2020年4月18日土曜日

「危機」は「協力」をつくり出すのか 3:レベッカ・ソルニット、島月園子訳『災害ユートピア』(亜紀書房、2011年)

157-160ページ
・・・核戦争が起きれば、主要な都市や地方は破壊され、放射能を浴びるであろうと予測された。両国とも、もしそうなっても、直接被弾さえしない限り、シェルターにより人々を放射能から隔離しておいて、あとからすべてを建て直すことで、核戦争を生き延びることは可能だと信じたがっていた。・・・
 トルーマン大統領の『プロジェクト・イーストリバー』には「攻撃を受けたときにパニックが起きるのを防ぎ、またそれを抑制することは民間防衛の重要任務である。なぜなら、人々が攻撃によりパニックに陥ったときには、それが原因で、兵器が直接引き起こす数よりも多くの死者や負傷者が出る可能性があるからだ」とある。すなわち、一般市民は自身や自国に対し、敵の核兵器より大きな脅威となる可能性を秘めているというわけだ。・・・・
 アメリカ政府は、国民に私設の核シェルターを作ることを、10年以上も熱心に勧めた。核戦争を生き延びるには、再び表に出て町を再建できるようになるまでに、数週間もしくは数ヶ月もシェルター内で過ごさなければならないだろうと彼らは考えていた。・・・・
 連邦政府の高官や重要な官僚のためには、大規模なフル装備の豪華シェルターが建設された。彼らはたとえ他のすべての人々が助からなくても、自分たちが生き残ることが最重要だと考えたのだ。ソ連人は集団用シェルターを作ったが、アメリカ人は個人用シェルターを作るようにうながされた。・・・・
 けれども、人々は私設シェルターが突きつける道徳的難問の前に立ちつくした。その重要な問題とは、―もし、あなたが自分と家族のためにシェルターを作ったとして(裏庭のある家に限られるので、都市居住者や貧しい人には初めから無理)、近所の人を入れてあげますか?・・・
 同時期に『タイム』誌は、どんなことをしてでも生き延びようとするシェルターの持ち主を主人公にした、痛烈な皮肉を込めた物語を掲載した。タイトルは『汝の隣人を撃て Gun Thy Neighbor』。それはこんな言葉から始まっている。
 「シェルターが完成した暁には、爆弾が落ちたときには近所の者たちを入れないため、ハッチに機関銃を用意しておこう」
・・・・20年後、ある歴史学者は「徐々に、だが確実に、何千万ものアメリカ人は、私設の核シェルターは道徳的に弁護できないという結論に達した」と結論した。
 気づいた人は少ないが、それは注目すべき瞬間だった。核戦争が大きな脅威で、しかも集団による解決や連帯が共産主義をにおわせていた時代に、ごく普通の市民が、他の人を犠牲にしてまで自分自身が助かろうとすることにたじろいだのだ。
 ドロシー・デイと平和主義コミュニティの<カトリック労働者>のメンバーは、1955年にニューヨークで始まった全国規模の民間防衛訓練への参加を拒絶した。そして、他のすべての市民が、訓練で地下に潜っているときに、挑戦的にマンハッタンの市庁舎に集結した。
 2千人の人々が反対運動に参加したせいでとうとう訓練が廃止された1961年まで、毎年、デイのグループは協力を公的に拒み、そのせいでデイはときには逮捕され、また、ときには無視された。この集団としての強情さは、その10年がもたらした大激変への小さな端緒だ。
 この挑戦的な利他主義は、相互扶助や進化論的議論を凌駕している。市民は、隣人への援助を拒むことはあまりにも不快なので、たとえ国のリーダーたちが全人類の命を危険にさらす博打をしているときすら、自分だけが生き延びる道を探ることはできなかったのだ。

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