2023年9月9日土曜日

本日、2023日9月9日(土)19時より、新宿のIRAでアナーキズムの話をする会があります(参加自由)Today, September 9, at 7pm., anarchist gathering at IRA, Shinjuku.

 本日、9月9日(土)19時より、新宿のIRAでアナーキズムについて話をする会があります。

スイスのMircoさんから、現地での活動についてお話を聞きます。日本語ときどき英語ぐらいになると思いますので、英語ができない人,、得意でない人も、日本語ができない人、得意でない人も、誰でもぜひご参加ください。

Today, Saturday, September 9, at 7:00 p.m., there will be a meeting at IRA in Shinjuku to talk about anarchism.  Mirco from Switzerland will talk about his activities there. The talk will be in Japanese and sometimes in English, so please join us, no matter if you cannot speak English or not, or if you cannot speak Japanese or not, please join us.

https://irregularrhythmasylum.blogspot.com/

 

 

 

2023年7月29日土曜日

この年広島集会で配布するビラ、集会の実施スケジュール

 以下、広島集会の当日のスケジュールです。

2023年8月6日(日)
7時~ 元安橋前ビラ撒き情宣
9時半~ デモ 旧市民球場跡地集合
13時~ 加納実紀代資料室見学
14時半~ 8.6ヒロシマ集会(東区民センター)
主催 8.6ヒロシマ集会実行委員会
連絡先 free_workers_federation@riseup.net

以下は、当日に配布するビラです。上記スケジュールの通り、早朝から配布するので、手伝うことができる方は、ご参集ください。-------------------------------------------------------------------------------------------- 

岸田やめろ!軍拡やめろ!増税やめろ!来るな!

 先日のG7首脳サミットは予想どおり『ヒロシマの思い』とは大きくかけ離れたものでした。岸田首相は5月21日の記者会見で『核兵器を使わない、核兵器で脅さない。人類の存続に関する根源的な命題を今こそ問わなければならない』と発言。しかし、その一方でバイデンは岩国基地に降り立ち、平和公園に核のボタンを持参し、5月20日、佐世保港に米軍の原子力空母ニミッツを入港させる無限軌道ぶりでした。『広島出身』の岸田首相──実は東京都出身の東京育ち!夏休みと冬休みに田舎の広島のおじいちゃん家に行くだけ!──に連れられてG7の首脳たちはこぞって平和資料館に行き被爆者とも会いました。広島の夏を彩るキョウチクトウをサミット警備の名目で刈り取っておきながら平和公園に『平和の願い』をこめて植樹もしましたね。なるほどG7の首脳たちは『ヒロシマのような悲劇は二度と起こしてはならない。あやまちはくり返してはならない』と思ったことでしょう。岸田首相は記者会見で平和公園を設計した故丹下健三の思いを紹介し『平和と繁栄を守り抜く決意を発信する上で広島の地ほどふさわしい場所はない』と発言しましたが、この発言に嘘、偽りは全くないと言ってもいいでしょう。なぜなら、G7の首脳たちと『平和と繁栄を守り抜く』ためには核兵器を持つことも辞さない、核抑止力の肯定を共有化したのですから。サミットに来た核保有国のどこか1国でも『核兵器を持つのはもうやめる!』とでも言いましたか。そんな話はありませんよね!平和公園も原爆ドームも被爆者の語り部もそして今日の平和記念式典での一切が『平和と繁栄を守り抜く』に落ちてしまうのですから。
 すでに何度も言い尽くされてきたように、戦後の広島は『国際平和都市』であると同時に東西冷戦の最前線でもありました。比治山にあった『ABCC』今の『放射線影響研究所』では被爆者の膨大なデーターを集めてワシントンに送っていたわけですよね。そして広島市周辺にははやいところで呉基地、海田の陸上自衛隊、拡張を続ける岩国基地、その他、江田島の秋月弾薬厰、呉の広弾薬厰、東広島の川上弾薬厰、この3カ所の弾薬厰は東アジア最大規模です。川上弾薬厰のすぐ横をJR線が走っていますが、こんな危険な状態がなぜ問題にならないのでしょうか。そしてG7サミットではゼレンスキーの電撃参加によりウクライナとのさらなる国際連帯をうち固め、ロシア、中国との対決姿勢をより鮮明にしましたが、まさに戦争会議ではありませんか。これでもまだこの広島は『国際平和都市』ですか!つまるところ『広島は戦争になることを望んではいないが結局は戦争になることを望んではいる街』であり、『広島は戦争になることを望んではいるが結局は戦争になることを望んではいない街』と言ってもかごんではないでしょう。そして『平和憲法9条』を持っ私たちは、まさか本当に戦争になるなどとは思ってもいません。そうですよね。もしかりに戦争になったとしてもそんな最悪なことにはならないだろうと思ってますよね。そうですよね──フクイチの原発だってまさか本当にあんな大事故を起こすとは考えていなかったし、街はいつも通り動いていた──今、現に対中国を睨んで南西諸島に自衛隊が配備され、今年の1月米海兵隊は離島防衛を口実にした2000人規模の『海兵沿岸連隊』(MLR)を創設しましたが、私たちのこの『日常』はいつも通り『平和』です。この『平和』と呉基地や岩国基地や南西諸島の軍事拠点化が地続きであるとは思いもしませんよね。こうして私たちは会社であっても学校であっても電車の中であっても〈みんな〉と同じようなことを〈みんな〉と同じように〈みんな〉といっしょにやる。多少気に入らなくてもとりあえず右ならえしておく。これがいつもの『平和な日常』ですよね。いちいち事を荒立て波風を立てるソッポ向いたりヘソ曲げる者がどれだけ面倒くさいか。たぶん(あの頃の戦争中だって!)今、私たちが戦争に巻き込まれるとすればなんとなくこんな感じじゃないでしょうか。だとすれば私たちは岸田首相のアピールを〈みんな〉と同じように〈みんな〉といっしょにきいて『平和の尊さ』を実感している場合ではないでしょう!
 まず何よりも岸田首相自身が親族を原爆で殺された当事者ではありませんか。にもかかわらず、いや、だからこそと言うべきか、被爆者たちの思いにことごとく背を向ける。それが宰相としてあるべき姿なのだと言われれば返す言葉はありませんが、そのふるまいはあまりにも道化じみていませんか。本音とタテマエを使い分けて核の抑止力については言う分とも核を廃絶するなどそんな気はサラサラないことは明らかではありませんか!すべては岸田首相自身のステイタスをあげるための政治的パフォーマンスでしかありません。原爆による死者は岸田首相の政治的パフォーマンスのために死んだわけではありません!時をもどそう!

2023年7月10日月曜日

今年の広島集会の開催が決定しました

 もう1ヶ月を切りましたが、告知します。今年の8月6日は、広島で会いましょう。

2023年の広島集会のスケジュール

8月6日(日)

7-8時半 情宣活動、9時半~ デモ、11時から12時半 フィールドワーク、13-14時 休憩、

14-17時 広島市内で集会(1)サン・ティミエ国際アナーキスト集会についての報告、(2)戦争PTSD証言者の話(オンライン)、18-20時 交流会 終了

連絡先:8・6広島集会実行委員会 free_workers_federation@riseup.net



 

 

 

2023年4月28日金曜日

大阪・中之島「水上メーデー」の告知(転載)Announcement of "May Day on the Water" in Nakanoshima, Osaka

以下、https://maydaydayone.blogspot.com/2023/04/blog-post.html

より転載

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 日本列島史上初!?!?水上メーデーが帰ってきた(昨年雨で中止になった中之島水上メーデーを今年2023年はやります)。5月1日は11時に天神橋南側遊歩道集合、12-15時に水上メーデー、片付け・着替えのあとに17時から扇町公園にて討論集会。ボートを用意しております。雨天中止、小雨の場合は当日判断。

 


今年は水上メーデーやります

昨年計画していたものの雨のため中止となった水上メーデーを今年は開催します。昨年からあたためていたボート何隻かも用意しております。どちら様も隣近所お誘いあわせのうえ奮ってお越しください。


<よびかけ文>
 あー、ひとにやさしく、自分にもやさしくがモットーの『帰ってきた中之島水上メーデー実行委員会』です。うっせえ、うっせえ、うっせえ。あなたが思うより健康です。君にSAY YES!
 
 さて、今日は5月1日のメーデーの日なわけで、なかまのみなさんといっしょにメーデーを闘いましょうよということで、わたしたちは無謀にもこの中之島の大川にゴムボートを浮かべて水上集会をやろうという、これは日本のメーデー100年の歴史上初の企画のようですが、昨年は雨のために残念ながら中止になってしまいました。4年前の『レッツゴーメーデー』からはじまり、『青空メーデー』、『メーデーさりげなく』となんだかよくわからない、ん?と思うようなメーデーばかりやっていましたが、昨年の『中之島水上メーデー』、そして『帰ってきた中之島水上メーデー』とようやくピシッとした感じのメーデーをすることになり、なんとなくわたしたちなりの色を出せてる感じがしているなぁと思うわけです。・・・・・・メーデーですね!そちらの方もメーデーですね!闘うメーデーもなかなかステキですよね。あちらの方もメーデーですね!ひょっとして示し合わせて来られたとか・・・。そんなわけではないか(笑)それでははりきってまいりましょう!ゴー!ゴー!

 最近、わたしがニュースでよく見るのは毎日のように万引き事件が起きていることです。手元にある資料には、家族5人でレジを取り囲んで、手元を隠す(3月26日文春オンライン)。これはどういうことかと言うと、最近増えてきたセルフレジを中高生の子どもを含む家族5人で取り囲んで清算するようにみせながら商品を盗った事件です。同じ日、富山ではパンを万引きした女性が逮捕。3月25日には愛知県の稲沢市のドラッグストアーでニキビ用の薬を万引きした男性が取り押さえようとした店長を殴って怪我をさせて逃走。この日、札幌では70歳の男性がショッピングセンターでお弁当を盗って逮捕。ちなみにこの日、失踪が報じられていた『おすぎとピーコ』のピーコさん(78)も万引きして逮捕されていました。3月19日、名古屋のコンビニで雑誌を万引きした男性が店長を殴って怪我させて逮捕。3月5日には、群馬県のスーパーで万引きした男性が店長に怪我させて逮捕。2月15日には北海道で食品(192円)を盗った女性が逮捕。と、相次いでいます。ここでは万引き、窃盗が良いとか悪いとかの話はしません。この社会の一般常識からすればそれは許されないことになっていますし、全ての犯罪は革命的だ!などと無責任なことを言うつもりもありません。問題はなぜこんなにも万引きが増えているのかということではないでしょうか。なぜ、家族ぐるみでセルフレジを取り囲んだり、192円の食品のお金が払えなかったのか、70歳の男性がお弁当のお金を払うことができなかったのでしょうか。等しなみに言うならこのところの特殊詐欺事件もそうですが、他人に対しての距離感であるとか、緊張感とかモラルと言ったものが希薄になっているのではないかと思うのです。では、なぜ希薄になっているのでしょうか。
 先日のニュースでは、サラリーマンがお昼のランチ500円を払うことに躊躇していると報じていました。働いても生活ができないのに、それでもまだ働かねばならない状態はこれまで多くの人たちから指摘されてきました。それがサラリーマンのお昼のランチまで押し寄せてきているのですね。最近では立ち食いそばで一番安いメニューを選ぶ人たちが増えていることへの指摘もありました。今や人材派遣会社や資本家までが賃上げを言う時代になりました。悪い冗談ではありませんか。よく言われる『働かざる者は食うべからず』とは実は働かない者は食うな!ということではなく、この社会ではどんなに必死で働いても他人から見て『お前は働いてない、怠けている!』と言われれば、その者は『働いていない』ことになる意味なのです。働くことの評価ってそうではありませんか。今、インターネットでは『五公五民』が注目のキーワードになっています。これは江戸時代の米の年貢の取り立てを示す、10のうち5を年貢にして残りの5を自分が食べる、食べると言ってもその5の中からさらに翌年の種もみを残しますから、食べる米はさらに少なくなります。岸田政権の増税によって給料の半分が税金として取られていることに対して『五公五民』という言い方が拡がっているのです。実際、給料の明細書をみてあまりの金額の少なさにこれは何のまちがいではないか、違う人の給料とまちがえているのではないかと思う人たちもいるのではないでしょう
か。これは私ごとですが、夜勤を月17日して、給料が16万円です。15時から翌朝の10時まで夜勤をして1日1万6000円の給料が結果として
1万円を割っている状態です。では、こういう形で納めた各種税金がそれに見合う形で使われているのか、例えば年金生活の高齢者が落ち着いて生活ができているのかと言えばそうではなく、長年働いて貯めた年金はさらに削られているし、生活保護費も減額されています。だからこそさきほどの70歳の男性のように食品を心ならずも盗るしかない(金額にして663円)。ことになるわけですよね。これまで何度も書いたように野宿者のために行っているはずの炊き出しの列に野宿者よりも年金生活者や生活保護受給者の方が多く並んでいるというのはどういうことなのでしょうか。そして、今や列島でー沖縄や北海道の歴史を考えた時、『全国』という言い方は控えたいー6000か所を超えた子ども食堂の増加を考えた時、いったいわたしたちの税金はどこに消えてしまったのでしょうか。これは端からみればすでに『異常』なことではないでしょうか。親が働いているにもかかわらず子どもは子ども食堂でご飯を食べているのですから。それが『異常』なことではなく、『日常』の一コマとして、エピソードになっているばかりか、そこでご飯を食べる子どもたちの姿が微笑ましい光景にまでなっているわけですよね。こんなのがアリですか。そのように考えるなら国会でやっている今年度の予算云々は社会の状態を考えて税金の使い道を決めるということですよね。わたしはそう言いましたが、ちがいますか。しかし、毎年やっている今年度の予算云々が社会の真実に全然かみあっていないのなら、はっきり言ってそれは政策の失敗だし、国会での議論が的はずれということではありませんか。こんなことしかできない銭食い虫や穀つぶしはもういりません!これはもう社会の破綻じゃないですか。だってそうでしょう。政策がきちっとしていて、国会の議論が的を得てるものなら人々は落ち着いた生活になるはずじゃないですか。若者たちがわざわざ危ない橋を渡って高齢者から100万円騙しとったのにその報酬は3万円のそれに見合わないような闇バイトの特殊詐欺や先程あげた人たちのように万引きをしようとは思わないでしょう。

<スケジュール・詳細>
スケジュール
11時に天神橋南側遊歩道集合
12-15時水上メーデー集会
15時で片付け・着替えなど
17時から扇町公園で討論集会(雨の場合は西梅田公園)

注意事項
・参加される方は着替え・海パンなどを用意してください。
・雨天中止、小雨の場合は当日判断。

主催
・帰ってきた中之島水上メーデー実行委員会(連絡先・09066778602)

2023年4月5日水曜日

大杉栄 「社会的理想論」『労働運動』(第一次)第6号、1920年6月号 Sakae Osugi, "Social Ideals", Labor Movement, June 1920 (Commemorating the 100 Years Anniversary of Osugi's death)

・・・  人生とは何ぞやという事は、かつて哲学史上の主題であった。そしてそれに対する種々の解答が、いわゆる大哲学者らによって提出された。
 しかし、人生は決して、あらかじめ定められた、すなわちちゃんと出来上がった1冊の本ではない。各人がそこへ1字1字書いていく、白紙の本だ。人間が生きていくそのことがすなわち人生なのだ。
 労働運動とは何ぞや、という問題にしても、やはり同じ事だ。労働問題は労働者にとっての人生問題だ。労働者は、労働問題というこの白紙の大きな本の中に、その運動によって1字1字、1行1行、1枚1枚ずつ書き入れて行くのだ。・・・・
 労働者がその建設しようとする将来社会についての観念、理念についても、やはり同じ事だ。無政府主義や、社会民主主義や、センディカリスムや、またはギルド社会主義等の、将来社会についての観念や理想は、あるいはヨオロッパやアメリカの労働者自身が築き上げてきた力や光であるかも知れない。彼らはその力と光との下に進むがいい。しかしその観念や理想は、日本の労働者が今日まで築き上げてきた現実とは、まだだいぶ距離がある。
僕らはやはり、僕ら自身の気質と周囲の状況とに応じて、僕らの現実を高める事に努力しつつ、それによって僕ら相応の観念と理想とを求めるほかはないのだ。
 そしてそこに、僕らのいわゆる、信者の如くに行動しつつ、懐疑者の如くに思索する、という標語が出てくるのだ。

Translation:
 "What is life?" This question has been the subject of philosophical history in the past. Various answers to this question were proposed by the so-called great philosophers.

 However, life is never a pre-determined, or properly completed, book. It is a blank book on which each person writes one word at a time. Life is what we live.

 The same is true for the question: "What the labor movement?" The labor issue is a life issue for workers. Workers will write in their big blank book of labor issues, word by word, line by line, sheet by sheet, through their movement. ・・・・ 

 The same is true for the ideas and ideals about the future society that workers are trying to build. The ideas and ideals of the future society, such as anarchism, social democracy, syndicalism, guild socialism, etc., may be the power and light that the workers of Europe and America themselves have built.

 They may go forward under that power and light. However, these ideas and ideals are still far from the reality that Japanese workers have built up to this day. 

 We still have no choice but to strive to enhance our reality according to our own temperament and the circumstances around us, and thereby seek our own ideas and ideals. 

This is where our so-called motto, "Act like a believer, but ponder like a skeptic," comes in.

2023年4月4日火曜日

大杉栄 「労働運動の精神」『労働運動』(第一次)1号・1919年10月号 Sakae Osugi, 'The Spirit of Labor Movement', Labor Movement, No.1, October 1919 (Commemorating the 100 years of Sakae Osugi's dath)

労働運動と言えば、誰でもまず、賃金の増加と短縮とを要求する、労働者の運動を思い浮かべる。それには違いない。・・・・

 しかし、労働者が人間である限り、労働運動は決してこの生物的要求だけに止まるものではない。・・・

それ以上、もう少し進んだ、ある人間的要求を持っている。・・・・

しからばその人間的要求とは何か。・・・・

僕らは、自分の生活が自分の生活でないことを、まず僕らの工場生活から痛感している。僕らは自分の生活を、自分の運命を、ほとんど全く自分で支配していない。すべて他人に課せられている。他人の意のままに、自分の生活と運命を左右されている。・・・・

労働者の生活の直接決定条件たる、賃金と労働時間との多寡は、まったく資本家によって決められる。工場内の衛生設備もそうだ。その他、職工雇い入れや解雇の権力も、職工に対する賞罰の権力も、原料や機械などについての生産技術上の権力も、生産物すなわち商品の値段を決める権力も、また工場経営上の権力も、すべて皆資本家が握っている。

僕らは、この専制君主たる資本家に対して絶対的服従の生活、奴隷の生活から、僕ら自身を解放したいのだ。自分自身の生活、自首自活の生活を得たいのだ。自分で、自分の生活、自分の運命を決定したいのだ。少なくともその決定に与りたいのだ。・・・

工場内の生活を僕ら自身の生活にするという。しかしその前に、もしくはそれと同時に、僕らはそのいわゆる僕ら自身を持たなければならない。僕ら自身とは労働階級自身、労働団体自身の自主自治的能力である。その自意識である。そして僕らは、労働組合の組織を以て、この僕ら自身を支持する最良の方法であると信ずる。

労働組合は、それ自身が労働者の自主自治的能力のますます充実していこうとする表現であるとともに、外に対してのその能力のますます拡大していこうとする機関であり、そして同時にまたかくして労働者が自ら創り出して行こうとする将来社会の一萌芽でなければならない。
繰り返していう。労働運動は労働者の自己獲得運動、自主自治的生活獲得運動である。人間運動である。人格運動である。

Translation:
When one thinks of the labor movement, the first thing that comes to mind is the movement of workers demanding higher wages and shorter hour. That must be it........

But as long as workers are human beings, the labor movement will never stop at these biological demands.....

It goes a little further than that, it has certain human demands.....

So what are these human demands? ........

We are painfully aware from our factory life that our life is not our life. We have almost no control over our own lives, over our own destiny. Everything is imposed on us by others. Our lives and destiny are dictated to us by others.........

The direct determinants of a worker's life, the amount of wages and working hours, are entirely determined by the capitalists. The same is true for sanitary facilities in the factory. The power to hire and fire workers, to award and punish them, to use raw materials and machinery, to determine the price of products, or goods, and to manage the factory are all in the hands of the capitalists.

We want to liberate ourselves from this life of absolute submission and slavery to the tyrant capitalists. We want to have a life of our own, a life of self-reliance and self-sufficiency. We want to decide our own lives, our own destiny. At least, I want to be part of that decision.....

We want to make life in the factory our own life. But first, or at the same time, we have to have that so-called "ourselves. Our own self is the self-governing capacity of the working class itself, of the labor organization itself. It is its self-consciousness. And we believe that trade union organization is the best way to support this self. 

Trade unions are themselves an expression of the workers' increasing capacity for self-government, as well as an institution that seeks to expand that capacity to the outside world, and at the same time, they should be a germ of the future society that workers are trying to create for themselves. 

Let me repeat this. The labor movement is a movement for workers' self-realization, and it is for getting self-governing life themselves. It is a human movement. It is a movement of personality.

大杉栄「生の創造」『近代思想』1914年1月号(没後100年記念)Sakae Osugi, 'Creation of Life', The Modern Thought, January 1914(Commemorating the 100 Years Anniversary of Osugi Sakae's death))

・・・・運動には方向はある。しかしいわゆる最後の目的ではない。一運動の理想は、そのいわゆる最後の目的の中に自らを見出すものではない。理想は常にその運動と伴い、その運動とともに進んで行く。理想が運動の前方にあるのではない。運動そのものの中にあるのだ。運動そのものの中にその型を刻んでいくのだ。

自由と創造とは、これを将来のみわれわれが憧憬すべき理想ではない。われわれはまずこれを現実の中に補足しなければならぬ。われわれ自身の中に獲なければならぬ。

自由と創造とをわれわれ自身の中に獲るとはすなわち自己の自己であることを知り、かつこの自己の中に、自己によって生きていくことを知るの謂である。

社会主義者はよく、自覚が社会生活を創るのではない、社会生活が自覚を創るのであるという。そして 常にこれを誇張する。われわれもまた、この事実の真実でありかつ甚だ重大であることを知っている。けれどもこれと同時にまた、さらにその自覚が新しき社会生活を創るの事実を忘れることはできない。すなわちわれわれは、種々なる社会的傾向を判断し、その中からわれわれの内的憧憬と近きもの、われわれの個人的生活意志と近きものを選ぶの事実を知っている、時としてはそれらの諸傾向を否認し、超越していくの事実をも知っている。すなわちわれわれの権力意志が奮起するの事実を見るのである。かくしてわれわれは、自我の、個人的発意の、自由と創造とを思い、かつここに個人および社会の進化の基礎を置かねばならぬ事を感ずる。

自我は自由に思索し自由に行動する、ニイチェの言えるが如く、彼岸に向かう渇望の矢である。われわれはまず、この自我を、一切の将来を含むこの神秘なる芽を、補足し発育せしめねばならぬ。

自由と創造とは、われわれの外に、また将来にあるのではない。われわれの中に、現に、あるのだ。 

Translation:

........The movement has a direction. But it is not the so-called end. The ideal of a movement does not find itself in its so-called end. The ideal always accompanies and goes along with the movement. The ideal is not in front of the movement. It is in the movement itself. It is within the movement itself that it carves its pattern.

Freedom and creation are not ideals that we should aspire to only in the future. We must first supplement this in reality. We must capture it within ourselves.

To have freedom and creation within ourselves means to know that we are our own selves, and to know that we live within and by our own selves.

Socialists often say that consciousness does not create social life, but that social life creates consciousness. And they always exaggerate this. We also know this to be true and very serious. At the same time, however, we cannot forget the fact that this awareness creates a new social life. We know that we can judge various social tendencies and choose from among them those that are closest to our inner longings and our personal will for life, and we also know that we can sometimes repudiate and transcend these tendencies. In other words, we see the fact that our will to power is aroused. Thus, we think of the freedom and creativity of the ego, of personal initiative, and realize that this must be the basis for the evolution of the individual and society.

The ego is the arrow of longing for the shore, free to think and free to act, as Nietzsche said. We must first supplement and nurture this ego, this mysterious germ that contains all future.

Freedom and creation do not lie outside of us or in the future. They are present within us.

2023年4月2日日曜日

'Anarchists Assassinated by Japanese Government ', Freedom, November 1923 (Commemorating the 100 yers anniversary of Osugi Sakae's deathe )

 

Anarchists Assassinated by Japanese Government

Evidence is now to hand that immediately after the earthquake in Japan, the authorities set afloat rumours that Anarchists and Socialists, and also Koreans, were responsible for the fires which swept over Tokyo. An ex-soldiers' organisation attacked Koreans in all parts of the city, and it is estimated that about 3,000 were massacred i cold blood. Several hundred Japanese were also killed through being mistaken for Koreans. At the same time, a systematic hunt for Anarchists and Socialists took place. How many were killed is not known, but at least fifteen or twenty of the more prominent men and women in the Anarchist movement were killed while under arrest.
In the detailed report published in the Industrial Worker (Seattle) of October 31st, our Japanese comrades say that when the new Government was formed shortly after the earthquake, it sent out propaganda for the citizens to kill Anarchists. But the people refused to take part in the murders, and the Government had to do it secretly. However, the truth was soon discovered, and to appease the indignation of the people of the Government ordered the trial of Captain Amakasu. who was charged withe the manslaughter of our comrade Sakaye Osugi, his wife, Noye Ito, and Osugi's nephew, a seven-year-old boy. All the victims were strangled to death by the captain.

In the censored report of the trial which was prohibited in the Nichi-Nichi (Tokyo) of October 9th a sergeant-major gave evidence about a bulletin which had been received by the Gendarmerie headquarters, and he said: "Everybody was saying in those days in the corps that Communists and Socialists should better be ......." The censor has cut out the end of the sentence, but one can imagine what is was. The same issue of Nichi-Nichi prints a summary of the official report on the murders, which says that Captain Amakasu believed that it was at timely measure in the interests of Japan's welfare to kill Sakaye Osugi." The accused gave a frank statement of affair, and apparently gloried in his horrible deed. On September 16th, as Commander of the Kajimachi [Kojimachi] Gendarmerie Corps, he went to Osugi's home, and took him and his wife and nephew by motor-car to the headquarters of the corps, and locked them in an empty room on the upper floor. The accused said:--
"I then ordered supper for them. At 8 p.m. I instructed Sergeant-Major Mori to conduct Osugi to another vacant room and question him. As the sergeant-major was so doing I entered the room where Osugi was sitting with him back towards the door. Without any warning I stretched my arms and choked him with a jiu-jitusu hold..... After ten minutes he was dead. With a cord which I carried wit me I tied his neck, and left him lying as he was."
He then went to the room where Osugi's wife was detained. "Her position was somewhat difficult for me to get a stranglehold on her." So he began to ask her questions, at the same time manœuvring for a better position.
"I managed to get her right side, and caught hold of her in the same way as I did her husband. However, her position was disadvantageous to me, and I was not able to handle her in as easy a fashion as I disposed of Osugi. In her attempt to free herself she inflicted a few deep scratches on my left arm. It took about ten minutes to kill her. I took another cord and tied her neck with it."

This scoundrel then went the poor boy in the next room, who thought something was wrong and commenced to cry. "I caught the child by the neck and choked him to death. He did not utter any cry. I also tied him with a cord." The three bodies were then thrown down a well and rubbish piled on top of them. thus did this patriot save Japan from dangers of Anarchism. Despite the statement of Captain Amakasu that he acted on his own responsibility, it is believed that he was incited to the murder by high Army and Government officials. The result of the trial has not been  reported.

Sakaye Osugi joined the Anarchist movement after the Russo-Japanese War, at about the time of execution of Kotoku and other Anarchists by the Government. In 1907 he translated Kropotkin's "Appeal to the Young" into the Japanese language. For this he was imprisoned, and from that time he was in jail many times. He was considered very dangerous by the Government, but the common people considered him  a hero. He attended an international Anarchist gathering in Paris this year, and was arrested and deported. He had returned to Japan only about two months when he met his death.
Mrs. Osgui- Noye Ito-- was editor of a magazine, Seito ("The New Woman"). She had translated some of Emma Goldman's writings, and was the first woman Anarchist in Japan.
 Other comrades murdered included K. Hirasawa, an Anarchist-Syndicalist, who with four other leaders of the workers were arrested and nearly beaten to death in the police station, some officers completing the vile deed with their swords. The bodies were removed secretly and burned in kerosene oil.

Our comrade, E. K. Nobushima, who has contributed articles on the Japanese Labour Movement to the columns of FREEDOM (May and July, 1923), writes to the Industrial Worker, saying: "We are now confronted with the great danger of being arrested or murdered....You are requested to send this information to the world on our behalf by Japanese revolutionary workers."

To Our Readers.
We beg our readers to bring these atrocities by the Japanese authorities to the notice of any Trade Union or Socialist organisation to which they may belong, and to send their protests to the Japanese Ambassador in London. This publicity cannot bring back our dead comrades, but it may prevent the Japanese Government murdering any more of the Anarchists and Socialists now in prison

Freedom, November 1923, p.60.   


日本政府によってアナーキストたちが殺害される〔情報が不確定であったときの速報にもとづくため、不正確な記述がある〕

地震の直後、東京を襲った火災の原因はアナーキストと社会主義者、それに朝鮮人であるという噂を、当局が流したのは明らかである。退役軍人組織が東京のあらゆる場所で朝鮮人を攻撃し、約3000人が冷酷に虐殺されたと推定されている。また、朝鮮人と間違えられて殺された日本人も数百人いる。同時に、アナーキストや社会主義者に対する組織的な迫害も行われた。何人殺されたかは不明だが、少なくとも1520人のアナーキズム運動の著名人が逮捕され、殺されている〔逮捕されて殺害されたアナーキストは、大杉栄と伊藤野枝のみ〕。

1031日付の『インダストリアル・ワーカー』(シアトル)に掲載された詳細な報告の中で、地震の直後に発足した新政府は、市民に対してアナーキストの殺害を求めるプロパガンダを行った、と日本の同志たちは述べている。市民は殺人に参加することを拒否したので、政府は密かにそれを行わざるを得なかった。しかし、真相はすぐに露見してしまった。そこで、政府は国民の憤りを鎮めるために、甘粕大尉の裁判を命じた。彼は、われわれの同志である大杉栄、その妻の伊藤野枝、大杉の甥である7歳の少年を惨殺した罪で起訴された。被害者は全員、甘粕大尉に首を絞められて殺されたのである。

109日の『東京日日新聞』に掲載された、検閲済みの記事の中で、ある軍曹が、憲兵隊本部に届いた公報を示し、次のように証言した。「当時、部隊では誰もが、共産主義者と社会主義者は――――したほうがいいと言っていた」と。 検閲で削除されているが、その内容は想像がつく。『東京日日新聞』の同号には、殺人事件に関する公式報告書の要約が掲載されており、そこでは、甘粕大尉が、「大杉栄を殺すことは、日本の繁栄のためには時宜にかなっている適切な措置であると確信していた」と書かれてある。被告人は、事件に関して行った忌憚のない供述において、明らかに自らの恐ろしい行為を美化していた。916日、甘粕は、麹町憲兵隊長として大杉の自宅を訪れ、大杉とその妻、甥を自動車で憲兵隊本部に連行し、上階の空き部屋に閉じ込めた。被告人は次のように述べた。

「その後、私は彼らに夕食をとるように命じました。午後8時、私は森曹長に、大杉を別の空き部屋に案内して尋問するよう指示しました。曹長が尋問している間に、私は部屋に入りました。大杉はドアを背に座っていました。私はいきなり両腕を伸ばして、柔術の型で彼の首を絞めました・・・・。10分後、彼は死んでいました。私は持っていた紐で首を縛り、そのままにしておきました」。

その後、彼は大杉の妻が拘留されている部屋へ入った。「彼女の座っていた位置では首を絞める形に持って行くのが困難でした」。 そこで彼は彼女に質問をし始め、同時に、より良い位置を確保するために移動した。

「私は何とか彼女の右側に回り込み、夫と同じように彼女を捕らえました。しかし、それでも彼女の位置は私にとって不利であり、大杉を始末したように簡単に処理することはできませんでした。彼女は逃れようとして、私の左腕に深い傷を数カ所つけました。彼女を殺すのに10分ほどかかりました。私はもう一本の紐で彼女の首を縛りました」。

この悪党は、哀れな男の子が監禁されていた隣の部屋に向かった。男の子は、異変を感じ、泣き出した。「私はその子の首を捕まえて窒息死させた。彼は泣き声一つあげませんでした。この子も同じように紐で縛りました」。そして、3人の遺体は井戸に投げ込まれ、その上にゴミが投げ込まれた。こうして、この愛国者は、日本をアナーキズムの危険から救った、というのである。甘粕大尉は「自分の責任でやった」と供述しているが、陸軍や政府の高官から殺意を煽られたものと思われる。裁判の結果は報告されていない。

大杉栄は、日露戦争後、幸徳らアナーキストが政府によって処刑された頃、アナーキズム運動に参加した〔この記述は不正確である〕。1907年、クロポトキンの『青年への訴え』を日本語に翻訳した。このため投獄され、以後何度も牢屋に入れられた。政府からは非常に危険視されたが、庶民からは英雄視された。今年、パリで開かれたアナーキストの国際会議に出席し〔国際会議ではなくメーデー集会〕、逮捕されて国外追放された。帰国して2カ月ほどで、その死を迎えた。

伊藤野枝夫人は、雑誌『青鞜』の編集者であった。彼女はエマ・ゴールドマンの著作を翻訳しており、日本初の女性アナーキストであった。

 このほかにも、アナルコ・サンディカリストの平沢計七が、労働者のリーダー4人とともに逮捕され、警察署で殴られ、数名の警官が剣でこの卑劣な行為の仕上げを行った。遺体は密かに運び出され、灯油で焼かれた。

19235月号と7月号の『フリーダム』のコラムに日本の労働運動に関する記事を寄稿している同志、延島英一は、『インダストリアル・ワーカー』に次のように書いている。「私たちは今、逮捕されるか殺されるかという大きな危険に直面している。・・・日本の革命的労働者に代わって、この情報を世界に送るよう諸君に要請する」。

読者諸君  われわれは読者諸君に、日本当局によるこの残虐行為を、所属する労働組合や社会主義者の団体に知らせ、ロンドンの日本大使に抗議文書を送るよう要請する。この抗議行動で、死んだ仲間が生き返らせることなどできないが、日本政府が現在獄中にあるアナーキストや社会主義者をこれ以上殺害するのを防ぐことができるだろう。

『フリーダム』1923年11月号、60頁。

アナーキー2023会議参加への呼びかけ Call to Participate in Anarchy 2023

「反権威主義国際集会 アナーキー2023」 サン・ティミエ(スイス)にて、2023年7月19日~23日に開催

最初の反権威主義国際会議の150周年を記念して、スイスのジュラ山脈で国際的な集会の開催が準備されています。開催されるのは、2023年7月19日から23日までですが、個別の会合が企画されれば、そのために、会場の貸し出しとスケジュールの延長が数日間であれば可能です。以下、この会議の役割、つまり私たちの具体的な動機と開催方法を明確にしたいと思います。

抑圧、回復、統制の間で、ラディカルな抗議活動がますます無力化されているように思えます。そのような世界であるからこそ、アナーキストとして物理的に会うことが必要だと思います。この集会は、私たちにとって重要な問題、特にここ数年の政治的・社会的進化についてともに考え、私たちを解放する批判的視点を深め続けるためのものです。また、いたるところで起きている具体的な闘いを、そのような闘いを率いている人びとから直接、より多く学ぶためです。未来への新たな希望を形成するためです。さまざまな反権威主義のグループや個人の間に強いつながりを築き、国境を越えた闘いの連帯を強化するためです。そして、運動に加わりたいと思い、新たに参加してもらうためにです。

実際、私たちは何よりも、現実の闘争について語り合いたいのです。現実に生きている人々の日常生活や、国家やその他の支配形態に対する実際の闘争的緊張に結びついていなければ、歴史的な出来事を記念することなど意味はありません。

したがって、今回開催されるさまざまな集会は、経験を共有し、戦略を議論し、あなたの地域の闘いを知らしめる機会となるでしょう。フェミニスト、環境主義者、反技術主義者、反国境主義者、反ファシズム主義者、反資本主義者、反人種主義者、反軍事主義者・・・・・いかなるものであっても、私たちを結びつけるのは、反権威主義のビジョンです。

これらのミーティングは、あなたが作るものです。会合に向けた活動は、水平的かつ分散的な方法で組織されています。これはなによりも、その場で手書きで記入できる大きな情報ボードと、organize.anarchy2023.orgにある参加型オンラインツールのおかげです。今すぐスケジュール表に会合の提案を追加してください。スケジュール表は会議中も編集可能です。大きな会場はその場で企画される活動のために抵抗されされ、自主的に運営されることになります。

この4日間、同じテーマを掲げるグループ(例えば、フェミニズムや自律的健康など)のミーティング、実践的なワークショップ、ディスカッション、そして多種多様なプレゼンテーションが行われます。ご覧のように、組織委員会が主催する公式な会議は開催されません。また、映画上映、ブックフェア、アナーキストラジオを提供するグループもあります。子供たちのために、複数のグループが毎日託児所を提供します。また、女性、トランスジェンダー、ノンバイナリーの人たちのために、独立したスペースを持つキャンプ場を提供するグループもあります。その他のグループは、展示会、コンサート、ダンスなどを企画します。ちなみに、会場では多くのボランティアが必要です。事前に申し込むことも、会場に到着してから申し込むこともできます!

詳細はanarchy2023.org(ウェブサイトは定期的に更新されます)。

最後に:このような国際的なイベントを、地球上で最も物価の高いスイスで開催することは、経済的な困難、ビザ取得の問題があることは承知しています。アクセスしやすくするために、私たちは相乗りプラットフォームを立ち上げる予定です。キャンプ、国際的な料理グループによる食事、コンサートなど、イベントの大半は無料か、「各人が払える額」です、ビザの取得が困難な場合は、遠慮なく info@anarchy2023.org までメールにてご連絡ください。

アナーキー万歳!お目にかかれるのを楽しみにしています!

引用元:https://anarchy2023.org/en

International Anti-Authoritarian Gathering

Anarchy 2023 - St-Imier July 19-23, 2023

Affiche-2023 On the occasion of the 150th anniversary of the first anti-authoritarian international, international meetings are being prepared in the Swiss Jura mountains. They will take place from July 19 to 23, 2023 - with an extension of a few days to allow time and space for spontaneous meetings. We are making this appeal to clarify the role of these meetings, that is to say our concrete motivations, as well as the way we wish to organize them.

In a world that seems to be increasingly neutralizing radical protest - between repression, recuperation and control - it seems necessary to meet physically, as anarchists. In order to reflect collectively on the issues that matter to us, and in particular on the political and social evolutions of the last few years, and to continue to deepen the critiques that emancipate us. In order to learn more about the concrete struggles that are taking place everywhere, told by those who lead them. To form new hopes for the future. To build strong links between different anti-authoritarian groups and individuals, to strengthen solidarity between struggles across borders. And to make new people want to join them.

Indeed, we want above all to talk about living struggles. It is not a question of commemorating a historical event, which would be meaningless if it were not linked to the daily lives of living people, to a real combative tension against the state and other forms of domination.

These meetings will therefore be an opportunity to share experiences, discuss strategy, and make your local struggles known. Whether they are feminist, environmentalist, anti-tech, anti-carceral, anti-border, anti-fascist, anti-capitalist, anti-racist and anti-militarist... What brings us together is the anti-authoritarian vision.

These meetings will be what you make of them. The activities are organized in a horizontal and decentralized way. In particular thanks to a large information board, which can be filled in by hand, on the spot, and also thanks to a participative online tool that you will find under organize.anarchy2023.org. Just add your proposal for an activity to the agenda now. The agenda will still be editable during the meetings. A large building will be dedicated to spontaneous activities, it will be self-managed.

During these four days, you will find meetings for groups sharing the same priorities (feminism, autonomous health, for example), practical workshops, discussions, and numerous and varied presentations. As you can see, there will be no official conferences, i.e. organized by the organizing committee. There will also be groups offering film screenings, a book fair and an anarchist radio. For the children, we point out that a mixed group will provide a nursery every day. Another group will provide a camping area with a separate space for women, transgender & non-binary people. Other groups will organize exhibitions, concerts, dances, etc. By the way: we will need many volunteers on site, you can sign up in advance or when you arrive!

More info on anarchy2023.org (the website is updated regularly).

Finally: we are aware that the organization of such an international event, in Switzerland, in the most expensive country on the planet, entails financial difficulties and difficulties with obtaining visas. To facilitate access, we will set up a carpooling platform. Most of the event will be either free of charge or "pay-what-you-can", whether it is the camping, the meals organized by international cooking groups or the concerts. And don't hesitate to contact us by mail at info@anarchy2023.org if you have any difficulties to get a visa.

Long live anarchy and see you soon!

 

 

Schreckensherrschaft in Japan, in Syndikalist, Nr.48/49, 1923, [Commemorating 100th Anniversary of Sakae Osugi's Death]

Schrekensherrschaft in Japan [Aus der Internationale].

 Nach dem Erdbeben setzte in Japan eine ungeheure Verfolgung der Anarchisten und Syndikalisten ein. Am 16. September wurden Sakaye Osugui [sic], seine Gefährtin Noye Ito, ihre Neffe, ein Knabe im Alter von 7 Jahren, genannt Saichi Tachibana, von einem Gendarmeriehauptmann erwürgt. Auch der Kamerad Hirasawa, und mehr als 20 andere unserer Freunde sind ermordet worden.

 Osugi, der Sohn eines Offiziers, kam nach dem russisch=japanischen Kriege in die anarchistische Bewegung. 1917 übersetzte der Kropotkines Schrift „An die jungen Leute“ und verbüwßte dafür seine erste Gefängnisstrafe. Allmählich wurde er das Haupt der anarchistischen Bewegung Japans. Am 1. Mai 1923 wollte Osugui in einer Versammlung in Saint Denis das Wort nehmen, wurde aber von der französischen Regierung ausgewiesen. Zweieinhalb Monate vor seinem Tode kam er nach Japan zurück, er war der Herausgeber einer japanischen Zeitung „Rodo=Undo“ (Die Arbeiterbewegung). Seine Frau Noye Ito studierte in Tokio und gab die Zeitschrift „Seito“ (Die neue Frau [Blaustrumpf]) heraus. Allmählich näherte sie sich der anarchistischen Weltanschauung und übersetzte die Bücher Emma Goldmans in die japanische Sprache.

 Hirasawa und vier seiner Kameraden wurden von einem Offizier um Garten des Komissariats zu Komoido [Kameido] totgeschlagen. Hirasawa war Metallarbeiter und 35 Jahre alt. Er war tätig als Sekretär der japanischen Metallarbeiter=Föderation, wurde aber wegen seiner revolutionären Gesinnung aus der Föderation später ausgeschlossen und trat dann der anarcho=syndikalistischen Bewegung bei.

 Arbeiter Europas und Amerikas! Peotestiert gegen diese Schandtaten der uniformierten Söldlinge der japanischen Regierung. In allen Ländern gibt ese Männer und Einrichtungen, die angeblich Japan, in Wirklichkeit aber den japanischen Kapitalismus und Imperialismus repräsentieren, sat ihnen, dass sie die Mörder von Osugi und seinen Freunden sind. Es lebe die revolutionäre Arbeiterbewegung Japans!

(Der Syndikalist, Nr.48/ 49, 1923, p.3)

 

(訳文)日本におけるテロル

地震が起きた後、日本ではアナーキストとサンディカリストが大規模に迫害されている。916日には大杉栄、その妻の伊藤野枝、大杉の甥で7歳の子どもの橘宗一が、憲兵隊大尉によって首を絞められて殺害された。また、同志の平沢が20名以上の我が友人たちとともに殺害された〔事実とは異なる点がある〕。

将校の息子である大杉は、日露戦争後、アナーキズム運動に加わった。1917年、クロポトキンの「青年に訴える」を翻訳し、そのために投獄された。次第に彼は日本におけるアナーキズム運動のリーダーになっていった。192351日、大杉はサン・ドニでの集会で発言しようとしたが、フランス政府によって追放された。彼が日本に戻ったのは、その死の2ヶ月半前であった。また彼は、『労働運動』の発行人でもあった。妻の伊藤野枝は東京で学び、『青鞜』を発行したのち、次第にアナーキズム的な世界観に接近していき、エマ・ゴールドマンの著作を日本語に翻訳している。

平沢と彼の4人の同志たちは、亀戸警察署の中庭で、将校によって殺害された〔亀戸事件が正確に伝わっていなかったため、このような記述になっていると思われる〕平沢は35歳の金属労働者であった。彼は日本金属労働者連合の書記として活動したが、その革命的な見解のために排除され、その後、アナルコ・サンディカリズム運動に加わった〔ここも事実とは異なる〕。

ヨーロッパと南北アメリカの労働者よ。制服を着た、日本政府の傭兵たちによるこの恥ずべき行為に対して抗議せよ。このような、日本を代表し、しかし実際には日本の資本主義と帝国主義を代表する連中と機関が世界各地にある。連中に対して、おまえたちは大杉とその友人たちを殺害した人殺しだと言ってもらいたい。日本の革命的労働運動万歳。『サンディカリスト』(1923年、ベルリン。第48/49合併号)