2019年11月16日土曜日

スラム解放戦線(広島)についての人捜し We are looking for the People who were involved in the "Slum Emancipation Front in Hiroshima" around 1970s to 1980s

 2020年8月6日(木)に広島集会を開催することになりました。詳細は追ってお知らせしますが、戦後の「原爆スラム」と呼ばれた基町や爆心地から立ち退きをさせられた人達、彼らを「忘却」した上で建設された「国際平和都市ヒロシマ」に関することがテーマになる予定です。
 このテーマを決める過程で「スラム解放戦線」という運動体が、1970年代から1980年代頃まで、広島の基町で活動していたことがわかりました。来年の広島集会では、こういった運動のことについても学びたいという意見が出ました。しかし、手掛かりがほとんどありません。
 そこで、関西アナーキズム研究会は、このブログで「スラム解放戦線」に関わっていたかた、もしくは、この運動に関して情報をお持ちの方からの情報提供を募りたいと思います。
 お心当たりのある方は、以下のメールアドレスまでご連絡くだい: joh.most@gmail.com

以下は、現在、唯一ある資料の一部です。

資料:『「8・6ヒロシマ」無政府主義者全国集会報告書』(1985年9月1日、11-12頁)より。
「基町という名前で川沿いにバラックが建っていました。40年前の原爆で広島市が壊滅した後、生き残った数多くの人たちがそこに一番最初に住み着いた街なんです。/そこには数多くの在日アジア人の諸君やまた部落出身者の友人の方々もたくさん住んでいました。そして、そういった中で中曽根を先頭とする日本帝国主義のその戦後は終わったんだという形での都市計画の名の下にスラム街を一掃し、高層アパートに転化していったんです。私たちはその中に入り込み、毎日日雇い仕事やちり紙交換やスクラップの回収をおこなって、彼らと寝起きを共にし、そういう環境を共有し、数多くの個別改良闘争と言うんですか、それをやってきました。[中略]電車通りに面した本通りとか呼ばれている繁華街には戦後8月6日以降には網を張って縄張りをした人がそこの土地の所有者になっている事実があるんです。しかし基町の場合は、そういうことをやったのは、不法建築だという形でそこから皆立ち退かされ、また立ち退き強制執行の時には既成政党はもちろん新左翼と呼ばれている部分の連中もまったく完黙してしまいました。私たちは新左翼既成政党に抱いていた幻想をそこでかなぐり捨てて、これからは自主独立、要するに基町自体が独立、独立した町なんだという形でもって今までやってきました。[中略]これから私たちもただ基町地区に限らず、全国の方々とともに手を取って歩んでいきたいと思います。」

2019年9月1日日曜日

闘うアナーキー(白井新平語録 その1)

「人民の闘うアナーキー」
 人民の闘うアナーキーは、天皇制権力との対決から出発しているから、反天皇制で最も果敢だったということは、大逆事件でやろうとしたのが、愚童、宮下太吉、古川力作の三人ぐらいで、主義者はみなへっぴり腰だったことをみればわかる。インテリは反軍闘争から逃げて、社会主義に変性したといえる(白井新平『アナーキズムと天皇制』三一書房、1980年、46頁)。

「無意識の本能的に敏感な反射反応」
 宮下太吉はあの時工場で組合の組織をやってみて、明治天皇制の組織的暴力装置を直視した。これを直接行動に触発したのは箱根大平台、林泉寺の禅僧、内山愚童の“小作人はなぜ苦しいか”という表紙に無政府共産と赤刷りした彼の手作りの紙の爆弾だった。それに誘われて動いたのは康楽園の花卉栽培係の古川力作だった。ひしひしと身に迫る天皇制の檻の重さを直感したのは明治の庶民の自我の、無意識の本能的に敏感な反射反応である(白井新平『アナーキズムと天皇制』三一書房、24頁)。

「社会主義の原点」
 社会主義の原点は一体何だろうとみんないろいろ言っているけれど、結局大逆事件のもとは何だったんだろうったら戦争が近づいてきて、ロシアと戦争やってね、いわゆる鉄砲玉のかわりに民衆を持っていくのはけしからんじゃないかと、つまり反戦なんだよ。だけど反戦と言えないから、いろんな風に、いわゆる歪曲していろんなことを言っているんだな(白井新平『アナーキズムと天皇制』三一書房、1980年、35頁)。

「インテリ社会主義の自惚れ」
 革命思想が輸入されたから初めて日本に革命運動が誕生したなどという考え方は、インテリ社会主義の自惚れであり錯覚だ。人民は5世紀の初めに倭の五王に近畿を征服されてから1400年、いつもカラダを張り、血を流して革命闘争をやってきたから、いまがあるのではないか(白井新平『アナーキズムと天皇制』三一書房、26頁)。

「志士仁人は人民の敵」
  時の権力に反対するものが、すべて反逆者ではない。彼らはひとたび権力を握れば、”錦の御旗” をたてて、反対派を”朝敵”とよび、逆賊として断罪する。これは社会主義の陣営でも同じパターンの繰り返しをした。反革命、裏切り者と昨日の同志を斬る。内ゲバを正当化し、理論化する心理構造は正常ではない。偏執的で病的でさえある。
 ”お題目”のために、平気で人を殺せる人間、それが大指導者であろうと、革命家と呼ばれようと、大宗教人であろうと、みな人民の敵だ。だから”志士仁人”を口にするヤカラ(輩)も人民の敵だ(白井新平「志士仁人は人民の敵 わが自伝・反逆者の系譜」『現代の眼』1981年3月号、243頁)。

「アナーキズムとは?」
 学のないわれわれ人民は、無政府主義こそ天皇制に最も透徹して完全に対決するものであるとみている。[中略]ではアナーキズムとは何なのか? マルクス主義に対峙するような革命へのイデオロギーなのか、秋山[清]の規定したようにアナキスト・コミュニズムというイデーの花園を、永遠に未来に託する意識的文化人の共通信条なのか? それとも、今この社会に生きて生活しなければならない人民が、支配し管理する国家権力に抵抗する血みどろの生き様、その生態ではないのか? それは意識するとしないにかかわらず、日本では反天皇制であり、その統治権力解放への日常闘争の底に流れる反権力的大きなうねり、潮流ではないのか?[中略]それは固定化したイデオロギーの体系ではない。人民の反権力、反天皇制の日々の闘いのうちに根をおろし、そこに培われ、生々発展し、チャンスをつかんで爆発する革命的エネルギーの本流であって、外部から教えられ指導され、革命家として自らを差別する志士仁人的なエリートのやる人民から浮き上がった生き様ではないはずである(白井新平『アナーキズムと天皇制』三一書房、1980年、13、27-28頁)。

「インチキな無政府共産党事件」
「[1935年]11月15日[白井新平から白井政子宛書簡より]
 高橋[光吉]君が、無政府共産党事件でたぶん11日の日とかにあげられた・・・・黒色ギャング銀行襲撃とともについにアナの一斉検挙、信じられないが、無政府共産党ができていて、高橋君は中央委員だと新聞では書き立てられている。
  [1935年]11月16日[白井新平から白井政子宛書簡より]
 ・・・・中心人物は全て掠屋で、神戸で裏切り者をリンチで殺人をしているらしい。暴力団狩りで掠が行き詰まり、窮して非合手段をとって、東京で幾分真面目な解放文化の連中辺りを利用して無政府共産党と云う名称をつけたのかも知れない。アナーキズムの解らない人間たちのやることだから、ボルの組織の借り物にアナのレッテルを貼ったにすぎない。アナの運動とはそんなものでない。」

  彼[芝原淳三]がピストルの入手を裏切るかも知れないとの疑心暗鬼で自分の臆病さを隠すために、行きがかりで射殺した二見[敏雄]を許してネチャーエフに似た偏執的テロリストなんて、とんでもない。性格破綻のヒロイズム熱の青年。それを高く評価する相沢尚夫も、敗戦直後、芝淳殺しなど事情も知らないで経済的に面倒を見て、最後はピストルで脅迫され、その本質を知ったが、背徳的な人民の敵だった。リンチ事件は日共の場合も資金を自由にするためのヘゲモニー争い、宮[本]顕[治]も、袴田[里見]も汚いとみられるが、こちらのは箸にも棒にもかからないニセ革命家だった。

 そもそも無政府共産党なんて観念的錯乱だ。アナーキーに党なんてあるはずはない (白井新平「日染の餓死同盟と煙突争議 わが自伝・反逆者の系譜 6」『現代の眼』1981年8月号、243頁)。 


「無政府共産党という権力的発想が生まれる土壌」
  [岩佐作太郎]老人は明治12年(1879年)生まれである。中学を出て、東京法学院(後の中央大学)卒という。もう完全に明治政権の確立後の皇国史観で育っている。[中略]地主階級の師弟が、上流の民権思想から社会主義者に移行したとしても、それは被支配者としての小作農民、その転身である都市プロレタリアの視点とは異質である。インテリ、中間階級の不平分子が、社会主義化しても、それは観念からのアプローチで生活の体験から出ないだけ一つの付け焼き刃である。その点は秋山も、岩佐老の「天皇への公開状」と『国家論大綱』の底流における同一性を指摘している。そこまでは彼の分析は正しい。が、詩人、解放文化同盟、無政府共産党の系列と、日本ナショナリズムとは、中間階級イデオロギーとして底辺においてまた同じ流れのうちにある。
 岩佐老がアナーキストであったか? 日本のアナーキズムというものが、もしその程度のものであるとするなら、自称アナーキストのすべてが実は人民の敵になる危険性がある。でなければ無政府共産党などという権力的発想が生まれる土壌はない。
 秋山が老人の『革命断想』を評して「説くところは、革命はいかにしてはならないかの警告に終始し、革命はいかに行うべきか、のプログラムについてはまだ具体的に語るものでなかった」と評すとき、その秋山のいう革命のプログラムという発想そのものにおいて、秋山それ自身の、バクーニンに対してもクロポトキンに対してもの理解がほんものでないという感がする。
 アナーキズムとは、それに拠って革命を企画するイデオロギーなのか? それとも体制権力に抵抗しなければならない被支配者の行動の潮流なのか? それ故に、イデオローグの”革命のプログラム”という発想そのものが、革命権力という人民を支配する権力の発生の土壌なのではないか(白井新平『アナーキズムと天皇制』三一書房、1980年、13、83-84頁)。

2019年8月25日日曜日

アナーキズムとナショナリズム-アナーキズムによるナショナリズムの解体は可能かー  田中ひかる:2019年8月23日、第8回国際学大会(於:淑明女子大学・ソウル)での報告要旨 Anarchism and Nationalism: Is it possible to dismantle the Nationalism by Anarchism?  Summary of Presentation by Hikaru Tanaka in August 23, 2019, at Sookmyung Women's University, Seoul, Korea

1.はじめに
  この報告では、アナーキズムがナショナリズムを解体することができるのか、という問題を検討する。
 ここではアナーキズムを、国家や資本を含む、あらゆる権力や強制を廃絶し、支配のない状況=anarchyをつくりだすことを理想とする思想や運動、あるいは、そういった状態をつくりだすための個人の生き方や日常的実践を含む幅広い概念であると定義しておく。
 他方、ナショナリズムとは「3・1運動」を含む、民族・国民の形成、ならびに、それら民族・国民を主体とする政治・経済的システム建設を目指す思想・運動と定義する。ナショナリズムは、一方では、民衆の抵抗や解放の論理であるが、他方では、権力による民衆の統合や抑圧の論理でもあり、民族・国民と異なる要素に対する抑圧・排除の論理を持つ。
 以上のように定義すれば、「3・1運動」を契機として形成され、民族国家独立を目指すというナショナリズムを基盤にしながら、アナーキズムの実現を目指していたと言われる韓国のアナーキズムは、矛盾に満ちているようにも思える。
 Dongyoun Hwangによれば、1945年以前、韓国のアナーキストたちの一部は、同時にナショナリストであり、日本による植民地支配からの解放・独立を目指し、同時に、独立後、国家と資本の解体を構想していた。
 しかし彼らの中には、自らの内面に、国家建設を目指すナショナリズムと、国家の解体を目指すアナーキズムが同居していることによって葛藤を抱えた人物もいた、ということが確認されている。
 Hwangは、こういった特徴を持ちながらも、中国と日本とのアナーキストとの国境を越えた関係の中で韓国のアナーキズムが形成されていたという点を指摘し、国民国家の枠組みによってではなく、トランスナショナルな枠組みで韓国のアナーキズムを捉えるべきであると指摘している(写真: Founding members of the Korean People’s Association in Manchuria in 1928)。
 Hwangの研究から学ぶことは多いが、ナショナリズムの否定的側面、すなわち、他の国民・民族に敵対すること、先住民やエスニック・マイノリティ、女性、LGBTなど、国民国家の枠組みに当てはまらない人々を抑圧し、排除する、あるいは強制的に「国民」として同質化していく、といった論理あるいは実態が、アナーキズムによってどこまで克服することができたのか、という点は明らかになっていない。
たしかに、日本や中国などのアナーキストと韓国のアナーキストとの連携・協力が実現し、韓国のアナーキストたちは、国外での体験により、普遍主義的な見地を獲得した、という点は指摘されている。しかしながら、国民国家を建設した結果生まれる抑圧や排除に関する問題を、韓国のアナーキストたちがどのように考えたのかについては検討されていない。
 とはいえ、この韓国アナーキストの事例は、現代的な問題を検討する上で有益な示唆を与えてくれる。なぜなら、経済のグローバル化を推進する新自由主義は、資本の拡大を国家権力の強化を通じて実現させ、それに伴い、移民・難民・マイノリティへの排除の圧力とともに、人々を単一の「国民」に統合する力が世界各地で強まっているからである。
 このような状況を変えるために様々な構想が提起されているが、この報告では、こういった問題の一つの要素であるナショナリズムをアナーキズムが解体することで、民衆の自律や連帯、人権や多様性が尊重される空間を実現することは可能であるかを考えたい。 具体的な事例として取り上げるのは、まず、ベネディクト・アンダーソンが『三つの旗のもとに』で描いた、フィリピンのナショナリストとスペインのアナーキストとの関係、次に、韓国のアナーキストたちの事例、最後に、現代のシリア北部にあるロジャヴァで実現されている政治・経済・社会の領域的な自立と自治を取り上げ、アナーキズム的な論理に基づきながら、個人や集団の人権や多様性を保証し、一定の領域的な独立を獲得することを通じて、ナショナリズムを克服する可能性を検討する。

アナーキズムとナショナリズムとの関係
2.1 アナーキストのナショナリズム・人種主義

 19世紀以来、個別のアナーキストを見たとき、彼らがナショナリズムと無縁のコスモポリタンであったのか、といえば、様々な例外的事実がある。
最も著名なアナーキストの1人であるバクーニン(写真参照)の執筆した文書には反ユダヤ主義や「ドイツ人」を誹謗する言葉も見られる。
   たとえばバクーニンは、『国家性とアナーキー』(1873)において、「ドイツ人」 は「インド人」と同様に忍従心に富む、あるいは、生まれながらにして国家主義者で官僚である、といった見解を示している。他方、「スラブ人」は国家を超えたところに自己の解放を求める、といった規程もある。さらに「ユダヤ人」による統治は銀行による支配である、とか、「ユダヤ人」であるマルクスは、祖先の主神エホヴァのように不寛容で復讐心が強い、といった主張も見られる。
  バクーニン研究者のMark Leier (2006)は、当時は誰もが、人の個性を「人種」のせいにした時代であり、バクーニンのさまざまな人種的な偏見のように見える言葉も、当時では一般的によく見られたものである、と指摘し、バクーニンを擁護している。実際、反ユダヤ主義は、ヨーロッパやアメリカのアナーキストの間で、数は少ないがしばしばみられる。
 他方、少なからぬアナーキストたちは、出身地で迫害を受けて他国に亡命した経験があるが、出身国に対する愛着の感情を表明していることもある。これは、彼らがある種のナショナリストであった、という可能性を示唆している。
 それにもかかわらず、多くのアナーキストが、ナショナリズムや故郷への愛着を示しながらも、多様な人々と分け隔てなく交流した、という証言も残され、彼らが理想を態度で示していた、ということも一方では確認できる。
 ただし、それによって、欧米のアナーキストがナショナリズムや人種的な偏見から解放されていた、とは断定できない。これは日本のアナーキストについても言えることである。
   ある時代まで、アナーキストの間には、今日では「人種差別」とされる言動が見られたのはたしかであろう。これは、女性についても同様のことが指摘できる。
 とはいえ、最も重要な問題は、アナーキズムという視点から、彼らが、自分たちの生きている時代にまん延している人種的偏見をどのように批判的に克服したのかであろう。それは同時に、国民や民族という概念をどのように批判的に検討し、解体していったか、という問題でもある。

2.2 スペイン帝国植民地のナショナリストとスペインのアナーキストとの連帯 
 ナショナリズムは、植民地からの解放・独立を目指すというその目標においては、アナーキズムとは対立するはずである。だが実際には、圧政からの解放と独立という点においては、ナショナリストの運動を、アナーキストたちは支持していた。その点で、ナショナリズムとアナーキズムは結合する。
 たとえば、『三つの旗のもとで』においてベネディクト・アンダーソンは、スペインで逮捕されたフィリピンのナショナリストが、バルセロナの獄中で出会ったアナーキストたちから多大な影響を受け、クロポトキンなどのパンフレットをフィリピンの持ち帰り翻訳し、また、アナーキストたちから学んだ労働組合運動をフィリピンでも展開したという事実を明らかにしている。
 当時、スペイン本国ではアナーキストに対する政府による弾圧が強まり、他方、フィリピンやキューバでは、ほぼ同時期に、独立のための蜂起が起きていた。アナーキストとナショナリストたちは、ともにスペイン帝国に立ち向かっていた。この状況が、相互に共感を生み出す背景となっていたことは、フェルディナンド・タリダ・デル・マルモルの『白色評論 La Revue blanche』論説を読めば明らかであった(写真: Fernando Tarrida del Marmol)。 

2.3  1945年以前の韓国のアナーキズム 
 韓国のアナーキストは、3・1運動から影響を受けて民族独立を目指す中でアナーキストになったという事例が多く、自らの中にナショナリズムとアナーキズムが同居する、という状態が顕著であった。
 Yi Hoeyeongは、その回想の中で、1925年の段階では、韓国の独立とアナーキズムとは矛盾なく結びついていた、と述べているが、Sim Yongcheolは、当時、韓国人アナーキストがナショナリズムと愛国主義に依拠してた状態を「矛盾」と表現している。
 実際、これまでの研究で、ナショナリズムを主張する韓国のアナーキズムは本来のアナーキズムから逸脱したものといわれてきた。だがHwangは、国家の独立後、社会変革を通じてアナーキズムを実現するというビジョンが共有されていたという点から、また、国境を越えた普遍的視野があったという点から、こういった評価を誤りであると指摘している。
 また、Hwangによれば、とくに1945年以前に大阪で活動していた朝鮮人アナーキストたちのあいだでは、ナショナリズムを意識的に排除する言動が顕著であった。さらに、1945年以降、独裁政権下の韓国においてアナーキストたちは、政党を結成して統治に加わるという政治路線と、疲弊する農村の経済的自立を模索するという社会運動路線の2派に別れ、極めて実践的な活動を展開した。

2.4 アナーキズムを基盤にした領域的自治の試み
 アナーキストは、ナショナリズムを人工的なもの、言語、エスニシティ、文化など共通の特徴を持つ集団への帰属感情を自然なものと見なし、後者をナショナリズムと区別している。こういった見解は、バクーニン以来示されてきているが、その代表的かつ総合的な見解は、ルドルフ・ロッカーによる『ナショナリズムと文化』で提示されている(写真:Rudolf Rocker)。有機的なつながりを持ち地域と文化にアイデンティティを持つ「民衆」が自由な社会を作る上での前提であり、彼らは「民族・国民nation」とは異なるというグスタフ・ランダウアー(写真:Gustav Landauer)による主張もある。
 ただし、こういった議論は、ヨーロッパやアメリカなど、すでに国民国家が成立した領域に関するものであり、植民地支配下で国家を持ったことのない人々を想定したものではない。彼らが独立するため国家を樹立すれば、新たな支配構造をつくりだすことになるため、アナーキストたちは植民地に反対しながらも、独立国家を目指すことができなくなる。
 パレスチナ人の解放を目指すウリ・ゴードンは、このジレンマを解決するために、生態学的地域主義(bioregionalism)を提唱
している(写真は2009年頃のイスラエルにおけるアナーキストのデモ)。この場合の「地域」とは、エスニシティや政治的境界ではなく、自然と人間との親密な関係性に依拠する自然や文化の領域のことである。この生態学的地域主義は、領域
的な自治を獲得した後には有効であろう。 

  しかしながら生態学的地域主義は、そのような自治をどのようにして獲得するか、という問題に対する回答になっていない。そこで、これまでアナーキズム的な論理を基盤にしながら、領域的な自治がおこなわれた事例をいくつかあげてみると、パリ・コミューン(写真参照)、ロシア革命期のウクライナにおけるマフノ運動(写真参照)、スペイン革命(写真参照)などが思い浮かぶが、ここでは、2014年からシリア北西部で自治区を形成しているロジャヴァについて取り上げる。
 2011年に「アラブの春」といわれる一連の革命的な事件がチュニジアを発火点にして、中東各地で起きた。シリアでは内戦が始まるが、クルド人は反政府勢力と距離を置き、シリア北部のロジャヴァ(図参照)でシリア政府側から支配地域を奪取し、2014年には各自治体に行政を委ね、各地域の評議会が意志決定機関となり、ロジャヴァ憲法(社会契約憲章)が発布される。
 その基盤となる思想は、クルド人労働者党の指導者アブドゥッラー・オジャランが提唱した民主的連邦主義である。オジャランが獄中で、アナーキストもしくはエコロジカル社会主義者マレー・ブクチンによる都市自治主義に関する著作を読み、そこから影響を受けた、と言われている。
 その結果、1990年代以前はマルクス・レーニン主義であったクルド人労働者党のイデオロギーは、大きく転換した。憲法には、エコロジカルな社会、直接民主政、女性の権利(写真は女性だけの軍事組織YPJ)、少数民族の権利、宗教の自由が規定され、地方の自治組織からのボトムアップの運営が定められている。
 したがって、クルド人による政党とその軍事組織が作り出した自治区であるが、その領域に住む多様なエスニック集団が対等な権利を持つ原則が導入され、現地の人々の認識では、そこには「国家」が存在しない。
 シリアの内戦は、ISが領域を拡大していた時期に比べれば、沈静化の方向に向かっているかに見える。しかし、シリア政府とトルコ政府が、ロジャヴァの自治を承認するとは思えない。ロジャヴァは、アメリカやヨーロッパのアナーキストらが訪問し、あるいは義勇兵として戦闘に参加して戦死している人々もいることから、スペイン内戦期のカタロニアとの類似も指摘される。
 しかし、仮にロジャヴァが崩壊し、そこで生み出されたシステムが消滅したとしても、同地で作り上げられた理念と実践は、忘却されることはないであろう。クルド人は国家なき民族と呼ばれてきたが、彼らはイラクのクルド人自治区と異なり、ナショナリズムと一線を画する原理に基づき、領域的な自治が可能であることを実践した、ということは指摘できるのではないかと考える。
 アナーキズム的な理念がこのような社会を作り上げる上で何らかの役割を果たしたとすれば、かつて韓国のアナーキストたちが構想した、民族の独立を獲得した後にアナーキズムを実現する、という道筋が、矛盾に満ちているのではなく、現実的かつ実践的であった、という評価も可能になるのではないだろうか。

3. おわりに
 かつて韓国のアナーキストたちは、民族独立という目標に向かいながら、同時にアナーキストであるという自覚を持ち、そのため、場合によっては、その「矛盾」に向き合わざるを得なかった。
  また、後世、彼らの主張に見られるナショナリズムが、アナーキズムから逸脱しているという評価を下された。これに対してHwangは、実際には、彼らはトランスナショナルな視点を獲得しており、ナショナリズムに強くとらわれていたわけではなかった、と指摘している。
  ただし、1960年代以降、彼らアナーキストたちが韓国の農村を経済的に自立させるための運動を展開した、という事実から考えれば、ナショナリズムと呼ばれてきたものが、より地域主義あるいは民衆の文化を重視した理念であったとも推測できる。
 しかし、「韓国人」という単一の民族を中核にした社会のみ前提にしていれば、ナショナリズムでなくとも、その論理は、「他者」を抑圧する可能性が高くなる。自由で平等な、支配なき社会を目指すためには、女性や子ども、障がい者や外国人の権利を保障し、中央主権的なシステムを排除した社会システムを作り出す必要がある。
 韓国人アナーキストたちが構想した理想社会が、1945年までの時点で、以上のような権利を含めて、何をどこまで構想していたのか、その際に、ナショナリズムがどのような役割を果たしていたのか、また、アナーキズムはナショナリズムを解体する上で役割を果たしていたのかを、今後検討していく必要があるだろう。
 その検討の際、彼らと同じ課題を抱えていた、植民地や半植民地化された地域のアナーキスト、あるいは、ロシア革命、スペイン革命といった革命に参加したアナーキストたちの思想や実践との比較が必要であろう。

参考文献
ベネディクト・アンダーソン、山本信人訳『三つの旗のもとに-アナーキストと半植民地主義的想像力』(NTT出版、2012年)。
Uri Gordon, Anarchy Alive! Anti-Authoritarian Politics from Practice to Theory (London and Ann Arbor, MI.: 2008).
Dongyoun Hwang, ‘Korean Anarchism before 1945: a regional and transnational approach’, in: Anarchism and Syndicalism in the Colonial and Postcolonial World, 1870-1940: The Praxis of national Liberation, Internationalism, and Social Revolution, eds. Steven Hirsch and Lucien van der Walt (Leiden and Boston: Brill, 2010), pp.131-146.
----------------------, Anarchism in Korea: Independence, Transnationalism, and the Question of National Development 1919-1984 (Albany, N.Y.: State University of New York Press, 2016).
Oso Sabio, Rojava: Die Alternative zu Imperialismus, Nationalismus und Islamismus im Nahen Osten (Muenster: Unrast Verlag, 2016).

2019年8月4日日曜日

ヒロシマと象徴天皇制~「癒やしと祈り」の国民統合について(広島集会に寄せて)

◆国民統合の象徴としての天皇制

  激戦地、被災地、福祉施設、国民体育大会、植樹祭、海づくり、国民文化祭、受勲、園遊会etc

  ありとあらゆる場に天皇制がはびこっている。特にアキヒトは「癒しと祈り」を行動指針として立て、それを繰り返しおこなって「国民に寄り添う天皇」を演出してきた。戦没者遺族、沖縄の民間人犠牲者遺族、被災者、施設に入所している障害者や高齢者など社会の周縁に置かれている人々に寄り添い、親しく語りかける天皇や皇后の姿を何百回と見せられてきた。マスコミが流す人々のコメントは「ありがたい」「感激した」「もったいないお言葉だ」などとアキヒトをヨイショし続ける。こうして「親しみを感じる天皇」像づくりに成功し、周縁に置かれた人々を再統合し続けている。

◆ヒロシマでの国民統合について

  8・6ヒロシマは平和祈念式典を軸に世界中の様々な反核反戦団体が競うように平和をアピールする平和の祭典の場と化する。軍都広島であることはほとんど語られず、現在も呉をかかえる軍都であることもこの日は語られることはない。原爆投下の8時15分には日本政府と被爆者や遺族、広島市民、反核反戦運動が一斉に黙祷する。侵略戦争を引き起こした日本政府が被爆者やアジア太平洋の民衆に謝罪したことがあるのか。むしろ逆行し、再び戦争を準備している政府と共に「祈る」とはどういうことか。「過ちは繰り返しません」という名のもとに「平和都市ヒロシマ」が世界中にアピールされるが、為政者はいつも「平和のために」戦争を起こしてきたし、これからもその詭弁を押し通すだろう。靖国神社が上からの国民統合であるとするならば、この8・6ヒロシマは下からの国民統合に他ならない。

◆あらゆる国民統合の装置を解体し、国家を打ち砕く闘いを
・国民統合の要石である天皇制のあらゆる権威や信仰を剥ぎ取るために、自明とされがちな「日本」「日本人」「日本国民」「天皇制」なるものと向き合い、これらを解体していく作業を。

・ヒロシマの平和幻想を解体していくために、①軍都広島や戦時動員の検証、②現在進行している米中露の核軍拡路線への対峙、③3・11後の反原発運動への対話、④復興の踏み台とされた「原爆スラム」の掘り起こし、⑤胎内被爆、被爆2世3世、外国人被爆者など置き去りにされた問題に関する学習などを提案したい。

2019年8月2日金曜日

面白いアナーキズムの予告編 by 乱狡太郎(広島集会に寄せて)

 口から出まかせに、「面白いアナーキズム」って言ってしまった。で、困るに困ってしまった。元々俺はそう面白い人間ではない。たまに呑んでる時に衝動のままにおもろいと思って話すと、相手が難しい顔をしている。ああ俺がおもろいことは他人とは違うと悟って以来、人におもろい話はしたことがない。なのに、面白いアナ―キズムについて話さないといけない。
 俺の望みは、くたばるまでの短い時間、面白おかしく生きることである。ところが、たまたま生まれたのは幸か不幸かこの日本国、これがまたクソおもろない国。俺がオモロイことしようとするとジャマばかりしやがる。学校に会社が社会全体を覆い尽くし、その上代わり映えのしない政治システムが鎮座している、むき出しに言えば、カネと暴力の世界である、「力」の支配する世界である。俺の好きな格闘マンガの名セリフに「強さとは何か?」と問われて、「己の意を貫き通す力」「わがままを押し通す力」と答えるシーンがある。その通りだと思う。自らの望むまま自由に生きようとすれば「力」が必要だ、それも強い力だ。ところが、金も力もない、またそれらを獲得する術がない俺。考えてみた、一つは革命だ。金と力の世界をちゃぶ台返しだ。しかしこれは一人ではできない事業だ、志を同じくするものと協力して理想の社会を創りだせば良い、と思ってた時もあった。藤子不二雄のオバケのQ太郎に「オバQ王国」というエピソードがある。オバQが赤信号を歩いているところを警察官にとがめられる「ぼくはオバケだからひかれても平気だよ」と抗弁するが、「そんなことはかんけいない交通規則はちゃんとまもらねばないかんのだ」と言われてしまう。友だちの正太は、父親に学校をやめたいと交渉するが、「ばかな中学まではぜったいにでるように法律できまっているんだぞ」と言われて憤懣やるかたない。金持ちの子キザオは、自宅のスポーツカーを運転しようとするが、父親から「いかん!!18歳までは運転免許はとれないんだ」「法律できまってる」とこれまたアウト。三人が法律のめんどうくささをぼやいていると、ガキ大将のゴジラが、「おれもそう思う」と登場、「おれはイライラするとなにかぶっこわしたりだれかをぶんなぐりたくなるんだ」「でも実行したらつかまっちゃうもんな」と言う。頭のいいハカセが、

「しかし日本にすんでいるいじょう日本の法律にしたがうのはあたりまえだよ」

「それがいやなんだ」

「じゃ日本をはなれて独立国をつくるんだね」「自分たちの国をつくって自分たちのつごうのいい法律をつくればいい」

 ハカセの提案を受けて単身オバQが無人島発見の旅にでる。長い苦労の末遂に発見。仲間と共に、自由の国、「オバQ国」の誕生である。俺は小学生の頃、この話に夢中になる。こんな国にすめたらどんなに自由だろう、学校も、教師も、親もいない、自由の国。いつも糞つまらない日教室の片隅で、夢想にふけった。ユートピア、自由の国、なんでそんな国を人類は作れないのだろうか、教室も世界も悲惨だった。大人になるとかどういう職業につくかなど全く関心もなかった。ただひたすらユートピアを夢想した。しかしやがて月日が経つにつれ、ユートピアが幻想であることを理解するようになった。そしてユートピアを考え出した思想、イデオロギーもすべて泡沫であることに気づいた。実はそのことは「オバQ王国」にもすでに予見されていた。無人島に自由の国をみいだした面々は、自由の国の発見者オバQが王になることから狂いだす。オバQ王は「ねたいときにねて たべたいときにたべて あそんでくらす」憲法を制定する。しかし、ハカセが「しかしそのまえにこの島をすみよいかんきょうにしなくちゃね」「人間が生きていくには衣食住が必要だ」と住居の建設を提言する。王はこの提言を受けいれ、国民たちに住居の建設を命ずる。国民たちは、己の能力に応じてDIYで様々なタイプの住居を作る。その中でもゴジラの作った小屋はオバQ王が気に入り、王宮として接取することを命じる。ゴジラは王に抵抗するが、倒されてしまう。敗れたゴジラの姿を国民たちに見せる。みんなこんなめにあいたくなかったら 王さまの命令にはさからうなよ」、王は権威化を増し、「王さまはえらいのである?」「だから国民は王さまにつくさねばならないのである」と横暴なふるまいを始め、民心は離反していく。大雨が降り、王宮は雨漏りをしだす。王は新たに庄太の住居である洞窟を新王宮と定める。これをきっかけに国民の抗議行動が起こる。王は、ゴジラを警視総監に任命し、反逆者たちを制圧するように命じる。逃げだした国民たちは、密かにクーデターを画策、王と警視総監の追放を図る。クーデターは成功するが、今度は反逆者たちの間で王権をめぐり争いが起こる。ここで我に返った面々は、無人島を後にして日常に帰還する。オバQ国の終焉である。
 このようにして自由や理想を目指した者たちの間で、やはり「力」めぐっての争いが起こってしまう。俺はこの後、ダニエル・ゲランを通してアナーキズムに触れるが、何もわからないまま来ている。「人間の性、悪なり!」と活写したのは梶原一騎だ。未だに梶原の断定に応える用意をアナーキズムはなし得ていない。アナーキズムが面白くなるのは、それに一片の手がかりでもだせた時だと思う。俺にその任が務まるとも思えぬが、集会でお付き合いいただければありがたい。

2019年8月1日木曜日

なだいなだ「真のアナキズムとは」(『朝日新聞』1975年7月7日11頁より)

 アナキストは危険だ。アナキストはおそろしい。まったく、そうであろう。体制の中に安住する人間は、自分に反対し、爆弾を投げつけかねないものは、みんなアナキストと見えるのだから。
 一連の爆弾事件の容疑者が捕らえられた時、マスコミはアナキストグループが逮捕されたと報じた。それから一ヶ月ばかりの後、警視総監自らが、記者会見で、質問に答えていった。
--犯人グループはアナキストといってよいか。
--古典的アナキストに直結するか疑問だ。少なくとも、犯人たちは自分がアナキストだとは思っていないようだ。

奇妙な言葉  アナキストを捕らえた人の言葉としては、非常に奇妙である。アナキズムの本を読んだこともなく、アナキストの運動家から、そそのかされもせず、自分でアナキストと思っていないアナキストもいる、と主張しているようなものだからである。これでは、だれを警戒してよいやらわからない。だが、爆弾事件が起こると、どういうわけか、まず第一に「これはアナキストのしわざではないか」という考えが、頭に浮かぶのである。
 これを権力者の妄想(もうそう)と呼ぶこともできるだろう。だがそれはアナキズムの本質にかかわる問題でもある。[中略]マルキシストは、マルクス以前にはなかった。そしてマルキシストは、分派していきながらも、それぞれが真の忠実なマルクスの徒であると、その正統性を主張している。ところがアナキストは、自分がアナキストだと思っていなくとも、アナキストにされてしまうこともあり、また、ある日ふと、もしかしたら自分をアナキストと呼んでいいかもしれないと、自認することもある。そればかりでなく、歴史的にさかのぼって、彼もアナキストと呼べる、これもまたアナキストにほかならぬ、ということになり、アナキストの地平は限りなく拡大していくばかりなのだ。[中略]マルローは「成功したただ一人のアナキストはキリストだ」といっている。トルストイもガンジーも、ほかならぬアナキストである。だから、あなたも、ぼくも、アナキストかもしれないし、そう呼ばれるかもしれない。アナキストは爆弾を投げつけかねない人間だと考える人たちにとっては、いつの時代にも、どこにも、アナキストがいるとなると、おそろしくて夜も眠れまい。

国家を告発 アナキズムは、権力も権威も、人間の社会には不要だし、それなしに人間は平和に生きられるという思想である。裏返せば、国家の名で犯された戦争や抑圧を告発する思想である。もちろん、人間が今の状態のままで、そのような理想社会に住めるとは思っていない。そのためには、一人ひとりが自我を確立しなければならず、素朴な生活に満足する人間でなければならず、自由であるためには自己抑制が必要だと考える禁欲主義者でなければならぬと考えるものも多かった。[中略]組織的なアナキスト運動は20世紀前半に滅んだといっていい。[中略]だが、アナキズムはほろんでいない。爆弾事件の容疑者たちも、自分ではそう思っておらなくとも、アナキストと呼んでいいだろう。だが、彼らをアナキストと呼ぶのなら、ビートルズも、ローリングストーンズはより以上にアナキストであり、アナキストは数え切れないほどいることになる。現代のアナキズムは、様々の形を持っているからだ。[中略]アナキスト逮捕といい、報道した、警察もマスコミも、アナキズムの真のおそろしさがわかるに違いない。

反中央集権  権力者は法廷でしばり罰でおどし、自分らが指導し、秩序のわくにとじこめなければ、国民はなにもできぬ愚民だという。だが、アナキストは、国家も法律も指導者もなくても、自分たちは自治ができる、人間はそれができてはじめて人間だと主張するのだから。この、中央集権に反対する思想の方が、少数者の爆弾よりもずっと恐ろしいことだろう。

2019年7月29日月曜日

なぜアナキズムに関心を持ったのか(SW)広島集会に寄せて Why I'm interested in Anarchism

高校の図書室で見つけた一冊の書物――『アナーキズム』(松田道雄 編集・解説)。

 この本との出会いがその後の私の思考様式や文学嗜好を決めたように思っています。なかでも面白かったのが埴谷雄高が書いていたエッセイでした。

 当時は旧ソヴィエト連邦・旧東欧圏の「共産主義国家」がベルリンの壁とともに崩壊していた頃で、中学生頃から共産主義に共感を覚えていた私としては「あんな国家が社会主義や共産主義であるはずはない」と考えつつも、思想や行動原理としての社会主義や共産主義までも否定されていくのが悔しかった覚えがあります。

 そんな絶望的な世界観に陥っていた私は、図書室で出会ったこの『アナーキズム』という本を読み、アナーキズムに何らかの可能性があると思わずにはいられませんでした。

 進路の希望も、心理学から社会学、法学、政治学に変わり、最終的には哲学となりました。大学では個人主義的アナーキズムの祖とされるマックス・シュティルナーの研究をし、現在に至っています(SW)。

なぜアナキズムに関心をもったか(広島集会に寄せて)Why I am interested in Anarchism

 以前、お伝えしたとおり、事前に、以下のいずれかのテーマに関するメッセージ(字数は自由です)の送付を呼びかけています。(1)アナーキズムを面白くするには (2)未来のアナーキズム (3)私が考えるアナーキズム (4)広島とアナーキズム (5)なぜアナキズムに関心を持ったのか (6)8・6に思うこと(7)自由テーマ  以下は、(5)について、広島集会に参加されるかたから送付していただきました。引き続き、文章を募集中です。


小さな頃先生が 
治安維持法や戦争に反対する人たちへの
弾圧や拷問などの話を授業中によくしてました 
自由が大事やねん 

聞いてた私は 
国がなくなれば戦争やらない 
つかまらなければ 
みな勝手に
戦争いやだと言うと思った。

10代の頃映画を見ていた
映画の歴史で権力が映画に介入して世論を変えていた
歴史がいつもあった
私たちは
国は映画に口を出すなという常識があった 
ロマンポルノ裁判の時代で
竹中労の文章もありました。  
自由が大事やねん

でそういう考え方が
何か分からなかった所に 
75年の新聞に
”真のアナキズムとは”という 
なだいなだの文章が載っていて
スコンとはまって 
漠然としたものに名前がついた 
というわけでいまもアナキズムです。 

何か考えれば
それを辿っていけば
アナキズムに繋がったという人は
多いのではないでしょうか

それと
トイレをつまらせるという考えは嫌いやないけどね
新聞紙でなく 
ティシュペーパーでも
水溶性でなければ排水管つまる 
業者呼ぶよりも紙常備したほうがいいと思わせたらいいんやけどね

2019年7月19日金曜日

アナーキズムをもっとおもしろくしよう:広島集会の告知 Let's Make Anarchism more Intersting: Notification for Hiroshima August 6th Gathering

 8月6日の広島集会まで、2週間とちょっとですので、告知をいたします。アナキズム文献センターの『文献センター通信』第48号、2019年7月1日にも告知「今年の8・6広島集会の告知など」が掲載されています。通信の主な取扱店は、イレギュラー・リズム・アサイラム(新宿)模索舎(新宿)古書りぶるりべろ(神保町)、カフェ&ギャラリーRiver(本郷東大前)CRY IN PUBLIC(静岡県三島市)水曜文庫(静岡市)三月書房(京都)INFO SHOP 大都会門司港(北九州)、【NEW】汽水空港(鳥取)です。

 さて、今回、広島集会のテーマを「アナーキズムをもっとおもしろくしよう」にしました。「もう十分におもしろいのに、どうしてそんなテーマなんだ」という疑問をもった人もいると思います。しかし、自分がおもしろいと思っていても、アナーキズムという言葉を日常的に使う機会は少ない、アナーキズムについて話し合うような機会はそれほど多くはない、という人のほうが多いのではないでしょうか。
 国外から来るアナーキストに、日本の運動を紹介してもらいたい、と言われたときに、紹介できるような人や運動が少ないので、いつも困ります。これほど運動が低調なのは、どうしてかといえば、それは、大多数の人から見て、アナーキズムがおもしろいと思えないからではないでしょうか。
 国外の運動を見ていて「おもしろい」と思えるのは、個人であれ集団であれ、様々な工夫をして、それぞれが思うところの「アナーキー」を今・ここでつくりだそうとして、ほんの一瞬であっても、これはもしかしたら・・・、という経験を持てる場をつくりだしているからではないか、と思います。
 そういった人たちに「アナーキズムなんて幻想で実現不可能なユートピアだという批判がありますが」と聞くと、「やってみないとわからないじゃない」「こんなシステム放置してるわけにいかないじゃないか。私たちの孫の世代には地球環境は崩壊しているよ」といった感じで、猛然といろいろな反論をしてきます。こういうことが言えるのは、やってみてちょっとはうまくいった、という経験がどこかにあるからだろうな、と思います。つまり、「アナーキー」が心地よい、というちょっとした経験を持っているのではないかと思うわけです。
 国外でよく見るのは、アナーキズム運動をやっている人たちが、資本主義や国家から相対的に自律した場所をつくりだしているというケースです。こういったやり方が唯一正しいわけではないと思いますが、彼らのひとつの選択だと思います。そこにたまり場ができ、そういった彼らのたまり場から、衣食住、あるいは生産や消費に関する新しい実験やアイデアが生まれ、新しい表現やアートが生まれてきているように思えます。資本と国家が作り出すシステムのど真ん中に生まれた、資本と国家を含めた諸々の支配を破壊していく意志を持つがん細胞のようなものです。似たようながん細胞が増えていけば、国家は崩壊する、とその昔ドイツのアナーキスト、グスタフ・ランダウアーが述べています。
 さて、日本でそういう状況を作り出すためにどうしたらいいのかわかりませんが、アナーキズムに関心を持つ人たちが集まり、交流する機会がもっと多くあれば、少しは変わってくるのかもしれない、と思います。
 デモを一緒にやって、集会でお互いの話を聞き、それぞれが日頃何を考えて何をしているかを知ることから、参加した人たちが「もっとおもしろくする」ヒントを得て、翌日からそれぞれのテリトリーで考え、行動していけばいいのだと思います。
 そのような交流を活性化させるために、今年の集会では、5人の報告者から、「これがおもしろい」という話題提供をしてもらいます。
 1人目の報告者からは、1970年代から広島で運動を始めた経緯についてお話をしてもらおうと思います。それに続く4人の報告のタイトルは、全て仮題ですが、「旧日本軍の運搬人:日雇労働の起源」「踏切切断男と爆弾製造高校生」「暁部隊につて」「ヒロシマと象徴天皇制~「癒やしと祈り」の国民統合について」というもので、それぞれ、8月6日の広島でしか聞けないお話になると思います。
 というわけで、今年の8月6日は、ぜひ広島でお目にかかりましょう。暑さ対策をお忘れなく。参加ご希望の方は、必ず事前に以下までご連絡を:joh.most@gmail.com

広島集会スケジュール2019年8月5日(月) 
プレイベント「軍都広島フィールドワーク」 昼12時 広島駅前集合(黒旗が目印)
2019年8月6日(火) 朝7時、平和公園原爆ドーム周辺でビラまきと抗議行動(黒旗が目印)
10時 原爆ドーム前(道を挟んで反対側にある広島商工会議所前に集合)よりデモ行進
13~17時 8・6集会 広島市内 *12時半より会場設営 終了後、懇親会を予定しています。

Well, the theme of the Hiroshima August 6th Gathering of this year is "Let's make anarchism more interesting". Some people might ask  "Why? It is interesting enough". However, even if you find interesting, there are few opportunities to use the word anarchism today, and there are not many opportunities to discuss anarchism.
Hiroshima August 6th Gathering schedule:
August 5, 2019 (Mon)
-Pre-event: Field Work around the "Military City Hiroshima". 
-12 noon, in front of JR Hiroshima station. Find the black.

August 6th, 2019 (Tuesday)
At 7 am in the morning, around the Hiroshima Peace Park, we will distribute the flyers and make protest action. Find Black Flag.

At 10 am starts the Demonstration from the
Hiroshima Chamber of Commerce. Find the Black Flags on the other side of Atomic Bomb Dome.

13-17 pm will be held the gathering in the Hiroshima city.
* We will prepare the gathering from 12:30.
** After the gathering we will have eat & drink together. 

2019年7月15日月曜日

乱狡太郎「偽書アナキズム 栗原本 その1(3)」 Fake Anarchism Book by Kurihara Yasushi: Part 1(3)

その1(2)の続き
(3)偽暴動論
 で、そのプリウスを選択しないとしたら何が選ばれるのか、栗原がすすめているのが「暴動」である。

 「ものすっごいスピードで、デシッ、デシッとハンマーを使って窓ガラスをぶちこわし、そこにひたすら石をなげこんでいく、投石につぐ投石、そしてさらなる投石だ。すると、どこからとなく火炎瓶がほうりこまれて、マックがメラメラと燃えはじめる。火を見た群衆はもうとまらない。火のついた猿、火のついた猿、黒いのがわけのわかんないことをさけびながら、ピョンピョンとびまわっている。すると、あたりからモクモクと煙がたちのぼってくるわけさ。そう、車やバイクにも火がはなたれたんだ。ウヒョーオーッ、ウヒョーオーーーッ!!」(栗原『アナキズム』4頁)

 この「暴動」の情景は栗原が、フランス、パリにおけるメーデーに突然黒いパーカーに覆面姿の一団が現れ、いきなりデモの先頭を取りマクドナルドに突っ込んだ場面を、友人からのメールに貼付されたURLで見たYoutubeの映像を記述したらしい。書体を変えた部分は、栗原の主観と思われる部分である。この本にはこのように随所に栗原の過剰演出が織り込まれている。
 栗原の述べているのは、2018年5月1日のフランス、パリのメーデーで、この日、行進が始まった30分後、「一般デモ隊に紛れ込んでいた『壊し屋casseur』たちが黒装束にヘルメット、覆面をし、デモ隊の先頭に集まったのです。その数は約1200人、最大でも600人と考えていた機動隊はただ様子を見守るばかり。橋を渡った彼らは、金槌や金属棒、発煙筒を出し、沿道の店や信号、広告塔などを次々に壊し始めました。機動隊が介入したのは破壊が進んでからなので、物的被害は甚大です。そのうちのひとつであるルノー車販売店は店舗が壊されただけでなく、展示していた車やバイクを歩道に出され、燃やされました。」(*6)
 配信されたメディアの記事、フランス滞在者によるレポートいくつかを当たってみたけど、明確にブラック・ブロックによるものとされている。なぜかアナーキズム研究家である栗原は集団の呼称を出していない。ブラック・ブロックは統率がとれていない集団という記述も見られるが、一方で警察が「よく組織されており敏捷で、逃げ足が速い。ジェスチャーで特殊なサインをし合って行動、破壊するや否やあとは跡形なく蒸発するプロ忍者」(*7)という指摘もある。
 また最近では、今年2月に、「黄色いベスト」のリーダー格の男女2人が接触を図り「共同戦線」を提案したが、ブラック・ブロック側も「目的は諸君と同じ」と受け入れたとのニュースもあった。(*8)
 俺は、破壊する対象がグローバリズムを象徴する店舗に限られていることや、リーダーが不在でも組織的に動けることから、明確な目標や思想性を共有する集団で、栗原の言う単なる「アンちゃん、ネエちゃん」の「火のついた猿」では全く違うように考える。
 確かに定型的な組織形態はないが、ネットによって日常的に情報は共有化されており、破壊目標の設定、装備、行動の手順、実施、撤収まできちんと運営されているのがうかがえる。
 しかも構成員たちは、インテリでそれぞれ個別に社会運動のメンバーであるとも言われている。ある意味「ブラック・ブロック」は、期間限定の「革命運動」の一種といえるかもしれない。
 つまり、栗原も本来は、栗原の暴動のモデルと異なるのを知っていたんだろうけど、自分の論に近づけるために呼称を伏せたと疑っている。
  ここで、栗原の暴動論を再度確認すると、

 「で、そういう自発性の暴走ってんだろうか、いちどあばれはじめた力ってのは、もうだれにもなんにも、そして自分にですら制御できない。だって、なんでそんなことやりはじめたのか、自分にですら制御できない。だってなんでそんなことをやりはじめたのか、自分にだってわけがわからないんだから、損も得もありゃしない。なんなら損しかありゃしない。どえれえやつらがあらわれたァ!まるで火のついた猿だ。やめられない、とまらない、テメエのことはテメエでやれ、ついでにテメエをふっとばしてやれ。やるならいましかねえ、いつだっていましかねえ。いまのあとには、いましかねえ。そしてさらなるいましかねえ。いま、いま、死んだつもりで生きてみやがれ、死んでからが勝負。やることなすこと根拠なし、はじまりのない生をいきていきたい。アナーキー!」(栗原『アナキズム』13頁)

 ここまでくると栗原の暴動論なるものが、ブラック・ブロックの実態と大きくかけ離れていることがさらに理解できるだろう。栗原本は全編こういう作りになっている。
 だいぶ長くなっちまったんで、このくらいにしておくが、次回は栗原の暴動論のネタ本を明らかにして、栗原本がアナーキズムとはちがうインチキ本、偽書であることをさらに明らかにする予定です(つづく)。

【参考】
*6「ブラック・ブロックに乗っ取られた今年のメーデーBlack Blocs」楽しい年金生活  Bons plans à Paris 2018.5.2
*7 プラド夏樹「黄色いベストと極左派ブラックブロックの危険な関係」YAHOO NEWS 2019.4.15
*8 山口昌子「黄色いベストとブラック・ブロックの危険な関係」RONZA 2019.3.22