2025年1月9日木曜日

伊藤野枝「ある女の裁判」について(2024年9月15日に明治大学で開催されたシンポジウム「自由の自己の道を歩いて行こう 伊藤野枝/大杉栄から読み解く1920年代の女性と社会シンポジウム」の冒頭挨拶)

 お忙しい中、ご来場いただき感謝いたします。「自由の自己の道を歩いて行こう 伊藤野枝/大杉栄から読み解く1920年代の女性と社会シンポジウム」を開催するにあたりまして、冒頭、会場の明治大学で教員として勤務しています、私、田中ひかるよりご挨拶をさせていただきます。

 明治大は、今年4月から放映された朝の連続テレビ小説「虎に翼」の舞台になりました。このドラマは、明治大学出身で日本初の女性法曹家となった三淵嘉子さんをモデルにした主人公による物語で、大変話題となりました。

私は、このドラマで扱われたテーマが、このシンポジウムの「関東大震災から戦争の時代へ、女性はいかに戦ったか」というところに深く関わっているのではないかと、思います。というのも、ドラマでは、端的に言えば、主人公をはじめとする女性たちの「戦い」が描かれていた、と私は思うからです。

このドラマの脚本を書いた吉田恵里香さんのインタビューを読んで、このドラマが、このシンポジウムとかかわっているもう一つの点を見つけました。

吉田さんは、このドラマも含め、ご自分がこれまで書いてきたドラマの脚本が、「存在しないものとされていた人を描く」というものだった、と述べられているからです。

 これにかかわって、3人の日本初の法曹家のうちで、「虎に翼」の主人公のモデルになった三淵さんではなく、私は、中田正子さんという鳥取出身の弁護士さんのエピソードに興味を持っています。

中田さんは、1940年頃に、雑誌『主婦の友』で女性の法律相談という記事を連載されていた、という文章をあるところで読みました。『主婦の友社』というのは現在でもありますが、当時は、ちょうどこの明治大学の反対側にある現在、日大が所有している御茶ノ水スクエアのあたりだったと聞いています。

中田さんは、そこに行って、日本全国の女性たちから送られてくる膨大な法律相談の手紙を読み、それが記事になっていたようです。ただ、どうも、これについて、今まで誰も取り上げていないようで、一体どういう相談が持ち込まれ、それが雑誌にどのように掲載されていたのかが、ちょっとわかりません。

となると、主婦の友に法律相談を寄せた女性たちは、今日まで、いわば、「存在しないとされていた人」たちであったと言えます。そして、その相談の中身を想像すれば、それは、彼女たちの日々の戦いにかかわることだったのではないか、と思っています。

しかし、そういった法律や裁判にかかわった、今では存在しないとされてきた女性たちの戦いを、書き留めた人がいます。それが、本日のシンポジウムの主人公の一人である伊藤野枝です。彼女が生涯で書いた様々な文章のうちで、弁護士や裁判官について書いている文章がひとつだけあります。

もしスマートフォンなどをお持ちで、現在、グーグルなど検索が出来る方は、伊藤野枝、「ある女の裁判」というキーワードで検索してみてください。この「ある女の裁判」という文章は、伊藤野枝が1920年に発表したものであり、まさに、今回のシンポジウムの1920年代以降の女性を考える上で格好の資料です。

 この文章は、フィクションの形を取っていますが、おそらく伊藤野枝が実際に傍聴した裁判に基づいていると考えられます。

裁判の内容は、大体こうです。まず、被告の女性は、東京の入谷に住んでいる「くず屋」の妻で、5人の子どもがいて、大変貧しい階層に属する人です。法廷で尋問されているのですが、そのときも、子どもを一人抱えています。

彼女に対してかけられた嫌疑は、窃盗の幇助です。

彼女は10年前、夫とは別の男性(林谷蔵)と関係がありました。10年ぶりにその男が彼女の前に現れ、彼女の家に、自分が盗んだ品物を数回にわたっておいていった、つまり盗品を隠した、ということになります。

彼女は、これに加担した、ということが疑われています、というか、品物は彼女の家で見つかっているので、あとは彼女が法廷で、「品物を男から預かった」と認めれば、あとは彼女に判決を下すだけ、という状況です。

伊藤野枝が描いているのは、裁判官が、女性に対して、たしかに品物を「預かったんだろう」と執拗に繰り返し質問し、女性がこれに対して「預かっていない」と答える、という押し問答のような場面です。ここでその一部を朗読させてください。(以下、引用です)

・・・・『お前は、その林谷蔵というものから、何か品物を預かつた事があるかね。』

『私は断ったんですけれど、無理に放り込んで行つたんです』

『断つたけれど放り込んで行つた? ぢあ、とにかく預かるには預かつたんだねえ』

 『無理に置いて行ったんです。』

女はなかなか預った、と言わない。

 『ぢやあね、向うで無理に置いて行つてもお前の方ではどうして無理に断らなかつたのかね? あくまで断ればいいじゃないか。』
 
 

 『私は其の時に、病気で寝ているところに林が来て、これを預かつてくれつていいましたけれど、困るからつて断りましたのに無理に置いて出て行ってしまつたんです。』
 

 『お前が林谷蔵から品物を預ったのは一ぺんきりではないようだね。』『何度位だね。』
 
 

 『三四度です。』
 

 『そのたびに品物を持って来たんだね。』
 

 『左様で御座います。』
 

 『ぢやお前が病気で寝ているときに来て無理に放り込んで行つたといいうはいつのことだね?』『今年になつてからかね? 去年かね?』
 

 『去年です。』
 

 『去年、去年は何月頃?』
 

 『十一月頃です。』
 

 『この記録で見るとね、林谷蔵がお前のところに来始めたのが去年の十一月頃でそれからずつと今年の六月頃までに数回に品物を持つて行つて預けたようになつているがね、さうかね?』
 

 『左様で御座います。』
 

 『ぢやお前が断つたといふのは一番初めに来た時の事だね。』
 

 『左様です。』
 

 『ぢやそれから後はどうしたんだね』
 

 『矢張り断つたんです。』
 

 『その度にかね?』
 

 『ええ』
 

 『それなのにどうして置いて行くのかね?』
 

 『やはり無理に置いて行くんです。』
 

 『無理に置こうとしても、断ってしまえばいいじゃないか、何故断れないのだね、断つて、預かつたものも返したらいいじゃないか。断るのに、無理に預けやしないだらう?』

女は黙ってしまひました。
 
 

 『林谷蔵は、初めはお前に断わられたけれど、それから後は黙って預かってくれたようにいっているよ。それが本当なのじゃないかね? え?』
 

女はうつむいたまま黙つてしまひました。

・・・

で、裁判官がまた次のように質問します。(以下、引用です)

・・・『お前は預つたのではないと云つても、谷蔵の方では預かつたのだといってるし、実際に品物もお前の処にあつたのだらう? そうすればどうしたつて預った事になるじゃないかね』

 女はまた黙ってしまひました。

・・・・

ここからこの小説の主人公の女性、つまり書き手である伊藤野枝の意見が述べられていきます。(以下、引用です)

 『あの裁判長はどうしてああしつこくあの事を聞くのだらう?』

 女は数回にわたり品物を預かつたには違いないのでしょう。けれど彼女がその都度(つど)った、という事も矢張り事実に違いないのです。

裁判長は何よりもその『預つた』という事実を被告に認めさせようとしているし、女の方は・・まず、自分の意志が決して預るつもりではなかつたのだ、という事を極力主張したいのだと思ひます。

けれども、悲しい事に無智な彼女は、その自分の意志に反して起つた事実を承認するために必要なその説明を裁判長にハツキリとする力がないのです。

彼女はきつと、ただ無条件で『預つた』という事実を認めさしてしまおうとする裁判官に反感若しくは不満を感じて口をつぐんだのです。

・・・

この少し後、次のような文章があります。

・・・

被告の女は執拗な裁判長の訊問に、とうとう負けてしまひました。
 

『私が悪うございました。心得ちがいを致しました。』
 

彼女はすすり泣きながら小さな声で、再三返事を促された末にやつとそういったのです。

『自分の意志でなかつた。』という事は、結局裁判官には認めてもらえないのだとあきらめて、全く服罪をする態度で裁判長の前に頭を下げたのです。

それでも彼女が最後までどうしても『預つた』という事をいわないのを興味深く観ていました。
・・・ そういう風にして女はとうとう屈服させられてしまひました。

 

ここからさらに話が続くのですが、あとは、それぞれでお読みください。

さて、このような文章を伊藤野枝が書き残したのは、受け入れたくなかったけれども、いやだと言えずに受け入れた、だったらお前は進んで受け入れたのだろう、それはお前が悪い、という理屈でやり込められる、そういう体験を、伊藤野枝自身が何度もしてきたから、女性に共感したからではないか、と思います。

 また、この、「いやだと言えずに受け入れた」しかし押し付けた側からは、「進んで受け入れたはずだ、だっていやだと言わなかったじゃないか」といわれる、という状況は、男性による女性に対する性暴力、レイプに酷似しています。だから、伊藤野枝は、共感したのではないか、と思います。

裁判長ら、多くの男性たちから問い詰められ、口ごもってしまう、言い返せない、ということについても、共感していたでしょうし、女性を問い詰める裁判官に腹を立てていたでしょう。

そして、あの長々とした押し問答を、伊藤野枝は記述しました。

おそらく、伊藤野枝は、女性が裁判官の言いなりになって屈服したとしても、女性は、抵抗し、戦った、ということを書き残したかったのではないか、と思います。

私がこの文章を初めて読んだ時の感想は、それでしたし、いま読み返しても、その感想は変わりません。これはまさに、負けは覚悟の「戦い」です。

そして、伊藤野枝が、この文章を書き残してくれたおかげで、私たちは、存在しないとされるような女性の姿を、みることができます。

そろそろ時間なので、私の話はここで終わります。

本日は、すべて「さん」付けでお呼びいたしますのでご容赦いただきたいのですが、最初の講演者の鈴木淳さんのご報告をうかがいたいと思います。

その次の森まゆみさん、三人目の加藤陽子さんのご講演では、必ずしも、私がお伝えした、存在しないとされてきた人たちの戦いが、お話の中のどこかにあるのではないか、と勝手に期待をしています。

ではこれで私の冒頭のご挨拶とさせていただきます。本日は、長丁場ですが、どうぞ楽しんでいただければ、と思います。よろしくお願いいたします。

2024年7月22日月曜日

Appeal for the August 6th Gathering & Protest Action in Hiroshima

 79 years have passed since the atomic bombing that claimed the lives of many people. For now, we enjoy a "peaceful postwar Japan" and live without fearing the flames of the bomb. The Hiroshima Peace Memorial Ceremony is being held solemnly to "commemorate the victims of the atomic bomb and pray for the realization of lasting world peace." Of course, no one wants war, and there is surely no one who does not wish for peace to be brought to the world.

Is this really the case? Government officials who participate in the memorial ceremony for the realization of peace continue to insist on strengthening Japan's military power with the same mouth. Despite the fact that the people of Okinawa are hurt by U.S. military personnel almost every year, they are not only silent, but are trying to cover up the incident itself. They are even trying to forget the history of Japan's invasion and colonial rule of Asian countries as "something that never happened."

There is no doubt that Japan is the only country to have suffered a nuclear bombing in war. If that is the case, we must appeal to the international community for the abolition of all nuclear weapons.

However, looking at the reality, not only are they not joining the Treaty on the Prohibition of Nuclear Weapons, they do not even question the protection they receive from the American "nuclear umbrella." They are also promoting nuclear power generation that can be converted into nuclear weapons, and even after the Fukushima accident, they are not changing their stance and are planning to restart nuclear power plants. Are they saying that there are "good nuclear power" and "bad nuclear power" depending on their position?

Let's look at the world. Right now, the Palestinian people are being massacred and their land is being occupied by the Israeli military's invasion. This is not something that just started, but has been going on for decades since the founding of Israel. Despite this, a representative of the Israeli government is about to be invited to the Hiroshima Peace Memorial Ceremony. What can the perpetrators of war say about lasting world peace?

On the other hand, government officials from Russia and Belarus, which continue to invade Ukraine, have not been invited because "it may affect the smooth running of the ceremony." Certainly, a peace memorial ceremony inviting invaders is morally wrong. If that is the case, shouldn't we invite all countries that are currently invading? What difference is there between Israel and Russia when it comes to praying for lasting world peace?

We must not forget that the 5th Army Division, based in Hiroshima, invaded the Malay Peninsula and Singapore, massacring the local people. There is no doubt that the atomic bomb was not dropped on Hiroshima by chance, but because it has developed as a military city since modern times and has functioned as the front line of Asian aggression. Isn't it impossible to pray for peace without considering not only the tragic event of the atomic bombing, but also the past violence committed by the former Japanese military?

There is no doubt that the people of Hiroshima are victims of the atomic bombing in 1945. And there is no contradiction in offering a moment of silence for the victims and praying for the realization of peace. However, for the Japanese government, which continues to take such an insincere attitude, to hold a peace memorial ceremony is rather a desecration of the victims of the atomic bombing and peace. Rather than praying for peace as a symbolic appeal for only one day on August 6, we should always act to realize peace.

And now, citizens who appeal for anti-war, anti-nuclear, and peace are being restricted by the government, police, and right-wing coalition in order to "hold a safe, secure, and quiet ceremony." In the end, they have no interest in the memorialization of the atomic bomb victims or the realization of lasting world peace, and are only trying to obstruct and silence the anti-war and peace movement. In the first place, the government-led Peace Memorial Ceremony has a national character, so in a sense, this kind of suppression is to be expected.

It is necessary to pray for the memorialization of the dead and for peace.

But at the same time, it is also necessary to be angry about the past and present situation. Neither prayer without anger nor anger without prayer is valid. With this awareness of the problem, we will denounce the deceptive nature of the Peace Memorial Ceremony on August 6th, and begin action to truly demand the memorialization of the atomic bomb victims and lasting world peace.

Timeline of August 6th Gathering  

from 7 30am: Action against the Ceremony in the near of the Peace Memorial Park

from 9 30am: Demonstration against the Peace Memorial Ceremony

from  13 pm: Gathering & Talking

 



2024年4月12日金曜日

大杉栄の脱神話化と脱権威化に向けて by 田中ひかる

 2023年、大杉栄・伊藤野枝・橘宗一の虐殺100年にあたり様々なイベントがあり、そこに参加することで、とりわけ伊藤野枝に対する関心が高まっていること、また、大杉栄についても、世代を超えた関心がある、ということを確認できた。

 それと同時に、大杉栄や伊藤野枝が、依然として日本を代表するアナーキスト、あるいは、ある種の権威として扱われているのではないか、という疑問、さらには批判的な見解があることも知った。

 大杉栄に絞っただけでも、たとえば、大杉は平気で女性を差別・抑圧する人物であることが、あの日陰茶屋事件に至るプロセスで明らかである、という声を聞いた。また、大杉は、労働者が到底行けないような旅行をし、その旅費も、労働者では工面できないような金額だった、つまり、大杉が中産階級エリートの男性であった、という問題を指摘する声も聞いた。

 こういった様々な批判の声は、彼の死後、その思想と生き方を肯定するような著作を発表している人々、および、そのような著作に影響されている人々による大杉の神話化や権威化に対して向けられている、と私自身は捉えている。

 というのも、現在、大杉について何かを語る人々の多くは、彼に関して書かれた著作の著者たちによる解釈を通じて大杉を語り、あるいはそういった解釈を批判していることが多いからである。

 ただし、これらの疑問や批判は、総じて、大杉栄の「生き方」や「行為」を問題とするものである。

 他方、彼を肯定的に評価する著者たちは、主として彼の書いた文章(「思想」)を論じ、「生き方」や「人物」については、批判すべき問題点を指摘しながらも、結局は「思想」で帳消しにする、という傾向がある。

  しかし、「生き方」・「人物」と「思想」は切り離して考えてよいのだろうか。

 「生き方」・「人物」と「思想」は、結びつけるべき、という考えかたを、近年最も鮮明に示したのが、ブラック・ライヴズ・マターの運動である。BLM運動は、100年以上にわたって「偉人」として扱われてきた人々に対する評価を180度変えた。

  黒人差別や奴隷制度を支持したという理由から、彼らの銅像は撤去され、公的な場所から彼らの名前が抹消されるようになった。それ以前から起きている#MeToo運動もまた、女性に対して性暴力を行った著名な男性たちだけでなく、彼らが社会的に評価される原因となった業績も、批判の対象にした。その影響は日本を含め世界中に見られ、告発と追求は今も起きている。

 過去の人物や思想に、現在の基準を当てはめてはならない、という考え方もある。

 しかしながら、大杉栄の思想にある種の普遍性を見出し、それを今日生きるわたしたちにとっての何らかのヒントにする、という理由から、大杉の思想が語られている現在にあっては、やはり、彼の人物・生き方に対する現代的かつ批判的な視点に基づいて、彼の思想に問題を見出していく必要があるだろう。

 それを通じて、大杉栄の人物・思想を脱神話化・脱権威化することができるのではないか。これは、大杉栄が支持していたアナーキズムという視点から見れば、必ずやらなければならない作業である、と私は考える。

 まず、大杉の女性差別について見ていこう。

 日陰茶屋事件および大杉の神近市子に対する態度は、同時代から多くの人々が非難し、大杉の「思想」を肯定的に評価する現代の論者でさえも批判している。

  そこで、大杉が女性を抑圧していたという視点から、彼が女性について書いているいくつかの文章を読むと、「上から目線」で女性に指示をする、説教をする、批判する、という書き方になっていることに気がつく(「婦人諸君に与う」1907年、「新しい女」1913年などを参照)。

 また、女性について書かれた文章が少ない、ということにも気がつく。大杉が論じたのは、「女性のいない労働運動」「女性のいないサンジカリズム」「女性のいないアナーキズム」だったのではないか。

 以上の問題から出発し、大杉が中産階級のエリート男性だった、という観点から、彼の行動や生き方だけではなく、その思想についてもみる必要がある。

 たとえば大杉は、他人・社会から押しつけられた考え方や思い込み、つまり「自我」あるいは「奴隷根性」を放棄し、「生」を拡充することを論じた。

 しばしばこれらの主張が、大杉の肯定的な評価の根拠となってきた。しかし、彼が描いているのは中産階級のエリート男性が行える、という意味での「自我の棄脱」「生の拡充」、奴隷根性の放棄ではなかったか。

 その出自によって様々な恩恵を受け、自分よりも貧しい社会階層の人々、あるいは女性たちに比べて、圧倒的に有利な立場、つまりは特権を持つ地位にいる社会階層に属する男性の目線から、主張されたものでしかなかったのではないか。

 経済的に困窮した時、フランスに旅行をした時、彼は様々な人々からの支援をうけた。あるいは、父親の軍人恩給、後藤新平から受け取った金、出版社などからの前借りがなければ、大杉の生命維持はできなかったのではないか。そういった経済的援助は、誰もが受けられる支援ではなかった。

 病死や餓死の危険がいくらでもあった時代に、そうならなかったのは、彼の特権的地位ゆえではなかったのか。

 逆に、大杉は、権力者が作り出した社会のしくみに自分を適合させ、「自我」と「奴隷根性」を持ち続けることで、自らの生命を維持するという生存戦略をとらざるを得ない人々の苦境を論じたことはあっただろうか。

 ジェンダーや人種も含めた様々な差別を自覚なく行っている人々が、えてして自己の特権に気がついていないという指摘がある(キム・ジヘ『差別はたいてい悪意のない人がする』2021年)。

 自らの特権に無自覚な大杉が書いた自我・生・奴隷根性に関するテキストは、今日、普遍性のあるものとして扱ってはいけないのではないか。

 たとえば大杉は、「百合の皮をむく」という極めて観念的な表現で「自我の棄脱」を描いている。だが、これがあらゆる階層と属性の、過去から現在に至るすべての人々に適用可能な普遍性をもっている、あるいは、それらすべての人から理解される、とは到底思えない。

 これまで大杉は自らの才能と努力によって「自立」していたかのように描かれてきた。しかし、「ケア」という視点から見れば、そうは思えなくなる。

 「僕は自分が監獄でできあがった人間だ」、「一犯一語」で語学を学んだ、と大杉は述べているが、獄中の大杉に書物を運び続けた堀保子がいなければ、このようなことはなかった。苦境にある大杉に金を渡し続けたのは神近市子であり、出版社から金を借りてフランス滞在中の大杉に送っていたのは伊藤野枝である。

 堀保子も伊藤野枝も、大杉に対するケア労働を担った。女性たちが食事を作り続けることで、彼の生命は維持された。

 大杉は子煩悩で家事や育児もやっていたという証言もあるが、その割合は、堀保子や伊藤野枝のほうが圧倒的に多かったはずである。男性という特権をもつが故に、様々なケアに依存できたことにより「自由」を得ることができた人物、それが大杉栄だった、という視点で、彼の思想と生き方の脱神話化・脱権威化ができないだろうか。

 しかし、それは、「百合の皮をむく」ことによってではなく、様々な人々との間のコミュニケーションを通じてのみ可能であろう。

 大杉や伊藤が書いたことに違和感を覚え、距離を取る、そのような人々と語り合う。それが大杉らを理解する上でも、アナーキズムを考える上でも、今後100年間で重要な課題の一つである、と私は考える。

(以上、大杉栄らの墓前祭実行委員会発行『沓谷だより』2023年12月16日最終号掲載のものを一部改変)

 

 

2024年4月1日月曜日

アナーキズム対談

 以下、昔、『アナキズム』誌に掲載された、「バカアナ対談」をウエブ掲載したものです。アナーキズムに関する「コア」な議論です。世間並みの内容ではありませんので、「コア」なアナーキズムの議論に慣れていない人は、心してお読みください。しかも、かなり長いので、短い文章しか読まない人は、さらに心してお読みください。なお「関西発」とあるのですが、決してお笑いではありません。

ウラ・アナーキズム 
第一章 アナーキズムクソ地獄へようこそ
第二章 アナーキズムを蹴っ飛ばせ ‐蘇る奥崎‐
第三章 本当は恐ろしいアナーキズム ‐爆弾魔ユナボマー
第四章 アナーキストは日本の死を告げる ‐バカボンブ原発‐ 

第五章 網においたうんことアナーキズム ‐逆襲の辻潤‐

第六章 「息苦しいアナーキズム」から足を洗え
 

2023年9月9日土曜日

本日、2023日9月9日(土)19時より、新宿のIRAでアナーキズムの話をする会があります(参加自由)Today, September 9, at 7pm., anarchist gathering at IRA, Shinjuku.

 本日、9月9日(土)19時より、新宿のIRAでアナーキズムについて話をする会があります。

スイスのMircoさんから、現地での活動についてお話を聞きます。日本語ときどき英語ぐらいになると思いますので、英語ができない人,、得意でない人も、日本語ができない人、得意でない人も、誰でもぜひご参加ください。

Today, Saturday, September 9, at 7:00 p.m., there will be a meeting at IRA in Shinjuku to talk about anarchism.  Mirco from Switzerland will talk about his activities there. The talk will be in Japanese and sometimes in English, so please join us, no matter if you cannot speak English or not, or if you cannot speak Japanese or not, please join us.

https://irregularrhythmasylum.blogspot.com/

 

 

 

2023年7月29日土曜日

この年広島集会で配布するビラ、集会の実施スケジュール

 以下、広島集会の当日のスケジュールです。

2023年8月6日(日)
7時~ 元安橋前ビラ撒き情宣
9時半~ デモ 旧市民球場跡地集合
13時~ 加納実紀代資料室見学
14時半~ 8.6ヒロシマ集会(東区民センター)
主催 8.6ヒロシマ集会実行委員会
連絡先 free_workers_federation@riseup.net

以下は、当日に配布するビラです。上記スケジュールの通り、早朝から配布するので、手伝うことができる方は、ご参集ください。-------------------------------------------------------------------------------------------- 

岸田やめろ!軍拡やめろ!増税やめろ!来るな!

 先日のG7首脳サミットは予想どおり『ヒロシマの思い』とは大きくかけ離れたものでした。岸田首相は5月21日の記者会見で『核兵器を使わない、核兵器で脅さない。人類の存続に関する根源的な命題を今こそ問わなければならない』と発言。しかし、その一方でバイデンは岩国基地に降り立ち、平和公園に核のボタンを持参し、5月20日、佐世保港に米軍の原子力空母ニミッツを入港させる無限軌道ぶりでした。『広島出身』の岸田首相──実は東京都出身の東京育ち!夏休みと冬休みに田舎の広島のおじいちゃん家に行くだけ!──に連れられてG7の首脳たちはこぞって平和資料館に行き被爆者とも会いました。広島の夏を彩るキョウチクトウをサミット警備の名目で刈り取っておきながら平和公園に『平和の願い』をこめて植樹もしましたね。なるほどG7の首脳たちは『ヒロシマのような悲劇は二度と起こしてはならない。あやまちはくり返してはならない』と思ったことでしょう。岸田首相は記者会見で平和公園を設計した故丹下健三の思いを紹介し『平和と繁栄を守り抜く決意を発信する上で広島の地ほどふさわしい場所はない』と発言しましたが、この発言に嘘、偽りは全くないと言ってもいいでしょう。なぜなら、G7の首脳たちと『平和と繁栄を守り抜く』ためには核兵器を持つことも辞さない、核抑止力の肯定を共有化したのですから。サミットに来た核保有国のどこか1国でも『核兵器を持つのはもうやめる!』とでも言いましたか。そんな話はありませんよね!平和公園も原爆ドームも被爆者の語り部もそして今日の平和記念式典での一切が『平和と繁栄を守り抜く』に落ちてしまうのですから。
 すでに何度も言い尽くされてきたように、戦後の広島は『国際平和都市』であると同時に東西冷戦の最前線でもありました。比治山にあった『ABCC』今の『放射線影響研究所』では被爆者の膨大なデーターを集めてワシントンに送っていたわけですよね。そして広島市周辺にははやいところで呉基地、海田の陸上自衛隊、拡張を続ける岩国基地、その他、江田島の秋月弾薬厰、呉の広弾薬厰、東広島の川上弾薬厰、この3カ所の弾薬厰は東アジア最大規模です。川上弾薬厰のすぐ横をJR線が走っていますが、こんな危険な状態がなぜ問題にならないのでしょうか。そしてG7サミットではゼレンスキーの電撃参加によりウクライナとのさらなる国際連帯をうち固め、ロシア、中国との対決姿勢をより鮮明にしましたが、まさに戦争会議ではありませんか。これでもまだこの広島は『国際平和都市』ですか!つまるところ『広島は戦争になることを望んではいないが結局は戦争になることを望んではいる街』であり、『広島は戦争になることを望んではいるが結局は戦争になることを望んではいない街』と言ってもかごんではないでしょう。そして『平和憲法9条』を持っ私たちは、まさか本当に戦争になるなどとは思ってもいません。そうですよね。もしかりに戦争になったとしてもそんな最悪なことにはならないだろうと思ってますよね。そうですよね──フクイチの原発だってまさか本当にあんな大事故を起こすとは考えていなかったし、街はいつも通り動いていた──今、現に対中国を睨んで南西諸島に自衛隊が配備され、今年の1月米海兵隊は離島防衛を口実にした2000人規模の『海兵沿岸連隊』(MLR)を創設しましたが、私たちのこの『日常』はいつも通り『平和』です。この『平和』と呉基地や岩国基地や南西諸島の軍事拠点化が地続きであるとは思いもしませんよね。こうして私たちは会社であっても学校であっても電車の中であっても〈みんな〉と同じようなことを〈みんな〉と同じように〈みんな〉といっしょにやる。多少気に入らなくてもとりあえず右ならえしておく。これがいつもの『平和な日常』ですよね。いちいち事を荒立て波風を立てるソッポ向いたりヘソ曲げる者がどれだけ面倒くさいか。たぶん(あの頃の戦争中だって!)今、私たちが戦争に巻き込まれるとすればなんとなくこんな感じじゃないでしょうか。だとすれば私たちは岸田首相のアピールを〈みんな〉と同じように〈みんな〉といっしょにきいて『平和の尊さ』を実感している場合ではないでしょう!
 まず何よりも岸田首相自身が親族を原爆で殺された当事者ではありませんか。にもかかわらず、いや、だからこそと言うべきか、被爆者たちの思いにことごとく背を向ける。それが宰相としてあるべき姿なのだと言われれば返す言葉はありませんが、そのふるまいはあまりにも道化じみていませんか。本音とタテマエを使い分けて核の抑止力については言う分とも核を廃絶するなどそんな気はサラサラないことは明らかではありませんか!すべては岸田首相自身のステイタスをあげるための政治的パフォーマンスでしかありません。原爆による死者は岸田首相の政治的パフォーマンスのために死んだわけではありません!時をもどそう!