お忙しい中、ご来場いただき感謝いたします。「自由の自己の道を歩いて行こう 伊藤野枝/大杉栄から読み解く1920年代の女性と社会シンポジウム」を開催するにあたりまして、冒頭、会場の明治大学で教員として勤務しています、私、田中ひかるよりご挨拶をさせていただきます。
明治大は、今年4月から放映された朝の連続テレビ小説「虎に翼」の舞台になりました。このドラマは、明治大学出身で日本初の女性法曹家となった三淵嘉子さんをモデルにした主人公による物語で、大変話題となりました。
私は、このドラマで扱われたテーマが、このシンポジウムの「関東大震災から戦争の時代へ、女性はいかに戦ったか」というところに深く関わっているのではないかと、思います。というのも、ドラマでは、端的に言えば、主人公をはじめとする女性たちの「戦い」が描かれていた、と私は思うからです。
このドラマの脚本を書いた吉田恵里香さんのインタビューを読んで、このドラマが、このシンポジウムとかかわっているもう一つの点を見つけました。
吉田さんは、このドラマも含め、ご自分がこれまで書いてきたドラマの脚本が、「存在しないものとされていた人を描く」というものだった、と述べられているからです。
これにかかわって、3人の日本初の法曹家のうちで、「虎に翼」の主人公のモデルになった三淵さんではなく、私は、中田正子さんという鳥取出身の弁護士さんのエピソードに興味を持っています。
中田さんは、1940年頃に、雑誌『主婦の友』で女性の法律相談という記事を連載されていた、という文章をあるところで読みました。『主婦の友社』というのは現在でもありますが、当時は、ちょうどこの明治大学の反対側にある現在、日大が所有している御茶ノ水スクエアのあたりだったと聞いています。
中田さんは、そこに行って、日本全国の女性たちから送られてくる膨大な法律相談の手紙を読み、それが記事になっていたようです。ただ、どうも、これについて、今まで誰も取り上げていないようで、一体どういう相談が持ち込まれ、それが雑誌にどのように掲載されていたのかが、ちょっとわかりません。
となると、主婦の友に法律相談を寄せた女性たちは、今日まで、いわば、「存在しないとされていた人」たちであったと言えます。そして、その相談の中身を想像すれば、それは、彼女たちの日々の戦いにかかわることだったのではないか、と思っています。
しかし、そういった法律や裁判にかかわった、今では存在しないとされてきた女性たちの戦いを、書き留めた人がいます。それが、本日のシンポジウムの主人公の一人である伊藤野枝です。彼女が生涯で書いた様々な文章のうちで、弁護士や裁判官について書いている文章がひとつだけあります。
もしスマートフォンなどをお持ちで、現在、グーグルなど検索が出来る方は、伊藤野枝、「ある女の裁判」というキーワードで検索してみてください。この「ある女の裁判」という文章は、伊藤野枝が1920年に発表したものであり、まさに、今回のシンポジウムの1920年代以降の女性を考える上で格好の資料です。
この文章は、フィクションの形を取っていますが、おそらく伊藤野枝が実際に傍聴した裁判に基づいていると考えられます。
裁判の内容は、大体こうです。まず、被告の女性は、東京の入谷に住んでいる「くず屋」の妻で、5人の子どもがいて、大変貧しい階層に属する人です。法廷で尋問されているのですが、そのときも、子どもを一人抱えています。
彼女に対してかけられた嫌疑は、窃盗の幇助です。
彼女は10年前、夫とは別の男性(林谷蔵)と関係がありました。10年ぶりにその男が彼女の前に現れ、彼女の家に、自分が盗んだ品物を数回にわたっておいていった、つまり盗品を隠した、ということになります。
彼女は、これに加担した、ということが疑われています、というか、品物は彼女の家で見つかっているので、あとは彼女が法廷で、「品物を男から預かった」と認めれば、あとは彼女に判決を下すだけ、という状況です。
伊藤野枝が描いているのは、裁判官が、女性に対して、たしかに品物を「預かったんだろう」と執拗に繰り返し質問し、女性がこれに対して「預かっていない」と答える、という押し問答のような場面です。ここでその一部を朗読させてください。(以下、引用です)
・・・・『お前は、その林谷蔵というものから、何か品物を預かつた事があるかね。』
『私は断ったんですけれど、無理に放り込んで行つたんです』
『断つたけれど放り込んで行つた? ぢあ、とにかく預かるには預かつたんだねえ』
『無理に置いて行ったんです。』
女はなかなか預った、と言わない。
『ぢやあね、向うで無理に置いて行つてもお前の方ではどうして無理に断らなかつたのかね? あくまで断ればいいじゃないか。』
『私は其の時に、病気で寝ているところに林が来て、これを預かつてくれつていいましたけれど、困るからつて断りましたのに無理に置いて出て行ってしまつたんです。』
『お前が林谷蔵から品物を預ったのは一ぺんきりではないようだね。』『何度位だね。』
『三四度です。』
『そのたびに品物を持って来たんだね。』
『左様で御座います。』
『ぢやお前が病気で寝ているときに来て無理に放り込んで行つたといいうはいつのことだね?』『今年になつてからかね? 去年かね?』
『去年です。』
『去年、去年は何月頃?』
『十一月頃です。』
『この記録で見るとね、林谷蔵がお前のところに来始めたのが去年の十一月頃でそれからずつと今年の六月頃までに数回に品物を持つて行つて預けたようになつているがね、さうかね?』
『左様で御座います。』
『ぢやお前が断つたといふのは一番初めに来た時の事だね。』
『左様です。』
『ぢやそれから後はどうしたんだね』
『矢張り断つたんです。』
『その度にかね?』
『ええ』
『それなのにどうして置いて行くのかね?』
『やはり無理に置いて行くんです。』
『無理に置こうとしても、断ってしまえばいいじゃないか、何故断れないのだね、断つて、預かつたものも返したらいいじゃないか。断るのに、無理に預けやしないだらう?』
女は黙ってしまひました。
『林谷蔵は、初めはお前に断わられたけれど、それから後は黙って預かってくれたようにいっているよ。それが本当なのじゃないかね? え?』
女はうつむいたまま黙つてしまひました。
・・・
で、裁判官がまた次のように質問します。(以下、引用です)
・・・『お前は預つたのではないと云つても、谷蔵の方では預かつたのだといってるし、実際に品物もお前の処にあつたのだらう? そうすればどうしたつて預った事になるじゃないかね』
女はまた黙ってしまひました。
・・・・
ここからこの小説の主人公の女性、つまり書き手である伊藤野枝の意見が述べられていきます。(以下、引用です)
『あの裁判長はどうしてああしつこくあの事を聞くのだらう?』
女は数回にわたり品物を預かつたには違いないのでしょう。けれど彼女がその都度断った、という事も矢張り事実に違いないのです。
裁判長は何よりもその『預つた』という事実を被告に認めさせようとしているし、女の方は・・まず、自分の意志が決して預るつもりではなかつたのだ、という事を極力主張したいのだと思ひます。
けれども、悲しい事に無智な彼女は、その自分の意志に反して起つた事実を承認するために必要なその説明を裁判長にハツキリとする力がないのです。
彼女はきつと、ただ無条件で『預つた』という事実を認めさしてしまおうとする裁判官に反感若しくは不満を感じて口をつぐんだのです。
・・・
この少し後、次のような文章があります。
・・・
被告の女は執拗な裁判長の訊問に、とうとう負けてしまひました。
『私が悪うございました。心得ちがいを致しました。』
彼女はすすり泣きながら小さな声で、再三返事を促された末にやつとそういったのです。
『自分の意志でなかつた。』という事は、結局裁判官には認めてもらえないのだとあきらめて、全く服罪をする態度で裁判長の前に頭を下げたのです。
それでも彼女が最後までどうしても『預つた』という事をいわないのを興味深く観ていました。
・・・ そういう風にして女はとうとう屈服させられてしまひました。
ここからさらに話が続くのですが、あとは、それぞれでお読みください。
さて、このような文章を伊藤野枝が書き残したのは、受け入れたくなかったけれども、いやだと言えずに受け入れた、だったらお前は進んで受け入れたのだろう、それはお前が悪い、という理屈でやり込められる、そういう体験を、伊藤野枝自身が何度もしてきたから、女性に共感したからではないか、と思います。
また、この、「いやだと言えずに受け入れた」しかし押し付けた側からは、「進んで受け入れたはずだ、だっていやだと言わなかったじゃないか」といわれる、という状況は、男性による女性に対する性暴力、レイプに酷似しています。だから、伊藤野枝は、共感したのではないか、と思います。
裁判長ら、多くの男性たちから問い詰められ、口ごもってしまう、言い返せない、ということについても、共感していたでしょうし、女性を問い詰める裁判官に腹を立てていたでしょう。
そして、あの長々とした押し問答を、伊藤野枝は記述しました。
おそらく、伊藤野枝は、女性が裁判官の言いなりになって屈服したとしても、女性は、抵抗し、戦った、ということを書き残したかったのではないか、と思います。
私がこの文章を初めて読んだ時の感想は、それでしたし、いま読み返しても、その感想は変わりません。これはまさに、負けは覚悟の「戦い」です。
そして、伊藤野枝が、この文章を書き残してくれたおかげで、私たちは、存在しないとされるような女性の姿を、みることができます。
そろそろ時間なので、私の話はここで終わります。
本日は、すべて「さん」付けでお呼びいたしますのでご容赦いただきたいのですが、最初の講演者の鈴木淳さんのご報告をうかがいたいと思います。
その次の森まゆみさん、三人目の加藤陽子さんのご講演では、必ずしも、私がお伝えした、存在しないとされてきた人たちの戦いが、お話の中のどこかにあるのではないか、と勝手に期待をしています。
ではこれで私の冒頭のご挨拶とさせていただきます。本日は、長丁場ですが、どうぞ楽しんでいただければ、と思います。よろしくお願いいたします。