2018年8月1日水曜日

2018年8・6集会の資料2:なぜアナーキストは毎年8月6日に広島で開催される平和記念式典に対して抗議をするのか ( 広島無政府主義研究会のビラより一部を抜粋・改変)Why the anarchists protest every year against the Hiroshima Peace Memorial Ceremony of the August 6 (extracted from a flyer of Hiroshima anarchist study group)

原爆投下を喜んだ人々と広島との関係 
 広島への原爆投下によって「これで戦争が終わる」と喜び、8月11日には「日本が降服した」と闇市情報までが飛び交ったのは、他でもないこの広島に拠点があり、1941年12月8日以降、陸軍第5師団によって侵略された、マレーシア(マライ)、シンガポールの人々でした。
 1946年に描かれた劉抗(リュウカン)さん『チョプス』(めこん出版 中原道子訳/解説)に第5師団が何をしたのかが描かれています。
 1941年12月8日未明、マレー半島の東側のコタ・バルに上陸した日本陸軍の最終目的地はシンガポールでした。1942年2月3日から開始されたシンガポール攻撃によってイギリス軍は降伏しました。
 この戦闘で日本軍が勝利する可能性も考慮したシンガポールの人々が行ったのは港や石油基地、ゴム農園の産業の破壊や通貨の焼却、そして、何よりも東アジア全域に供給できるほどあった酒類を破棄することでした。
 すでに中国や朝鮮などで日本軍は、虐殺や女性への強姦などで世界中を震撼させていました。このことを知っていた人々は、シンガポールでもそのような暴力が起きることに恐怖を感じました。
 そのために、日本軍に酒類を渡してはならないと考えたのです。マライ、シンガポール侵略は、第25軍司令官山下泰文の指揮によって展開しました。
 なお、後に山下は、フィリピンに転戦し、敗走することになりますが、1945年2月、フィリピンにあった山下の邸宅の倉庫には、スコッチウイスキーが山積みされており、下級兵士に持って逃げさせるためにドラム缶2本に流し込んでも、まだ残っていたほどでした。戦争の最中に、これだけの量のスコッチウイスキーをどこから持ってきたのでしょうか。

 1941年以降、当然、マライ、シンガポールでも拷問や虐殺、略奪、強姦などのありとあらゆる暴力が吹き荒れました。
 マレーシアやシンガポールに「ロームシャ」、「トナリグミ」、「キヲツケ」、「バカヤロ」、そして、「オンナ」という第5師団が持ち込んだ言葉が、そのままマレー語、あるいはインドネシア語として今でも使われています。中原道子さんによれば:

 ・・・日本では昔も今も当たり前となっているビンタですが、マライやシンガポールの人々にとって、人の顔をひっぱたくというのは粗暴であり無礼極まりない行為であり、こんなことは見たことも聞いたこともない行為だったのです。第5師団の兵士たちが人の顔をひっぱたき、平気でバスから立ちションベンをするくせに「服のボタンがちゃんとはまっていない、行儀作法は重んじられるべし!」と言って鼻を引っ張ってビンタをするというめちゃくちゃな日本人の行儀作法は戦争が終った後も記憶されました。

 このような軍隊を送り出した広島に原爆が投下されたのです。

 マライ、シンガポールの人々に暴行を加え、虐殺したのだから、その分我慢しろ!と言いたいわけではありません。
 しかし、なぜ広島に原爆が投下されなければならなかったのか、また、なぜ、マライ、シンガポールの人々が「これで戦争が終わる」と喜んだのか、ということについては、真摯かつ丁寧に考えなければならないでしょう。

広島平和記念式典の欺瞞性
 これに対して、毎年行われている「広島平和祈念式典」は、原爆が広島になぜ投下されなければならなかったのか、という、誰もが持っている疑問については、何も答えようとはしません。
 たとえば、「過ちは繰り返しません」の「過ち」とは一体だれがだれに対して行った「過ち」なのか?という疑問です。そして、現憲法の9条が、しばしば言われるように「戦争の反省」から生まれたものであるなら、その「戦争の反省」とは一体だれがだれに対して行う「反省」なのか?という疑問です。
 その一方で、ここ数年、そして今年も言われるであろう「戦争体験、被爆体験の風化」が懸念されながらも、現実には「戦争法」が成立し、「核兵器禁止条約」に背を向け、憲法改悪が着々と進んでいるではありませんか。
 一体、何に「過ち」を感じて「反省」して、何の「風化」を懸念しているのでしょうか。
 1985年、第二次世界大戦終結40年の式典で、当時のドイツ大統領ヴァイツゼッカーは、「 過去に目を閉ざす者は現在に対して盲目になる」という名言を発しました。
 では、私たちは、1945年8月6日の原爆投下という過去を、毎年どのように回想しているでしょうか。
 毎年8月6日、平和記念式典では、1945年8月6日の広島が想起され、全世界に向けて、「核と人類は共存できない」というメッセージが出され続けています。
 そのような「想起」を通じて「ヒロシマ」が「国際平和都市」であるということがアピールされてきました。
 それと同時に、私たちは、日本が戦争をしていないし、ある日、突然、原爆が落ちてくるような気配もない、そのような「平和な時代」として現在の日本をみてしまうことを毎年8月6日に繰り返しています。
  しかもこの「想起」は、明治以降、日清、日露戦争、第一次世界大戦、シベリア出兵、中国、アジア太平洋各地に出兵して行った1945年8月5日までの過去は想起しない、という身勝手な「想起」なのです。
 このような「想起」をすればするだけ、わたしたちは「現在」に対して「盲目」になってしまうのではないでしょうか。
 戦後のヒロシマが「平和都市」として全世界に核の恐ろしさを訴え続けた一方で、同時にそのヒロシマは、アメリカのABCC[原爆傷害調査委員会:Atomic Bomb Casualty Commissionの略称]が被爆者のデータをせっせと集めてはアメリカ本国に送るという米ソ冷戦構造の最前線でもあった、ということに、どれだけの人々が問題意識を持ってきたのでしょうか。
 そもそも、あの戦争屋の安倍首相が、「平和記念式典」に出席して、全世界に向けて「平和の尊さ」を高らかに宣言すること自体がすでに問題です。
 こうやってみてくると、「平和」とは「戦争がない」ということではなく、「一見するとあたかも平和な時代に見える今現在」「現に今ここにあるこの日常の平和な暮らし」の中に「戦争」がある、という状態のことをいっているだけだ、ということがわかってくるのです。
 こういったことに疑問を持たないばかりか、8時15分に黙祷をしたりダイインをしたりすることは、「死者の前では居住まいや襟を正すべき」という場合の「死者」であるところの原爆犠牲者をタテにしたごまかし以外の何ものでもありません。
 「平和」を祈ってやっているようなそういった行為は、実は、「平和」を祈っていると宣言しながら戦争を推進している、あの、戦争屋の安倍による欺瞞と何ら変わるところはないのです。

どうやって死者を追悼すればよいのか
 広島への原爆投下によって14万人が死んだわけですが、ここで問われなければならないことは、亡くなった一人一人にはきちんと顔と名前があったにも関わらず、それを単に「原爆犠牲者14万人」として一塊の数として束ねていることです。わたしたちはこのことにあまりにも無自覚になっているのではないでしょうか。
 原爆で死んだのは日本人だけではありません。日本に強制連行された中国人、朝鮮人もいましたし、アメリカ軍の捕虜もいました。その死は「原爆犠牲者14万人」として黙祷できるものですか。原爆で死んでしまったら、原爆を落とした側も落とされた側も同列にしていいものですか。
 こういった問題を忘れて、8時15分になればダイインや黙祷をするというのは、死者に対する冒涜ではないでしょうか。
 原爆犠牲者14万人の一人一人の顔を思い浮かべることも、名前を呼ぶことも、死んだ子の歳を数えることもできない、何よりも原爆犠牲者と今生きている自分との間にある断絶を、心底思い知らされることを抜きにして、一体どのような原爆犠牲者に対する向き合い方があると言うのでしょうか。
 紀貫之は、我が子の死に対する自身の断絶感を『土佐日記』に書きました。しかし、死んだ子がどうやっても生き返ってくることはない以上、忘れな草も忘れ貝も、そして、あけても暮れても書き綴る日記さえも、何のなぐさめにならないばかりか、ごまかしにしかならないと思い知りました。
 死者に向き合うとは、こういうことではないでしょうか。

2018年7月31日火曜日

2018年8・6ヒロシマ集会の資料1

8・6をめぐる覚書 by Y. (『文献センター通信』第31号、2015年6月30日、2-5頁に掲載されたものから抜粋。一部、読みやすさを考慮し変更している)


 この覚書は全くの個人的視点から書いているもので、思い違いや記憶の誤り等が多々あるかもしれませんが、思い出すままに記述していきたいと思います。

1 前史
 「ヒロシマ」との直接の関わりは1975年の8・6からだと思います。何もない状態ですべて個人の発意で、また手作りの段階です。黒旗は隣町の生地屋さんで黒い布地を切り売りしてもらい、裏山から青竹を切ってなんとか作り上げたという状態です。
 ビラに至っては、最初の年は地元の中学校に行ってガリ切りをさせてもらった記憶があります。そして、黒旗とビラを持って平和公園へ行ったのが、8月5日の夕方ぐらいだと思います。
 8・6当日は確か三木首相が来広することになっていたと思います。その当時の警備体制がどうなっていたかはわかりませんが、泊まり込む人たちも結構いて、のんびりしていたのかなと思います。公園の一角に黒旗を立て、ビラを置いて、あとは朝を待つだけの状態です。
 しかしその年は、いろいろな出来事がありました。夜になって、一人のニュージーランドのジャーナリストだという男の人が声をかけてきました。今では内容というか、言葉のやりとり等については全く記憶が何もないのですが、二人して広島市内を歩き回ったということは覚えています。
 そして二人は当時、市内にあった大学の寮へ潜り込んで、そこで夜を明かしました。彼がなぜそこを知っていたのか、今では不明です。
 朝、時計を見ると、8時15分はとうに過ぎており、相手を起こして、そのまま私自身は平和公園へ向かいました。昨夜立てていた黒旗とビラの袋はそのままの状態なのか、いささか不安ではありました。
 その場に着いてみると、黒旗とビラの周囲に私服が立ち並んでいて、中を見せろと要求してきて対応したことを覚えています。この行動は1978年まで継続していきます。
 一人でビラを配っていると手伝ってくれるのは女の子でした。男は誰も近くに寄ってきません。その間に2~3回は黒旗を公園内の派出所に持ち去られ、取りに行くということもありました。その間に1回だけ老人が黒旗を見て、まだあるのか、懐かしいのお、頑張れよといってくれた記憶があります。
 1979年に無政府主義研究会を立ち上げ、労働会館で学習会等を行っていました。その勢いで1979年に「ヒロシマの犯罪性を問う」と題して関西の仲間と一緒に小集会を開いています。
 1980年にも同様の集会を開いたのですが、2回にして閉幕しました。「ヒロシマの犯罪性を問う」ということはあとになって「象徴ヒロシマ」解体という概念へと結びついていくのですが、この部分は論点のところで詳しく書きます。
 1981年以降は『無政府主義新報』で8・6の話題について、論じるだけで具体的行動は全国集会を行うまでやっていないということになります。
 なお、余談になりますが、1979年にオーストラリアのアナキストが来広して、このときは彼らが宿泊していたホテルで話し合っています。彼らは東京、名古屋、京都を経てやってきたようです。後年、オーストラリア・アナキズム100年祭があった時に、日本からも三浦さんとフランス人のFが参加して、報告集も出ています。

2 全国集会から反戦・反国家集会の本史
 80年以降、「機関紙」の発行と時たま喫茶店にて学習会を行う程度で細々とやっていたのが、フランスからアナキストがヒロシマにやってきて、研究会自体が活気づきました。
 ただ、当時、研究会のメンバー及びフランスのFも、状況そのものがわからなかったもので、今現在の運動体の実態から解説するというスタートとなりました。
 その状況を把握する中で出てきた疑問の一つがなぜ連盟が存在しないのかという点があります。過去何度も話が浮上しては消えてゆくこの問題に対して私自身は最初消極的であり、あまり触れたくない思いでしたが、イベントを通じて連盟の創設をめざすという方向性が出て、ヒロシマでアナキストのイベントということで、8・6集会の大枠が決まりました。
 それから、各自分担して、ポスター作り、東京への情宣となっていきます。東京へは私とフランス人のFとで行きました。東京でAIT[Association internationale des travailleursの略称。「国際労働者協会」と訳される。第一インターナショナルからアナーキスト、アナルコ・サンディカリストが引き継いだ名称で現在でも存在する国際組織]に連帯する会の事務所を訪ね、『リベーロ』[当時、富士宮にあるアナキスト文献センターが発行していた機関紙]を発行しているメンバーとも会い、情宣しました。
 底辺共闘のメンバーと連絡を取りたかったのですが、そのときには会えませんでした。他に、東アジア反日武装戦線を救援する会合が開かれていると聞き、顔を出しました。その当時、情報があったA[アナーキズム]の関係については、ほぼ回ったと思います。
 こうして一応の情宣を終えて、8・6当日を迎えます。会場は八丁堀会館で行いました。
 海外から香港のアナキストの参加者1名、フランス・アナ連から連帯のメッセージがありました。内容については、この集会の意義の説明、連盟結成へ向けての各団体との連絡体制、どういう方向でそれを成し遂げていくのかという説明を行いました。
 その後、各団体、個人からの意見、声明が続き、その後、討論集会という形を取っていきました。このときの模様は報告集という形でパンフレットを作成しましたが、具体的に何かの形が形成されたかといえば疑問で、いわば仲間内で集まって顔見せを行ったということにつきます。
 午後からデモ行動を行ったのですが、アナキストの黒旗が広島市内に林立したのは、これが最初ではないかと思います。対内的よりも、対外的にインパクトを与えたのはこのデモが大きかったと思います。

 第1回の全国集会から、第2回以降の反戦・反国家集会への転換について、無責任な言い方になるのですが、直接的に、または主体的に関与していません。私自身は報告集のテープ起こしと印刷の方へ集中していたので、2回目以降の反戦・反国家集会という名称およびニュースの発行についても関わっていませんた。
 ただ私としてはともかく立ち上げたものをすぐに解体してしまうのも忍びなし、ともかくこの方針で行くのならば、それに乗ろうという気持ちでした。ここには古くて新しい問題が影を落としています。
 第1回の路線は基本的にはアナキストの中核の形成という方向であったのに対して、第2回目以降はアナキストとして反戦運動へどう関わっていくかという方向へシフトしていったことが大きいと思います。この内部矛盾はさまざまな形で突出してきます。
 この傾向は、一方でのアナキスト連盟の結成それを軸として行動する部分と、反戦・反核運動へ参加し、この潮流の渦中にて一定のヘゲモニーを得ようとする部分が常に底流ではありました。何回か集会を重ねる中で決定的なる分裂状態に陥った時期があります。
 私とM氏が市民集会に対して批判的であり、妥協案として市民集会の入口の一角にブースを設置してアナキズムの宣伝を行うということで一度市民集会へ乗り込んだことがあります。
 結果は散々な評価で、せっかく一定の信頼関係を築き上げつつあったのに、あなたたちの行動でだめになってしまった、という具合。
 ただこちらの方としては最初から潰しに目的があったので議論が平行線でした。私としては日頃から市民運動をマルキストあるいはマルキスト崩れの連中がやっていると認識していたので、あまり責任は感じませんでした。
 これは広島の地で言えることなのかどうかわかりませんが、私の信条として色を鮮明にすることが必要だと思っていました。黒なら黒、赤なら赤と。現在はまた状況は違っていると思いますが。
 この時期とかさなっていると思うのですが、分裂した形で集会を開いたことがあります。東区民センターで、アナキスト集会と題して反戦・反国家集会を開いた記憶があります。山口健二さんが「可能性としてのアナキズム」と題して話をしたのはこの集会ではなかったかと思います。
 分裂までいったこの一連の騒動は話し合いによって解決し、市民運動と一定の距離を置くという形で決着していったと思います。
 デモの出発点として、われわれが多く使用したのが在日韓国人被爆者の慰霊碑の前からでした。現在は平和公園内の一角に移設されていますが、当時は公園の外側にあり、被爆してなお差別された存在として、われわれは連帯の意味を込めて、ここを出発点として選択していました。実行委員会の中でこの見解は一致していました。
 また、実行委は当初から固定していたわけではありません。一度中断した段階で東京の若者グループと実行委を形成したことがあります。反日亡国委という名称で集会およびデモを行っています。
 このときの実行委のメンバーが逮捕されるアクシデントも起こっています。たしか彼はデモ隊列の後方にいたと思います。私自身は前方にいたので実際どういう形態で逮捕されたのか定かではありません。
 実行委自体は、東京の若者グループ、またあとの大阪の若者グループというように、外部からの刺激を受けることにより続いてきたと言えると思います。

3「ヒロシマ」を軸にした論点 
 実行委の内部において、運動をめぐって内部矛盾があったように「ヒロシマ」に対する認識についても同様のことがありました。
 日本が帝国主義戦争と植民地戦争を遂行し、その過程で原爆が使用されヒロシマが壊滅するという事実に基づいて、これをどう捉えるかという視点から、一つには国際法違反という論点と、もう一つには「象徴」としてのヒロシマという論点が出てきました。
 前者の主張は、戦争は国際法の範囲内で遂行されるというもので、それを外れた行為は国際法によって告発されなければならないとするものであり、原爆投下は当然その行為にあたり、アメリカの責任および支配下から生じた平和記念式典は粉砕しなければならないとするものです。
 私自身としては、この論に対して国際法そのものが国家間での法であって、その効力に対して疑問を持っています。国家が国家として存立していく前提として、内に対しての絶対的な権力構造があり、国家間で法そのものが法として機能するということはないのではないかと思います。ただ集会での大多数の賛同を得たのは国際法違反という論法です。
 私がヒロシマに対して思うときは「象徴」としてのヒロシマを撃つという姿勢でした。
 戦後過程において、ヒロシマから「象徴」としてのヒロシマへと変身する段階ですべての矛盾は捨象されていき、絶対的被害の対象として昇華され、「象徴」天皇制との双頭体制によって平和幻想を打ち立て、戦後の日本国家のバックボーンになったと捉えます。広島の地に居住するアナキストはこの幻想の体系を解体し、その渦中から展望を見いだす必要があると考えてきました。
 ただこの考えは観念論であるとか、具体的にどう対処すべきなのか、という点において、少数派に位置しています。現在においても賛同を得にくいものと考えています。

2018年7月29日日曜日

人探し We're searching the people who were involved in the movement publishing "Libera Federacio" from 1969 to 1973 in Himeji/ Osaka/ Japan

人探し
 1969年3月から1973年ごろまで、姫路・大阪で、向井孝さんと一緒に、『自由連合 Libera Federacio』という雑誌の記事の執筆・編集・ガリ切り・印刷・発送にかかわり、当時のことについてご記憶のかたで情報を提供しても構わない、という方を探しています。また、当時、『自由連合』の読者だったかた、大阪の編集・発行所(当時「アジト」と呼ばれていました)を訪ねた経験があるという方からの情報も求めています。
 目的は、関西を中心とした戦後日本アナーキズム史編纂です。ご協力いただける方は、以下のメールアドレスまでご連絡ください。joh.most@gmail.com

参考文献:尾関弘「第5章 状況としての自由連合」『現代のアナキズム運動:青年アナキストの武者修行記』三一書房、1970年、 239-246頁。

We're searching the people who were involved in the movement of  publishing the  "Jiyu Rengo: Libero Federico" with Kou Mukai, from 1969 to 1973 in Himeji/ Osaka/ Japan. We would like to have also the information of the people who was the reader of  "Jiyu Rengo: Libera Federacio" or who visited the office, it was called "Azito", in Osaka where this paper published. We will be waiting for your information: joh.most@gmail.com   

2018年6月2日土曜日

8・6広島集会への誘い  Invitation to "August 6" Gathering in Hiroshima

 8月6日まで2ヶ月後になりましたので、あらためてお知らせいたします。
 昨年の8月8日のブログでお知らせしたように、本年の「8・6集会」は、2015年の「8・6集会」と同様、国内外でアナーキズムに関心を持つ幅広い人々にも、参加を呼びかけることになりました。
  3年前と同様、関西アナーキズム研究会は、この呼びかけを歓迎し、「8・6集会」に参加します。
 2015年と同様、参加に制限は設けません。「原爆投下の日」に広島に立ち寄るついでに参加というかたちでもかまいません。
 なお、例年、前日の8月5日から、広島市内での宿泊施設は、ほぼ満室になります。

 私たちは、宿泊施設の提供はできませんので、参加をご検討の際は、以上の点についてご留意の上、お早めに宿泊のご準備をお願いします。今年は、8月6日が月曜日です。この点もご留意ください。

 当日のスケジュールは、以下の通りです。ただし、変更の可能性もあります。 
 
2018年8月6日(月)
1.7時過ぎ~ 平和式典会場(広島平和記念公園)周辺でビラまきと抗議行動
2.10時~ デモ:出発地点は原爆ドーム前(予定)右の「イイネ」の旗のそばに集合。
3.13時頃~ 広島市内で集会 1)報告と討議「21世紀のアナーキズムの戦略」(予定)
  2)交流会 *集会後、広島市内で懇親会
4.連絡先:joh.most@gmail.com

As we posted before, "The Association for Anarchism Studies in Hiroshima" decided to invite a wide range of people with an interest in anarchism from within and from outside Japan to the 'August 6th Gathering' of 2018.
 Welcoming this invitation, the Association for Anarchism Studies, Kansai/Japan has decided to participate in organizing the 'August 6th Gathering' along with the Hiroshima anarchism research group, and would like to specifically call out to people with an interest in anarchism outside of Japan.  There is no restriction on participation. 
 In addition, the accommodation facilities in Hiroshima city are almost fully booked on August 5, the previous day of gathering. We can not provide accommodation facilities, so please keep these points in mind when considering participation. Please notice that there will be no English translation. The talk and discussion are all in Japanese. Please notice also: The day of August 6 in this year is Monday.


The schedule of the day is as follows:

August 6, 2018 Monday:
  from about 7am distribution of leaflets at the gate of Hiroshima Memorial Park.

 10 am - starting Demonstration from the near of Atomic Bomb Dome. Please find the flag "Ii ne"(see left) .
  from 1pm - Gathering in the city 1) The Theme of Reports and Discussions: "The Strategy of Anarchism in 21th Century"; 2) Discussion and Exchange meeting.  After the gathering: drink & eat somewhere in Hiroshima city  
  The Kansai anarchism studies group is accepting applications to the 2018 'August 6th Gathering.' If you would like to participate please contact us by emailing the address below.
joh.most@gmail.com
  We look forward your participation. Let's meet on August 6th in Hiroshima.
 Contact email address: joh.most@gmail.com

2017年8月12日土曜日

「愛国主義とは何か」エマ・ゴールドマン(1908年、サンフランシスコ/カリフォルニア)What Is Patriotism? by Emma Goldman

What Is Patriotism? by Emma Goldman
1908, San Francisco, California

Men and Women:

What is patriotism? Is it love of one's birthplace, the place of childhood's recollections and hopes, dreams and aspirations? Is it the place where, in childlike naivete, we would watch the passing clouds, and wonder why we, too, could not float so swiftly? The place where we would count the milliard glittering stars, terror-stricken lest each one "an eye should be," piercing the very depths of our little souls? Is it the place where we would listen to the music of the birds and long to have wings to fly, even as they, to distant lands? Or is it the place where we would sit on Mother's knee, enraptured by tales of great deeds and conquests? In short, is it love for the spot, every inch representing dear and precious recollections of a happy, joyous and playful childhood?

If that were patriotism, few American men of today would be called upon to be patriotic, since the place of play has been turned into factory, mill, and mine, while deepening sounds of machinery have replaced the music of the birds. No longer can we hear the tales of great deeds, for the stories our mothers tell today are but those of sorrow, tears and grief.

What, then, is patriotism? "Patriotism, sir, is the last resort of scoundrels," said Dr. [Samuel] Johnson. Leo Tolstoy, the greatest anti-patriot of our time, defines patriotism as the principle that will justify the training of wholesale murderers; a trade that requires better equipment in the exercise of man-killing than the making of such necessities as shoes, clothing, and houses; a trade that guarantees better returns and greater glory than that of the honest workingman...

Indeed, conceit, arrogance and egotism are the essentials of patriotism. Let me illustrate. Patriotism assumes that our globe is divided into little spots, each one surrounded by an iron gate. Those who have had the fortune of being born on some particular spot consider themselves nobler, better, grander, more intelligent than those living beings inhabiting any other spot. It is, therefore, the duty of everyone living on that chosen spot to fight, kill and die in the attempt to impose his superiority upon all the others. The inhabitants of the other spots reason in like manner, of course, with the result that from early infancy the mind of the child is provided with blood-curdling stories about the Germans, the French, the Italians, Russians, etc. When the child has reached manhood he is thoroughly saturated with the belief that he is chosen by the Lord himself to defend his country against the attack or invasion of any foreigner. It is for that purpose that we are clamoring for a greater army and navy, more battleships and ammunition...

An army and navy represent the people's toys. To make them more attractive and acceptable, hundreds and thousands of dollars are being spent for the display of toys. That was the purpose of the American government in equipping a fleet and sending it along the Pacific coast, that every American citizen should be made to feel the pride and glory of the United States.

The city of San Francisco spent one hundred thousand dollars for the entertainment of the fleet; Los Angeles, sixty thousand; Seattle and Tacoma, about one hundred thousand... Yes, two hundred and sixty thousand dollars were spent on fireworks, theater parties, and revelries, at a time when men, women, and children through the breadth and length of the country were starving in the streets; when thousands of unemployed were ready to sell their labor at any price.

What could not have been accomplished with such an enormous sum? But instead of bread and shelter, the children of those cities were taken to see the fleet, that it may remain, as one newspaper said, "a lasting memory for the child."

A wonderful thing to remember, is it not? The implements of civilized slaughter. If the mind of the child is poisoned with such memories, what hope is there for a true realization of human brotherhood?

We Americans claim to be a peace-loving people. We hate bloodshed; we are opposed to violence. Yet we go into spasms of joy over the possibility of projecting dynamite bombs from flying machines upon helpless citizens. We are ready to hang, electrocute, or lynch anyone, who, from economic necessity, will risk his own life in the attempt upon that of some industrial magnate. Yet our hearts swell with pride at the thought that America is becoming the most powerful nation on earth, and that she will eventually plant her iron foot on the necks of all other nations.

Such is the logic of patriotism.

...Thinking men and women the world over are beginning to realize that patriotism is too narrow and limited a conception to meet the necessities of our time. The centralization of power has brought into being an international feeling of solidarity among the oppressed nations of the world; a solidarity which represents a greater harmony of interests between the workingman of America and his brothers abroad than between the American miner and his exploiting compatriot; a solidarity which fears not foreign invasion, because it is bringing all the workers to the point when they will say to their masters, "Go and do your own killing. We have done it long enough for you."

...The proletariat of Europe has realized the great force of that solidarity and has, as a result, inaugurated a war against patriotism and its bloody specter, militarism. Thousands of men fill the prisons of France, Germany, Russia and the Scandinavian countries because they dared to defy the ancient superstition...

America will have to follow suit. The spirit of militarism has already permeated all walks of life. Indeed, I am convinced that militarism is a greater danger here than anywhere else, because of the many bribes capitalism holds out to those whom it wishes to destroy...

The beginning has already been made in the schools... Children are trained in military tactics, the glory of military achievements extolled in the curriculum, and the youthful mind perverted to suit the government. Further, the youth of the country is appealed to in glaring posters to join the Army and the Navy. "A fine chance to see the world!" cries the governmental huckster. Thus innocent boys are morally shanghaied into patriotism, and the military Moloch strides conquering through the nation...

When we have undermined the patriotic lie, we shall have cleared the path for the great structure where all shall be united into a universal brotherhood -- a truly free society. 


cited from: Social Justice Speeches

2017年8月8日火曜日

8・6集会参加への呼びかけ Invitation to the "August 6" Anarchist Gathering in 2018 at Hiroshima/ Japan

 先日、広島無政府主義研究会主催で、「8・6集会」広島で開催されました。話し合った結果、来年も「8・6集会」を開催することが決まりました。また、2015年の「8・6集会」と同様、国内外でアナーキズムに関心を持つ幅広い人々にも、参加を呼びかけることになりました。
 関西アナーキズム研究会は、この呼びかけを歓迎し、広島無政府主義研究会とともに、「8・6集会」の開催に参加することになりました。
 2年前と同様、参加に制限は設けません。「原爆投下の日」に広島に立ち寄るついでに参加というかたちでもかまいません。
 なお、例年、前日の8月5日から、広島市内での宿泊施設は、ほぼ満室になります。私たちは、宿泊施設の提供はできませんので、参加をご検討の際は、以上の点についてご留意ください。また、来年は、8月6日が月曜日です。この点もご留意ください。

 当日のスケジュールは、以下の通りです。

 2018年8月6日(月) 
  1.9時~ デモ:以下の「いいネ」の旗の下に集合してください。出発地点:原爆ドーム前(予定)2.13時頃~ 広島市内で集会 1)報告と討議「8・6集会の歴史と意義について」 2)交流会 *集会後、広島市内で懇親会


  集会についての問い合わせは以下まで:joh.most@gmail.com
  皆様の積極的なご参加をお待ちしています。来年の8月6日に、広島でお会いしましょう。

The Association for Anarchism Studies in Hiroshima decided at the 'August 6th Gathering' next year to invite a wide range of people with an interest in anarchism from within and from outside Japan to the 'August 6th Gathering' of 2018.
 Welcoming this invitation, the Association for Anarchism Studies, Kansai/Japan has decided to participate in organizing the 'August 6th Gathering' along with the Hiroshima anarchism research group, and would like to specifically call out to people with an interest in anarchism outside of Japan.  There is no restriction on participation. 

 In addition, the accommodation facilities in Hiroshima city are almost fully booked on August 5, the previous day of gathering. We can not provide accommodation facilities, so please keep these points in mind when considering participation.


The schedule of the day is as follows:

August 6, 2018 Monday:
  from 9 am - starting Demonstration from
the near of Atomic Bomb Dome. Please find the flag "Ii ne"(see left) .
  from 1pm - Gathering in the city 1) Reports and Discussions: "History and future of the August 6th Gathering; 2) Discussion and Exchange meeting.  After the gathering: drink & eat somewhere in Hiroshima city  
  The Kansai anarchism studies group is accepting applications to the 2018 'August 6th Gathering.' If you would like to participate please contact us by emailing the address below.
joh.most@gmail.com
  We look forward your participation. Let's meet on August 6th in Hiroshima next year.
 Contact email address: joh.most@gmail.com