2019年8月2日金曜日

面白いアナーキズムの予告編 by 乱狡太郎(広島集会に寄せて)

 口から出まかせに、「面白いアナーキズム」って言ってしまった。で、困るに困ってしまった。元々俺はそう面白い人間ではない。たまに呑んでる時に衝動のままにおもろいと思って話すと、相手が難しい顔をしている。ああ俺がおもろいことは他人とは違うと悟って以来、人におもろい話はしたことがない。なのに、面白いアナ―キズムについて話さないといけない。
 俺の望みは、くたばるまでの短い時間、面白おかしく生きることである。ところが、たまたま生まれたのは幸か不幸かこの日本国、これがまたクソおもろない国。俺がオモロイことしようとするとジャマばかりしやがる。学校に会社が社会全体を覆い尽くし、その上代わり映えのしない政治システムが鎮座している、むき出しに言えば、カネと暴力の世界である、「力」の支配する世界である。俺の好きな格闘マンガの名セリフに「強さとは何か?」と問われて、「己の意を貫き通す力」「わがままを押し通す力」と答えるシーンがある。その通りだと思う。自らの望むまま自由に生きようとすれば「力」が必要だ、それも強い力だ。ところが、金も力もない、またそれらを獲得する術がない俺。考えてみた、一つは革命だ。金と力の世界をちゃぶ台返しだ。しかしこれは一人ではできない事業だ、志を同じくするものと協力して理想の社会を創りだせば良い、と思ってた時もあった。藤子不二雄のオバケのQ太郎に「オバQ王国」というエピソードがある。オバQが赤信号を歩いているところを警察官にとがめられる「ぼくはオバケだからひかれても平気だよ」と抗弁するが、「そんなことはかんけいない交通規則はちゃんとまもらねばないかんのだ」と言われてしまう。友だちの正太は、父親に学校をやめたいと交渉するが、「ばかな中学まではぜったいにでるように法律できまっているんだぞ」と言われて憤懣やるかたない。金持ちの子キザオは、自宅のスポーツカーを運転しようとするが、父親から「いかん!!18歳までは運転免許はとれないんだ」「法律できまってる」とこれまたアウト。三人が法律のめんどうくささをぼやいていると、ガキ大将のゴジラが、「おれもそう思う」と登場、「おれはイライラするとなにかぶっこわしたりだれかをぶんなぐりたくなるんだ」「でも実行したらつかまっちゃうもんな」と言う。頭のいいハカセが、

「しかし日本にすんでいるいじょう日本の法律にしたがうのはあたりまえだよ」

「それがいやなんだ」

「じゃ日本をはなれて独立国をつくるんだね」「自分たちの国をつくって自分たちのつごうのいい法律をつくればいい」

 ハカセの提案を受けて単身オバQが無人島発見の旅にでる。長い苦労の末遂に発見。仲間と共に、自由の国、「オバQ国」の誕生である。俺は小学生の頃、この話に夢中になる。こんな国にすめたらどんなに自由だろう、学校も、教師も、親もいない、自由の国。いつも糞つまらない日教室の片隅で、夢想にふけった。ユートピア、自由の国、なんでそんな国を人類は作れないのだろうか、教室も世界も悲惨だった。大人になるとかどういう職業につくかなど全く関心もなかった。ただひたすらユートピアを夢想した。しかしやがて月日が経つにつれ、ユートピアが幻想であることを理解するようになった。そしてユートピアを考え出した思想、イデオロギーもすべて泡沫であることに気づいた。実はそのことは「オバQ王国」にもすでに予見されていた。無人島に自由の国をみいだした面々は、自由の国の発見者オバQが王になることから狂いだす。オバQ王は「ねたいときにねて たべたいときにたべて あそんでくらす」憲法を制定する。しかし、ハカセが「しかしそのまえにこの島をすみよいかんきょうにしなくちゃね」「人間が生きていくには衣食住が必要だ」と住居の建設を提言する。王はこの提言を受けいれ、国民たちに住居の建設を命ずる。国民たちは、己の能力に応じてDIYで様々なタイプの住居を作る。その中でもゴジラの作った小屋はオバQ王が気に入り、王宮として接取することを命じる。ゴジラは王に抵抗するが、倒されてしまう。敗れたゴジラの姿を国民たちに見せる。みんなこんなめにあいたくなかったら 王さまの命令にはさからうなよ」、王は権威化を増し、「王さまはえらいのである?」「だから国民は王さまにつくさねばならないのである」と横暴なふるまいを始め、民心は離反していく。大雨が降り、王宮は雨漏りをしだす。王は新たに庄太の住居である洞窟を新王宮と定める。これをきっかけに国民の抗議行動が起こる。王は、ゴジラを警視総監に任命し、反逆者たちを制圧するように命じる。逃げだした国民たちは、密かにクーデターを画策、王と警視総監の追放を図る。クーデターは成功するが、今度は反逆者たちの間で王権をめぐり争いが起こる。ここで我に返った面々は、無人島を後にして日常に帰還する。オバQ国の終焉である。
 このようにして自由や理想を目指した者たちの間で、やはり「力」めぐっての争いが起こってしまう。俺はこの後、ダニエル・ゲランを通してアナーキズムに触れるが、何もわからないまま来ている。「人間の性、悪なり!」と活写したのは梶原一騎だ。未だに梶原の断定に応える用意をアナーキズムはなし得ていない。アナーキズムが面白くなるのは、それに一片の手がかりでもだせた時だと思う。俺にその任が務まるとも思えぬが、集会でお付き合いいただければありがたい。

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