幸徳事件の秘密裁判で日本政府は幸徳秋水一派が「二重橋に迫り明治天皇を殺して、社会革命を企てた」と判決し、世界を偽って明治44年(1911)1月24、25の両日に12人の男女アナキストを市ヶ谷監獄の絞首台(今の新宿区富久町の富久児童遊園の東南隅)で次々に縊り殺した。
当時私は19歳で、内幸町の日本エスペラント協会の無給書記として宿泊し、築地活版の欧文工見習いだった。
夜はブース大将の創立した救世軍の本営が銀座三丁目の天狗タバコの隣にあってそこの銀座小隊の兵士になり、あの辻で角あんどん、たいこ、クラリネットで「神の恵み、主イエスの愛」という軍歌を歌い、辻説教をやり、廃娼運動、水害救援、年末の慈善鍋の募金にも献身していた。
小隊長はモントゴメリー中将というイギリス女で、紺服赤リボンの軍装でタンバリンを振り回す。同志社女学校出身の出口なかという妙齢美人の流ちょうな通訳だから聴衆の中から「アイ・ラブ・ユー」なんてやじまで飛んだ。
山室軍平がまだ大佐で時々銀座小隊でも説教した。彼の著「平民の福音」は名文だった。彼の18番の「神は愛なり」という雄弁な説教に人はつり込まれた。
その下の矢吹少佐が説教のなかで「幸徳秋水の最後に立ち会った人から聞いたが幸徳の態度は誠に見苦しかったそうです。無神無霊魂を唱える者には当然のことである・・・」といったのに僕は強く刺激されて、この事実を調べてみたい気になった。
ちょうどその頃、工場で僕の隣の仕事台へはいってきた熟練工の原田新太郎君が僕の救世軍の帽子を見て話しかけてきた。はじめはいつもの手で「あかし」といって兵士が信仰の経験を話したり「すなどり」といって聴衆の中のめぼしい人に近づいて勧誘をして悔い改めの祈りをさせるあの要領でやったが、原田君は舌鋒鋭く「猛者」と自信していた僕もたじろいだ。
「国家の権力をどう思うか」と切り出されて、僕は聖書に「権力を持つ者になんじら従うべし。それはすべての権力は神より出でてなればあり、とある」と答えたが、たちまちやり込められてしまった。
その筈で原田君は幸徳一派の残党だったのだ。ひそかにかしてくれた「パンの略取」や平民新聞などを見せてもらって僕はむさぼり読んで感激した。
続いて大杉栄が出獄したのでエス文の手紙で打ち合わせて原田君とともに密会してアナキズムの話を聞き、次に横浜の日曜学校をやっていた石川三四郎と渡辺政太郎も同席であって、神やキリストの問題について教えられた。
当時、四面楚歌のなかで厳然と主張を曲げず、幸徳らの無政府主義を信奉するこの人々が、みな神を信じないで正義と自由のために生命を投げ出して戦っているのを見て僕は断然決心した。
次の銀座小隊の兵士会で僕は壇上に立ち、「今夜限り僕はキリストと別れて、幸徳秋水の後に続くアナキストになるのだ」と宣言した。女の士官や兵士は泣き出し、「この兄弟は悪魔のとりこになりました。おお神様、彼をキリストに戻るように助けてください」と祈った。
悲痛なその声をあとにして僕は暗い銀在の柳の下を力強く立ち去った。
あれからもう50年になる。
山鹿泰治「大逆事件の影響―救世軍がアナキストに転向―」『クロハタ』第49号、1960年1月1日、3頁(『戦後アナキズム運動資料』2,緑蔭書房、1988年、199頁)より。
2018年8月18日土曜日
2018年8月15日水曜日
戦争抵抗者インターナショナルによる「いくつかの原則に関する声明」(1925年)"Statesment of Principles" by the War Resisters's Internaitonal adopted at Hoddesdon Conference in 1925
参考:日本のWRI
(Devi Prasad, War is a Crime against Humanity, The Story of War Resisters' International, War Resisters' International, 2005, pp.99-100yより)
以下の声明は、1921年にオランダのビルトホーフェンで開催された最初の国際会議で採択され、1925年にイギリスのハジダンで開催された会議で修正されたものである。
戦争は人類に対する犯罪である。戦争は生命に対する犯罪であり、人間の個性を政治的および経済的目的のために利用する。
以上の理由から私たちは、強い人類愛に突き動かされ、戦争に対するいかなる支援もしないことを決意するものである。
この支援のなかには、陸海空のあらゆる軍隊に従軍する、という直接的なもの、武器・軍需物資の製造、あるいは、武器・軍需品とわかっていながらそれらの物資を何らかのかたちで取り扱うこと、軍事公債の購入、さらに、他者の自由を奪い従軍させる、そのようなことを、自らの職業上の業務として遂行するといった間接的なものも含まれる。およそ現代の戦争というものは、いかなる性格のものであれすべて「これは防衛的なものだ」と政府が言い立てるものでしかないことが想起されるべきである。したがって我々は、どのような性格のものであっても、あらゆる戦争に対して支援をしないことを決意するのである。
戦争は、以下の三つの要素から構成されているように思われる。
(a)国家を防衛するための戦争。私たちは、名目上は、国家に所属している。そして、そのような国家の中に私たちの故郷がある。そのため、国防という目的のために武器を取ることを拒絶することは困難である。それは以下の理由からである。
1.国家はあらゆる強制力を行使して私たちに武器を取らせる。
2.我々は生まれながらにして故郷に対する愛情を持っているため、この故郷に対する愛情と、故郷がその中にある国家に対する愛情というものとを、あたかも一体のものであるかのように思い込まされている。
(b)既存の社会秩序を守るための戦争。この戦争は、特権を持つほんのわずかな連中の安全を守るためのものでしかない。いうまでもなく、われわれは、このような戦争のためには決して武器を手にすることはない。
(c)抑圧されたプロレタリアートのための戦争。プロレタリアートの解放のためであれ、彼らの防衛のためであれ、この目的のために武器をとることを拒否することは、最も困難である。それは、以下の理由からである。
1.プロレタリアートによる政治体制、さらには革命の時期において大衆が政権に関与している場合、この新秩序を軍事力によって支援することを拒絶すれば、その人物は裏切り者と見なされてしまう。
2.困窮し抑圧されている人々に対する本能的な愛情を持っている人々は、彼らの側に立って暴力を行使する誘惑にかられる。
しかしながら、我々は、秩序の保持、故郷の防衛、さらにプロレタリアートの解放に暴力が実際には何の役にもたたないと確信するものである。
実際、秩序、安全、自由というものが、あらゆる戦争の中で跡形もなく消滅する、ということは、私たちが経験してきたことである。
プロレタリアートは、そういった戦争から利益を得ることなど全くないばかりか、常に最大の被害を受けてきている。
したがって、首尾一貫した平和主義者は、戦争に対して消極的であるだけという立場に甘んじることなく、戦争を引き起こすあらゆる原因を除去することの重要性を認識するとともに、そのために努力しなければならないと確信しているのである。
我々は、戦争の原因を、利己主義や貪欲といった、あらゆる人間にそなわった本能にだけではなく、人間集団の間での憎悪や対立を作り出すあらゆる要素にあると考えている。そのような要素の中でも我々が今日、極めて重要と見なすのは、以下のものである。
1.人種の相違。これは、妬みや憎悪といった感情を人工的に強化することにつながる。
2.宗教の相違。これは、相互の不寛容と侮蔑の感情を増幅することにつながる。
3.階級の相違。豊かな者と貧しい者の間の相違は、内戦をもたらす。この状況は、現在の生産システムが存在し続け、私有財産が社会的な必要な資材よりも社会にとって重視し続けられる限り変わらない。
4.諸国民の相違。この相違を作り出す要因は、現在の生産システムによって生み出されている。この違いが、私たちが現在見ているように、世界戦争をもたらし、経済的な混乱をもたらしている。私たちは、全人類の福祉を目的とした世界経済体制の樹立によってこのような状況を阻止することができると確信している。
5.最後に、私たちは国家について広くいきわたっている誤解が戦争の原因として重要であると考えている。国家は人間のために存在するのであって、人間が国家のために存在するのではない。しかし一般には、人間が国家のためにあるなどと思われている。個性をもった個人の尊厳を承認することが、人間社会の基本的な原則でなければならない。さらに言えば、国家とは、絶対的かつ完璧な統一体などではない。すべての民族と同様、偉大なる人類という家族の一部であるに過ぎない。したがって我々は、首尾一貫した平和主義者として、単に武器を取らないという消極的な立場にとどまってはならない。我々は、階級を含めた人々の間にあるあらゆる障壁を廃絶し、相互扶助を基礎とする世界規模の団結を創造するために献身しなければならないのである。
2018年8月5日日曜日
2018年8・6集会のスケジュール Schedule of August 6th Anarchist Gathering
1. 7時30分頃~ 原爆ドーム周辺で情宣
2.10時~ デモ 集合場所:相生橋東詰(原爆ドーム前駅下車)
3.13時~17時 広島市内で集会
参加の場合、詳細については、本日中に、以下に連絡を:joh.most@gmail.com
2.10時~ デモ 集合場所:相生橋東詰(原爆ドーム前駅下車)
3.13時~17時 広島市内で集会
参加の場合、詳細については、本日中に、以下に連絡を:joh.most@gmail.com
2018年8月3日金曜日
2018年8・6集会 資料8 「農村青年社をめぐる断章」Material No.8 for August 6th Anarchist Gathering in Hiroshima: "Considering on Anarchist Agrarian Youth Society in 1930's"
よのすけ「農村青年社をめぐる断章」『広島無政府新報』第37号、1986年1月、1-3頁。(一部改変)
過日われわれは「農村青年社」の思想と運動を「農村青年社」のメンバーであられた和佐田氏より聞く小集会を催した。
われわれが意図したものは、現代へと継承するべきその志向性とともに、実践を踏まえた行動への足がかりを模索するためのものであった。
「農村青年社」の運動は世界的なる大恐慌と天皇制ファシズムの本格的なる台頭を迎えた1930年代を舞台として展開されている。
この時期は無政府主義運動が混迷から退潮へと向かう時期に当たっており、当時の無政府主義戦線の一定の批判の上に立って遂行されたもので、それらはフランス・サンジカリズムを掲げるサンジカリズム派と八田理論の一面的解釈に基づく当時の黒連を中心とした純正派をともに否定する地点から出発して、「無政府主義革命」を視野に入れたところの革命的運動であった。
両派の否定的出発点としてあり、「農村青年社」の無政府主義革命の基軸に据えられたのが、「農村」を基盤とした「革命的地理区画」=自由コミューンの獲得、それらを網状的に連合した無政府主義社会の建設である。
「農村」を基軸に据えたということは、単なる当時の時代的背景および産業構成上の観点からするところの戦略的発想のみからで出たものではないということが重要なるポイントになってくるといえる。
これらは資本制生産様式そのものから外化されているが故に、逆にこの資本制生産様式に拘束されずに、最低限の自活が可能であるという前提があり、この前提の上に立って所与の農村を意識的に権力の支配網から分離するという工作と併用して、農村における一村をまるごと変えてゆくために状況に合わせたプロパガンダがおこなわれ、これらを主体的に担った村の青年層を通じて浸透させてゆき、最終的には一村を完全なる独立単位=自由コミューンとして確立してゆくという形態を取っている。
そしてこれらの農村を基軸として、小規模産業の形成=都市労働者の移住という形で、農・工連合を<国家・総資本>と対峙する形で構想していたとのことである。
さらに都市の無政府主義者については、<都市>の焼き討ちによる<都市機能>の解体、最終的には<都市>の消滅という作業が与えられていたということである。
このように見てゆく中で、「農村青年社」の思想と運動形態がある面において、当時の状況=1930年代に非常に拘束されながら、ある面においては現代へと継承してゆくべき重要なる視点を提供している部分として、われわれ自身そこからいくつかの教訓なり指針を引き出してみたいと考えている。
第1番目には<場>―<地域>を具体的に設定してそこへの基盤を固めていったということが大きい。
当時においては<農村地帯>が元気となっているが、これらは現代においては資本制制生産様式が完全に上げ底化されていない部分を<場>として設定し、<地域>として獲得してゆくための重要なポイントになってくる部分と思える。
さらに<農村青年社>において<農村>が、<生産単位>の原基として押さえられているということ。
これらの視点は、従来<労働>を中心として組織されていた枠組みを、<生活>を中心としてその中に<労働>としての組織を組み込んでゆく、という、いわば<生活>の原基から<労働>組織形態を捉え返し、<場>―<地域>そのものの中で、<労働>の組織形態を再構成し、<生活>―「労働」という構成と<場>―<地域>という構成そのものを、われわれの内において奪取し、権力の支配網からの分離を図っていく。
それらはコミューンと呼ばれる原基をなすものであるが、<生産単位>としての<賃労働―資本>のサイクルからの分離として捉えられるものであり、このような視点から見てゆくと、いかに<生産単位>としての組織形態が多く存在し、<生活単位>としての組織が分断され、<国家―総資本>の網の目の中に捉えられているかわかろうというものである。
第2番目においては、既存の組織のある部分、これらはいつの時代でも<青年層>になってくると思えるのだが、いかにして働きかけその共闘関係を形成してゆくかという戦術上の問題である。
かれら「農村青年社」のメンバーは当時の村の指導的青年層に対して強力なるインパクトを与え、また、青年層自らが変革してゆくという意識を賛助しておこなった。
具体的には村の会報に「農村青年」という機関紙の内容を転載することによって、そのイズムを浸透させていったということである。
これらはいかに切実にその要点を捉えていたかを物語るものといえるであろう。
現代においても、このような視点からのアプローチは求められており、さまざまなる闘いを展開する上において、一つの重要なる指針となるものといえるものである。
第3番目は、無政府主義者自身に直接関わってくる問題であるところの<組織>に関するものである。
彼ら「農村青年社」は、既存のグループを<結成>主義として批判し、自らの組織原理を<自主分散>組織として規定していっている。
それらは自らが主体的に働きかけることによって、自ら組織化してゆくというものである。
それらは最悪の場合には、おのれ一人でも活動を遂行してゆくという想定の下に語られている。
この組織の前提には、強固なるこの存在、その個を中心として他の個的存在との連合を計るという、いわば<自由連合>の最も原基的部分の再定義であり、この部分をあえて<革命グループ>としての「農村青年社」が発せねばならなかったということは、無政府主義者としての主体性の欠如がいかに進行していたかを如実に物語るものであり、それらは現代においても連綿として引き継がれてきているものといえる。
<組織>においては個が主体となり、グループが生じさらに<地域>での活性化、そして最終的には全国規模での連合体という形態となりうるのが望ましいと思える。
これは過去においても現代においても最も欠如している部分は<地域>ではないだろうか。
個→グループ→全国という形で形成されてきた幾多の無政府主義者のグループにとっても、「農村青年社」が批判している<存在>無政府主義者ということばを実質的意味で克服し得た部分は今だ存在していないといえるであろう。
その意味でも<存在>無政府主義者から<地域>を拠点とした無政府主義者としての契機をいかにして捉えてゆくかという問いに対しても、「農村青年社」の活動の足跡をかえりみてゆき、そこから汲み上げるべきものが多くあるといえる。
<コミューン>と<国家>の問題について、和佐田氏は一村総武装という形にて答えておられた。
この総武装ということは、あくまでも<国家権力>に対するコミューンの防衛という観点からであり、この面での参考は、ロシア・アナキストのパルチザン論、マフノの戦いから想定できうると思える。
最後に、総論的にいえば、当時の「農村青年社」のごとく、<場>―<地域>を所与として受け入れ革命の礎としていくという戦略がストレートにとりがたくなってきていることは事実である。
<場>―<地域>とも<国家権力―総資本>によって完全に包含されている現実の中で、われわれとしては所与としての<場>―<地域>を相互批判による活性化により、再度<場>―<地域>を捉え返すという作業から取りかかり、意識化としての<場>―<地域>の奪還―分離を図るという過程の中から、不可視としてのコミューンの形成を図ってゆくということをなしてゆく必要があると思える。
過日われわれは「農村青年社」の思想と運動を「農村青年社」のメンバーであられた和佐田氏より聞く小集会を催した。
われわれが意図したものは、現代へと継承するべきその志向性とともに、実践を踏まえた行動への足がかりを模索するためのものであった。
「農村青年社」の運動は世界的なる大恐慌と天皇制ファシズムの本格的なる台頭を迎えた1930年代を舞台として展開されている。
この時期は無政府主義運動が混迷から退潮へと向かう時期に当たっており、当時の無政府主義戦線の一定の批判の上に立って遂行されたもので、それらはフランス・サンジカリズムを掲げるサンジカリズム派と八田理論の一面的解釈に基づく当時の黒連を中心とした純正派をともに否定する地点から出発して、「無政府主義革命」を視野に入れたところの革命的運動であった。
両派の否定的出発点としてあり、「農村青年社」の無政府主義革命の基軸に据えられたのが、「農村」を基盤とした「革命的地理区画」=自由コミューンの獲得、それらを網状的に連合した無政府主義社会の建設である。
「農村」を基軸に据えたということは、単なる当時の時代的背景および産業構成上の観点からするところの戦略的発想のみからで出たものではないということが重要なるポイントになってくるといえる。
これらは資本制生産様式そのものから外化されているが故に、逆にこの資本制生産様式に拘束されずに、最低限の自活が可能であるという前提があり、この前提の上に立って所与の農村を意識的に権力の支配網から分離するという工作と併用して、農村における一村をまるごと変えてゆくために状況に合わせたプロパガンダがおこなわれ、これらを主体的に担った村の青年層を通じて浸透させてゆき、最終的には一村を完全なる独立単位=自由コミューンとして確立してゆくという形態を取っている。
そしてこれらの農村を基軸として、小規模産業の形成=都市労働者の移住という形で、農・工連合を<国家・総資本>と対峙する形で構想していたとのことである。
さらに都市の無政府主義者については、<都市>の焼き討ちによる<都市機能>の解体、最終的には<都市>の消滅という作業が与えられていたということである。
このように見てゆく中で、「農村青年社」の思想と運動形態がある面において、当時の状況=1930年代に非常に拘束されながら、ある面においては現代へと継承してゆくべき重要なる視点を提供している部分として、われわれ自身そこからいくつかの教訓なり指針を引き出してみたいと考えている。
第1番目には<場>―<地域>を具体的に設定してそこへの基盤を固めていったということが大きい。
当時においては<農村地帯>が元気となっているが、これらは現代においては資本制制生産様式が完全に上げ底化されていない部分を<場>として設定し、<地域>として獲得してゆくための重要なポイントになってくる部分と思える。
さらに<農村青年社>において<農村>が、<生産単位>の原基として押さえられているということ。
これらの視点は、従来<労働>を中心として組織されていた枠組みを、<生活>を中心としてその中に<労働>としての組織を組み込んでゆく、という、いわば<生活>の原基から<労働>組織形態を捉え返し、<場>―<地域>そのものの中で、<労働>の組織形態を再構成し、<生活>―「労働」という構成と<場>―<地域>という構成そのものを、われわれの内において奪取し、権力の支配網からの分離を図っていく。
それらはコミューンと呼ばれる原基をなすものであるが、<生産単位>としての<賃労働―資本>のサイクルからの分離として捉えられるものであり、このような視点から見てゆくと、いかに<生産単位>としての組織形態が多く存在し、<生活単位>としての組織が分断され、<国家―総資本>の網の目の中に捉えられているかわかろうというものである。
第2番目においては、既存の組織のある部分、これらはいつの時代でも<青年層>になってくると思えるのだが、いかにして働きかけその共闘関係を形成してゆくかという戦術上の問題である。
かれら「農村青年社」のメンバーは当時の村の指導的青年層に対して強力なるインパクトを与え、また、青年層自らが変革してゆくという意識を賛助しておこなった。
具体的には村の会報に「農村青年」という機関紙の内容を転載することによって、そのイズムを浸透させていったということである。
これらはいかに切実にその要点を捉えていたかを物語るものといえるであろう。
現代においても、このような視点からのアプローチは求められており、さまざまなる闘いを展開する上において、一つの重要なる指針となるものといえるものである。
第3番目は、無政府主義者自身に直接関わってくる問題であるところの<組織>に関するものである。
彼ら「農村青年社」は、既存のグループを<結成>主義として批判し、自らの組織原理を<自主分散>組織として規定していっている。
それらは自らが主体的に働きかけることによって、自ら組織化してゆくというものである。
それらは最悪の場合には、おのれ一人でも活動を遂行してゆくという想定の下に語られている。
この組織の前提には、強固なるこの存在、その個を中心として他の個的存在との連合を計るという、いわば<自由連合>の最も原基的部分の再定義であり、この部分をあえて<革命グループ>としての「農村青年社」が発せねばならなかったということは、無政府主義者としての主体性の欠如がいかに進行していたかを如実に物語るものであり、それらは現代においても連綿として引き継がれてきているものといえる。
<組織>においては個が主体となり、グループが生じさらに<地域>での活性化、そして最終的には全国規模での連合体という形態となりうるのが望ましいと思える。
これは過去においても現代においても最も欠如している部分は<地域>ではないだろうか。
個→グループ→全国という形で形成されてきた幾多の無政府主義者のグループにとっても、「農村青年社」が批判している<存在>無政府主義者ということばを実質的意味で克服し得た部分は今だ存在していないといえるであろう。
その意味でも<存在>無政府主義者から<地域>を拠点とした無政府主義者としての契機をいかにして捉えてゆくかという問いに対しても、「農村青年社」の活動の足跡をかえりみてゆき、そこから汲み上げるべきものが多くあるといえる。
<コミューン>と<国家>の問題について、和佐田氏は一村総武装という形にて答えておられた。
この総武装ということは、あくまでも<国家権力>に対するコミューンの防衛という観点からであり、この面での参考は、ロシア・アナキストのパルチザン論、マフノの戦いから想定できうると思える。
最後に、総論的にいえば、当時の「農村青年社」のごとく、<場>―<地域>を所与として受け入れ革命の礎としていくという戦略がストレートにとりがたくなってきていることは事実である。
<場>―<地域>とも<国家権力―総資本>によって完全に包含されている現実の中で、われわれとしては所与としての<場>―<地域>を相互批判による活性化により、再度<場>―<地域>を捉え返すという作業から取りかかり、意識化としての<場>―<地域>の奪還―分離を図るという過程の中から、不可視としてのコミューンの形成を図ってゆくということをなしてゆく必要があると思える。
2018年8・6ヒロシマ集会 資料7:「黒旗はただ腹巻きに隠し持って」Material No.7 for August 6th Anarchist Gathering in Hiroshima: "I will keep my black flag hidden inside of my shirts"
芹沢康「黒旗はただ腹巻きに隠し持って―新編集部にわかって欲しい事―」『自由意志』第73号、1995年6月20日、4-5頁。
(一部を抜粋。文字・表記など一部改変)
・・・それは、あの8・6広島集会の初回のことだったと思う。今同様その集会の趣旨は今ひとつピンと来るものではなかったのだが、一応全国からその筋の面々が参集するというので足を運んでみた。
さて、とりあえずも形どおりの室内集会が終わって、いよいよこれからデモに出発しようという段での話である。「はてコールをどうしようか?」ともめたことがあった。そのとき私は「いっそ黙って行進したほうがボロも出ないしオッカナそうでいいんじゃない」と提案し、アッケなく退けられたわけであるが・・・
要はアナキストたる自己規定が、そして、ましてや他者に向けての自己表明が己のプライドを十分に満たしうるか否かの問題としてまずはある。それがままならず、下手な小出しの手法で恥をかくくらいならば、いっそ黙っていたほうがまだましだということだ。
これを単なる自己満足の問題としてやり過ごしはしないでもらいたい。
なぜなら、そもアナキストという選択とはあれこれの社会制度をめぐるユートピア願望の課題ではなく、そのように生きたいという、生き方死に方を問う一つの指標なのだから。
つまりはカッコ良く生きる人生選択の問題にほかならない。
・・・「さすがアナキスト」と人をして言わしめる身の振る舞い、ことばの運びこそが絶えず問われるのだ。
そう「さすが」という前置詞がついてこそ初めてアナキストという語は文法上、正しい表記となるぐらいに考えておけばちょうど良いだろう。
したがって、そこにあって「カッコ良さ」というのはいたって重要なメルクマールとなるのだ。
では、何がどうなれば一体「カッコ良く」なれるのか、という事だ。
もっとも、こういう設問のしかたをすると、それを、各人の美意識(考え方)の幅にしたがってむちゃくちゃに拡散し、もって、そうした価値相対主義こそがアナキズム=自由意志であるなどという輩が必ず登場してくるのだが、そんな単なる物わかりの良さに終始していたならば、いつまでたっても「カッコ良さ」は実現しはしないであろう。
そこで5年前のあのとき、私は少々乱暴にも次のような物言いで、かかるアナキストの「カッコ良さ」について一刀両断的に語りきったものだ。
「三度の飯よりケンカが好きで、権力に傷を穿つことに無上の喜びを感じてしまう人間。よって、その結果として制度の道をずれ、無頼を張っている人。他はない」と・・・。
・・・いずれにしてもアナキストとはアナーキーという独自の「カッコ良さ」をキーワードとして成立する人生選択上の概念(モデル)の意である。・・・つまり「カッコ良く」生きなければアナキストではない!・・・・
あの広島での「いっそ黙っていたほうが良い」というのは今にひきつぐ私の基本的考えだ。
いつの日かカッコ良く決められるまで「アナキスト」の金看板は絶対御法度にするべきである。
内容もないくせにやたら黒ずくめのチンドン行列ばかりひけらかしたがるどこぞのボッチャンたちにはホンマ勘弁してほしいワ(まあ、連中ばかりじゃないけどネ)。
きちんと”カッコ”にこだわるならばアナキストになれる瞬間なんていわば人生のロイヤルストレートフラッシュ。一生のうちそう何度もやってくるものじゃない。
無論、私自身も含めてまったく「アナキストなりがたし」である。
そうである以上、普段はただただポーカーフェイス。
黒旗はせめて腹巻きに隠し持ってこそふさわしいというものだ。・・・
【追記】原稿を引き受けた直後に例のオウム事件の報道ラッシュが始まった。イノウエサン、カッコイイ。またしても先を越されたな、という思いでテレビに釘付け。
(一部を抜粋。文字・表記など一部改変)
・・・それは、あの8・6広島集会の初回のことだったと思う。今同様その集会の趣旨は今ひとつピンと来るものではなかったのだが、一応全国からその筋の面々が参集するというので足を運んでみた。
さて、とりあえずも形どおりの室内集会が終わって、いよいよこれからデモに出発しようという段での話である。「はてコールをどうしようか?」ともめたことがあった。そのとき私は「いっそ黙って行進したほうがボロも出ないしオッカナそうでいいんじゃない」と提案し、アッケなく退けられたわけであるが・・・
要はアナキストたる自己規定が、そして、ましてや他者に向けての自己表明が己のプライドを十分に満たしうるか否かの問題としてまずはある。それがままならず、下手な小出しの手法で恥をかくくらいならば、いっそ黙っていたほうがまだましだということだ。
これを単なる自己満足の問題としてやり過ごしはしないでもらいたい。
なぜなら、そもアナキストという選択とはあれこれの社会制度をめぐるユートピア願望の課題ではなく、そのように生きたいという、生き方死に方を問う一つの指標なのだから。
つまりはカッコ良く生きる人生選択の問題にほかならない。
・・・「さすがアナキスト」と人をして言わしめる身の振る舞い、ことばの運びこそが絶えず問われるのだ。
そう「さすが」という前置詞がついてこそ初めてアナキストという語は文法上、正しい表記となるぐらいに考えておけばちょうど良いだろう。
したがって、そこにあって「カッコ良さ」というのはいたって重要なメルクマールとなるのだ。
では、何がどうなれば一体「カッコ良く」なれるのか、という事だ。
もっとも、こういう設問のしかたをすると、それを、各人の美意識(考え方)の幅にしたがってむちゃくちゃに拡散し、もって、そうした価値相対主義こそがアナキズム=自由意志であるなどという輩が必ず登場してくるのだが、そんな単なる物わかりの良さに終始していたならば、いつまでたっても「カッコ良さ」は実現しはしないであろう。
そこで5年前のあのとき、私は少々乱暴にも次のような物言いで、かかるアナキストの「カッコ良さ」について一刀両断的に語りきったものだ。
「三度の飯よりケンカが好きで、権力に傷を穿つことに無上の喜びを感じてしまう人間。よって、その結果として制度の道をずれ、無頼を張っている人。他はない」と・・・。
・・・いずれにしてもアナキストとはアナーキーという独自の「カッコ良さ」をキーワードとして成立する人生選択上の概念(モデル)の意である。・・・つまり「カッコ良く」生きなければアナキストではない!・・・・
あの広島での「いっそ黙っていたほうが良い」というのは今にひきつぐ私の基本的考えだ。
いつの日かカッコ良く決められるまで「アナキスト」の金看板は絶対御法度にするべきである。
内容もないくせにやたら黒ずくめのチンドン行列ばかりひけらかしたがるどこぞのボッチャンたちにはホンマ勘弁してほしいワ(まあ、連中ばかりじゃないけどネ)。
きちんと”カッコ”にこだわるならばアナキストになれる瞬間なんていわば人生のロイヤルストレートフラッシュ。一生のうちそう何度もやってくるものじゃない。
無論、私自身も含めてまったく「アナキストなりがたし」である。
そうである以上、普段はただただポーカーフェイス。
黒旗はせめて腹巻きに隠し持ってこそふさわしいというものだ。・・・
【追記】原稿を引き受けた直後に例のオウム事件の報道ラッシュが始まった。イノウエサン、カッコイイ。またしても先を越されたな、という思いでテレビに釘付け。
2018年8・6ヒロシマ集会 資料6「アナキズムはヤクザな思想」Material No.6 for the August 6 of Hiroshima Anarchist Gathering: "Anarchism is the Useless Thought for the Society", Free Will, July 7, 1989.
滓添妖一「アナキズムはヤクザな思想」『自由意志』第7号、1989年7月7日
(読みやすさを考慮し、一部改変)
なぜアナキズムなのか?と聞かれれば、それは、社会だの秩序だの常識だのが気にくわないからである。では、なぜマルクス主義や共産主義ではないのか?といえば、「気にくわない」ということを表明するのに「学習」したり、へりくつをこね回したりするのが、ますます気にくわないからである。
「気にくわない」というのが、私が気にくわないのであって、全く主観的な判断である。他人は気に入っているかもしれない。満足しているかもしれない。
しかし、そんなことは私の知ったことではない。俺は気にくわん。多数決で決めようが、法律で決めようが、法律で決めようが、常識だろうと原則だろうと関係ない。さらにいえば、私が正しかろうが、間違っていようが善であろうが悪であろうが、まったく関係ないのである。
これまではまさにダダッ子であるが、それでよいのである。アナキズムに善だの正義だの真理なんて必要ない、と私は思っている。
アナキズムが「善」だとか「正義」だとか主張したい気持ちは、わからないでもない。しかし、体制側の理屈やマルクス主義のへ理屈がウソと建前ばかりのインチキであるのは、自分のほうこそ「正義」だとか「善」だとか、無理に強弁するからである。アナキストがよい子である必要などはない。みんなから認められるアナキズム、みんなからほめられるアナキズム、客観的な正当性やら普遍性やらをもつアナキズム、そんなものはアナキズムではない。
むしろ、みんなから嫌われよう、みんなから批判されようとする精神、主観性と独善性、こういったもののほうが、はるかにアナキズムにふさわしいものではないか。
アナキズムの正当性だの普遍性だのをめぐって抽象的な観念論を振り回すなど愚の骨頂である。議論すればするほど、中身のない空虚さが露呈するばかりで、みっともないことこの上ない。そして、「人民」とか、「大衆」を「民衆」に置き換えるなど、ことばの上でのテクニックで矛盾が解決できると思っている人は、アナキスト連盟をやめて日本共産党に入った方がよいだろう。それからマルクス主義を超える思想をめざす超マルクス主義者は、アナキズムより新興宗教のほうが近道である。日和見主義を正当化する理屈を探している人は、さっさと転向したほうが、悩まなくてすむというものだ。こういった議論は1970年代後半でも時代遅れと笑われたであろう。いずれにしても恐るべき時代感覚の欠如である。
結局、アナキズムという思想には、どんな定義だってなり立つのである。民族主義を認めなくたってよい。綱領なんかなくたってよいが、あってもかまわない。「民衆」ということばを使ってもよいし使わなくてもよい。キーワードは「反逆」でもよいし「享楽」でもよい。「怠惰」でも「変態」でもかまわない。もちろん「日和見主義」でも「利己主義」でもよい。なんだっていいのである。こんな思想?に普遍性などあるはずがない。あったとすれば詭弁である。
アナキズムは、いい加減でデタラメな思想であり、ヤクザな思想なのである。それをりっぱな思想、偉大な思想、あるいは正義の思想、純粋な思想などと勘違いするからいけないのである。
「ヤクザはしょせん八九三のブタ、カス札のクズなんだ。そのクズが右翼や国士を気どったりするから、どうしょうもない腐った臭いがするんだ」。
どこかで読んだセリフであるが、アナキストも同じではなかろうか。
(読みやすさを考慮し、一部改変)
なぜアナキズムなのか?と聞かれれば、それは、社会だの秩序だの常識だのが気にくわないからである。では、なぜマルクス主義や共産主義ではないのか?といえば、「気にくわない」ということを表明するのに「学習」したり、へりくつをこね回したりするのが、ますます気にくわないからである。
「気にくわない」というのが、私が気にくわないのであって、全く主観的な判断である。他人は気に入っているかもしれない。満足しているかもしれない。
しかし、そんなことは私の知ったことではない。俺は気にくわん。多数決で決めようが、法律で決めようが、法律で決めようが、常識だろうと原則だろうと関係ない。さらにいえば、私が正しかろうが、間違っていようが善であろうが悪であろうが、まったく関係ないのである。
これまではまさにダダッ子であるが、それでよいのである。アナキズムに善だの正義だの真理なんて必要ない、と私は思っている。
アナキズムが「善」だとか「正義」だとか主張したい気持ちは、わからないでもない。しかし、体制側の理屈やマルクス主義のへ理屈がウソと建前ばかりのインチキであるのは、自分のほうこそ「正義」だとか「善」だとか、無理に強弁するからである。アナキストがよい子である必要などはない。みんなから認められるアナキズム、みんなからほめられるアナキズム、客観的な正当性やら普遍性やらをもつアナキズム、そんなものはアナキズムではない。
むしろ、みんなから嫌われよう、みんなから批判されようとする精神、主観性と独善性、こういったもののほうが、はるかにアナキズムにふさわしいものではないか。
アナキズムの正当性だの普遍性だのをめぐって抽象的な観念論を振り回すなど愚の骨頂である。議論すればするほど、中身のない空虚さが露呈するばかりで、みっともないことこの上ない。そして、「人民」とか、「大衆」を「民衆」に置き換えるなど、ことばの上でのテクニックで矛盾が解決できると思っている人は、アナキスト連盟をやめて日本共産党に入った方がよいだろう。それからマルクス主義を超える思想をめざす超マルクス主義者は、アナキズムより新興宗教のほうが近道である。日和見主義を正当化する理屈を探している人は、さっさと転向したほうが、悩まなくてすむというものだ。こういった議論は1970年代後半でも時代遅れと笑われたであろう。いずれにしても恐るべき時代感覚の欠如である。
結局、アナキズムという思想には、どんな定義だってなり立つのである。民族主義を認めなくたってよい。綱領なんかなくたってよいが、あってもかまわない。「民衆」ということばを使ってもよいし使わなくてもよい。キーワードは「反逆」でもよいし「享楽」でもよい。「怠惰」でも「変態」でもかまわない。もちろん「日和見主義」でも「利己主義」でもよい。なんだっていいのである。こんな思想?に普遍性などあるはずがない。あったとすれば詭弁である。
アナキズムは、いい加減でデタラメな思想であり、ヤクザな思想なのである。それをりっぱな思想、偉大な思想、あるいは正義の思想、純粋な思想などと勘違いするからいけないのである。
「ヤクザはしょせん八九三のブタ、カス札のクズなんだ。そのクズが右翼や国士を気どったりするから、どうしょうもない腐った臭いがするんだ」。
どこかで読んだセリフであるが、アナキストも同じではなかろうか。
2018年8・6ヒロシマ集会 資料5 「アナキズム死すべし」Material No.5 for August 6th Hiroshima Anarchist Gathering: "Death to Anarchism", in: Free Will, July 7, 1989.
石部邁「アナキズム死すべし」『自由意志』第7号、1989年7月7日
(読みやすさを考慮し、一部改変)
私がなぜ「アナキズム」にひかれたのか? それは社会主義、共産主義のもつ「いやったらしさ」のない新鮮さにあったように思う。開かれたページは白紙であり、そこに自由な絵が描けるという期待があった。
しかし、「アナキズムの世界」の周辺をいざウロついてみると、そこは手垢だらけで、コケむした古文書があるだけだった。
思うに、私の動機が不純だったのだろう。この「世紀末」に、そんな無垢なものが残っているわけがないのだ。
勝手に思い込んで、そこに幻想を抱いてみても、裏切られるだけということを知っているはずなのに、まだ甘さがあったようだ。
私の甘さの代償は、「アナキズム」とは、「達成されなかった共産主義者の夢」が詰まった空の福袋にすぎないという認識である。
共産主義者は、共産主義が理論的に正しいから「主義者」となっているわけではない。自らが抑圧を受け、支配されていると「感じ」それを排除しうるものとして最も妥当であると本質的に直感し、支持したのだ。
そしてその「壮大な実験」がさまざまに行われ、結果、今深い混迷と失意の中に彼らは立っているといってよい。
アナキズムは、そのような「共産主義のもつ欠陥」の「ないもの」として仮想され存在している。否、「存在していない」ために「正しい」とされているのだ。つまり、アナキズムは共産主義者のように、実体化され、歴史に検証されないが故に、「正しく」「すばらしい」ものなのだ。
そこでその「正しい」アナキズムのメジャーをもって街に出て、計測を行ってみると無数のアナキズムが発見でき、そこかしこで「正しさ」がますます証明されうることになる―このようなアナキズム―フェティシズムが、現在のアナキズムワールドの実態である。
「切片」となったアナキズムは、当然時間をも失い、化石化していく。例えば、あの愚劣の極みともいうべきアナキストカレンダーなど好例であろう。
これなんぞ、アナキストなら誰もが非難してやまない某国の革命英雄記念碑の発想と、どう異なるというのか?
私なんかは、前者のほうがより悪質とさえ思うのだ。
また、散見するアナキズムについて述べられている見解にしても、十数年前にあって「遜色」のないものばかりだ。
出版物についてはなおさらである。ほとんど「古典研究」の世界である。まれに新しいセンスで「アナキズム」という国語が使われていても、「ヤツはアナーキーなやっちゃ」と同程度のものと考えてほぼまちがいない。
これらの数多くの現れたる悲喜劇は、アナキズムワールドが根本的に病んでいることを示す証明となっている
とにかく「共産主義はクソだ」といえるように「アナキズムもクソ」だという正しい理解が肝要である。「真理」は併存するものなのである。
かつては「唯一の真理」が希求され、ために、その都度、激しい闘争が繰り返されてきた。
換言すると「単一世界」の生成である。あるときはアニミズム的世界が、あるときは絶対的宗教が、王制が、ファシズムが、共産主義がイニシアチブを取ってきた。
これら「単一の世界」の生成は、そのたびごとに「異端」を生み、そして「排除」をおこなった―こういう見方は半分は当を得ている。
しかしながら、「単一世界」が生成されたことなど一度もないのもまた真実なのだ。
この点に関しては、一部の「わかっている」アナキストも指摘するところであろう。
だが、アナキズム自体もその対象になっているということを、彼らは完全に忘れてしまっているのだ。
アナキズムはその「金科玉条」として、「反権力」「反国家」「反権威」等々を掲げているわけなのだが、それら「反」される「権力」「国家」「権威」に対する分析は、せいぜいのところ「悪いから悪い」というトートロジーにすぎない。
それらを「単体」として、まるで個体として誤解される原子モデルのごとく見ているのである。
だから、「個」だの「国家」だのといったところで、「19世紀謹製」の「単体」観で停止している(大杉やマラテスタが通用しているわけだ!)。
だから「アナキズムが時代を担う思想である」というような恥ずかしいことは考えないほうがよい。そんなヒマがあったら、人や社会について実証する作業に取り組んだほうが賢明というものだ。
現実を規定する力を到底持ち得ないアナキズムを、持てるものとして仮想し、あれこれイジクリまわしても、得られるものは何もない。
しかし、この「創造」の作業が、思弁の作業としてのみおこなわれるならそれもだめだ。
言語化の作業は、言語を超えた「行為」(生活でもよい)があって初めて生まれるものである。
この超言語的「行為」、あるいは言語に先行する「行為」なしに言語化の作業を試みても、それはむなしい記号のゲームにすぎない。
この愚をあえて犯すなら、前述したように、単なる「アナ―フェチ」である。言語化したり、人に伝達する資格はない。
そう言うと「行為そのものが難しいじゃないか」とあくまで強弁するアナキストに私は回答を有しない。
アナキズムは元来、「個」を軸心とした思想であるはずだ。社会や環境に働きかけることが困難な状況下であれば、自らを基本として動けるはずだ。
そりゃそーだ。自らのアナーキーを感ぜられないものが、どうしてアナキズムをつくれようか。「自由」を知らない者が、その「自由」について語ったり、言語化したりするのはおこがましいかぎりだ。
何かというと、アナキストは「集団」ではなく「個」だの「私」だのと主張するが、いったいアナキズムが「個」や「私」にどう関係しているというのか。
世界的に見ても、今日ほど「個」や「私」が危機にさらされている状況はない(日本のように「個」や「私」の成立自体できていないところを含め)。
日本でも「新・新宗教」の乱立、自殺者の続出、神経、精神系の「病」に苦悩する人々も増加している。
これらアイデンティティの危機に、その一端にすら何ら有効性を持ち得ない「個」の思想など、どういう存在価値があるというのだ。少数派に対しても的確な手を打てず、環境に対する影響力ももちろんなく、あほらしい記号のやりとりに終始する「不(無)作為思想」の世界!
嗚呼やんぬるかな!
私はここで宣す! すべてのアナキストよ、今こそアナキズムのくびきを脱して自由になろう。アナキズム死すべし!
これが私のささやかな結論である。
(読みやすさを考慮し、一部改変)
私がなぜ「アナキズム」にひかれたのか? それは社会主義、共産主義のもつ「いやったらしさ」のない新鮮さにあったように思う。開かれたページは白紙であり、そこに自由な絵が描けるという期待があった。
しかし、「アナキズムの世界」の周辺をいざウロついてみると、そこは手垢だらけで、コケむした古文書があるだけだった。
思うに、私の動機が不純だったのだろう。この「世紀末」に、そんな無垢なものが残っているわけがないのだ。
勝手に思い込んで、そこに幻想を抱いてみても、裏切られるだけということを知っているはずなのに、まだ甘さがあったようだ。
私の甘さの代償は、「アナキズム」とは、「達成されなかった共産主義者の夢」が詰まった空の福袋にすぎないという認識である。
共産主義者は、共産主義が理論的に正しいから「主義者」となっているわけではない。自らが抑圧を受け、支配されていると「感じ」それを排除しうるものとして最も妥当であると本質的に直感し、支持したのだ。
そしてその「壮大な実験」がさまざまに行われ、結果、今深い混迷と失意の中に彼らは立っているといってよい。
アナキズムは、そのような「共産主義のもつ欠陥」の「ないもの」として仮想され存在している。否、「存在していない」ために「正しい」とされているのだ。つまり、アナキズムは共産主義者のように、実体化され、歴史に検証されないが故に、「正しく」「すばらしい」ものなのだ。
そこでその「正しい」アナキズムのメジャーをもって街に出て、計測を行ってみると無数のアナキズムが発見でき、そこかしこで「正しさ」がますます証明されうることになる―このようなアナキズム―フェティシズムが、現在のアナキズムワールドの実態である。
「切片」となったアナキズムは、当然時間をも失い、化石化していく。例えば、あの愚劣の極みともいうべきアナキストカレンダーなど好例であろう。
これなんぞ、アナキストなら誰もが非難してやまない某国の革命英雄記念碑の発想と、どう異なるというのか?
私なんかは、前者のほうがより悪質とさえ思うのだ。
また、散見するアナキズムについて述べられている見解にしても、十数年前にあって「遜色」のないものばかりだ。
出版物についてはなおさらである。ほとんど「古典研究」の世界である。まれに新しいセンスで「アナキズム」という国語が使われていても、「ヤツはアナーキーなやっちゃ」と同程度のものと考えてほぼまちがいない。
これらの数多くの現れたる悲喜劇は、アナキズムワールドが根本的に病んでいることを示す証明となっている
とにかく「共産主義はクソだ」といえるように「アナキズムもクソ」だという正しい理解が肝要である。「真理」は併存するものなのである。
かつては「唯一の真理」が希求され、ために、その都度、激しい闘争が繰り返されてきた。
換言すると「単一世界」の生成である。あるときはアニミズム的世界が、あるときは絶対的宗教が、王制が、ファシズムが、共産主義がイニシアチブを取ってきた。
これら「単一の世界」の生成は、そのたびごとに「異端」を生み、そして「排除」をおこなった―こういう見方は半分は当を得ている。
しかしながら、「単一世界」が生成されたことなど一度もないのもまた真実なのだ。
この点に関しては、一部の「わかっている」アナキストも指摘するところであろう。
だが、アナキズム自体もその対象になっているということを、彼らは完全に忘れてしまっているのだ。
アナキズムはその「金科玉条」として、「反権力」「反国家」「反権威」等々を掲げているわけなのだが、それら「反」される「権力」「国家」「権威」に対する分析は、せいぜいのところ「悪いから悪い」というトートロジーにすぎない。
それらを「単体」として、まるで個体として誤解される原子モデルのごとく見ているのである。
だから、「個」だの「国家」だのといったところで、「19世紀謹製」の「単体」観で停止している(大杉やマラテスタが通用しているわけだ!)。
だから「アナキズムが時代を担う思想である」というような恥ずかしいことは考えないほうがよい。そんなヒマがあったら、人や社会について実証する作業に取り組んだほうが賢明というものだ。
現実を規定する力を到底持ち得ないアナキズムを、持てるものとして仮想し、あれこれイジクリまわしても、得られるものは何もない。
しかし、この「創造」の作業が、思弁の作業としてのみおこなわれるならそれもだめだ。
言語化の作業は、言語を超えた「行為」(生活でもよい)があって初めて生まれるものである。
この超言語的「行為」、あるいは言語に先行する「行為」なしに言語化の作業を試みても、それはむなしい記号のゲームにすぎない。
この愚をあえて犯すなら、前述したように、単なる「アナ―フェチ」である。言語化したり、人に伝達する資格はない。
そう言うと「行為そのものが難しいじゃないか」とあくまで強弁するアナキストに私は回答を有しない。
アナキズムは元来、「個」を軸心とした思想であるはずだ。社会や環境に働きかけることが困難な状況下であれば、自らを基本として動けるはずだ。
そりゃそーだ。自らのアナーキーを感ぜられないものが、どうしてアナキズムをつくれようか。「自由」を知らない者が、その「自由」について語ったり、言語化したりするのはおこがましいかぎりだ。
何かというと、アナキストは「集団」ではなく「個」だの「私」だのと主張するが、いったいアナキズムが「個」や「私」にどう関係しているというのか。
世界的に見ても、今日ほど「個」や「私」が危機にさらされている状況はない(日本のように「個」や「私」の成立自体できていないところを含め)。
日本でも「新・新宗教」の乱立、自殺者の続出、神経、精神系の「病」に苦悩する人々も増加している。
これらアイデンティティの危機に、その一端にすら何ら有効性を持ち得ない「個」の思想など、どういう存在価値があるというのだ。少数派に対しても的確な手を打てず、環境に対する影響力ももちろんなく、あほらしい記号のやりとりに終始する「不(無)作為思想」の世界!
嗚呼やんぬるかな!
私はここで宣す! すべてのアナキストよ、今こそアナキズムのくびきを脱して自由になろう。アナキズム死すべし!
これが私のささやかな結論である。
2018年8月2日木曜日
2018年8・6ヒロシマ集会 資料4:1990年代の『自由意志』紙上でのアナーキストたちの論争。スピリチュアリズムかアナーキズムか? "Spiritualism or Anarchism?: Dispute between anarchists "S" and "Wada" in the 1990's in the anarchist paper "Free Will "
「スピリチュアリズムから見たアナーキズムの可能性」『自由意志』66-67号、1994年12月15日、8-11頁。by S.
(読みやすさを考慮し、大幅に省略・改変)
・・・死後の世界があるかどうかは、アナーキストにとって重大な意味を持っているのである。
モーゼスへの霊界からの通信に、「共産主義と社会主義は悪の勢力です」というのがある。
もし同じことを統一教会に言われたら、無視して相手にしない人も、あの世でさらに修行を重ね、より深い叡智と、地上の人間の視野をはるかに超えた広い角度から人間世界を観察している相手からの指摘となると、それを無視し続けることができるのであろうか。
死後の世界があれば、モーゼスの通信はそのような相手からのものとなるのである。それは極めて重い真実ということになる。
そしてその言葉はアナーキズムにも当てはまるのかもしれないのである。
「アナーキズムは左翼ではない」とか、「われわれはアナーキストもマルキストを悪の勢力としてみてきた」といったところで、その言葉の重さの前では、私には両足とも悪の世界に突っ込んでいるか、片足だけか、程度の違いでしかないように思われるのである。
われわれこそ人類の理想主義を体現し、正義そのものであるといった、アナーキストのプライドなど、何の意味もなかったことになる。
マルキストのように悪そのものにもなりきれず、といって悪から両足とも洗うこともできず、せいぜい悪と善との境目あたりをうろちょろしている、というのがわれわれアナーキズム運動の実態だったのではないだろうか。
私自身は、死後の世界はあると思っている。
では、なぜアナーキストをやめないのかといえば、まだ少し心に引っかかるものがあるからである。
どうしてあんなにストレートに、あるいは直感的に「やるならアナーキズムだ」と思ったのか、その体験にどうしてもこだわってしまうのである。
ある瞬間からアナーキストになることが当然のことであり、アナーキストとして生きることが、自分にとってほとんど天命のようなものであった。
それがなんだったのか、何を意味していたのか、その意味が了解できるまで、全く個人的な問題であるが、おそらくアナーキストをやめられないであろう。
それに、霊界通信でもアナーキストであること、あるいは共産主義者や社会主義が完全に否定されているわけでもないのである。
「私は決して世に言う社会改革者たち―義憤に駆られ、抑圧されたものや弱気ものへのやむにやまれぬ同情心から悪と対抗し、不正と闘い、物的な神の恵みがすべての人間に平等に分け与えられるようにと努力している人々をないがしろにするつもりは毛頭ありません。ただその人たちは問題の一部しか見ていない―物的な面での平等のために戦っているにすぎないということです。もちろん精神的にも平等であるべきことも理解しておられるでしょう。が、人間は何もよりもまず「霊」なのです」とシルバーバーチ霊は言う。
また共産主義のみんなで分け合うという理念はとても結構なことです、とも述べている。
霊界からいえば、問題はそれらの運動が霊的真理を無視して展開されてきたということであろう。それゆえ、求められていることは霊的真理にしたがった運動ということになる。
ただ、それはわれわれが想像する以上に困難なことなのかもしれない。
モーゼスへの通信では、「社会主義、共産主義、無神論、ニヒリズムーこれらはみな同じ陰湿な病弊を別の呼び方をしているにすぎません。それが今地上に蔓延しつつあります。こうした勢力も、秘められた力を出し尽くせば善の方向へ利用することも可能でしょうが、現在のところは混乱の原理を操る邪霊集団に振り回されております。われわれの大事業を阻止せんとしているのです」ともいわれているからである。
しかし、その困難を克服したとき、アナーキズムも人類の霊的進歩に、多少の貢献が可能なわけである。・・・・
シルバーバーチによれば、真理はきわめて簡単であり、それは「人生を霊的摂理が支配していること、お互いが助け合うことが一番大切であること」であるという。
このことから、まずアナーキズムに求められているのは、アナーキズムの理念でもある相互扶助の実践であろう。・・・
クロポトキンは『相互扶助論』で相互扶助に進化論的意味を見いだしているが、シルバーバーチによれば、たしかに相互扶助は霊的進化の原動力であるとともに、生物学的にも進化の原動力である。・・・・
シルバーバーチは、自然すなわち神の摂理を無視した方法で地上世界を築こうとすると、混乱と無秩序が生じ、必ず破綻を来すといい、また、地上のいかなる組織・団体もそこに霊的実在の認識がない限り真の進歩は得られないという。
問題は、理念や目的の立派さではなく、その手段・方法の内容と運動的実態である。・・・
アナーキストもマルクス主義の前衛党や労働者階級による独裁といった手段を批判し、目的と手段の一致ということを主張してきた。
しかしアナーキズムが目的と手段の一致という自らの原則にどのぐらい忠実だったかは、はなはだ疑問であり、・・・アナーキズムには霊的真理に反する、様々な要素があることも事実なのである。・・・
そのようなものの一つに暴力主義がある。・・・
アナーキズムの革命主義も、霊界から見れば清算しなければならないものの一つである。
たとえばシルバーバーチは「進歩は突発的な改革のような形でなされるものではありません」「霊的成長はゆっくりとした歩調でなされねばならないからです」と述べている。
この主張の奥には、真理というものは一人一人が納得していくことによって広がっていくものであり、霊的成長は他人から与えられるものではなく、自分を改造するのはあくまで自分出会って、他人によって改造されるものではなく、他人を改造することもできないという霊的摂理がある。
霊界の革命主義の否定は、社会へのアナーキストの態度の変換を迫るものである。例えば、善悪二元論から来る対立・対決姿勢と、全的存在としての自己の絶対化とそれに伴う押しつけがましい態度、などといったものである。
この善悪二元論はマルクス主義から市民運動まで広く見られるものであり、アナーキズムもクロポトキンが人間の歴史を自由と権力という二つの傾向の対立としてみたように、その内部に含むものである。
それに対し、霊界は相手への村長と寛容を強調する。・・・
これはまた、左翼主義的前衛主義の否定でもある。・・・
そこから出てくるのは、社会に対する対立・対決ではなく、社会への参加であり、善として悪を糾弾することではなく、時には一緒に悪に手を染めることである。・・・
そうすると、当然国家への考え方も変えなければならない。霊界は国家をこれまでのアナーキズムのように、頭からは否定しない。・・・
霊界についての通信を見ると、霊界はプルードンのいうアナーキーそのものではないかという気もしてくる。
霊界は誰に強制されるのでもなく、各人が自分の望む世界で自動的に生活するのである。・・・
それはプルードンのいう、「各人による各人の統治」というアナーキーそのものとも言えよう。・・・
人類の霊的進歩へ向けた一つの力にアナーキズムがなるためには、革命主義、暴力主義、反国家、反抗・反逆主義といったものを含んだままのアナーキズムではなく、相互扶助と自由、そして個人こそ社会の単位であるという意味での個人主義のアナーキズムへと、一種の純化されたアナーキズムとならなければならない。
革命主義や反国家主義はアナーキズムの命とまで考えられていたのであるから、すべてのアナーキストがすぐにもそれらを破棄するとは思われない。・・・
私自身は現実的にはっきりと分裂すべきではないかと考えている。アナーキズムが社会主義や共産主義と同じように、霊界からは悪の勢力と見なされかねないのが現状だとすれば、とてもそのような余裕はないということである。・・
では、二つに分裂したとしてそれからどうなるのであろうか。
霊界から見れば、アナーキズムでなければならない理由は何もないし、相互扶助がアナーキズムを通しての見なされるというわけでもないのであるから、結局心霊的アナーキズムは新しい参加者もなく、じり貧状態に陥り、やがて消滅していくかもしれない。もっとも、心霊的アナーキズムにとっても、それならそれでいい問題であるが。
しかし、もし心霊的アナーキズムというものが確立されるなら、そこからアナーキズムにも一つの役割が与えられる可能性が出てくる。・・・
アナーキズムもまた結局は一つの政治運動であるとすれば、心霊的アナーキズムは政治と霊的知識を結びつける役割の一翼を担うということで、人類の霊的進歩における一定の一を占めることができるかもしれないのである。
和田久次郎「S氏はアナキストか? アナキスト連盟の思想的無原則性をただす」『自由意志』第68・69号、1995年2月27日、6-8頁。
・・・・結論から言ってしまえば、S論文とはオカルティズム(スピリチュアリズム)にかぶれたもとアナキストのたわごとであり、単にそれだけだ。
かの文章がアナキズムの衣をまとわずに(かつ、より平易な表現をもって)他の雑誌媒体―例えば学研の『ムー』あたりに発表されたのであれば、それはそれで正当な事態であり、なんの問題もない。
ところが、あろうことか氏は、アナキストを自称し、「心霊的アナーキズム」なるものを開陳する。
「私自身は、死後の世界はあると思っている」「霊的真理を取り入れた政治運動があるかといえば、それはまだ存在していないといえよう」。当然だ。そんなものが存在したら、それはもはや政治運動ではなく宗教運動である。
そもそも「アナーキー」の語源たるanarchosというギリシャ語は「支配者のない」という意味であり、そこから派生した反権力・反権威の思想がアナキズムなのである。
そこにおいては当然のことながら「国家」「宗教(絶対的真理としての神)」といったこの自律的存在を脅かす概念、事象は否定・打倒の対象でしかなく、個人の主体的自覚、自由意志による無政府主義社会の建設こそが目的意識的にめざされるのである。・・・・
確実にいえるのは、アナキズムとは個に敵対するいかなるものも認めず、絶対自由を追求する思想運動であるということだ。・・・・
そもそも「霊界通信」による「シルバーバーチ霊」なる者のお言葉を無条件に真理であると疑わず、それをもってアナキズムなり共産主義なりを裁断せんとする氏の姿勢からして、アナキズムに背理している。敵対している。
「神の摂理」だとの「霊的真理」だのを担ぎ回って現実社会の思想や運動に介入することが許されないのはアナキストにとって自明である。
なぜならば、個人の思推の内にしか存在しない「絶対的真理」=「神」の幻影を利用して他者に自己の思想を押しつける方法論は、支配的宗教であるキリスト教を使って民衆を抑圧した歴史上の支配者たちの思考回路と全く軌を一にするからだ。
明白な権力・権威主義だからである。
バクーニンら、アナキストの先達の苦闘を氏はなんと持っているのか?
また、「相互扶助」についていえば、本来、われわれがこの語の使用するのはあくまでも科学的学説としての「相互扶助論」をめぐる文脈の中である。・・・「お互いが助け合うことが一番大切」(シルバーバーチ霊)なる一般的道徳観念ゆえにその可否が論じられてはたまらない。・・・
ここまで見れば、明らかであろう。
S氏はアナキストではあり得ず、その「心霊的アナーキズム」なるものも本来のアナーキズムとは似ても似つかぬ反動思想だということが。
「ただアナーキズムの拡大を求めることは、逆にアナーキズムを悪の勢力の一つにするだけの結果しかもたらさないであろう」。
よくいった。ここに氏のアナキズムの拡大を否定する反アナキストとしての本質がある。・・・
ナントカ霊の前に両手を挙げて拝跪し、権力を、そして国家を認める恥知らずな輩にアナキズムを説かれてたまるか。
S氏は今すぐ「心霊的アナーキズム」なるナンセンスな言辞をもってのアナキズム戦線撹乱策動を中止せよ。
死後「多くのアナキストをたぶらかした罪」で裁きにあっても、俺は知らんぜ。
「和田久次郎氏への反論」『自由意志』第70・71号、1995年4月15日、7-8頁。by S.
・・・スピリチュアリズムでは、霊界では各人の自由意志が最大限に尊重され、アナーキーともいえる世界がすでに実現されている、ということは述べているはずである。
さらに、スピリチュアリズムはこの地上でも、そのような世界は実現できるし、実現されなければならないと主張しているのである。アナーキズムから見て、このどこが問題なのであろうか。・・・
その手段として暴力を否定し、何よりも相互扶助を強調することが問題なのであろうか。
しかし、このどこが目的と手段の一致というアナーキズムの原則に照らしても、否定されなければならない問題を含んでいるのであろうか。・・・
スピリチュアリズムの手段のどこがアナーキズムから見て問題なのか、私にはさっぱりわからない。
スピリチュアリズムは別にその信仰を押しつけているわけではない。・・・
重要なのは他者への奉仕であり、相互扶助であって、問題はそれを実践しているかどうかだ、といっているのである。・・・
ようするに、私にはアナーキズムからみてスピリチュアリズムが排撃されなければならない理由がどこにあるのかわからない。
少なくとも霊界においてはアナーキーな社会が実現しているというスピリチュアリズムは、その非現実性を絶えず指摘されるアナーキズムにとっては強い味方ではなのか。・・・
アナーキズムはイエスをアナーキストの一人として数え上げてきたのではないのか。イエスが語った言葉はスピリチュアリズムそのものであり、イエスは一人のスピリチュアリストにすぎない。とすれば、スピリチュアリズムとアナーキズムの結合に、なんの問題があるのだろうか。・・・
相互扶助を通じて、アナーキズムの目的が実現できるなら、すべてのアナーキストにとってそれに越したことはないのではないか。
ただ、多くのアナーキストにはそのことに確信が持てないだけである。だからといって、そのことに確信を持ったアナーキストがいたとして、そこのことをもってそのアナーキストを排撃することはできないであろう。その可能性もまた誰も否定できないのだから。
ましてや、その確認から来る姿勢に対し、それが反国家のスタンスに欠けるとして、非難するとすれば、そのアナーキストは手段でしかない反国家を目的とするという、目的と手段の関係を逆転させていることになる。
問題がここまで来ると、反国家的国家依存主義について考えておかなければならない。その特徴は、まず本人はその実態に気がつかないことである。
気がつかないままに、反国家をいいながら実は自分が否定してやまない対象に依存しているという、その矛盾した姿から自分自身の目をそらせるために、反国家という側面だけを肥大化させたり、反体制としてその立場が確立されている思想に寄生して、それと自己を同一視しようとしたりする。・・・
和田氏は「対権力闘争における一手段としての暴力を何ら否定するものではない」という。それでは、あらためて和田氏に聞きたいのは、目的と手段の一致というアナーキズムの原則をどう考えるかということである。
その原則は、アナーキズムの目的内容に一致しない内容の手段は、アナーキズムの目的を実現できない、という意味であり、・・・・すなわち、目的と手段の一致という原則からいえば、暴力はアナーキズムの目的実現にとって、何の意味もないということである。・・・
和田氏が私をアナーキストとして認めないように、私も和田氏のような目的と手段の一致という原則を否定する人間をアナーキストとして認めない。また、そのような人間をアナーキストとして認める人間もアナーキストとして認めない。・・・
はっきりと分裂すべきである。そうすれば、反国家的国家依存主義者はみんな相手の方にいってくれるだろうから、それだけでもこの分裂は私から見れば大歓迎である。また、この問題に関して、自己の立場を明確にできないアナーキストは、私から見ればもうどうでもいい存在である。
(読みやすさを考慮し、大幅に省略・改変)
・・・死後の世界があるかどうかは、アナーキストにとって重大な意味を持っているのである。
モーゼスへの霊界からの通信に、「共産主義と社会主義は悪の勢力です」というのがある。
もし同じことを統一教会に言われたら、無視して相手にしない人も、あの世でさらに修行を重ね、より深い叡智と、地上の人間の視野をはるかに超えた広い角度から人間世界を観察している相手からの指摘となると、それを無視し続けることができるのであろうか。
死後の世界があれば、モーゼスの通信はそのような相手からのものとなるのである。それは極めて重い真実ということになる。
そしてその言葉はアナーキズムにも当てはまるのかもしれないのである。
「アナーキズムは左翼ではない」とか、「われわれはアナーキストもマルキストを悪の勢力としてみてきた」といったところで、その言葉の重さの前では、私には両足とも悪の世界に突っ込んでいるか、片足だけか、程度の違いでしかないように思われるのである。
われわれこそ人類の理想主義を体現し、正義そのものであるといった、アナーキストのプライドなど、何の意味もなかったことになる。
マルキストのように悪そのものにもなりきれず、といって悪から両足とも洗うこともできず、せいぜい悪と善との境目あたりをうろちょろしている、というのがわれわれアナーキズム運動の実態だったのではないだろうか。
私自身は、死後の世界はあると思っている。
では、なぜアナーキストをやめないのかといえば、まだ少し心に引っかかるものがあるからである。
どうしてあんなにストレートに、あるいは直感的に「やるならアナーキズムだ」と思ったのか、その体験にどうしてもこだわってしまうのである。
ある瞬間からアナーキストになることが当然のことであり、アナーキストとして生きることが、自分にとってほとんど天命のようなものであった。
それがなんだったのか、何を意味していたのか、その意味が了解できるまで、全く個人的な問題であるが、おそらくアナーキストをやめられないであろう。
それに、霊界通信でもアナーキストであること、あるいは共産主義者や社会主義が完全に否定されているわけでもないのである。
「私は決して世に言う社会改革者たち―義憤に駆られ、抑圧されたものや弱気ものへのやむにやまれぬ同情心から悪と対抗し、不正と闘い、物的な神の恵みがすべての人間に平等に分け与えられるようにと努力している人々をないがしろにするつもりは毛頭ありません。ただその人たちは問題の一部しか見ていない―物的な面での平等のために戦っているにすぎないということです。もちろん精神的にも平等であるべきことも理解しておられるでしょう。が、人間は何もよりもまず「霊」なのです」とシルバーバーチ霊は言う。
また共産主義のみんなで分け合うという理念はとても結構なことです、とも述べている。
霊界からいえば、問題はそれらの運動が霊的真理を無視して展開されてきたということであろう。それゆえ、求められていることは霊的真理にしたがった運動ということになる。
ただ、それはわれわれが想像する以上に困難なことなのかもしれない。
モーゼスへの通信では、「社会主義、共産主義、無神論、ニヒリズムーこれらはみな同じ陰湿な病弊を別の呼び方をしているにすぎません。それが今地上に蔓延しつつあります。こうした勢力も、秘められた力を出し尽くせば善の方向へ利用することも可能でしょうが、現在のところは混乱の原理を操る邪霊集団に振り回されております。われわれの大事業を阻止せんとしているのです」ともいわれているからである。
しかし、その困難を克服したとき、アナーキズムも人類の霊的進歩に、多少の貢献が可能なわけである。・・・・
シルバーバーチによれば、真理はきわめて簡単であり、それは「人生を霊的摂理が支配していること、お互いが助け合うことが一番大切であること」であるという。
このことから、まずアナーキズムに求められているのは、アナーキズムの理念でもある相互扶助の実践であろう。・・・
クロポトキンは『相互扶助論』で相互扶助に進化論的意味を見いだしているが、シルバーバーチによれば、たしかに相互扶助は霊的進化の原動力であるとともに、生物学的にも進化の原動力である。・・・・
シルバーバーチは、自然すなわち神の摂理を無視した方法で地上世界を築こうとすると、混乱と無秩序が生じ、必ず破綻を来すといい、また、地上のいかなる組織・団体もそこに霊的実在の認識がない限り真の進歩は得られないという。
問題は、理念や目的の立派さではなく、その手段・方法の内容と運動的実態である。・・・
アナーキストもマルクス主義の前衛党や労働者階級による独裁といった手段を批判し、目的と手段の一致ということを主張してきた。
しかしアナーキズムが目的と手段の一致という自らの原則にどのぐらい忠実だったかは、はなはだ疑問であり、・・・アナーキズムには霊的真理に反する、様々な要素があることも事実なのである。・・・
そのようなものの一つに暴力主義がある。・・・
アナーキズムの革命主義も、霊界から見れば清算しなければならないものの一つである。
たとえばシルバーバーチは「進歩は突発的な改革のような形でなされるものではありません」「霊的成長はゆっくりとした歩調でなされねばならないからです」と述べている。
この主張の奥には、真理というものは一人一人が納得していくことによって広がっていくものであり、霊的成長は他人から与えられるものではなく、自分を改造するのはあくまで自分出会って、他人によって改造されるものではなく、他人を改造することもできないという霊的摂理がある。
霊界の革命主義の否定は、社会へのアナーキストの態度の変換を迫るものである。例えば、善悪二元論から来る対立・対決姿勢と、全的存在としての自己の絶対化とそれに伴う押しつけがましい態度、などといったものである。
この善悪二元論はマルクス主義から市民運動まで広く見られるものであり、アナーキズムもクロポトキンが人間の歴史を自由と権力という二つの傾向の対立としてみたように、その内部に含むものである。
それに対し、霊界は相手への村長と寛容を強調する。・・・
これはまた、左翼主義的前衛主義の否定でもある。・・・
そこから出てくるのは、社会に対する対立・対決ではなく、社会への参加であり、善として悪を糾弾することではなく、時には一緒に悪に手を染めることである。・・・
そうすると、当然国家への考え方も変えなければならない。霊界は国家をこれまでのアナーキズムのように、頭からは否定しない。・・・
霊界についての通信を見ると、霊界はプルードンのいうアナーキーそのものではないかという気もしてくる。
霊界は誰に強制されるのでもなく、各人が自分の望む世界で自動的に生活するのである。・・・
それはプルードンのいう、「各人による各人の統治」というアナーキーそのものとも言えよう。・・・
人類の霊的進歩へ向けた一つの力にアナーキズムがなるためには、革命主義、暴力主義、反国家、反抗・反逆主義といったものを含んだままのアナーキズムではなく、相互扶助と自由、そして個人こそ社会の単位であるという意味での個人主義のアナーキズムへと、一種の純化されたアナーキズムとならなければならない。
革命主義や反国家主義はアナーキズムの命とまで考えられていたのであるから、すべてのアナーキストがすぐにもそれらを破棄するとは思われない。・・・
私自身は現実的にはっきりと分裂すべきではないかと考えている。アナーキズムが社会主義や共産主義と同じように、霊界からは悪の勢力と見なされかねないのが現状だとすれば、とてもそのような余裕はないということである。・・
では、二つに分裂したとしてそれからどうなるのであろうか。
霊界から見れば、アナーキズムでなければならない理由は何もないし、相互扶助がアナーキズムを通しての見なされるというわけでもないのであるから、結局心霊的アナーキズムは新しい参加者もなく、じり貧状態に陥り、やがて消滅していくかもしれない。もっとも、心霊的アナーキズムにとっても、それならそれでいい問題であるが。
しかし、もし心霊的アナーキズムというものが確立されるなら、そこからアナーキズムにも一つの役割が与えられる可能性が出てくる。・・・
アナーキズムもまた結局は一つの政治運動であるとすれば、心霊的アナーキズムは政治と霊的知識を結びつける役割の一翼を担うということで、人類の霊的進歩における一定の一を占めることができるかもしれないのである。
和田久次郎「S氏はアナキストか? アナキスト連盟の思想的無原則性をただす」『自由意志』第68・69号、1995年2月27日、6-8頁。
・・・・結論から言ってしまえば、S論文とはオカルティズム(スピリチュアリズム)にかぶれたもとアナキストのたわごとであり、単にそれだけだ。
かの文章がアナキズムの衣をまとわずに(かつ、より平易な表現をもって)他の雑誌媒体―例えば学研の『ムー』あたりに発表されたのであれば、それはそれで正当な事態であり、なんの問題もない。
ところが、あろうことか氏は、アナキストを自称し、「心霊的アナーキズム」なるものを開陳する。
「私自身は、死後の世界はあると思っている」「霊的真理を取り入れた政治運動があるかといえば、それはまだ存在していないといえよう」。当然だ。そんなものが存在したら、それはもはや政治運動ではなく宗教運動である。
そもそも「アナーキー」の語源たるanarchosというギリシャ語は「支配者のない」という意味であり、そこから派生した反権力・反権威の思想がアナキズムなのである。
そこにおいては当然のことながら「国家」「宗教(絶対的真理としての神)」といったこの自律的存在を脅かす概念、事象は否定・打倒の対象でしかなく、個人の主体的自覚、自由意志による無政府主義社会の建設こそが目的意識的にめざされるのである。・・・・
確実にいえるのは、アナキズムとは個に敵対するいかなるものも認めず、絶対自由を追求する思想運動であるということだ。・・・・
そもそも「霊界通信」による「シルバーバーチ霊」なる者のお言葉を無条件に真理であると疑わず、それをもってアナキズムなり共産主義なりを裁断せんとする氏の姿勢からして、アナキズムに背理している。敵対している。
「神の摂理」だとの「霊的真理」だのを担ぎ回って現実社会の思想や運動に介入することが許されないのはアナキストにとって自明である。
なぜならば、個人の思推の内にしか存在しない「絶対的真理」=「神」の幻影を利用して他者に自己の思想を押しつける方法論は、支配的宗教であるキリスト教を使って民衆を抑圧した歴史上の支配者たちの思考回路と全く軌を一にするからだ。
明白な権力・権威主義だからである。
バクーニンら、アナキストの先達の苦闘を氏はなんと持っているのか?
また、「相互扶助」についていえば、本来、われわれがこの語の使用するのはあくまでも科学的学説としての「相互扶助論」をめぐる文脈の中である。・・・「お互いが助け合うことが一番大切」(シルバーバーチ霊)なる一般的道徳観念ゆえにその可否が論じられてはたまらない。・・・
ここまで見れば、明らかであろう。
S氏はアナキストではあり得ず、その「心霊的アナーキズム」なるものも本来のアナーキズムとは似ても似つかぬ反動思想だということが。
「ただアナーキズムの拡大を求めることは、逆にアナーキズムを悪の勢力の一つにするだけの結果しかもたらさないであろう」。
よくいった。ここに氏のアナキズムの拡大を否定する反アナキストとしての本質がある。・・・
ナントカ霊の前に両手を挙げて拝跪し、権力を、そして国家を認める恥知らずな輩にアナキズムを説かれてたまるか。
S氏は今すぐ「心霊的アナーキズム」なるナンセンスな言辞をもってのアナキズム戦線撹乱策動を中止せよ。
死後「多くのアナキストをたぶらかした罪」で裁きにあっても、俺は知らんぜ。
「和田久次郎氏への反論」『自由意志』第70・71号、1995年4月15日、7-8頁。by S.
・・・スピリチュアリズムでは、霊界では各人の自由意志が最大限に尊重され、アナーキーともいえる世界がすでに実現されている、ということは述べているはずである。
さらに、スピリチュアリズムはこの地上でも、そのような世界は実現できるし、実現されなければならないと主張しているのである。アナーキズムから見て、このどこが問題なのであろうか。・・・
その手段として暴力を否定し、何よりも相互扶助を強調することが問題なのであろうか。
しかし、このどこが目的と手段の一致というアナーキズムの原則に照らしても、否定されなければならない問題を含んでいるのであろうか。・・・
スピリチュアリズムの手段のどこがアナーキズムから見て問題なのか、私にはさっぱりわからない。
スピリチュアリズムは別にその信仰を押しつけているわけではない。・・・
重要なのは他者への奉仕であり、相互扶助であって、問題はそれを実践しているかどうかだ、といっているのである。・・・
ようするに、私にはアナーキズムからみてスピリチュアリズムが排撃されなければならない理由がどこにあるのかわからない。
少なくとも霊界においてはアナーキーな社会が実現しているというスピリチュアリズムは、その非現実性を絶えず指摘されるアナーキズムにとっては強い味方ではなのか。・・・
アナーキズムはイエスをアナーキストの一人として数え上げてきたのではないのか。イエスが語った言葉はスピリチュアリズムそのものであり、イエスは一人のスピリチュアリストにすぎない。とすれば、スピリチュアリズムとアナーキズムの結合に、なんの問題があるのだろうか。・・・
相互扶助を通じて、アナーキズムの目的が実現できるなら、すべてのアナーキストにとってそれに越したことはないのではないか。
ただ、多くのアナーキストにはそのことに確信が持てないだけである。だからといって、そのことに確信を持ったアナーキストがいたとして、そこのことをもってそのアナーキストを排撃することはできないであろう。その可能性もまた誰も否定できないのだから。
ましてや、その確認から来る姿勢に対し、それが反国家のスタンスに欠けるとして、非難するとすれば、そのアナーキストは手段でしかない反国家を目的とするという、目的と手段の関係を逆転させていることになる。
問題がここまで来ると、反国家的国家依存主義について考えておかなければならない。その特徴は、まず本人はその実態に気がつかないことである。
気がつかないままに、反国家をいいながら実は自分が否定してやまない対象に依存しているという、その矛盾した姿から自分自身の目をそらせるために、反国家という側面だけを肥大化させたり、反体制としてその立場が確立されている思想に寄生して、それと自己を同一視しようとしたりする。・・・
和田氏は「対権力闘争における一手段としての暴力を何ら否定するものではない」という。それでは、あらためて和田氏に聞きたいのは、目的と手段の一致というアナーキズムの原則をどう考えるかということである。
その原則は、アナーキズムの目的内容に一致しない内容の手段は、アナーキズムの目的を実現できない、という意味であり、・・・・すなわち、目的と手段の一致という原則からいえば、暴力はアナーキズムの目的実現にとって、何の意味もないということである。・・・
和田氏が私をアナーキストとして認めないように、私も和田氏のような目的と手段の一致という原則を否定する人間をアナーキストとして認めない。また、そのような人間をアナーキストとして認める人間もアナーキストとして認めない。・・・
はっきりと分裂すべきである。そうすれば、反国家的国家依存主義者はみんな相手の方にいってくれるだろうから、それだけでもこの分裂は私から見れば大歓迎である。また、この問題に関して、自己の立場を明確にできないアナーキストは、私から見ればもうどうでもいい存在である。
2018年8・6集会資料3:1980年代の「象徴ヒロシマ」論。「なぜアナーキストは8月6日にヒロシマで集会を開くのか?」How the anarchist argued the reason "why anarchists' gathering which is held in 6th August in Hiroshima?": "Hiroshima" functions as the "Symbol" of the "Peace State Japan".
以下、ヒロシマ無政府主義研究会『8.6ヒロシマ無政府主義者全国集会実行委ニュース』(1985年6月)より一部抜粋・改変。
・・・われわれは1985年6月23日、広島にて、同志とともに、8・6集会への第一歩を踏み出した。第一回実行委において次のような質疑が集中して出された。 「なぜ8・6なのか」「なぜヒロシマなのか」「無政府主義運動とヒロシマとの接点とは」等々。これらを踏まえて総論的に述べて、無政府主義者の同志の多大の結集を呼びかけたいと思う。
「ヒロシマ」というこの象徴形態は、戦後過程の総体を集約したものであり、「象徴天皇制」と双璧をなすものと言える。それは戦後過程が「平和」という共同幻想へと集約されてゆく過程と軌を一にして成立した。
この過程において城内平和という機構が前面へと押し出され、階級関係として存在する機構そのものを抑圧、隠蔽し、矛盾存在を阻害する作用を制度的に貫徹し、既存秩序を徹底して固定化させる機能を果たしてきた。
同時に、「象徴ヒロシマ」「象徴天皇制」は、単一民族幻想と被害者幻想とを楯とした、少数民族の抑圧を「正当化」させるものとして機能している。
こうして成立した「城内平和」が、内部矛盾を抑圧・阻害する存在であるために、対外的には東アジアをはじめとする人民に対する収奪のイデオロギー的先兵の機能を果たしている。
「象徴ヒロシマ」とは日帝が帝国主義としてその機能を稼働させる過程において「象徴天皇制」とともに必要不可欠のものなのである。
こうして「象徴ヒロシマ」は、階級関係を捨象した「城内平和」と結合し、市民レベルの共同幻想へと昇華し、既存秩序・既存体制維持のシンボルとして存在している。
われわれは、このようなイデオロギーとしての「象徴ヒロシマ」に対して、叛逆の刃を投げつけなければならない。「象徴ヒロシマ」の根底的な解体とともに、戦後過程をともに支えている共同幻想としての「象徴天皇制」の解体をも視野に収めねばならない。「象徴ヒロシマ」への闘いは、このような意味で、戦後過程における日帝解体の闘いへの端緒なのだ。
すなわち、われわれは、「象徴ヒロシマ」を媒介として戦後過程を貫徹している「国家性原理」を撃つことを問題としている。われわれはこの前提の上に「8・6ヒロシマ、無政府主義者全国集会」を設定した。
以下、1985年8月6日に配布された街頭ビラ「8・6ヒロシマ 無政府主義者全国集会実行委員会」より(一部省略・改変)
・・・・ことしもまた「8.6ヒロシマ」がやってきました。そして原水禁・原水協・市民運動などで、世界大会や平和行進が行われています。「平和」を求め現状を維持し数万人の人々がそれに参加しています。そしてマスコミは、核の脅威にさらされた世界に対し、「平和国家・ニッポン」の姿!と報道します。
ところで、この「平和国家・ニッポン」の現状は、真に豊かな、自然と人間が生き生きとしている場でしょうか。第三世界を搾取し、例えばわたしたちの友であるはずのアジアの人々の反日感情は、あなたの耳には届かず、届いていても心を動かされず、複合汚染によってズタズタにされた人々や自然の叫びは国家権力によってかき消され、日米安保条約によって、今は「西側世界防衛」のためならいつでも発動可能な軍事大国となり、そんな現実を突きつけられても、まるでスクリーンを眺めているかのような無感動な人々を作り上げ、子どもたちは「平和」の締め付けのために生きる場を失い、校内暴力やいじめで反乱を起こし、「長寿国ニッポン」はあと数年もすれば若死にが多発するのは目に見えています。一体この現状で平和で豊かな「国」なのでしょうか。
この現状を隠し、「平和国家幻想」を演出しているのが、「8.6ヒロシマ原水禁運動」ではないでしょうか。平和行進で歩み、平和式典のセレモニーの中で原爆投下がいかなる状況の下に行われたのか、現実の平和がいかなるものか、という問いから免罪され安堵してしまう。この繰り返しは国家の暴走を許すほかに、何か意味があるでしょうか。
私達は、国家に依存せず、権力を利用せず、「協力・共同・共生の未来社会の萌芽」を資本と国家に対抗する自治による生活諸関係として形成し、推し広げてゆくこと、そして何よりも大地と工場を生産者の自由にして、平等な連合の下に奪い返し、人が人間としての自由な存在となりうる状況を作り出すこと、つまり、自由な社会主義・共産主義=アナキズムを、突き出すことを考え、行動しなければなりません。
今は完全に体制内化された「原水禁運動」は、真の課題を見失い、「核」対「人類」という架空の闘いに人々のエネルギーを霧散させています。
おざなりな「8・6ヒロシマ」が真の反戦反核には結びつかないことを確認し、国際的な支配階級の同盟に対決する私達の国際的反戦反国家の闘いを創り出してゆきましょう。
以下、1985年8月6日「8・6ヒロシマ」無政府主義者全国集会のビラより一部抜粋・改変。
・・・・原爆投下がいかなる歴史の結末なのかを依然として問うことなく、今なお「被爆」の時点と視点からすべてが語られ、「核戦争が起きないことと直接戦争をしていない現状」を「平和」と規程し、この「平和=現状」を守ることを闘いの主眼とする原水禁運動は、日米軍事同盟の現実を隠蔽し、「平和国家幻想」を演出することはできても、台頭する「国家防衛」論と対決できる中味は持ち得ていない。・・・・
以下、よのすけ「イデオロギー装置としての「象徴ヒロシマ」」『広島無政府主義新報』第36号(1985年?)3-4頁(一部抜粋・改変)。
・・・「8・6」をめぐる位置づけの問題はこの間一貫してあったわけであるが、やはり一番多かったのが「8・6」とアナキストとの関連および意味づけである。
「ヒロシマ」は、さまざまな矛盾存在(在日朝鮮人被爆者の存在、朝鮮人民・中国人民の強制連行―強制労働)を「平和」というイデオロギーによって隠蔽し、人民自らの対自化による総括を妨げる結果を招く、現体制の抽象度の高いイデオロギー装置として機能している。
そのことが再度の海外侵略を許容し、帝国主義国家としての「日本」を成長させる原動力となっている。それらは戦後過程における「象徴天皇制」のもとでの民主主義、単一民族幻想等と双璧をなし、・・・
支配体制にとって民主主義を利用していくかファシズムを利用していくかということはたいした問題ではなく、ようはいかにして人民を「国家」の意図に従属させていくかが重要な問題なのである。その意味において戦後過程の「国家」が採択したのが、「象徴ヒロシマ」であり「象徴天皇制」であった。
「象徴ヒロシマ」を撃つ、ということは、倒錯した人民の意識形態の相互批判を行うことであり、その中でとりあえずは戦後過程における「国家」を対自化する作業を貫徹してゆくことである。
この作業をアナキストとして意識的に遂行することをもって「8・6」の意味を再度広く投げかけるとともに、戦後過程における「日本国家」そのものを解体する視座を共有する道を探ろうとするものである。
これは何も「8・6」からすべて始まるということではなく、現象的に最も矛盾が露呈している部分を撃つことによって共有化していく一つのとっかかりにすぎないことは言うまでもない。
脱イデオロギーを装ったところの極めてイデオロギー色の濃い問題である「8・6」を「象徴天皇制」「靖国」「北方領土」等と同様の問題として考えるべきであり、「国家」の共同幻想の一環としてあるということを申し上げたい。
・・・われわれは1985年6月23日、広島にて、同志とともに、8・6集会への第一歩を踏み出した。第一回実行委において次のような質疑が集中して出された。 「なぜ8・6なのか」「なぜヒロシマなのか」「無政府主義運動とヒロシマとの接点とは」等々。これらを踏まえて総論的に述べて、無政府主義者の同志の多大の結集を呼びかけたいと思う。
「ヒロシマ」というこの象徴形態は、戦後過程の総体を集約したものであり、「象徴天皇制」と双璧をなすものと言える。それは戦後過程が「平和」という共同幻想へと集約されてゆく過程と軌を一にして成立した。
この過程において城内平和という機構が前面へと押し出され、階級関係として存在する機構そのものを抑圧、隠蔽し、矛盾存在を阻害する作用を制度的に貫徹し、既存秩序を徹底して固定化させる機能を果たしてきた。
同時に、「象徴ヒロシマ」「象徴天皇制」は、単一民族幻想と被害者幻想とを楯とした、少数民族の抑圧を「正当化」させるものとして機能している。
こうして成立した「城内平和」が、内部矛盾を抑圧・阻害する存在であるために、対外的には東アジアをはじめとする人民に対する収奪のイデオロギー的先兵の機能を果たしている。
「象徴ヒロシマ」とは日帝が帝国主義としてその機能を稼働させる過程において「象徴天皇制」とともに必要不可欠のものなのである。
こうして「象徴ヒロシマ」は、階級関係を捨象した「城内平和」と結合し、市民レベルの共同幻想へと昇華し、既存秩序・既存体制維持のシンボルとして存在している。
われわれは、このようなイデオロギーとしての「象徴ヒロシマ」に対して、叛逆の刃を投げつけなければならない。「象徴ヒロシマ」の根底的な解体とともに、戦後過程をともに支えている共同幻想としての「象徴天皇制」の解体をも視野に収めねばならない。「象徴ヒロシマ」への闘いは、このような意味で、戦後過程における日帝解体の闘いへの端緒なのだ。
すなわち、われわれは、「象徴ヒロシマ」を媒介として戦後過程を貫徹している「国家性原理」を撃つことを問題としている。われわれはこの前提の上に「8・6ヒロシマ、無政府主義者全国集会」を設定した。
以下、1985年8月6日に配布された街頭ビラ「8・6ヒロシマ 無政府主義者全国集会実行委員会」より(一部省略・改変)
・・・・ことしもまた「8.6ヒロシマ」がやってきました。そして原水禁・原水協・市民運動などで、世界大会や平和行進が行われています。「平和」を求め現状を維持し数万人の人々がそれに参加しています。そしてマスコミは、核の脅威にさらされた世界に対し、「平和国家・ニッポン」の姿!と報道します。
ところで、この「平和国家・ニッポン」の現状は、真に豊かな、自然と人間が生き生きとしている場でしょうか。第三世界を搾取し、例えばわたしたちの友であるはずのアジアの人々の反日感情は、あなたの耳には届かず、届いていても心を動かされず、複合汚染によってズタズタにされた人々や自然の叫びは国家権力によってかき消され、日米安保条約によって、今は「西側世界防衛」のためならいつでも発動可能な軍事大国となり、そんな現実を突きつけられても、まるでスクリーンを眺めているかのような無感動な人々を作り上げ、子どもたちは「平和」の締め付けのために生きる場を失い、校内暴力やいじめで反乱を起こし、「長寿国ニッポン」はあと数年もすれば若死にが多発するのは目に見えています。一体この現状で平和で豊かな「国」なのでしょうか。
この現状を隠し、「平和国家幻想」を演出しているのが、「8.6ヒロシマ原水禁運動」ではないでしょうか。平和行進で歩み、平和式典のセレモニーの中で原爆投下がいかなる状況の下に行われたのか、現実の平和がいかなるものか、という問いから免罪され安堵してしまう。この繰り返しは国家の暴走を許すほかに、何か意味があるでしょうか。
私達は、国家に依存せず、権力を利用せず、「協力・共同・共生の未来社会の萌芽」を資本と国家に対抗する自治による生活諸関係として形成し、推し広げてゆくこと、そして何よりも大地と工場を生産者の自由にして、平等な連合の下に奪い返し、人が人間としての自由な存在となりうる状況を作り出すこと、つまり、自由な社会主義・共産主義=アナキズムを、突き出すことを考え、行動しなければなりません。
今は完全に体制内化された「原水禁運動」は、真の課題を見失い、「核」対「人類」という架空の闘いに人々のエネルギーを霧散させています。
おざなりな「8・6ヒロシマ」が真の反戦反核には結びつかないことを確認し、国際的な支配階級の同盟に対決する私達の国際的反戦反国家の闘いを創り出してゆきましょう。
以下、1985年8月6日「8・6ヒロシマ」無政府主義者全国集会のビラより一部抜粋・改変。
・・・・原爆投下がいかなる歴史の結末なのかを依然として問うことなく、今なお「被爆」の時点と視点からすべてが語られ、「核戦争が起きないことと直接戦争をしていない現状」を「平和」と規程し、この「平和=現状」を守ることを闘いの主眼とする原水禁運動は、日米軍事同盟の現実を隠蔽し、「平和国家幻想」を演出することはできても、台頭する「国家防衛」論と対決できる中味は持ち得ていない。・・・・
以下、よのすけ「イデオロギー装置としての「象徴ヒロシマ」」『広島無政府主義新報』第36号(1985年?)3-4頁(一部抜粋・改変)。
・・・「8・6」をめぐる位置づけの問題はこの間一貫してあったわけであるが、やはり一番多かったのが「8・6」とアナキストとの関連および意味づけである。
「ヒロシマ」は、さまざまな矛盾存在(在日朝鮮人被爆者の存在、朝鮮人民・中国人民の強制連行―強制労働)を「平和」というイデオロギーによって隠蔽し、人民自らの対自化による総括を妨げる結果を招く、現体制の抽象度の高いイデオロギー装置として機能している。
そのことが再度の海外侵略を許容し、帝国主義国家としての「日本」を成長させる原動力となっている。それらは戦後過程における「象徴天皇制」のもとでの民主主義、単一民族幻想等と双璧をなし、・・・
支配体制にとって民主主義を利用していくかファシズムを利用していくかということはたいした問題ではなく、ようはいかにして人民を「国家」の意図に従属させていくかが重要な問題なのである。その意味において戦後過程の「国家」が採択したのが、「象徴ヒロシマ」であり「象徴天皇制」であった。
「象徴ヒロシマ」を撃つ、ということは、倒錯した人民の意識形態の相互批判を行うことであり、その中でとりあえずは戦後過程における「国家」を対自化する作業を貫徹してゆくことである。
この作業をアナキストとして意識的に遂行することをもって「8・6」の意味を再度広く投げかけるとともに、戦後過程における「日本国家」そのものを解体する視座を共有する道を探ろうとするものである。
これは何も「8・6」からすべて始まるということではなく、現象的に最も矛盾が露呈している部分を撃つことによって共有化していく一つのとっかかりにすぎないことは言うまでもない。
脱イデオロギーを装ったところの極めてイデオロギー色の濃い問題である「8・6」を「象徴天皇制」「靖国」「北方領土」等と同様の問題として考えるべきであり、「国家」の共同幻想の一環としてあるということを申し上げたい。
2018年8月1日水曜日
2018年8・6集会の資料2:なぜアナーキストは毎年8月6日に広島で開催される平和記念式典に対して抗議をするのか ( 広島無政府主義研究会のビラより一部を抜粋・改変)Why the anarchists protest every year against the Hiroshima Peace Memorial Ceremony of the August 6 (extracted from a flyer of Hiroshima anarchist study group)
原爆投下を喜んだ人々と広島との関係
広島への原爆投下によって「これで戦争が終わる」と喜び、8月11日には「日本が降服した」と闇市情報までが飛び交ったのは、他でもないこの広島に拠点があり、1941年12月8日以降、陸軍第5師団によって侵略された、マレーシア(マライ)、シンガポールの人々でした。
1946年に描かれた劉抗(リュウカン)さん『チョプス』(めこん出版 中原道子訳/解説)に第5師団が何をしたのかが描かれています。
1941年12月8日未明、マレー半島の東側のコタ・バルに上陸した日本陸軍の最終目的地はシンガポールでした。1942年2月3日から開始されたシンガポール攻撃によってイギリス軍は降伏しました。
この戦闘で日本軍が勝利する可能性も考慮したシンガポールの人々が行ったのは港や石油基地、ゴム農園の産業の破壊や通貨の焼却、そして、何よりも東アジア全域に供給できるほどあった酒類を破棄することでした。
すでに中国や朝鮮などで日本軍は、虐殺や女性への強姦などで世界中を震撼させていました。このことを知っていた人々は、シンガポールでもそのような暴力が起きることに恐怖を感じました。
そのために、日本軍に酒類を渡してはならないと考えたのです。マライ、シンガポール侵略は、第25軍司令官山下泰文の指揮によって展開しました。
なお、後に山下は、フィリピンに転戦し、敗走することになりますが、1945年2月、フィリピンにあった山下の邸宅の倉庫には、スコッチウイスキーが山積みされており、下級兵士に持って逃げさせるためにドラム缶2本に流し込んでも、まだ残っていたほどでした。戦争の最中に、これだけの量のスコッチウイスキーをどこから持ってきたのでしょうか。
1941年以降、当然、マライ、シンガポールでも拷問や虐殺、略奪、強姦などのありとあらゆる暴力が吹き荒れました。
マレーシアやシンガポールに「ロームシャ」、「トナリグミ」、「キヲツケ」、「バカヤロ」、そして、「オンナ」という第5師団が持ち込んだ言葉が、そのままマレー語、あるいはインドネシア語として今でも使われています。中原道子さんによれば:
・・・日本では昔も今も当たり前となっているビンタですが、マライやシンガポールの人々にとって、人の顔をひっぱたくというのは粗暴であり無礼極まりない行為であり、こんなことは見たことも聞いたこともない行為だったのです。第5師団の兵士たちが人の顔をひっぱたき、平気でバスから立ちションベンをするくせに「服のボタンがちゃんとはまっていない、行儀作法は重んじられるべし!」と言って鼻を引っ張ってビンタをするというめちゃくちゃな日本人の行儀作法は戦争が終った後も記憶されました。
このような軍隊を送り出した広島に原爆が投下されたのです。
マライ、シンガポールの人々に暴行を加え、虐殺したのだから、その分我慢しろ!と言いたいわけではありません。
しかし、なぜ広島に原爆が投下されなければならなかったのか、また、なぜ、マライ、シンガポールの人々が「これで戦争が終わる」と喜んだのか、ということについては、真摯かつ丁寧に考えなければならないでしょう。
広島平和記念式典の欺瞞性
これに対して、毎年行われている「広島平和祈念式典」は、原爆が広島になぜ投下されなければならなかったのか、という、誰もが持っている疑問については、何も答えようとはしません。
たとえば、「過ちは繰り返しません」の「過ち」とは一体だれがだれに対して行った「過ち」なのか?という疑問です。そして、現憲法の9条が、しばしば言われるように「戦争の反省」から生まれたものであるなら、その「戦争の反省」とは一体だれがだれに対して行う「反省」なのか?という疑問です。
その一方で、ここ数年、そして今年も言われるであろう「戦争体験、被爆体験の風化」が懸念されながらも、現実には「戦争法」が成立し、「核兵器禁止条約」に背を向け、憲法改悪が着々と進んでいるではありませんか。
一体、何に「過ち」を感じて「反省」して、何の「風化」を懸念しているのでしょうか。
1985年、第二次世界大戦終結40年の式典で、当時のドイツ大統領ヴァイツゼッカーは、「 過去に目を閉ざす者は現在に対して盲目になる」という名言を発しました。
では、私たちは、1945年8月6日の原爆投下という過去を、毎年どのように回想しているでしょうか。
毎年8月6日、平和記念式典では、1945年8月6日の広島が想起され、全世界に向けて、「核と人類は共存できない」というメッセージが出され続けています。
そのような「想起」を通じて「ヒロシマ」が「国際平和都市」であるということがアピールされてきました。
それと同時に、私たちは、日本が戦争をしていないし、ある日、突然、原爆が落ちてくるような気配もない、そのような「平和な時代」として現在の日本をみてしまうことを毎年8月6日に繰り返しています。
しかもこの「想起」は、明治以降、日清、日露戦争、第一次世界大戦、シベリア出兵、中国、アジア太平洋各地に出兵して行った1945年8月5日までの過去は想起しない、という身勝手な「想起」なのです。
このような「想起」をすればするだけ、わたしたちは「現在」に対して「盲目」になってしまうのではないでしょうか。
戦後のヒロシマが「平和都市」として全世界に核の恐ろしさを訴え続けた一方で、同時にそのヒロシマは、アメリカのABCC[原爆傷害調査委員会:Atomic Bomb Casualty Commissionの略称]が被爆者のデータをせっせと集めてはアメリカ本国に送るという米ソ冷戦構造の最前線でもあった、ということに、どれだけの人々が問題意識を持ってきたのでしょうか。
そもそも、あの戦争屋の安倍首相が、「平和記念式典」に出席して、全世界に向けて「平和の尊さ」を高らかに宣言すること自体がすでに問題です。
こうやってみてくると、「平和」とは「戦争がない」ということではなく、「一見するとあたかも平和な時代に見える今現在」「現に今ここにあるこの日常の平和な暮らし」の中に「戦争」がある、という状態のことをいっているだけだ、ということがわかってくるのです。
こういったことに疑問を持たないばかりか、8時15分に黙祷をしたりダイインをしたりすることは、「死者の前では居住まいや襟を正すべき」という場合の「死者」であるところの原爆犠牲者をタテにしたごまかし以外の何ものでもありません。
「平和」を祈ってやっているようなそういった行為は、実は、「平和」を祈っていると宣言しながら戦争を推進している、あの、戦争屋の安倍による欺瞞と何ら変わるところはないのです。
どうやって死者を追悼すればよいのか
広島への原爆投下によって14万人が死んだわけですが、ここで問われなければならないことは、亡くなった一人一人にはきちんと顔と名前があったにも関わらず、それを単に「原爆犠牲者14万人」として一塊の数として束ねていることです。わたしたちはこのことにあまりにも無自覚になっているのではないでしょうか。
原爆で死んだのは日本人だけではありません。日本に強制連行された中国人、朝鮮人もいましたし、アメリカ軍の捕虜もいました。その死は「原爆犠牲者14万人」として黙祷できるものですか。原爆で死んでしまったら、原爆を落とした側も落とされた側も同列にしていいものですか。
こういった問題を忘れて、8時15分になればダイインや黙祷をするというのは、死者に対する冒涜ではないでしょうか。
原爆犠牲者14万人の一人一人の顔を思い浮かべることも、名前を呼ぶことも、死んだ子の歳を数えることもできない、何よりも原爆犠牲者と今生きている自分との間にある断絶を、心底思い知らされることを抜きにして、一体どのような原爆犠牲者に対する向き合い方があると言うのでしょうか。
紀貫之は、我が子の死に対する自身の断絶感を『土佐日記』に書きました。しかし、死んだ子がどうやっても生き返ってくることはない以上、忘れな草も忘れ貝も、そして、あけても暮れても書き綴る日記さえも、何のなぐさめにならないばかりか、ごまかしにしかならないと思い知りました。
死者に向き合うとは、こういうことではないでしょうか。
広島への原爆投下によって「これで戦争が終わる」と喜び、8月11日には「日本が降服した」と闇市情報までが飛び交ったのは、他でもないこの広島に拠点があり、1941年12月8日以降、陸軍第5師団によって侵略された、マレーシア(マライ)、シンガポールの人々でした。
1946年に描かれた劉抗(リュウカン)さん『チョプス』(めこん出版 中原道子訳/解説)に第5師団が何をしたのかが描かれています。
1941年12月8日未明、マレー半島の東側のコタ・バルに上陸した日本陸軍の最終目的地はシンガポールでした。1942年2月3日から開始されたシンガポール攻撃によってイギリス軍は降伏しました。
この戦闘で日本軍が勝利する可能性も考慮したシンガポールの人々が行ったのは港や石油基地、ゴム農園の産業の破壊や通貨の焼却、そして、何よりも東アジア全域に供給できるほどあった酒類を破棄することでした。
すでに中国や朝鮮などで日本軍は、虐殺や女性への強姦などで世界中を震撼させていました。このことを知っていた人々は、シンガポールでもそのような暴力が起きることに恐怖を感じました。
そのために、日本軍に酒類を渡してはならないと考えたのです。マライ、シンガポール侵略は、第25軍司令官山下泰文の指揮によって展開しました。
なお、後に山下は、フィリピンに転戦し、敗走することになりますが、1945年2月、フィリピンにあった山下の邸宅の倉庫には、スコッチウイスキーが山積みされており、下級兵士に持って逃げさせるためにドラム缶2本に流し込んでも、まだ残っていたほどでした。戦争の最中に、これだけの量のスコッチウイスキーをどこから持ってきたのでしょうか。
1941年以降、当然、マライ、シンガポールでも拷問や虐殺、略奪、強姦などのありとあらゆる暴力が吹き荒れました。
マレーシアやシンガポールに「ロームシャ」、「トナリグミ」、「キヲツケ」、「バカヤロ」、そして、「オンナ」という第5師団が持ち込んだ言葉が、そのままマレー語、あるいはインドネシア語として今でも使われています。中原道子さんによれば:
・・・日本では昔も今も当たり前となっているビンタですが、マライやシンガポールの人々にとって、人の顔をひっぱたくというのは粗暴であり無礼極まりない行為であり、こんなことは見たことも聞いたこともない行為だったのです。第5師団の兵士たちが人の顔をひっぱたき、平気でバスから立ちションベンをするくせに「服のボタンがちゃんとはまっていない、行儀作法は重んじられるべし!」と言って鼻を引っ張ってビンタをするというめちゃくちゃな日本人の行儀作法は戦争が終った後も記憶されました。
このような軍隊を送り出した広島に原爆が投下されたのです。
マライ、シンガポールの人々に暴行を加え、虐殺したのだから、その分我慢しろ!と言いたいわけではありません。
しかし、なぜ広島に原爆が投下されなければならなかったのか、また、なぜ、マライ、シンガポールの人々が「これで戦争が終わる」と喜んだのか、ということについては、真摯かつ丁寧に考えなければならないでしょう。
広島平和記念式典の欺瞞性
これに対して、毎年行われている「広島平和祈念式典」は、原爆が広島になぜ投下されなければならなかったのか、という、誰もが持っている疑問については、何も答えようとはしません。
たとえば、「過ちは繰り返しません」の「過ち」とは一体だれがだれに対して行った「過ち」なのか?という疑問です。そして、現憲法の9条が、しばしば言われるように「戦争の反省」から生まれたものであるなら、その「戦争の反省」とは一体だれがだれに対して行う「反省」なのか?という疑問です。
その一方で、ここ数年、そして今年も言われるであろう「戦争体験、被爆体験の風化」が懸念されながらも、現実には「戦争法」が成立し、「核兵器禁止条約」に背を向け、憲法改悪が着々と進んでいるではありませんか。
一体、何に「過ち」を感じて「反省」して、何の「風化」を懸念しているのでしょうか。
1985年、第二次世界大戦終結40年の式典で、当時のドイツ大統領ヴァイツゼッカーは、「 過去に目を閉ざす者は現在に対して盲目になる」という名言を発しました。
では、私たちは、1945年8月6日の原爆投下という過去を、毎年どのように回想しているでしょうか。
毎年8月6日、平和記念式典では、1945年8月6日の広島が想起され、全世界に向けて、「核と人類は共存できない」というメッセージが出され続けています。
そのような「想起」を通じて「ヒロシマ」が「国際平和都市」であるということがアピールされてきました。
それと同時に、私たちは、日本が戦争をしていないし、ある日、突然、原爆が落ちてくるような気配もない、そのような「平和な時代」として現在の日本をみてしまうことを毎年8月6日に繰り返しています。
しかもこの「想起」は、明治以降、日清、日露戦争、第一次世界大戦、シベリア出兵、中国、アジア太平洋各地に出兵して行った1945年8月5日までの過去は想起しない、という身勝手な「想起」なのです。
このような「想起」をすればするだけ、わたしたちは「現在」に対して「盲目」になってしまうのではないでしょうか。
戦後のヒロシマが「平和都市」として全世界に核の恐ろしさを訴え続けた一方で、同時にそのヒロシマは、アメリカのABCC[原爆傷害調査委員会:Atomic Bomb Casualty Commissionの略称]が被爆者のデータをせっせと集めてはアメリカ本国に送るという米ソ冷戦構造の最前線でもあった、ということに、どれだけの人々が問題意識を持ってきたのでしょうか。
そもそも、あの戦争屋の安倍首相が、「平和記念式典」に出席して、全世界に向けて「平和の尊さ」を高らかに宣言すること自体がすでに問題です。
こうやってみてくると、「平和」とは「戦争がない」ということではなく、「一見するとあたかも平和な時代に見える今現在」「現に今ここにあるこの日常の平和な暮らし」の中に「戦争」がある、という状態のことをいっているだけだ、ということがわかってくるのです。
こういったことに疑問を持たないばかりか、8時15分に黙祷をしたりダイインをしたりすることは、「死者の前では居住まいや襟を正すべき」という場合の「死者」であるところの原爆犠牲者をタテにしたごまかし以外の何ものでもありません。
「平和」を祈ってやっているようなそういった行為は、実は、「平和」を祈っていると宣言しながら戦争を推進している、あの、戦争屋の安倍による欺瞞と何ら変わるところはないのです。
どうやって死者を追悼すればよいのか
広島への原爆投下によって14万人が死んだわけですが、ここで問われなければならないことは、亡くなった一人一人にはきちんと顔と名前があったにも関わらず、それを単に「原爆犠牲者14万人」として一塊の数として束ねていることです。わたしたちはこのことにあまりにも無自覚になっているのではないでしょうか。
原爆で死んだのは日本人だけではありません。日本に強制連行された中国人、朝鮮人もいましたし、アメリカ軍の捕虜もいました。その死は「原爆犠牲者14万人」として黙祷できるものですか。原爆で死んでしまったら、原爆を落とした側も落とされた側も同列にしていいものですか。
こういった問題を忘れて、8時15分になればダイインや黙祷をするというのは、死者に対する冒涜ではないでしょうか。
原爆犠牲者14万人の一人一人の顔を思い浮かべることも、名前を呼ぶことも、死んだ子の歳を数えることもできない、何よりも原爆犠牲者と今生きている自分との間にある断絶を、心底思い知らされることを抜きにして、一体どのような原爆犠牲者に対する向き合い方があると言うのでしょうか。
紀貫之は、我が子の死に対する自身の断絶感を『土佐日記』に書きました。しかし、死んだ子がどうやっても生き返ってくることはない以上、忘れな草も忘れ貝も、そして、あけても暮れても書き綴る日記さえも、何のなぐさめにならないばかりか、ごまかしにしかならないと思い知りました。
死者に向き合うとは、こういうことではないでしょうか。
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