伊藤野枝「ある女の裁判」考
<序>
田中さんが、 関西アナーキズム研究会にアップされている「自由の自己の道を歩いて行こう 伊藤野枝/大杉栄から読み解く1920年代の女性と社会シンポジウム」の「冒頭挨拶」その並びに文中で推奨されている伊藤野枝の「ある女の裁判」も読みましたので、感想めいたものを以下に記します。
1. 差別的表現について
2. 伊藤の解釈についての疑問点
3. 「女性たちの戦い」ということ
1. 差別的表現について
「女はうつむいたまゝ唖のやうに黙つてしまひました。」 (「ある女の裁判」)
これは私が想起したのは昔、国語教師が「芥川でさえこのような差別的文章を書くのだ」と強い調子で批判したことです。その国語教師は「ろうあ者は、決して黙ってなんぞいない、声に出さずとも彼らはコミュニケーションしているのだ」と。芥川は「唖のように執拗く黙っている」(「羅生門」)と、伊藤と同様の表現を使っています。言うまでもなく今では「唖」自体現代では差別用語ですが、それは時代に鑑みて問わずとしても、言葉に何某かの障がいを抱える人達が「黙つて」いるというのは「健常者」からみた差別的な偏見であることは言うまでもありません。一般人ならいざ知らず、伊藤が人間解放、女性解放をめざすアナーキストというなら、この無自覚さは批判されてもいいかと思います。伊藤には、外界を観察し解釈するということを行いそれをしばしば文章化していますが、その解釈についてはしばしば疑念を生じるものがあると感じています。伊藤の「白痴の母」における、知的障がいを有する息子とその母の健常者目線と似たようなものを「ある女の裁判」にも同じものを見出しました。
2. 伊藤の解釈についての疑問点
さて本文で、伊藤は、窃盗幇助の罪に問われた被告に共感しつつ、裁判の中で裁判官や弁護士たちの言動に着目します。その姿勢は、被告を裁こうとする法システムの中での彼らの真意を見極めようと試みるもので、言表以外に着目するという点については首肯できるものの、しかしながらその解釈には疑問をもたざるを得ないところです。
伊藤の視点からですが、被告に同情的にみえる裁判官が望むように盗品を「預かった」と言えない被告に対して、裁判官は何度も「預かった」ことをうながすわけです。これを伊藤は疑問に感じます。
「『預かつた』と云ふ事をハツキリ認める事は、即ち自分が罪に堕されるのだと云ふ解釈をして、それも先まづ、自分の意志が決して預るつもりではなかつたのだと云ふ事を極力主張したいのだと思ひます。けれども、悲しい事に無智な彼女は、その自分の意志に反して起つた事実を承認する為めに必要なその説明を裁判長にハツキリとする力がないのです。」
(同文)
伊藤の解釈によれば、罪から免れるために被告は、「預かった」と言いたくないのだが、「無智」な被告は、裁判長に対して説明能力に欠けるのだと断定いたします。「無智」とは字義どおりに取れば「知識や知恵がないこと」ですが、果たしてそうなのでしょうか。
その後の伊藤の興味は「預かった」と言えない被告自身ではなく、裁判官や弁護士に移っていくのです。「ところで、あの聡明な裁判長、あの同情ある態度を見せてゐる裁判長がどうして此の被告の心理に対して無関心でゐるのでせう?」そしてこう結論付けます。「あの人情深い親切な態度はあのO判事の本当の人格のあらはれで、あの意地の悪い訊問振りは、無意識の間に染みこんだ職業的な一種の慣れがあゝ云ふ半面を形造つたのだと――。」つまり、裁判官は被告に対しては同情的ではあったが、その彼が、執拗に被告に訊問したのは、「職業的慣れ」からくるものだろうというわけです。同情はあった、しかし謂わば職業病がそれを妨げ冷淡な態度を取らせたんだというわけです。
それよりも伊藤が気にしたのは弁護士、とりわけその態度です。今度は裁判官とは異なりその野卑な態度に伊藤は嫌悪感を示します。
「彼は肥つた五十がらみの男で、その声、その体つき、すべてがどちらかと云へば普通の意味での紳士らしい品位からは遠い男のやうに見受けられました。実はもう彼が起立した時に私は彼に失望したのかもしれません。」「その勿体もったいぶつた、そのくせに芝居がゝりな態度が野卑な調子を帯びた声と一しよに、私に彼がどんな低級な頭の持主であるかと云ふ事を思はせました。」 (同文)
しかし伊藤が嫌った「低級な頭の持主」である弁護士はこう被告を弁護します。
「此の被告がですな、犯罪の意志がなかつたにも拘はらず、何故結局は犯罪行為をしなければならなくなつたかと云ふ点について、大いに裁判長にお考へを願はねばならぬと思ふので御座います。」
「裁判長、よくお考へ下さい、被告は弱い女です。警察の調べなんかで見ますと、随分図々しい女のやうにも書いてありますけれど、被告は決してそんなに図々しい強情つぱりではないやうに思ひます。」 (同文)
弁護士は警察によって捉えられた被告像も打ち消しながら、さらに続けて、
「かりに少々図々しい女と致しましても矢張り女は女です。一方の男は、泥棒をしたりその他悪い事を悪いと思はず平気でやる奴です、仕様のない奴なのですから、女の方は叶かなふ筈はありません。」
「悪い奴がはひつて来た、と此の女が思ひましても、『お前さんの為めには迷惑した、とつとゝ出て行つておくれ』とは此の女には云へやしません。」
「十年前に亭主のある女を弄もてあそんでおいて、その上に四ヶ月も懲役にぶち込むやうな迷惑をかけておいて、それで久しぶりだ、でノコ/\はいつてこられるもんぢやありません。それを何んとも思はずに、亭主の留守にズウ/\しくはひつて来るやうな奴です、気に入らん事を云へば何を仕出かすか、しれたもんぢやありません。そいつが品物を出して、『預つてくれ』と云ふ、『もう先に一度お前さんのものを預つて迷惑した事があるからお断りする』と云つても、たつて置かれゝば、此の女にはそれを押し返していやだと云ふ事は出来ません。そのうちに男は帰つてしまひます、後どうしていゝか分りやしません。」 (同文)
被告に物を預けた男が一般人ではないプロの犯罪者で質の悪い人間だ、そのような男に、弱い女性である被告が抗いようもない、ということを的確に指摘します。しかし伊藤はそれに対してその弁護内容の是非は問わず、ただ「彼は反身そりみになつていやに勿体ぶつた態度をしながらも、その態度とはまるで違つた斯う云つた、うすつぺらな調子でベラベラとまくしたてるのでした。」と、嫌悪感を示したまま放り投げたように本文を終えています。私は弁護士は態度とは裏腹に被告をよく弁護したのではないかと思いました。
日本の裁判の近代化は、1908年(M41)を以て時の司法大臣の指示により、刑事裁判の性質が一変したといわれています。「改正刑法の主眼とする所は、犯人の性格に鑑みて刑を量刑するにあり」と、人格主義を採用するに至ったわけです。江戸時代や明治期の旧刑法の「おまえは、一体どのような『犯罪』を行なったのか?」から、「このような犯罪を行なったおまえは、一体『何者』なのか?」という形式に代わっていくわけです。
その観点からすると、この裁判の一連の流れもそれに順じたものと言えましょう。裁判官が被告を厳罰に処したいわけでもなく伊藤も述べているようにむしろ同情的に見えます。弁護士に関しても被告人に対して職務を怠ったわけでもないことがその弁護内容からわかるかと思います。にも関わらず伊藤は、裁判の進行に不満をもちます。おそらくは、答弁に窮している被告を憐憫してのことなんでしょう。しかしながら一方で伊藤は、被告は、「分別なく」「抵抗力がなく」「思慮がなく」と自らの危機を自力で切り開く能力がないと断じながらただ被告に同情し詠嘆します。
「若しも女がその林谷蔵と云ふ男に対して充分抵抗が出来るものならば彼女は断然そんな品物を置かないでせう。もしまた少し分別があれば、怪しいと思へば、その品物を届け出て自分を犯罪行為から救ふ事も出来るでせう。けれどもそれ丈だけの抵抗力がなく、思慮がなく、その上またそれをしてあとで、法に対しては自分の潔白を証拠立てる事が出来ても、法律の制裁よりは、もつと恐ろしい危険が直ぐにも迫まつて来ると云ふ予想をしない訳にはゆかないと云ふ事も有り得る事ではないでせうか。さう云ふ犯罪行為にまで彼女を逐おうて行つたいろんな事情が、彼女に切ないものであればある程、彼女がどんな気持ちでこの求刑を受けてゐるであらうかと云ふ事を、私は考へずにはゐられませんでした。」(同文)
なればこそ、伊藤は裁判官や弁護士は無智無力な被告に配慮する態度をとるべきだとでも言いたいのでしょうか。あるいは、当時の女性である被告の置かれている困難な社会状況を記述してみせたんだ、というわけなのでしょうか。ただそれならば、被告の心理に迫る考察をするか、あるいは自ら被告を追いかけてインタビューでもし、もっと掘り下げるべきだとはおもうのですが、ここでそれを言っても始まらないので、私が無理を承知で考えてみました。
被告の心理に迫ろうとすれば成育歴、家族歴などが本来様々な資料が必要なのですが、生憎そのようなものは存在しないので伊藤の残した文章から類推するしかないのですが、まず裁判官が繰り返し求めた「預かった」ということを何故言えなかったかですが、それは弁護士が言うように、「矢張り女は女」に集約されているかと思います。これは単に物理的に非力であるということを意味しているだけではなく、当時の「女」という属性がどのようなものであったかということが手掛かりになるかと思います。
いうまでもなく明治政府は日本の近代化(資本主義化)をそのレゾンデートルとしたわけですが、天皇を頂点に頂く権威主義国家としては、近代化に不可避の個人主義流入に対応せざるを得ず、そこで徳川幕藩体制下での「家」制度をリニューアルして用いようとします。民法(家族・親族法)成立(1898)がその嚆矢となったわけです。民法親族編では、冒頭で親族を規定、次に戸主の権利・義務を明記し、戸主の義務に比し権利は多方面にわたり、特に女性のあらゆる生活を規制する権利が保障された。つまり女性は戸主(父)の名のもとに「家」に従属する存在となったわけです。それは法律だけではありません。その後、女性が最も尊ぶべきもの「女徳」(後「婦徳」と改められる)と言われるモラルが提唱され、「女徳」は女性に欠くべからざるもの「貞節」と「嫁の努め」で、この資質をもたぬ者は断じて女性とはいえぬと断定、婚姻関係を結ぶものには不可欠のものなのだと言われるようになります。
被告は、過去良人を裏切り犯罪者と関係したわけで、「女徳」に欠ける妻になるわけです。そして今問われているのはさらに犯罪にまで関与したということを認めがたいということは言うまでもないでしょうか。いやそもそもこういう国家によって設定された環境下でとりわけ女性は、独立した自我の持ちようもないはずです。それらを含めた上での、「矢張り女は女」という弁護士の言があったかと思います。
また反対に裁判官のたびたびの質問は、初めて被告が、自我を問われたことになるかと思います。「預かった」のも、望んで行なったものなのか、嫌だったから強いられたものなのかそれまで問われたこともなかった被告自身判然としないのも当然かと思います。それを答えられない事情については理解を示しつつもそれが「無智」「分別なく」「抵抗力がなく」「思慮がなく」と断定的に言うのは、伊藤も裁判官と被告に対する理解や態度は大差ないことがわかります。「大したことじゃないお前が預かったと認めるだけでいいんだよ」と言わんばかりの裁判官、「『事情を汲みわける事の出来ない裁判官』に反感若しくは不満を感じて口をつぐんだのです。」という伊藤、「男のましてや悪党に女が断れんでしょ」という弁護士。三者とも被告の真意を深く考えないままに断定的に判断してしまっている点では、同じかと思います。ただ、裁判官と弁護士は、法律という狭い枠組みで考えている訳なので零れ落ちる点があるのは当たり前なのに比して、伊藤の方は自由に考察できる立場にありながら、やはり狭量な考察に留まっているのは甚だ疑問に思います。
だから被告の本心は「ある女の裁判」では、何も明らかにされていないのです。例えば良人より関係した悪党の方に魅力を感じ、良人へ罪悪感を感じながら「預かった」のかもしれません。あるいは、「女徳」教育が、無意識的に男性に従うことと良人に従うこととの間に葛藤を生じたのかもしれません。あるいはしたたかに罪を免れる値踏みをしながら考え考えしながら答弁していたのかもしれません。そのような去来する複雑な心理的葛藤や被告の在り様が、法的枠組みの中で問いかけに「答えない」に反映していたと考えられるのではないでしょうか。
なので伊藤が一方的に自分と重ね合わせ「同情」した気でいるのもおかしい気がします。
3. 「女性たちの戦い」ということ
当該シンポジウムでは、「存在しないとされていた人」の戦いと位置付けているようですが、それには一番疑問をもちました。それは一部インテリや活動家たちが勝手に「存在しないと」思ってただけではありませんか、あるいは伊藤のように思い込んで理解していただけの人がいたというだけのことではないのですか。それを伊藤によって初めて「存在」させられたとでも言うのでしょうか。大変烏滸がましいとおもいます。
しかも今度は「女性たちの戦い」というラベルを貼り付けてです。「軍神の母」というラベリングと大差ないじゃないかと思います。対象となっている人たちは、自覚して運動でもやっているならともかく、名もなき市井の人が普通に生きているだけのことです。もちろん裁判や事件が起こらなかったとしてもその道のりにどれ一つとして平坦なものはないのは当然のことです。今まで彼女彼らを無視してきたというなら、彼女彼らの生き方から直接学ぶべきで、伊藤のような解釈者は無用なのではないでしょうか。
以上