それと同時に、大杉栄や伊藤野枝が、依然として日本を代表するアナーキスト、あるいは、ある種の権威として扱われているのではないか、という疑問、さらには批判的な見解があることも知った。
大杉栄に絞っただけでも、たとえば、大杉は平気で女性を差別・抑圧する人物であることが、あの日陰茶屋事件に至るプロセスで明らかである、という声を聞いた。また、大杉は、労働者が到底行けないような旅行をし、その旅費も、労働者では工面できないような金額だった、つまり、大杉が中産階級エリートの男性であった、という問題を指摘する声も聞いた。
こういった様々な批判の声は、彼の死後、その思想と生き方を肯定するような著作を発表している人々、および、そのような著作に影響されている人々による大杉の神話化や権威化に対して向けられている、と私自身は捉えている。
というのも、現在、大杉について何かを語る人々の多くは、彼に関して書かれた著作の著者たちによる解釈を通じて大杉を語り、あるいはそういった解釈を批判していることが多いからである。
ただし、これらの疑問や批判は、総じて、大杉栄の「生き方」や「行為」を問題とするものである。
他方、彼を肯定的に評価する著者たちは、主として彼の書いた文章(「思想」)を論じ、「生き方」や「人物」については、批判すべき問題点を指摘しながらも、結局は「思想」で帳消しにする、という傾向がある。
しかし、「生き方」・「人物」と「思想」は切り離して考えてよいのだろうか。
「生き方」・「人物」と「思想」は、結びつけるべき、という考えかたを、近年最も鮮明に示したのが、ブラック・ライヴズ・マターの運動である。BLM運動は、100年以上にわたって「偉人」として扱われてきた人々に対する評価を180度変えた。
黒人差別や奴隷制度を支持したという理由から、彼らの銅像は撤去され、公的な場所から彼らの名前が抹消されるようになった。それ以前から起きている#MeToo運動もまた、女性に対して性暴力を行った著名な男性たちだけでなく、彼らが社会的に評価される原因となった業績も、批判の対象にした。その影響は日本を含め世界中に見られ、告発と追求は今も起きている。
過去の人物や思想に、現在の基準を当てはめてはならない、という考え方もある。
しかしながら、大杉栄の思想にある種の普遍性を見出し、それを今日生きるわたしたちにとっての何らかのヒントにする、という理由から、大杉の思想が語られている現在にあっては、やはり、彼の人物・生き方に対する現代的かつ批判的な視点に基づいて、彼の思想に問題を見出していく必要があるだろう。
それを通じて、大杉栄の人物・思想を脱神話化・脱権威化することができるのではないか。これは、大杉栄が支持していたアナーキズムという視点から見れば、必ずやらなければならない作業である、と私は考える。
まず、大杉の女性差別について見ていこう。
日陰茶屋事件および大杉の神近市子に対する態度は、同時代から多くの人々が非難し、大杉の「思想」を肯定的に評価する現代の論者でさえも批判している。
そこで、大杉が女性を抑圧していたという視点から、彼が女性について書いているいくつかの文章を読むと、「上から目線」で女性に指示をする、説教をする、批判する、という書き方になっていることに気がつく(「婦人諸君に与う」1907年、「新しい女」1913年などを参照)。
また、女性について書かれた文章が少ない、ということにも気がつく。大杉が論じたのは、「女性のいない労働運動」「女性のいないサンジカリズム」「女性のいないアナーキズム」だったのではないか。
以上の問題から出発し、大杉が中産階級のエリート男性だった、という観点から、彼の行動や生き方だけではなく、その思想についてもみる必要がある。
たとえば大杉は、他人・社会から押しつけられた考え方や思い込み、つまり「自我」あるいは「奴隷根性」を放棄し、「生」を拡充することを論じた。
しばしばこれらの主張が、大杉の肯定的な評価の根拠となってきた。しかし、彼が描いているのは中産階級のエリート男性が行える、という意味での「自我の棄脱」「生の拡充」、奴隷根性の放棄ではなかったか。
その出自によって様々な恩恵を受け、自分よりも貧しい社会階層の人々、あるいは女性たちに比べて、圧倒的に有利な立場、つまりは特権を持つ地位にいる社会階層に属する男性の目線から、主張されたものでしかなかったのではないか。
経済的に困窮した時、フランスに旅行をした時、彼は様々な人々からの支援をうけた。あるいは、父親の軍人恩給、後藤新平から受け取った金、出版社などからの前借りがなければ、大杉の生命維持はできなかったのではないか。そういった経済的援助は、誰もが受けられる支援ではなかった。
病死や餓死の危険がいくらでもあった時代に、そうならなかったのは、彼の特権的地位ゆえではなかったのか。
逆に、大杉は、権力者が作り出した社会のしくみに自分を適合させ、「自我」と「奴隷根性」を持ち続けることで、自らの生命を維持するという生存戦略をとらざるを得ない人々の苦境を論じたことはあっただろうか。
ジェンダーや人種も含めた様々な差別を自覚なく行っている人々が、えてして自己の特権に気がついていないという指摘がある(キム・ジヘ『差別はたいてい悪意のない人がする』2021年)。
自らの特権に無自覚な大杉が書いた自我・生・奴隷根性に関するテキストは、今日、普遍性のあるものとして扱ってはいけないのではないか。
たとえば大杉は、「百合の皮をむく」という極めて観念的な表現で「自我の棄脱」を描いている。だが、これがあらゆる階層と属性の、過去から現在に至るすべての人々に適用可能な普遍性をもっている、あるいは、それらすべての人から理解される、とは到底思えない。
これまで大杉は自らの才能と努力によって「自立」していたかのように描かれてきた。しかし、「ケア」という視点から見れば、そうは思えなくなる。
「僕は自分が監獄でできあがった人間だ」、「一犯一語」で語学を学んだ、と大杉は述べているが、獄中の大杉に書物を運び続けた堀保子がいなければ、このようなことはなかった。苦境にある大杉に金を渡し続けたのは神近市子であり、出版社から金を借りてフランス滞在中の大杉に送っていたのは伊藤野枝である。
堀保子も伊藤野枝も、大杉に対するケア労働を担った。女性たちが食事を作り続けることで、彼の生命は維持された。
大杉は子煩悩で家事や育児もやっていたという証言もあるが、その割合は、堀保子や伊藤野枝のほうが圧倒的に多かったはずである。男性という特権をもつが故に、様々なケアに依存できたことにより「自由」を得ることができた人物、それが大杉栄だった、という視点で、彼の思想と生き方の脱神話化・脱権威化ができないだろうか。
しかし、それは、「百合の皮をむく」ことによってではなく、様々な人々との間のコミュニケーションを通じてのみ可能であろう。
大杉や伊藤が書いたことに違和感を覚え、距離を取る、そのような人々と語り合う。それが大杉らを理解する上でも、アナーキズムを考える上でも、今後100年間で重要な課題の一つである、と私は考える。
(以上、大杉栄らの墓前祭実行委員会発行『沓谷だより』2023年12月16日最終号掲載のものを一部改変)