以下のギリシャ語によるアナーキストのサイトに掲載された英文記事を訳出した。
'Interview with a Ukrainian anarchist about the war and Russian propaganda', https://www.aftoleksi.gr/2022/04/11/interview-with-an-ukranian-anarchist-on-war-and-propaganda/
[]内は、訳者による補足説明
2022年4月公表
Aftoleksi:本サイトでは、ポーランドの161グループのメンバーが連帯行動に対して実施したインタビューを以前ギリシア語で公表した。これ続き、今回、アフトレクシの編集チームは、キエフ在住のアナーキストにインタビューを実施した。このインタビューでは、クレムリンを支持する勢力によって侵略を正当化するために使われているいくつかの神話に焦点を当てた。
まず自己紹介してくれませんか。どこに住んでいるのか、それから、あなたの政治的な活動や考えについて。
どうも、デニスと呼んでください。キエフのアナーキストで、2007年からアナーキストでアクティヴィストです。そのときから、直接行動学生組合やキエフのアナーキスト・ブラック・クロスなど、いくつかの行動や組織に参加しています。今は、戦争報道を支援しています。実際に何が起きているのかを、世界中の同志たちに知ってもらえるからです。
ウクライナと東部地域のアナーキストやアウトノーメの運動は今はどうなっていますか。
ウクライナのアナーキズム運動は2008年から2013年までの時期に急速に成長しましたが、マイダン革命の時期に、いろいろな問題に直面しました。マイダン革命は、肯定的な側面と否定的な側面という両面があります。あれは、一方で、政府内部に蔓延していた膨大な汚職と警察による暴力に対する抗議でした。しかしもう一方では、革命では資本主義が一切批判されず、しかも、極右の諸グループが革命を自分たちのために利用した結果、それ以前よりも彼らが支持を得るようになりました。このような革命に、どのように接近し、参加するとすれば、どういった参加をするのか、という問題について多くの議論がありました。ドンバスで戦争が始まると、アナーキズム運動の中で、戦争と帝国主義をめぐる論争がそれまで以上に激しさを増し、その結果、ほとんどすべての組織は、分裂するか、活動が低調になりました。
この2年間でアナーキズム運動は復活し始めています。しかし、現在の戦争によってすべてが一変しました。ロシアの侵攻に対する反帝国主義闘争を支援することを決意したアナーキストたちの一部は武装し、一部はほかの方法での支援に関わるようになりました。例えば、同志たちに軍装品を購入したり、難民を支援したり、人道支援物資を配布したり、といった活動です。私たちの同志の一人イゴール・ヴォロコフは(左の写真を参照)、武器を手にして自分が住む町であるハルキフを防衛する活動に加わりましたが、戦死しています。ハルキフは東部の都市で、ロシア語話者が住民の多数を占めますが、ドンバスではありません。アナーキストたちはハリキフで極めて活発に活動していましたが、数としてはそれほど多くはありませんでした。
現在のウクライナ政府と、ウクライナで活動するファシストの運動について教えてもらえませんか。政府内部と戦争で、ファシストはどのような役割を担っているのですか。
ファシズム運動はマイダン革命以前は、一定の支持を獲得し、その後、さらに支持を拡大しましたが、ウクライナ全土にその影響力を行使できませんでした。その後、彼らに対する支持は年々低下していきました。
最後の選挙で極右政党は議会でたった1議席しか獲得することができず、2-3の都市で市長を選出することしかできませんでした。内務大臣のアルセン・アヴァコフは、極右グループが支持し、政治的に利用しましたが、アヴァコフは半年前に汚職と警察での暴力事件を理由に失職しています。街頭で行動するファシストたちはいくつかの異なるグループに分裂し、相互に対立しています。ファシストは、左翼やフェミニスト、LGBTQ+のイヴェントを時折襲撃していますが、2014年以来、彼らに対する支持は決定的に低下しています。
このテーマをもう少し広げて、アゾフ連隊とウクライナ政府との公式の関わりについて聞きたいのですが。
アゾフは独自の宣伝機関を持ち、そのおかげで、愛国主義にもとづきウクライナを防衛している、ナショナリストであるがナチスではない、という自己のイメージを描くことにかなり成功してきました。彼らのナチズムに対する批判は、ロシアのプロパガンダとして退けられています。そのため、ウクライナ人の多くは、アゾフをナチスとは思っていません。多分政府は、彼らを解散させることで、国民世論から何か批判されると考えていると思います。しかも、かつて政府内には、アゾフのロビイストたちがいたのです。しかし数年前、彼らは皆失職しています。しかもこの8年間でドンバスの戦争で事態が進展し、戦闘が継続する中で、有力な戦闘部隊を解散することが難しくなりました。現在、アゾフは約1000名程度ですが、ウクライナ軍は30万以上の兵力です[軍事組織としては極めて少数であるということであろう]。
加えて、ロシアには、「ルーシチ」という独自のナチ戦闘部隊がいます。・・・彼らはロシア政府から公式には認められていませんが、ドネツク人民共和国の兵力の一部です。彼らはスラヴのハーケンクロイツを使用し、ロシア政府から重火器を支給されています(左:ロシアのネオナチ部隊ルーシチのシンボルマーク)。現在、プーチン支持者のプロパガンダの中では、侵攻の主たる理由がロシア語話者を「保護」することにあるとされていますが、この主張はどこまでが真実なのでしょうか。そのようなエスニック・マイノリティが存在するということはできますか。
それは不正確です。というのも、ウクライナ人のほとんどはバイリンガルだからです。ロシア語もウクライナ語も話せるのです。ロシアは常にウクライナでロシア語を第二言語にさせようとしてきましたが、ウクライナ人はこれに対してずっと抵抗してきました。2014年から、ウクライナではロシア語使用に対するいくつかの規制が始まりました。ウクライナへのロシア語書籍の輸入規制、ラジオで放送される歌の4分の一をウクライナ語の歌にすること、そして、政府官僚は執務中ウクライナ語だけを使う、といった規制で、この官僚と同じ規則が商店の店員にも適応されました。この政策を政府は「柔らかなウクライナ化」と呼びました。このような規制に対する不平が一部から起きましたが、戦争を始める理由になるようなものではありません。現在、ロシア軍による爆撃がおこなわれているのはロシア語話者が多数住む諸都市であり、戦争による被害をもっとも受けています。「ロシア語話者を保護する」ための侵攻を通じて、プーチンは、ウクライナ語話者を殺害するよりもロシア語話者のほうを迅速に殺害しているわけです・・・・
全体としていえることは、まず、ウクライナに住むロシア系住民はウクライナのパスポートを所持している、そして彼らの多くが流ちょうなウクライナ語を話すということ、そして外見からもウクライナ人と見分けがつかない、ということです。したがって、誰がロシア系で誰がウクライナ系であるか、ということは、本人に聞いてみないとわからないのです。多くの人々の出自は、片親がロシア人、片親がウクライナ人といった、複雑なものです。私はそういった人たちに対する差別というものをキエフで目撃したことはありません。見たとすれば、ナショナリストによるインターネット上での書き込みぐらいです。
ロシアはドンバス地域で「民族浄化」と「ジェノサイド」が起きたとずっと主張してきていますが、この主張は信頼できるものなのでしょうか。これは、プーチンの侵略を支持する人々による主張の中でも主要なもののひとつです。アナーキズム運動に加わっている人たちから、この主張についてコメントをもらえれば、とおもいます。
ドンバスでの戦争では、極めて激しい砲撃がありました。対峙する両軍ともに敵の陣地を破壊するために多数の火砲を使用しました。都市の内部で戦闘が始まると、砲撃が一般の住宅を破壊し、市民を殺害しました。しかし、この破壊は、現在、ロシア軍が都市の8割の建物を破壊しているマリウポルで起きているような、計画されたものではありませんでした。また、政治的な弾圧もありませんでした。ドネツクとルハンスカ「人民共和国」の独立ために実施された住民投票に参加し、ウクライナ警察に逮捕されたほとんどの人は、法に基づけば3年から15年の実刑になるところが、保護観察処分になっています。
ここでデニスの同志の一人が次のように語った。そのような主張に対しては、3つの点から反論できます。一つ目は、「民族浄化」と「ジェノサイド」という言葉の定義を念頭に置いた上で、どのエスニック・グループが被害を受け、どれぐらいの人々がどのようにして「浄化」されたのかという点です。これは事実によって明らかです[そのようなことはなかった、という見解であろう]。2点目は、2014年から2022年2月24日までの死者数と(どれぐらいの市民が占領地域で死亡し、どれぐらいのウクライナ人兵士が「沈黙の部隊」であるにもかかわらず死亡しているか[この箇所は、ドンバスなどでの8年間の死者数に言及していると思われる])、今月[2022年3月]の死亡数の比較をすることで、明らかになる事実です[8年間の死者の数は、現在の戦争での1ヶ月ほどの死者数に比べれば極めてわずかである、と言いたいのであろう]。3点目は、誰を信じるのか、という問題です。草の根の活動家と革命的な人々を信じるのか、ロシアの特殊部隊(ロシア連邦保安庁=FSBのことですが)やロシアの官僚や政治家を信じるのか、ということです[「民族浄化」「ジェノサイド]といったウクライナに対する批判はすべてロシア側から行われているが、それは信用できない、ということであろう]。
いわゆるドンバスの「人民共和国」の分離独立派について教えてくれませんか。彼らについてはどのようにお考えでしょうか。彼らはロシア領になることを目指しているだけでしょうか。「人民共和国」を代表する政治的なシステムとは何でしょうか。ウクライナのアナーキズム的な運動は、これらの共和国を支持しているのでしょうか。ヨーロッパの権威主義的左翼は、右翼的傾向を持つ諸勢力と同様に、同地域について多数の宣伝を行っています。しかし私たちが現地の人々から聞いてきたのはそれとは違う話です。
ドンバスはウクライナにおける炭鉱地帯で、ドネツクとルハンスク(ルガンスク)という二つの州から構成されています。1991年にウクライナがソ連からの独立を行うための住民投票を実施したときに、ドンバスとクリミアの住民を含め、多数の人々が独立に賛成票を投じました。しかしながら、これらの地域は、主たる資源である石炭の枯渇によって、経済的停滞に直面することになります。他方、これらの地域は依然として、ウクライナにおけるもっとも人口が集中した地域の一つであり続けました。政治家たちは、これを自分たちの権力のために利用しました。彼らはこの不満を持つ住民たちから票を獲得するために、キエフの権力者たちが彼らから資源を盗み、ウクライナ西部に住むナショナリストたちは、彼ら東部の住民を憎悪している、という話を広めたのです。
このようなプロパガンダの結果、マイダン革命以降、分離主義的な傾向が高まりました。同地での軍事的な紛争は、ロシア国家保安庁のメンバーだった連中と、イゴール・ストレルコフ(もしくはグリキン)(左写真を参照:一番右側に立つ人物。彼が組織した「ロシア正教軍」のメンバーとともに)によって引き起こされました。ストレルコフは、武装民兵グループを組織し、ドンバスの町スロヴァイアンスクを掌握しました。その後、地域の分離主義者とロシア人市民からなる同様のグループが複数結成され、2014年9月、ロシアの常備軍が攻撃を開始し、ウクライナ軍を撤退させました。2016年にミンスク合意が採択され、数年間の停戦を実現させることで、ようやく双方の憎悪が収まっていきました。しかし、二つの自称「人民共和国」は、独立していたとはいえない状態でした。ミンスク合意に不服を示さなかった分離派の指導者たちは、奇妙な状況で殺害されていきました。その多くが、FSB(ロシア連邦保安庁)によるものだったと思います。これら自称「共和国」は繰り返し、ロシアへの編入をロシアに対して打診していました。プーチンがこれら「共和国」を独立国家であると認めたのは、侵攻の二日前のことでした。これにより、プーチンは、二つの共和国を、ウクライナに対する統制のために利用としたいと考えていることがわかりました。彼は「共和国」に対して、ウクライナ政府による多数の決定に対して拒否権を行使することを要求していたからです。結局、ウクライナ政府が繰り返しロシアへの編入要求を拒否したことが開戦事由になったのですが。
これら共和国を支持しているアナーキストは一人もいません。これら共和国は、ロシア軍によって直接統治され、表現の自由が認められず、ロシア・ナショナリズムとソヴィエトへのノスタルジアの入り交じったイデオロギーが掲げられています。他方、命が危険にさらされるため、ルハンスクとドネツクからウクライナへ逃げねばならないアナーキストたちがいました。現在、分離主義者による政府は、自らが統治する領域において、18-70歳(!)までのすべての男性に対して軍に加わるように求め、何ら適切な訓練を受けさせないまま、ロシアの職業軍人が戦うよりもさらに前線に投入し、そこからウクライナ軍に対して攻撃するように強制しています。ドンバスを守りたい、というその主張にもかかわらず、プーチンは、一部のドンバス住民をロシア軍による砲撃の餌食にしています。他方、ドンバスのウクライナが統治する地域では、数千の市民を殺しています。
2014年から21年まで、これら「共和国」に関しては、アナーキストたちの間では、全力でそれらの地域に平和をもたらす、あるいは、これらの地域の住民を、ロシアの帝国主義政策の道具と見なす、というふたつの見解があり、これらの地域に関してアナーキストたちの間で見られた唯一の違いでした。戦争が始まった後、二つ目の見解が正しいということが明らかになりました。結局、2016年以降の停戦は、より大規模な戦争の原因になったに過ぎなかったわけです。
最近ウクライナで実施された、いくつかの政党に対する活動禁止措置についてはどう思いますか。
2015年に施行された「非共産化」法は、ソ連時代に共産党が使ったハンマーと鎌のシンボルの使用を禁じたものでした。その結果、ウクライナ共産党は、政党名とシンボルを変更しましたが、その活動は続いています。
全面戦争が始まって以来、ウクライナ政府は、親ロシア的活動を行うと考えられた10政党の活動を一時的に禁じました。その多くが、地方選挙で支持を得ることを目的とする極めて小さなグループであり、積極的に活動する人々によるものではありませんでした。このように一時的な活動停止処分を受けた政党のうち、ウクライナ社会党だけは、唯一実際に活動していた政党でした。ウクライナ社会党は、1991年から2004年まで影響力を持っていましたが、しかし次第に影響力と議席を失っていきました。しかもイリヤ・キーヴァという、うさんくさい政治家によって乗っ取られてしまいました。2014-15年の間、キーヴァは右派勢力に加わり、2016-2017年までは、警察の麻薬取り締まり部門のトップの座にいて、麻薬を使用した人々を厳罰に処すと主張していました。2017年、彼は突如、自らが社会主義者であると宣言し、それ以前、かつて一度たりとも加わっていなかった社会党の党首となりました。それ以降、ウクライナ社会党独自の政治活動がなくなり、党はキーヴァのいかがわしい政治活動の道具に成り下がったのです。
どうもありがとうございました。くれぐれも気をつけて。