2020年9月21日月曜日

エマ・ゴールドマン「結婚」(1897年)より Emma Goldman on "Marriage" (1897)

 
  ”アナーキーを実現したいのであれば、わたしたちはまず、最低限、自由な女性が必要だ。彼女たちは、男性と同様に、経済的に独立している必要がある。この自由な女性がいなくては、自由な母親も現れない。母親が自由でなければ、アナーキスト社会の建設というわたしたちの目的を支援してくれるような若い世代は現れないのである。”

エマ・ゴールドマン「結婚」『松明』1897年7月18日より(From Emma Goldman, Marriage’ [Essay in the Firebrand, New York, 18 July, 1897], in: Emma Goldman, A Documentary History of the American Years, Vol.1, Made for America, 1890-1901, eds. Candace Falk et al., University of California Press, pp.272-273.)

原文souce:Emma Goldman on Marriage, 1897, page 3

2020年8月4日火曜日

(再掲) 2018年8・6集会の資料2:なぜアナーキストは毎年8月6日に広島で開催される平和記念式典に対して抗議をするのか ( 広島無政府主義研究会のビラより一部を抜粋・改変)repost: Why the anarchists protest every year against the Hiroshima Peace Memorial Ceremony of the August 6 (extracted from a flyer of Hiroshima anarchist study group)

原爆投下を喜んだ人々と広島との関係 
 広島への原爆投下によって「これで戦争が終わる」と喜び、8月11日には「日本が降服した」と闇市情報までが飛び交ったのは、他でもないこの広島に拠点があり、1941年12月8日以降、陸軍第5師団によって侵略された、マレーシア(マライ)、シンガポールの人々でした。
 1946年に描かれた劉抗(リュウカン)さん『チョプス』(めこん出版 中原道子訳/解説)に第5師団が何をしたのかが描かれています。
 1941年12月8日未明、マレー半島の東側のコタ・バルに上陸した日本陸軍の最終目的地はシンガポールでした。1942年2月3日から開始されたシンガポール攻撃によってイギリス軍は降伏しました。
 この戦闘で日本軍が勝利する可能性も考慮したシンガポールの人々が行ったのは港や石油基地、ゴム農園の産業の破壊や通貨の焼却、そして、何よりも東アジア全域に供給できるほどあった酒類を破棄することでした。
 すでに中国や朝鮮などで日本軍は、虐殺や女性への強姦などで世界中を震撼させていました。このことを知っていた人々は、シンガポールでもそのような暴力が起きることに恐怖を感じました。
 そのために、日本軍に酒類を渡してはならないと考えたのです。マライ、シンガポール侵略は、第25軍司令官山下泰文の指揮によって展開しました。
 なお、後に山下は、フィリピンに転戦し、敗走することになりますが、1945年2月、フィリピンにあった山下の邸宅の倉庫には、スコッチウイスキーが山積みされており、下級兵士に持って逃げさせるためにドラム缶2本に流し込んでも、まだ残っていたほどでした。戦争の最中に、これだけの量のスコッチウイスキーをどこから持ってきたのでしょうか。

 1941年以降、当然、マライ、シンガポールでも拷問や虐殺、略奪、強姦などのありとあらゆる暴力が吹き荒れました。
 マレーシアやシンガポールに「ロームシャ」、「トナリグミ」、「キヲツケ」、「バカヤロ」、そして、「オンナ」という第5師団が持ち込んだ言葉が、そのままマレー語、あるいはインドネシア語として今でも使われています。中原道子さんによれば:

 ・・・日本では昔も今も当たり前となっているビンタですが、マライやシンガポールの人々にとって、人の顔をひっぱたくというのは粗暴であり無礼極まりない行為であり、こんなことは見たことも聞いたこともない行為だったのです。第5師団の兵士たちが人の顔をひっぱたき、平気でバスから立ちションベンをするくせに「服のボタンがちゃんとはまっていない、行儀作法は重んじられるべし!」と言って鼻を引っ張ってビンタをするというめちゃくちゃな日本人の行儀作法は戦争が終った後も記憶されました。

 このような軍隊を送り出した広島に原爆が投下されたのです。

 マライ、シンガポールの人々に暴行を加え、虐殺したのだから、その分我慢しろ!と言いたいわけではありません。
 しかし、なぜ広島に原爆が投下されなければならなかったのか、また、なぜ、マライ、シンガポールの人々が「これで戦争が終わる」と喜んだのか、ということについては、真摯かつ丁寧に考えなければならないでしょう。

広島平和記念式典の欺瞞性
 これに対して、毎年行われている「広島平和祈念式典」は、原爆が広島になぜ投下されなければならなかったのか、という、誰もが持っている疑問については、何も答えようとはしません。
 たとえば、「過ちは繰り返しません」の「過ち」とは一体だれがだれに対して行った「過ち」なのか?という疑問です。そして、現憲法の9条が、しばしば言われるように「戦争の反省」から生まれたものであるなら、その「戦争の反省」とは一体だれがだれに対して行う「反省」なのか?という疑問です。
 その一方で、ここ数年、そして今年も言われるであろう「戦争体験、被爆体験の風化」が懸念されながらも、現実には「戦争法」が成立し、「核兵器禁止条約」に背を向け、憲法改悪が着々と進んでいるではありませんか。
 一体、何に「過ち」を感じて「反省」して、何の「風化」を懸念しているのでしょうか。
 1985年、第二次世界大戦終結40年の式典で、当時のドイツ大統領ヴァイツゼッカーは、「 過去に目を閉ざす者は現在に対して盲目になる」という名言を発しました。
 では、私たちは、1945年8月6日の原爆投下という過去を、毎年どのように回想しているでしょうか。
 毎年8月6日、平和記念式典では、1945年8月6日の広島が想起され、全世界に向けて、「核と人類は共存できない」というメッセージが出され続けています。
 そのような「想起」を通じて「ヒロシマ」が「国際平和都市」であるということがアピールされてきました。
 それと同時に、私たちは、日本が戦争をしていないし、ある日、突然、原爆が落ちてくるような気配もない、そのような「平和な時代」として現在の日本をみてしまうことを毎年8月6日に繰り返しています。
  しかもこの「想起」は、明治以降、日清、日露戦争、第一次世界大戦、シベリア出兵、中国、アジア太平洋各地に出兵して行った1945年8月5日までの過去は想起しない、という身勝手な「想起」なのです。
 このような「想起」をすればするだけ、わたしたちは「現在」に対して「盲目」になってしまうのではないでしょうか。
 戦後のヒロシマが「平和都市」として全世界に核の恐ろしさを訴え続けた一方で、同時にそのヒロシマは、アメリカのABCC[原爆傷害調査委員会:Atomic Bomb Casualty Commissionの略称]が被爆者のデータをせっせと集めてはアメリカ本国に送るという米ソ冷戦構造の最前線でもあった、ということに、どれだけの人々が問題意識を持ってきたのでしょうか。
 そもそも、あの戦争屋の安倍首相が、「平和記念式典」に出席して、全世界に向けて「平和の尊さ」を高らかに宣言すること自体がすでに問題です。
 こうやってみてくると、「平和」とは「戦争がない」ということではなく、「一見するとあたかも平和な時代に見える今現在」「現に今ここにあるこの日常の平和な暮らし」の中に「戦争」がある、という状態のことをいっているだけだ、ということがわかってくるのです。
 こういったことに疑問を持たないばかりか、8時15分に黙祷をしたりダイインをしたりすることは、「死者の前では居住まいや襟を正すべき」という場合の「死者」であるところの原爆犠牲者をタテにしたごまかし以外の何ものでもありません。
 「平和」を祈ってやっているようなそういった行為は、実は、「平和」を祈っていると宣言しながら戦争を推進している、あの、戦争屋の安倍による欺瞞と何ら変わるところはないのです。

どうやって死者を追悼すればよいのか
 広島への原爆投下によって14万人が死んだわけですが、ここで問われなければならないことは、亡くなった一人一人にはきちんと顔と名前があったにも関わらず、それを単に「原爆犠牲者14万人」として一塊の数として束ねていることです。わたしたちはこのことにあまりにも無自覚になっているのではないでしょうか。
 原爆で死んだのは日本人だけではありません。日本に強制連行された中国人、朝鮮人もいましたし、アメリカ軍の捕虜もいました。その死は「原爆犠牲者14万人」として黙祷できるものですか。原爆で死んでしまったら、原爆を落とした側も落とされた側も同列にしていいものですか。
 こういった問題を忘れて、8時15分になればダイインや黙祷をするというのは、死者に対する冒涜ではないでしょうか。
 原爆犠牲者14万人の一人一人の顔を思い浮かべることも、名前を呼ぶことも、死んだ子の歳を数えることもできない、何よりも原爆犠牲者と今生きている自分との間にある断絶を、心底思い知らされることを抜きにして、一体どのような原爆犠牲者に対する向き合い方があると言うのでしょうか。
 紀貫之は、我が子の死に対する自身の断絶感を『土佐日記』に書きました。しかし、死んだ子がどうやっても生き返ってくることはない以上、忘れな草も忘れ貝も、そして、あけても暮れても書き綴る日記さえも、何のなぐさめにならないばかりか、ごまかしにしかならないと思い知りました。
 死者に向き合うとは、こういうことではないでしょうか。

2020年7月7日火曜日

今年の広島集会は中止します This Year's August 6th Anarchist Gathering in Hiroshima is cancelled

広島集会中止のお知らせ
 先日、広島集会実行委員会のメンバーの間で話しあった結果 、今年の広島集会は中止することになりました。同時に、来年の集会に向けて、1年がかりで準備をしていくことについて合意しました。今年、集会では、敗戦直後の広島市内で、バラックを建て、生きていこうとした人々に焦点を当てる予定でした。これから、来年に向けて、このテーマについて検討していきます。その参考書として、西井麻里奈『広島 復興の戦後史-廃墟からの「声」と都市』(人文書院、2020年)を挙げておきます。
  また、現在、以下のような写真を集め、バラックに住んでいた人々の生活 に関する文献、また、その人たちが、いつ、どこで、どのように立ち退かされたのか、ということについての情報も集めています。
 来年の8月6日は、広島でお目にかかりましょう。 


 
 

2020年5月12日火曜日

月刊情報紙『アナキズム』1号、2号 No.1 & No.2 of Monthly Paper "Anarchism"

『アナキズム』創刊号(2020年4月1日)
『アナキズム』第2号(2020年5月1日)

創刊号内容
松枝 到●潮待ち50年?-circa 1968  
鵜飼 哲●東京五輪、嘘から暴力へ、そして…   
平井 玄●「赤と黒」のこのごろ
森川莫人・訳●英国:新型コロナウイルス相互扶助グループ  
マニュエル・ヤン●黒旗はためく下に
黒木欽二●アナーキー戦後日本労働運動噺〈1〉  
ブラス・ヒタム●バリは埋め立てを拒否する  
塙輝隆●2/11 高校闘争から半世紀シンポジウム
軽部哲雄●「地域からつくる反ヘイト運動-2.29シンポジウム」報告  
中西レモン●民衆音楽通信(仮) 
高野慎三●『ザ・うらたじゅん全マンガ全一冊』  
川口秀彦●アナキズムと古本屋・第一回
松原秀晃●自由労働者連合より報告3点
久保 隆●映画『ジョーカー』が放つ〈暗渠〉

創刊号[A4判・8P]、四月一日発売
定価三百円(税込)・年間購読料 三千円(税込)
振替口座00130-3-487884
口座名・アナキズム紙編集委員会
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第2号内容
村上らっぱ●メーデーは変わらずやってくる
白石 草●呪われた五輪
稲葉奈々子●貧乏人は飼い慣らされないーフランスの持たざる者の運動
森川莫人・訳●カナダ:直接行動で先住民族の土地を防衛!
羅 皓名●日本の「空気」に毒ありー2020年のダイアローグ
黒本欽二●アナーキー戦後日本労働運動噺〈2〉
斎藤徹夫●大杉栄読書会 in 松山に参加して
橋本正彦●〈生のサンジカ〉で「ネオリベ攻撃」に対抗する??「『生の拡充/生のサンジカ』プロジェクト・2020」に取り組む
安田幸弘●GAFAだとかビッグデータだとかブロックチェーンだとか
軽部哲雄●差別・排外主義に反対する連絡会の紹介
村木和也●訃報 松田政男さん逝去
川口秀彦●アナキズムと古本屋・第二回 高橋光吉
高野慎三●七尾旅人の静かな叫び

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第2号[A4判・8P]、五月一日発売
定価三百円(税込)・年間購読料 三千円(税込)
振替口座00130-3-487884
口座名・アナキズム紙編集委員会

月刊情報紙「アナキズム」・BlogSite



2020年5月10日日曜日

What is "Normal"?, What is "Something Different"? and What is "New Garment"?  「正常」とは何か、「何か別のもの」とは何か、そして、「新しい服」とは何か。

訳:ほんとうに、あの「正常」と言われていた状態に戻るのをひたすらまっているのか。それとも、「何か別のもの」を作り出す準備が、もうできているのか?

訳:私たちは、かつて「正常」と言われていた状態に戻ろうとは思わない。あれは「正常」というものではなかった。
コロナ以前の私たちは、貪欲や不公平、 消耗や枯渇、搾取・・・、こういうことがある状態を、「正常」なものと見なしていただけだったではないか。
もうあの状態に戻ってはならない。そうだろう。
私たちは、人にも自然にも、生きとし生けるものすべてにあうような、そんな「新しい服」を作る機会を与えられているのだ。

2020年4月18日土曜日

「危機」は「協力」をつくり出すのか 6:レベッカ・ソルニット、島月園子訳『災害ユートピア』(亜紀書房、2011年)

213-214ページ
「重要なのは自由であり、自分の人生や活動を自ら決定できること。地震直後の数日間、私たちには、自分たちで何かを決定して実行できるという感覚がありました。二日後にはあの暴君に戒厳令やら夜間外出禁止令やらを発令させてしまった。大惨事の上に、そういった抑圧はとても耐えられるものではありません。それに、自分の人生が、たった一夜、地球が揺れただけで大きく変わってしまうことを悟ったならば、「だからどうだっていうの? 私はいい人生を送りたいし、そのためなら命を危険にさらしてもかまわない。しょせん、一夜のうちに失いかねない命ならば」と思ってしまうのです。いい人生を送らなければ、生きている価値はないと。それは大惨事の間に誰もが体験した、深いところで起きた変化でした。臨死体験のようですが、この場合、多くの人が同時に体験しました。それは人々の行動に大きな違いを生み出します。そういった体験は、人々の中から一番いい部分を引き出すのです。人々が自分のことだけを考えるのをやめる場面を、私は何度も目撃しました。何かがきっかけとなり、人間は突然、仲間のことや、集団のことを考え始める。それが人生を意義深いものにしてくれるのでしょうね」

「危機」は「協力」をつくり出すのか 5:レベッカ・ソルニット、島月園子訳『災害ユートピア』(亜紀書房、2011年)

171ページ
 コロラド大学の自然災害センターを率いる災害社会学者キャスリーン・ティアニーは、カリフォルニア大学バークレー校で、1906年の地震の100周年記念に講演を行い、聴衆を虜にした。
 その中で彼女は、「エリートは、自分たちの正統性に対する挑戦である社会秩序の混乱を恐れる」と主張した。彼女はそれを「エリートパニック」と呼び、パニックに陥る市民と英雄的な少数派という一般的なイメージをくつがえした。
 エリートパニックの中身は「社会的混乱に対する恐怖、貧乏人やマイノリティや移民に対する恐怖、火事場泥棒や窃盗に対する強迫観念、すぐに致死的手段に訴える性向、うわさをもとに起こすアクション」だ。
 要するに、間違いを起こす人は少数で、いざというときにはうまく対処できるのが多数派なのだ。その少数派が見苦しい振る舞いをするのは、事実ではなく思い込みがそうさせている。彼らは自分たち以外の人々はパニックになるか、暴徒になるか、家主と店子の関係をひっくり返そうとしていると信じ、恐怖に駆られて、彼らの想像の中にのみ存在している何かを防ごうとし、行動にでる。・・・
 「メディアは市民の無法ぶりとより厳しい社会管理の必要性を強調するが、それらは災害管理における軍の役割の拡大を求める政治論をうながし、強固にする。そのような政治的立場は、合衆国では、イデオロギーとしての軍国主義の台頭を示唆する」
・・・
 数十年に及ぶ念入りな調査から、大半の災害学者が、災害においては市民社会が勝利を収め、公的機関が過ちを犯すという世界観を描くに至った。彼らはクロポトキンのようなアナキストたちが長年提唱してきた説の大部分を、静かに承認した。