することを通じて、ナショナリズムを克服する可能性を検討する。

アナーキズムとナショナリズムとの関係
2.1 アナーキストのナショナリズム・人種主義

 19世紀以来、個別のアナーキストを見たとき、彼らがナショナリズムと無縁のコスモポリタンであったのか、といえば、様々な例外的事実がある。
最も著名なアナーキストの1人であるバクーニン(写真参照)の執筆した文書には反ユダヤ主義や「ドイツ人」を誹謗する言葉も見られる。
   たとえばバクーニンは、『国家性とアナーキー』(1873)において、「ドイツ人」 は「インド人」と同様に忍従心に富む、あるいは、生まれながらにして国家主義者で官僚である、といった見解を示している。他方、「スラブ人」は国家を超えたところに自己の解放を求める、といった規程もある。さらに「ユダヤ人」による統治は銀行による支配である、とか、「ユダヤ人」であるマルクスは、祖先の主神エホヴァのように不寛容で復讐心が強い、といった主張も見られる。
  バクーニン研究者のMark Leier (2006)は、当時は誰もが、人の個性を「人種」のせいにした時代であり、バクーニンのさまざまな人種的な偏見のように見える言葉も、当時では一般的によく見られたものである、と指摘し、バクーニンを擁護している。実際、反ユダヤ主義は、ヨーロッパやアメリカのアナーキストの間で、数は少ないがしばしばみられる。
 他方、少なからぬアナーキストたちは、出身地で迫害を受けて他国に亡命した経験があるが、出身国に対する愛着の感情を表明していることもある。これは、彼らがある種のナショナリストであった、という可能性を示唆している。
 それにもかかわらず、多くのアナーキストが、ナショナリズムや故郷への愛着を示しながらも、多様な人々と分け隔てなく交流した、という証言も残され、彼らが理想を態度で示していた、ということも一方では確認できる。
 ただし、それによって、欧米のアナーキストがナショナリズムや人種的な偏見から解放されていた、とは断定できない。これは日本のアナーキストについても言えることである。
   ある時代まで、アナーキストの間には、今日では「人種差別」とされる言動が見られたのはたしかであろう。これは、女性についても同様のことが指摘できる。
 とはいえ、最も重要な問題は、アナーキズムという視点から、彼らが、自分たちの生きている時代にまん延している人種的偏見をどのように批判的に克服したのかであろう。それは同時に、国民や民族という概念をどのように批判的に検討し、解体していったか、という問題でもある。

2.2 スペイン帝国植民地のナショナリストとスペインのアナーキストとの連帯 
 ナショナリズムは、植民地からの解放・独立を目指すというその目標においては、アナーキズムとは対立するはずである。だが実際には、圧政からの解放と独立という点においては、ナショナリストの運動を、アナーキストたちは支持していた。その点で、ナショナリズムとアナーキズムは結合する。
 たとえば、『三つの旗のもとで』においてベネディクト・アンダーソンは、スペインで逮捕されたフィリピンのナショナリストが、バルセロナの獄中で出会ったアナーキストたちから多大な影響を受け、クロポトキンなどのパンフレットをフィリピンの持ち帰り翻訳し、また、アナーキストたちから学んだ労働組合運動をフィリピンでも展開したという事実を明らかにしている。
 当時、スペイン本国ではアナーキストに対する政府による弾圧が強まり、他方、フィリピンやキューバでは、ほぼ同時期に、独立のための蜂起が起きていた。アナーキストとナショナリストたちは、ともにスペイン帝国に立ち向かっていた。この状況が、相互に共感を生み出す背景となっていたことは、フェルディナンド・タリダ・デル・マルモルの『白色評論 La Revue blanche』論説を読めば明らかであった(写真: Fernando Tarrida del Marmol)。 

2.3  1945年以前の韓国のアナーキズム 
 韓国のアナーキストは、3・1運動から影響を受けて民族独立を目指す中でアナーキストになったという事例が多く、自らの中にナショナリズムとアナーキズムが同居する、という状態が顕著であった。
 Yi Hoeyeongは、その回想の中で、1925年の段階では、韓国の独立とアナーキズムとは矛盾なく結びついていた、と述べているが、Sim Yongcheolは、当時、韓国人アナーキストがナショナリズムと愛国主義に依拠してた状態を「矛盾」と表現している。
 実際、これまでの研究で、ナショナリズムを主張する韓国のアナーキズムは本来のアナーキズムから逸脱したものといわれてきた。だがHwangは、国家の独立後、社会変革を通じてアナーキズムを実現するというビジョンが共有されていたという点から、また、国境を越えた普遍的視野があったという点から、こういった評価を誤りであると指摘している。
 また、Hwangによれば、とくに1945年以前に大阪で活動していた朝鮮人アナーキストたちのあいだでは、ナショナリズムを意識的に排除する言動が顕著であった。さらに、1945年以降、独裁政権下の韓国においてアナーキストたちは、政党を結成して統治に加わるという政治路線と、疲弊する農村の経済的自立を模索するという社会運動路線の2派に別れ、極めて実践的な活動を展開した。

2.4 アナーキズムを基盤にした領域的自治の試み
 アナーキストは、ナショナリズムを人工的なもの、言語、エスニシティ、文化など共通の特徴を持つ集団への帰属感情を自然なものと見なし、後者をナショナリズムと区別している。こういった見解は、バクーニン以来示されてきているが、その代表的かつ総合的な見解は、ルドルフ・ロッカーによる『ナショナリズムと文化』で提示されている(写真:Rudolf Rocker)。有機的なつながりを持ち地域と文化にアイデンティティを持つ「民衆」が自由な社会を作る上での前提であり、彼らは「民族・国民nation」とは異なるというグスタフ・ランダウアー(写真:Gustav Landauer)による主張もある。
 ただし、こういった議論は、ヨーロッパやアメリカなど、すでに国民国家が成立した領域に関するものであり、植民地支配下で国家を持ったことのない人々を想定したものではない。彼らが独立するため国家を樹立すれば、新たな支配構造をつくりだすことになるため、アナーキストたちは植民地に反対しながらも、独立国家を目指すことができなくなる。
 パレスチナ人の解放を目指すウリ・ゴードンは、このジレンマを解決するために、生態学的地域主義(bioregionalism)を提唱
している(写真は2009年頃のイスラエルにおけるアナーキストのデモ)。この場合の「地域」とは、エスニシティや政治的境界ではなく、自然と人間との親密な関係性に依拠する自然や文化の領域のことである。この生態学的地域主義は、領域
的な自治を獲得した後には有効であろう。 

  しかしながら生態学的地域主義は、そのような自治をどのようにして獲得するか、という問題に対する回答になっていない。そこで、これまでアナーキズム的な論理を基盤にしながら、領域的な自治がおこなわれた事例をいくつかあげてみると、パリ・コミューン(写真参照)、ロシア革命期のウクライナにおけるマフノ運動(写真参照)、スペイン革命(写真参照)などが思い浮かぶが、ここでは、2014年からシリア北西部で自治区を形成しているロジャヴァについて取り上げる。
 2011年に「アラブの春」といわれる一連の革命的な事件がチュニジアを発火点にして、中東各地で起きた。シリアでは内戦が始まるが、クルド人は反政府勢力と距離を置き、シリア北部のロジャヴァ(図参照)でシリア政府側から支配地域を奪取し、2014年には各自治体に行政を委ね、各地域の評議会が意志決定機関となり、ロジャヴァ憲法(社会契約憲章)が発布される。
 その基盤となる思想は、クルド人労働者党の指導者アブドゥッラー・オジャランが提唱した民主的連邦主義である。オジャランが獄中で、アナーキストもしくはエコロジカル社会主義者マレー・ブクチンによる都市自治主義に関する著作を読み、そこから影響を受けた、と言われている。
 その結果、1990年代以前はマルクス・レーニン主義であったクルド人労働者党のイデオロギーは、大きく転換した。憲法には、エコロジカルな社会、直接民主政、女性の権利(写真は女性だけの軍事組織YPJ)、少数民族の権利、宗教の自由が規定され、地方の自治組織からのボトムアップの運営が定められている。
 したがって、クルド人による政党とその軍事組織が作り出した自治区であるが、その領域に住む多様なエスニック集団が対等な権利を持つ原則が導入され、現地の人々の認識では、そこには「国家」が存在しない。
 シリアの内戦は、ISが領域を拡大していた時期に比べれば、沈静化の方向に向かっているかに見える。しかし、シリア政府とトルコ政府が、ロジャヴァの自治を承認するとは思えない。ロジャヴァは、アメリカやヨーロッパのアナーキストらが訪問し、あるいは義勇兵として戦闘に参加して戦死している人々もいることから、スペイン内戦期のカタロニアとの類似も指摘される。
 しかし、仮にロジャヴァが崩壊し、そこで生み出されたシステムが消滅したとしても、同地で作り上げられた理念と実践は、忘却されることはないであろう。クルド人は国家なき民族と呼ばれてきたが、彼らはイラクのクルド人自治区と異なり、ナショナリズムと一線を画する原理に基づき、領域的な自治が可能であることを実践した、ということは指摘できるのではないかと考える。
 アナーキズム的な理念がこのような社会を作り上げる上で何らかの役割を果たしたとすれば、かつて韓国のアナーキストたちが構想した、民族の独立を獲得した後にアナーキズムを実現する、という道筋が、矛盾に満ちているのではなく、現実的かつ実践的であった、という評価も可能になるのではないだろうか。

3. おわりに
 かつて韓国のアナーキストたちは、民族独立という目標に向かいながら、同時にアナーキストであるという自覚を持ち、そのため、場合によっては、その「矛盾」に向き合わざるを得なかった。
  また、後世、彼らの主張に見られるナショナリズムが、アナーキズムから逸脱しているという評価を下された。これに対してHwangは、実際には、彼らはトランスナショナルな視点を獲得しており、ナショナリズムに強くとらわれていたわけではなかった、と指摘している。
  ただし、1960年代以降、彼らアナーキストたちが韓国の農村を経済的に自立させるための運動を展開した、という事実から考えれば、ナショナリズムと呼ばれてきたものが、より地域主義あるいは民衆の文化を重視した理念であったとも推測できる。
 しかし、「韓国人」という単一の民族を中核にした社会のみ前提にしていれば、ナショナリズムでなくとも、その論理は、「他者」を抑圧する可能性が高くなる。自由で平等な、支配なき社会を目指すためには、女性や子ども、障がい者や外国人の権利を保障し、中央主権的なシステムを排除した社会システムを作り出す必要がある。
 韓国人アナーキストたちが構想した理想社会が、1945年までの時点で、以上のような権利を含めて、何をどこまで構想していたのか、その際に、ナショナリズムがどのような役割を果たしていたのか、また、アナーキズムはナショナリズムを解体する上で役割を果たしていたのかを、今後検討していく必要があるだろう。
 その検討の際、彼らと同じ課題を抱えていた、植民地や半植民地化された地域のアナーキスト、あるいは、ロシア革命、スペイン革命といった革命に参加したアナーキストたちの思想や実践との比較が必要であろう。

参考文献
ベネディクト・アンダーソン、山本信人訳『三つの旗のもとに-アナーキストと半植民地主義的想像力』(NTT出版、2012年)。
Uri Gordon, Anarchy Alive! Anti-Authoritarian Politics from Practice to Theory (London and Ann Arbor, MI.: 2008).
Dongyoun Hwang, ‘Korean Anarchism before 1945: a regional and transnational approach’, in: Anarchism and Syndicalism in the Colonial and Postcolonial World, 1870-1940: The Praxis of national Liberation, Internationalism, and Social Revolution, eds. Steven Hirsch and Lucien van der Walt (Leiden and Boston: Brill, 2010), pp.131-146.
----------------------, Anarchism in Korea: Independence, Transnationalism, and the Question of National Development 1919-1984 (Albany, N.Y.: State University of New York Press, 2016).
Oso Sabio, Rojava: Die Alternative zu Imperialismus, Nationalismus und Islamismus im Nahen Osten (Muenster: Unrast Verlag, 2016).

2019年8月4日日曜日

ヒロシマと象徴天皇制~「癒やしと祈り」の国民統合について(広島集会に寄せて)

◆国民統合の象徴としての天皇制

  激戦地、被災地、福祉施設、国民体育大会、植樹祭、海づくり、国民文化祭、受勲、園遊会etc

  ありとあらゆる場に天皇制がはびこっている。特にアキヒトは「癒しと祈り」を行動指針として立て、それを繰り返しおこなって「国民に寄り添う天皇」を演出してきた。戦没者遺族、沖縄の民間人犠牲者遺族、被災者、施設に入所している障害者や高齢者など社会の周縁に置かれている人々に寄り添い、親しく語りかける天皇や皇后の姿を何百回と見せられてきた。マスコミが流す人々のコメントは「ありがたい」「感激した」「もったいないお言葉だ」などとアキヒトをヨイショし続ける。こうして「親しみを感じる天皇」像づくりに成功し、周縁に置かれた人々を再統合し続けている。

◆ヒロシマでの国民統合について

  8・6ヒロシマは平和祈念式典を軸に世界中の様々な反核反戦団体が競うように平和をアピールする平和の祭典の場と化する。軍都広島であることはほとんど語られず、現在も呉をかかえる軍都であることもこの日は語られることはない。原爆投下の8時15分には日本政府と被爆者や遺族、広島市民、反核反戦運動が一斉に黙祷する。侵略戦争を引き起こした日本政府が被爆者やアジア太平洋の民衆に謝罪したことがあるのか。むしろ逆行し、再び戦争を準備している政府と共に「祈る」とはどういうことか。「過ちは繰り返しません」という名のもとに「平和都市ヒロシマ」が世界中にアピールされるが、為政者はいつも「平和のために」戦争を起こしてきたし、これからもその詭弁を押し通すだろう。靖国神社が上からの国民統合であるとするならば、この8・6ヒロシマは下からの国民統合に他ならない。

◆あらゆる国民統合の装置を解体し、国家を打ち砕く闘いを
・国民統合の要石である天皇制のあらゆる権威や信仰を剥ぎ取るために、自明とされがちな「日本」「日本人」「日本国民」「天皇制」なるものと向き合い、これらを解体していく作業を。

・ヒロシマの平和幻想を解体していくために、①軍都広島や戦時動員の検証、②現在進行している米中露の核軍拡路線への対峙、③3・11後の反原発運動への対話、④復興の踏み台とされた「原爆スラム」の掘り起こし、⑤胎内被爆、被爆2世3世、外国人被爆者など置き去りにされた問題に関する学習などを提案したい。

2019年8月2日金曜日

面白いアナーキズムの予告編 by 乱狡太郎(広島集会に寄せて)

 口から出まかせに、「面白いアナーキズム」って言ってしまった。で、困るに困ってしまった。元々俺はそう面白い人間ではない。たまに呑んでる時に衝動のままにおもろいと思って話すと、相手が難しい顔をしている。ああ俺がおもろいことは他人とは違うと悟って以来、人におもろい話はしたことがない。なのに、面白いアナ―キズムについて話さないといけない。
 俺の望みは、くたばるまでの短い時間、面白おかしく生きることである。ところが、たまたま生まれたのは幸か不幸かこの日本国、これがまたクソおもろない国。俺がオモロイことしようとするとジャマばかりしやがる。学校に会社が社会全体を覆い尽くし、その上代わり映えのしない政治システムが鎮座している、むき出しに言えば、カネと暴力の世界である、「力」の支配する世界である。俺の好きな格闘マンガの名セリフに「強さとは何か?」と問われて、「己の意を貫き通す力」「わがままを押し通す力」と答えるシーンがある。その通りだと思う。自らの望むまま自由に生きようとすれば「力」が必要だ、それも強い力だ。ところが、金も力もない、またそれらを獲得する術がない俺。考えてみた、一つは革命だ。金と力の世界をちゃぶ台返しだ。しかしこれは一人ではできない事業だ、志を同じくするものと協力して理想の社会を創りだせば良い、と思ってた時もあった。藤子不二雄のオバケのQ太郎に「オバQ王国」というエピソードがある。オバQが赤信号を歩いているところを警察官にとがめられる「ぼくはオバケだからひかれても平気だよ」と抗弁するが、「そんなことはかんけいない交通規則はちゃんとまもらねばないかんのだ」と言われてしまう。友だちの正太は、父親に学校をやめたいと交渉するが、「ばかな中学まではぜったいにでるように法律できまっているんだぞ」と言われて憤懣やるかたない。金持ちの子キザオは、自宅のスポーツカーを運転しようとするが、父親から「いかん!!18歳までは運転免許はとれないんだ」「法律できまってる」とこれまたアウト。三人が法律のめんどうくささをぼやいていると、ガキ大将のゴジラが、「おれもそう思う」と登場、「おれはイライラするとなにかぶっこわしたりだれかをぶんなぐりたくなるんだ」「でも実行したらつかまっちゃうもんな」と言う。頭のいいハカセが、

「しかし日本にすんでいるいじょう日本の法律にしたがうのはあたりまえだよ」

「それがいやなんだ」

「じゃ日本をはなれて独立国をつくるんだね」「自分たちの国をつくって自分たちのつごうのいい法律をつくればいい」

 ハカセの提案を受けて単身オバQが無人島発見の旅にでる。長い苦労の末遂に発見。仲間と共に、自由の国、「オバQ国」の誕生である。俺は小学生の頃、この話に夢中になる。こんな国にすめたらどんなに自由だろう、学校も、教師も、親もいない、自由の国。いつも糞つまらない日教室の片隅で、夢想にふけった。ユートピア、自由の国、なんでそんな国を人類は作れないのだろうか、教室も世界も悲惨だった。大人になるとかどういう職業につくかなど全く関心もなかった。ただひたすらユートピアを夢想した。しかしやがて月日が経つにつれ、ユートピアが幻想であることを理解するようになった。そしてユートピアを考え出した思想、イデオロギーもすべて泡沫であることに気づいた。実はそのことは「オバQ王国」にもすでに予見されていた。無人島に自由の国をみいだした面々は、自由の国の発見者オバQが王になることから狂いだす。オバQ王は「ねたいときにねて たべたいときにたべて あそんでくらす」憲法を制定する。しかし、ハカセが「しかしそのまえにこの島をすみよいかんきょうにしなくちゃね」「人間が生きていくには衣食住が必要だ」と住居の建設を提言する。王はこの提言を受けいれ、国民たちに住居の建設を命ずる。国民たちは、己の能力に応じてDIYで様々なタイプの住居を作る。その中でもゴジラの作った小屋はオバQ王が気に入り、王宮として接取することを命じる。ゴジラは王に抵抗するが、倒されてしまう。敗れたゴジラの姿を国民たちに見せる。みんなこんなめにあいたくなかったら 王さまの命令にはさからうなよ」、王は権威化を増し、「王さまはえらいのである?」「だから国民は王さまにつくさねばならないのである」と横暴なふるまいを始め、民心は離反していく。大雨が降り、王宮は雨漏りをしだす。王は新たに庄太の住居である洞窟を新王宮と定める。これをきっかけに国民の抗議行動が起こる。王は、ゴジラを警視総監に任命し、反逆者たちを制圧するように命じる。逃げだした国民たちは、密かにクーデターを画策、王と警視総監の追放を図る。クーデターは成功するが、今度は反逆者たちの間で王権をめぐり争いが起こる。ここで我に返った面々は、無人島を後にして日常に帰還する。オバQ国の終焉である。
 このようにして自由や理想を目指した者たちの間で、やはり「力」めぐっての争いが起こってしまう。俺はこの後、ダニエル・ゲランを通してアナーキズムに触れるが、何もわからないまま来ている。「人間の性、悪なり!」と活写したのは梶原一騎だ。未だに梶原の断定に応える用意をアナーキズムはなし得ていない。アナーキズムが面白くなるのは、それに一片の手がかりでもだせた時だと思う。俺にその任が務まるとも思えぬが、集会でお付き合いいただければありがたい。

2019年8月1日木曜日

なだいなだ「真のアナキズムとは」(『朝日新聞』1975年7月7日11頁より)

 アナキストは危険だ。アナキストはおそろしい。まったく、そうであろう。体制の中に安住する人間は、自分に反対し、爆弾を投げつけかねないものは、みんなアナキストと見えるのだから。
 一連の爆弾事件の容疑者が捕らえられた時、マスコミはアナキストグループが逮捕されたと報じた。それから一ヶ月ばかりの後、警視総監自らが、記者会見で、質問に答えていった。
--犯人グループはアナキストといってよいか。
--古典的アナキストに直結するか疑問だ。少なくとも、犯人たちは自分がアナキストだとは思っていないようだ。

奇妙な言葉  アナキストを捕らえた人の言葉としては、非常に奇妙である。アナキズムの本を読んだこともなく、アナキストの運動家から、そそのかされもせず、自分でアナキストと思っていないアナキストもいる、と主張しているようなものだからである。これでは、だれを警戒してよいやらわからない。だが、爆弾事件が起こると、どういうわけか、まず第一に「これはアナキストのしわざではないか」という考えが、頭に浮かぶのである。
 これを権力者の妄想(もうそう)と呼ぶこともできるだろう。だがそれはアナキズムの本質にかかわる問題でもある。[中略]マルキシストは、マルクス以前にはなかった。そしてマルキシストは、分派していきながらも、それぞれが真の忠実なマルクスの徒であると、その正統性を主張している。ところがアナキストは、自分がアナキストだと思っていなくとも、アナキストにされてしまうこともあり、また、ある日ふと、もしかしたら自分をアナキストと呼んでいいかもしれないと、自認することもある。そればかりでなく、歴史的にさかのぼって、彼もアナキストと呼べる、これもまたアナキストにほかならぬ、ということになり、アナキストの地平は限りなく拡大していくばかりなのだ。[中略]マルローは「成功したただ一人のアナキストはキリストだ」といっている。トルストイもガンジーも、ほかならぬアナキストである。だから、あなたも、ぼくも、アナキストかもしれないし、そう呼ばれるかもしれない。アナキストは爆弾を投げつけかねない人間だと考える人たちにとっては、いつの時代にも、どこにも、アナキストがいるとなると、おそろしくて夜も眠れまい。

国家を告発 アナキズムは、権力も権威も、人間の社会には不要だし、それなしに人間は平和に生きられるという思想である。裏返せば、国家の名で犯された戦争や抑圧を告発する思想である。もちろん、人間が今の状態のままで、そのような理想社会に住めるとは思っていない。そのためには、一人ひとりが自我を確立しなければならず、素朴な生活に満足する人間でなければならず、自由であるためには自己抑制が必要だと考える禁欲主義者でなければならぬと考えるものも多かった。[中略]組織的なアナキスト運動は20世紀前半に滅んだといっていい。[中略]だが、アナキズムはほろんでいない。爆弾事件の容疑者たちも、自分ではそう思っておらなくとも、アナキストと呼んでいいだろう。だが、彼らをアナキストと呼ぶのなら、ビートルズも、ローリングストーンズはより以上にアナキストであり、アナキストは数え切れないほどいることになる。現代のアナキズムは、様々の形を持っているからだ。[中略]アナキスト逮捕といい、報道した、警察もマスコミも、アナキズムの真のおそろしさがわかるに違いない。

反中央集権  権力者は法廷でしばり罰でおどし、自分らが指導し、秩序のわくにとじこめなければ、国民はなにもできぬ愚民だという。だが、アナキストは、国家も法律も指導者もなくても、自分たちは自治ができる、人間はそれができてはじめて人間だと主張するのだから。この、中央集権に反対する思想の方が、少数者の爆弾よりもずっと恐ろしいことだろう。