2019年8月1日木曜日

なだいなだ「真のアナキズムとは」(『朝日新聞』1975年7月7日11頁より)

 アナキストは危険だ。アナキストはおそろしい。まったく、そうであろう。体制の中に安住する人間は、自分に反対し、爆弾を投げつけかねないものは、みんなアナキストと見えるのだから。
 一連の爆弾事件の容疑者が捕らえられた時、マスコミはアナキストグループが逮捕されたと報じた。それから一ヶ月ばかりの後、警視総監自らが、記者会見で、質問に答えていった。
--犯人グループはアナキストといってよいか。
--古典的アナキストに直結するか疑問だ。少なくとも、犯人たちは自分がアナキストだとは思っていないようだ。

奇妙な言葉  アナキストを捕らえた人の言葉としては、非常に奇妙である。アナキズムの本を読んだこともなく、アナキストの運動家から、そそのかされもせず、自分でアナキストと思っていないアナキストもいる、と主張しているようなものだからである。これでは、だれを警戒してよいやらわからない。だが、爆弾事件が起こると、どういうわけか、まず第一に「これはアナキストのしわざではないか」という考えが、頭に浮かぶのである。
 これを権力者の妄想(もうそう)と呼ぶこともできるだろう。だがそれはアナキズムの本質にかかわる問題でもある。[中略]マルキシストは、マルクス以前にはなかった。そしてマルキシストは、分派していきながらも、それぞれが真の忠実なマルクスの徒であると、その正統性を主張している。ところがアナキストは、自分がアナキストだと思っていなくとも、アナキストにされてしまうこともあり、また、ある日ふと、もしかしたら自分をアナキストと呼んでいいかもしれないと、自認することもある。そればかりでなく、歴史的にさかのぼって、彼もアナキストと呼べる、これもまたアナキストにほかならぬ、ということになり、アナキストの地平は限りなく拡大していくばかりなのだ。[中略]マルローは「成功したただ一人のアナキストはキリストだ」といっている。トルストイもガンジーも、ほかならぬアナキストである。だから、あなたも、ぼくも、アナキストかもしれないし、そう呼ばれるかもしれない。アナキストは爆弾を投げつけかねない人間だと考える人たちにとっては、いつの時代にも、どこにも、アナキストがいるとなると、おそろしくて夜も眠れまい。

国家を告発 アナキズムは、権力も権威も、人間の社会には不要だし、それなしに人間は平和に生きられるという思想である。裏返せば、国家の名で犯された戦争や抑圧を告発する思想である。もちろん、人間が今の状態のままで、そのような理想社会に住めるとは思っていない。そのためには、一人ひとりが自我を確立しなければならず、素朴な生活に満足する人間でなければならず、自由であるためには自己抑制が必要だと考える禁欲主義者でなければならぬと考えるものも多かった。[中略]組織的なアナキスト運動は20世紀前半に滅んだといっていい。[中略]だが、アナキズムはほろんでいない。爆弾事件の容疑者たちも、自分ではそう思っておらなくとも、アナキストと呼んでいいだろう。だが、彼らをアナキストと呼ぶのなら、ビートルズも、ローリングストーンズはより以上にアナキストであり、アナキストは数え切れないほどいることになる。現代のアナキズムは、様々の形を持っているからだ。[中略]アナキスト逮捕といい、報道した、警察もマスコミも、アナキズムの真のおそろしさがわかるに違いない。

反中央集権  権力者は法廷でしばり罰でおどし、自分らが指導し、秩序のわくにとじこめなければ、国民はなにもできぬ愚民だという。だが、アナキストは、国家も法律も指導者もなくても、自分たちは自治ができる、人間はそれができてはじめて人間だと主張するのだから。この、中央集権に反対する思想の方が、少数者の爆弾よりもずっと恐ろしいことだろう。

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