関西アナーキズム研究会 Association for Anarchism Studies, Kansai/ Japan

2019年6月17日月曜日

2019年広島集会配布予定:陛下さん、あんたの腹ん中を見せてみい! -ヒロシマが問う、ヒロシマを問う、「戦争と平和とアナーキー」- The text of the Flyer which will be distributed in Hiroshima on August 6 2019

陛下さん、あんたの腹ん中を見せてみい!
ーヒロシマが問う、ヒロシマを問う、「戦争と平和とアナーキー」ー
「陛下さん、あんたの腹からのことをここでしゃべってみい。あっそういうて帽子を振っとるだけじゃあ、うちゃあ納得できん。おれが納得するまであんたの腹からのことをしゃべってみい!あんたの腹ん中を見せてみい!」 
           流川のスタンド「六歌仙」のママ高橋広子さん  

 1975年10月31日、皇居石橋の間で行われた日本記者クラブ記者会見で中国放送の秋信利彦の「……戦争終結に当たって、原爆投下の事実を陛下はどうお受け止めになりましたでしょうか、おうかがいしたいと思います」の質問に対して、ヒロヒト天皇は、「原子爆弾が投下されたことに対しては遺憾に思っていますが、こういう戦争中であることですから、どうも、広島市民に対しては気の毒であるが、やむを得ないことと私は思っています」 とこたえました。
 戦争中の言い方をするなら、聖戦であり、皇戦だった、まさに天皇の戦争はアメリカの原爆という最悪なことになるのですが、ヒロヒトは、それは戦争中のことだからやむを得ない、と済ましたのです。
 これは、『ザ・タイムズ』の中村康二記者の、「……また陛下は、いわゆる戦争責任について、どのようにお考えになっておられますか、おうかがいいたします」の質問とそれに答えるヒロヒトの、「そういう言葉のアヤについては、私はそういう文学方面はあまり研究もしてないので、よくわかりませんから、そういう問題についてはお答えができかねます」の発言を受けての質問ですが、ヒロヒトの全く他人事のような答えに中村も秋信も返す言葉に窮したにちがいありません。冒頭の広子ママに言わせれば「あんたの腹ん中を見て、ようわかったわあ!」ということでしょう。
 後に秋信は中外日報の取材で、「広島の記者として、もう少し別の言葉で質問するつもりだったが、あのような表現になった。日本の記者が、被爆に触れないわけにはいかない。原爆をタブーにしてはならないという思いだった」(2010年10月2日 中外日報社説)と答えています。
 誤解をおそれずに言うなら、中村も秋信も程度の差はあっても、まぎれもなく少国民として育った世代の者たちです。大人たちから国父、天皇のために死ぬことこそあるべき美として教え込まれた「赤子」です。
 神国の日本が戦争に敗けることなどありえず、もしそのようなことになれば、責任を取って大将の天皇は自決するだろうと教え込まれた世代です。ここに菊のタブーなどありません。中村も秋信も客観的事実に基づいて質問しているだけなのですから。
 しかし、その国父がこのように答えた時、中村や秋信はどう態度をとればいいのでしょうか。いや、そもそもそのような国父と赤子、思いきって言えば、そんな親分-子分の関係自体が人工的な虚構なのだと言われれば、それはそうなのですが、しかし、それでは天皇を神として、国父として信じて死んだ者たちをどう考えればいいのでしょうか。そんな嘘八百を信じて死んだ方が悪い!と誰が言えるのですか。しかも、その虚構の関係は現憲法の第1条、「天皇は日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であってこの地位は主権の在する日本国民の総意に基づく」によって既定されているではありませんか。
 ヒロヒトの血も涙もない無責任な態度で広島市内の老人ホームに行き、そこの老人たちは「陛下さまが来られて、これで思い残すことがありません」と感激したことを想起しなければなりません。この関係はすでに言葉を越えていると言わざるをえません。
  しかし、同時にヒロヒトの発言が、広島・長崎の被爆者たちが市民社会から「いつまで原爆のことを言っているのか!」と嫌悪されたことも想起するならば、別に驚くようなことでもなかったのです。実際、この発言で大きな騒ぎも起きませんでしたし、多くの被爆者たちが沈黙を選んだのですから。
 このやりとりの後、司会の渡辺誠毅(日本記者クラブ理事長)の機転によってヒロヒトの健康の秘訣や好きなテレビ番組の話で記者会見場は爆笑会見になったのですが、それはまさに戦後の市民社会の縮図に他ならなかったのです。
  秋信は1960年代から中国新聞社の大牟田記者とともに被爆者援護問題を取材し続け、その一生涯を原爆投下後の広島市内で胎内被爆して産まれた小頭症児問題の取り組みに費やしました。原爆投下、つまり被爆者のことは戦争中のことだからやむを得ないとヒロヒトは切り捨てましたが、小頭症児とその親たちは被爆者援護法制定を目指した反核平和運動からも置き去りにされたのです。国が小頭症を原爆によるものとそれらしい病名をつけてしぶしぶ認定したのは1960年代半ばになってからのことです。
 敗戦直後のGHQによるプレスコードの中ではじまった被爆者たちの文学表現活動は1954年の第五福竜丸被曝を機に原水爆禁止、被爆者救護運動の中で全面開花していきました。
 しかし、戦後の護憲平和運動のトップランナーに早くも黄昏が迫っていました。60年安保に対してどう態度を決めるのかをめぐって運動は分裂し、さらには米ソの核実験に対してアメリカの核実験は反対だが、ソ連の核実験は容認するという混迷に陥りました。
 そのように時代状況を見るなら秋信の質問は思いつきで言ったものではないでしょう。それは1965年6月15日、原爆症による乳癌で死んだ正田篠江の、 「天皇家の人々が、テニスやスモウや野球をごらんになるばかりではなく、原水爆禁止運動に力を入れてほしいのに、されないので、はぐゆうて、はぐゆうてなりません」の叫びであり、八島藤子(栗原貞子)の、「養老院のとしよりにも、戦争で親を失った孤児たちにも、やさしくほほえんで「お大切にね」……少し猫背のおやさしい人間天皇さま。……けれども東京から広島へ小豆色の宮廷自動車数台を特別輸送させ、県はピストルと棍棒の警官隊の警備費何百万を計上し……」と、その欺瞞性の弾劾に繋がるものであり、広島の記者として被爆者たちがケロイドを隠すために夏でも長袖を着て市民から白眼視にさらされていることや多くの被爆二世の若者たちが差別され自殺に追い込まれていること、そして何よりも中国放送の目の前に原爆スラムが戦後30年経ってもまだ残っていることの告発に他ならなかったのです。これが、天皇をありがたがって戦争をした結果ではありませんか!
 しかし、これは単に1975年の記者会見場におけるエピソードではありません。戦争主義者安倍は日本が戦争ができる国に向けて突き進んでいます。そして、今年はナルヒトが新たな天皇として君臨しました。ナルヒトが水問題やジェンダーに関心を持ち、アキヒト以上に良い天皇であっても、わたしたちは騙されてはなりません。天皇をありがたがった結果が戦争であり原爆投下だったのですから。わたしたちは今こそ声を挙げなければなりません!
投稿者 joh.most 時刻: 10:33 0 件のコメント:
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2019年6月11日火曜日

2019年 大杉栄・伊藤野枝・橘宗一 墓前祭 告知 2019 Memorial Gathering for Osugi Sakae, Ito Noe and Tachibana Munekazu

日時 2019年9月14日(土)
11時~ 墓前祭(沓谷霊園)
14時~ 集会(あざれあ502号室)
講演:「平澤計七・関東大震災・亀戸事件」(仮題)
講師:大和田茂氏(『評伝 平沢計七』著者)

以下、『沓谷だより』2019年7月14日復刊第5号(大杉栄らの墓前祭実行委員会発行)より抜粋  
関東大震災下における権力の暴虐
 私たちは、静岡・沓谷霊園に大杉栄・伊藤野枝・橘宗一の墓の存続を契機にして、大杉や野枝の生と闘い、その思想などを取り上げてきた。しかし、1923年9月、関東大震災の下、権力の暴虐は、大杉らだけに襲いかかったのではないということを私たちは心に刻む必要がある。この号で取り上げた亀戸事件、中国人虐殺、そして朝鮮人虐殺。その暴虐の主体は、軍隊であり、警察であり、そして一般民衆であった。 私たちはこの暴虐を総体として認識することにより、なお一層大杉事件を深く捉えることができるのではないか。今年は、そうした視点を持って平澤計七と亀戸事件を取りあげることにした。平澤は一時期浜松市に居住し、一定の足跡を残しているからでもある。
 今年の墓前祭、ぜひ参加していただきたい。

問い合わせは、関西アナーキズム研究会joh.most@gmail.comまで。実行委員会事務局につなぎます。
投稿者 joh.most 時刻: 10:25 0 件のコメント:
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2019年6月9日日曜日

イベント告知:アナキズム読書会 (大阪)Anarchism Reading Circle in Osaka

アナキズム読書会
第1回目:マフノ運動史、クロポトキンについて(クロポトキンの後、 シュティルナーを読む予定)
日時: 7月23日(火)18時半~ (8月以降は、毎月第4火曜日の18時半~21時)

会場: 市民共同オフィスSORA  読書会終了後は近くの居酒屋で懇親会。
主催 「自由労働者連合」
連絡先:free_workers_federation@riseup.net

*市民共同オフィスSORA(大阪市中央区内淡路町1-3-11シティコープ上町402号 TEL.06-7777-4935 FAX.06-7777-4925:地下鉄谷町線天満橋駅4番出口を出て、谷町筋を天王寺方面へ南下。文具ディスカウント店FUKUYAの手前を右折し、最初の十字路を越えて左手二つ目の建物)


Anarchism Reading Circle in Osaka by Free Woker's Federation: 
We read the texts on the Movement of Nestor Machno and Pjotr Kropotkin from 18:30 on July 23 at the Office SORA. 
We'll read from the next August meeting the text of Max Stirner:  18:00 to 21:00 on the 4th Tuesday of every month. 
Access: free_workers_federation@riseup.net 
 
 

投稿者 joh.most 時刻: 0:14 0 件のコメント:
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2019年5月30日木曜日

高橋幸彦「トイレをつまらせろ」について

 関西アナーキズム研究会の、のんきち君の「栗原本」批判を読みました。
のんきち君の意見にとくに異論はありません。私も彼も、もともと個人主義者で考え方は近いので、よくわかります。
 ただ、「トイレをつまらせろ」問題に関しては、話がかみあってないように思いましたので、ひとこと。

「トイレ掃除をする人のことを考えろ」という、のんきち君の意見は、まったく正しい意見です。
「だまってトイレをつまらせろ」が間違っているのは、誰にとっても明らかです。
 ただ、船本さんも栗原さんも、そんなことは百も承知の上で、あえて間違った意見を主張したのだと思うのです。彼らは、その理由を考えてもらいたかったのでしょう。

 一般的な正しい意見、すなわち正論に対して違和感を覚えながら、何一つ反論できない、そんなことを感じた経験はないでしょうか? 私なんか、しょっちゅうそんなことばかりです。口には出せないのでブツブツと独り言を言うか、酔っぱらって深夜にゴミ箱を蹴飛ばすくらいが関の山だ。

 彼らは、「間違っていてもいいから、行動を起こせ」と言っているのではないでしょうか。
 もちろん、間違った行動は批判されます。トイレ掃除をしている方からは、こっぴどく怒られるでしょう。平謝りにあやまるしかありませんけれども、そこには対話が生まれます。
「なぜそんなことをしたのか、日常、どう思っているのか」を話すことになる。
もちろん、相手は理解してくれないかもしれない。たぶん、それがほとんどでしょう。
  でも、そういう立場に追い込まれれば、つたない言葉ででも、自分の考えを話さなければならない。
そんなことを繰り返しているうちに、中には理解してくれる人が出てくるかもしれません。
  あらかじめ、掃除人のことを忖度して何もしないよりも、間違ったことをして掃除人とトラブルになったとしても、そこから新たに始まる関係があるかもしれない。少なくとも、何もしないよりも可能性はずっと開けるのではないか。 
 社会運動って、そういうものなんじゃないでしょうか。
 間違いだらけを、少しずつ反省しながらやっていく。
 無謬の前衛党が指導するのでないのなら、それでいいんじゃないか、というか、それしかないんじゃないかと思うのです。
投稿者 joh.most 時刻: 10:05 0 件のコメント:
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2019年5月16日木曜日

2019年8・6広島集会について その3:イベントスケジュール Information of August 6th Hiroshima Anarchist Gathering in 2019

前回の告知以降、8・6広島集会実行委員会で話し合った結果、2019年8・6広島集会については、以下のようなスケジュールになりました。( )内は現在検討中の事項です。

プレイベント
2019年8月5日(月)

「軍都広島フィールドワーク」:お昼12時頃、広島駅集合。希望者は、joh.most@gmail.comまで事前に連絡をおねがいします。詳細をお伝えします。

8・6広島集会当日のイベント日時 2019年8月6日(火)

(午前7時頃から平和公園周辺でビラ配りと抗議行動:検討中)
午前10時、デモ出発:出発地は例年通り原爆ドーム前。事前の問い合わせは、joh.most@gmail.comまで。
午後1時から5時まで、広島市内で集会。前後30分は会場設営・撤収作業(手伝うことができる人は、12時半に会場まで)
*会場については、joh.most@gmail.comまで事前に問い合わせること(ブログでは掲示しません)。

懇親会:集会後、時間に余裕のある方は、ご参加ください。

午後の集会のテーマ:「アナーキズムをもっとおもしろくしよう!」

集会の内容:個別報告(4~5名)、および、参加者全員の交流と意見交換。

 今年のテーマは、「どうやったらアナーキズムがもっとおもしろくなるか」、あるいは、「今、これがおもしろいと思っている」、「これが問題だ」といった話題を数名の報告者から提供してもらい、それについて意見交流をする、という企画を予定しています。
 集会の目的は、それ以外に、参加者同士の交流を促進することにもあります。パンフレット、ビラ、ブログやSNSでの活動、あるいは、ファッションやアートに関わる活動、労働、平和、教育、衣食住に関するさまざまな活動や意見をぜひ持ち寄っていただき、「アナーキズムをもっとおもしろくしよう!」という話し合いにご参加下さい。
 

 集会に参加されるかたは、事前に、以下のいずれかのテーマに関するメッセージ(字数は自由です)を、joh.most@gmail.comまでお送りください。
 

1.(1)アナーキズムを面白くするには (2)未来のアナーキズム (3)私が考えるアナーキズム (4)広島とアナーキズム (5)なぜアナキズムに関心を持ったのか (6)8・6に思うこと(7)自由テーマ

2.日程が合わず参加出来ない方は、集会にメッセージなどを、joh.most@gmail.comまでお送り下さい。お待ちしています。
 さらなる詳細については、決まり次第、順次このブログでお伝えいたします。
 約2ヶ月半後になった8月6日は、皆さんと広島でお目にかかれることを楽しみにしています。
連絡先:joh.most@gmail.com

*参加希望の方は、今からご準備をおねがいします。プレイベントは月曜日、デモと集会は火曜日ですから、お仕事などがある場合、ご注意下さい。また、デモ・集会の主催者が宿泊施設を提供することは、現状では予定していません。8月6日は平和記念式典とそれに伴う各種の行事が市内で早朝からあるため、例年、前日から宿泊施設は数ヶ月前から予約で埋まります。以上の点もご留意の上、各自で今からご準備をおねがいします。
*Until today, we are thinking of the schedule and contents of gathering as follows:

Pre-event: Walking the Historical "Military-based-city Hiroshima" on Monday, August 5, 2019. We start from the the Hiroshima Station at noon, just 12 pm. If you want to join us, please ask before: joh.most@gmail.com

Date: Tuesday of August 6,2019
Protesting in the Hiroshima Peace Park around 7am; demonstration starts just 10 am from the A-Bomb Dome as usual. After the demonstration, from 1 to 5pm, "August 6th Gathering" held at somewhere in Hiroshima city.
The theme of the Gathering: "Let's make the anarchism more interesting!" There will be 5 or 6 speakers who talk about this theme. 

The other purpose of the Hiroshima Gathering is to promote exchange among participants. We invite you to participate this Gathering to talk about your everyday activities on pamphlets, flyers, blogs or SNS, fashion & art, labor, peace, education, clothing, food & shelter and more. Please join us. Details will be posted on this blog as soon as it is decided.
We are looking forward to seeing you on August 6th in Hiroshima.
Contact: joh.most@gmail.com
* Those who wish to participate, please prepare from now. We cannot provide you accommodation. Every year on the 6th August, because of the Peace Memorial Ceremony and various events accompanying it, the accommodation facilities will be filled with reservations from the previous day. Please also take care of the above points and prepare for yourselves from now.
* Please notice: we think that we cannot prepare good translation system for non-Japanese-speaking people.
* If you can't join, please send message for our Gathering by text or movie. We can translate English, German, French, Spanish and Esperanto. We are waiting for your message!
投稿者 joh.most 時刻: 15:43 0 件のコメント:
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2019年4月29日月曜日

有象無象のレッツゴー★メーデー参加への呼びかけ 

行動提起!! 2019年5月1日(水)18時~
大淀コミュニティーセンター 第4会議室
18時~ 集会
19時 デモ出発
主催:有象無象のレッツゴー★メーデー実行委員会

 4月1日、政府は新元号を『令和』と発表しました。『令和』の『令』という漢字の意味合いの中に『~させる』、つまり、使役の意味が含まれていることを確認する時、新元号が発せられたこの日からはじまった、働き方改革、外国人労働者の受け入れと合わせて考えるなら、この『令和』とはあまりに露骨なものと言わざるをえません。そして、この新元号『令和』がスタートする5月1日に即位する新天皇と前日に退位するアキヒトのために10連休になることによって多くの人々から悲鳴があがっています。1ヶ月のうち10日も休みにされたら困る!生活ができない!
 わたしたちは国家総動員法―1億総タコ部屋、飼い殺し体制が天皇のための戦争を支えたおぞましい歴史を想起しなければならないでしょう。わたしたちは古代中国王制を真似した時間の支配、つまり水金地火木土天海冥の宇宙さえも支配するという元号に反対します。人はどこに生まれるか、どのように生まれるかを選択することはできません。わたしたちはたまたまここに生まれたにすぎません。しかし、天皇家に第一子の男子にたまたま生まれたというだけで、なぜ時間を支配することまでゆるされるのでしょうか。明らかに理屈が通っていないにもかかわらず、わたしたちは一体何のために生活を壊されてまで新天皇の祝賀を祝わなければならないのでしょうか。よしそれがわたしたちの手も声も届かなければ足もとにも及ばないお上が決めたことであったとしても、それによって壊された現に今ここにある日々の暮らしを!削られた給料を!減らされた米びつの米を!誰が補償してくれるのですか!わたしたちは天皇のまんまんちゃんのために税金を払っているわけではない!頼みもしないのに勝手なことをするな!

  天皇が生前退位をすると言えば、上へ下への大騒ぎとなりカレンダー業界が大混乱になる。新天皇の即位によってわたしたちの生活が破壊される。あらためて天皇制がわたしたちの実生活に合わない迷惑以外なにものでもないことを銘記しなければなりません。天皇主義者たちは一連の天皇行事を4月末から5月のはじめの連休に当てれば国民の生活に支障はないだろう、そうだ!区切りよく5月1日に即位式を行おうとでも思ったのでしょう。なるほど、天皇主義者たちは連休中にゴルフをしたり海外視察に行ったりと好き勝手なことができるでしょうが、働いても生活が落ち着かない状況、少なくとも10年前には考えられなかった子ども食堂が列島各地で2000ヶ所以上で運営されていること、さらに年金生活者が生活できなくなっている現在、一体どれだけの人々がゴールデンウィークを謳歌することができているのでしょうか。少なくともわたしたちはゴールデンウィークを謳歌できるような余裕はありません。ゴールデンウィークであっても働かなければならない人たちもいますし、せいぜい近所のホームセンターやショッピングモールにでも行くか、あとは家で寝てるぐらいのことです。それだけなら日曜日と変わりはしません。あまりの忙しさと疲労困憊のために労働者の日である5・1のメーデーにさえ行けないのです。現金収入の日雇労働者や野宿者にすればゴールデンウィークは死活問題であり全くロクでもない時期でしかありません。これがわたしたちをとりまく状況とまで言うのは雑すぎますが、それでも言わせてもらうならばメーデーのはじまりが何であったか、19世紀末、1886年のシカゴで8時間労働を掲げてストライキに決起した労働者たちに対して5月4日、資本・権力はヘイマーケット広場で弾圧を行い4名の死刑を執行しました。このような血みどろの闘いの中から8時間労働は戦取された、労働者、思い切って言うならすべての人民にとって記念すべき日であることはまちがいないでしょう。

聞け万国の労働者
とどろきわたるメーデーの
示威者に起こる足取りと
未来をつくる閧の声

汝の部所を放棄せよ
汝の価値に目ざむべし
全一日の休業は
社会の虚偽をうつものぞ

永き搾取に悩みたる
無産の民よ決起せよ
今や二十四時間の
階級戦は来たりたり

起て労働者ふるい起て
奪いさられし生産を
正義の手もてとりかえせ
彼らの力何ものぞ。

われらが歩武の先頭に
掲げられたる自由旗を
守れメーデー労働者
守れメーデー労働者

 とりあえずメーデーに行けば、メーデーのはじまりが何であったかも言ってくれるし、お決まりのようにメーデー歌を参加者たちは放歌するでしょう。しかし、その内実は5月1日ではゴールデンウィークのじゃまになるとでも言わんばかりに、あろうことか東京の中央メーデーでは4月29日!に経団連のオエラ方を来賓に迎え、メーデー主催者が労働者の生活改善云々を訴える、今年も春の叙勲では受賞者として某労働組合会長はその多大なる功績が天皇によって讃えられる、無惨な催物と化しています。メーデー実行委がどこまで本気なのか、一体何と闘っているのか定かではありませんが、それでもまだ労働組合としてメーデーを闘っている気持ちぐらいはあるのでしょう。そして、交通費と弁当代で駆り出された各労働組合の組合員たちはビラやパンフレットを団扇がわりにしてパタパタ扇いだり、日除けに使いながら演説を聞いています。まったく何という気だるい気のぬけたメーデーでしょうか。方や大阪のメーデーではデモ行進の後に阪神デパートの屋上のビヤガーデンで交流会の案内をしていましたが、こんなことはメーデー実行委が言うようなことでしょうか。言うべきこと、やらなければならないことは会社側と一線ぎりぎりの攻防戦と闘っている少数の労働者たちの支援・共闘に駆けつけることではないでしょうか。しかし、戦後最大の階級決戦として闘わなければならなかったはずの『戦争法案』反対にストライキに決起した労働組合がわずかしかなかった、そして、天皇退位、新天皇即位に対してはほとんどの労働組合にとっては関心事でさえないこの状況は絶望的です。しかし、それでも社会の虚偽をうつために、よしそれで生活に支障が出ようともふるい起って全一日をかけるべき時があります!何度でも旗色を鮮明にした旗を高く掲げて翻えさせなければならない時がたしかにあるのです!

 わたしたちは生活と仕事に追われてメーデーに行くこともできないあなたたちや「お前たちは労働者ではない!メーデーに来るな!帰れ!」とメーデー会場から追い払われたあなたたちに呼びかける!わたしたちはあなたたちの心の痛みです!わたしたちはあなたたちをいつまでも黙らせたままにはしない!そうだ!今こそふるい起たなければならないのだ!このご時勢に従ってあてもなくただ流されるだけの浮砂はすみやかに去れ!巖根は残る!闘う者たちはこの隊列に加われ!さいごの勝利は君の手にかかっている!プロレタリア国際連帯勝利!
投稿者 joh.most 時刻: 23:28 0 件のコメント:
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2019年4月18日木曜日

評者のんきちさんへのインタビュー(3):栗原康『アナキズム―一丸となってバラバラに生きろ』の書評(その5)

評者のんきちさんへのインタビュー(3)(インタビュー(2)の続き):書評(5)

タ:「某通信で栗原の本を検証している人がいるのですが、その人によると栗原は伊藤野枝や大杉の言っていることを、自分の都合のいいように改ざんしていて、その通信によると『野枝も大杉も「ただセックスをしたい」という人物にされてしまっているのだ』。これ笑いました。ほんとに、ただセックスがしたいだけだったのなら、2人とも虐殺されることもなかっただろうに」とお書きになっていますが、これは、小池善之「栗原康『村に火をつけ、白痴になれ』を読む」『沓谷だより』(大杉栄らの墓前祭実行委員会発行、2019年1月21日、復刊第4号、1-4頁)のことだと思いますので、以下、小池氏の書評から関連する箇所を引用しておいたうえでうかがいます。この書評で評者(小池氏)が『村に火をつけ、白痴になれ』について指摘していることが、本書『アナキズム』についても当てはまると思いますか。

の:これ探したのですが、よくわかりませんでした。っていうか、なんで、こんなつまらない新書を何度も読んでいるのかと、むなしくなりました(笑)。

タ:「これ笑いました。ほんとに、ただセックスがしたいだけだったのなら、2人とも虐殺されることもなかっただろうに」というのは、小池氏の書評への感想で、本書に対する感想ではない、ということですね。ではこの辺でインタビューを終わります。ありがとうございました。

参考資料:小池善之「栗原康『村に火をつけ、白痴になれ』を読む」『沓谷だより』(大杉栄らの墓前祭実行委員会発行、2019年1月21日、復刊第4号、1-4頁)より
 ・・・[前略]あるいは彼[=栗原康]はこうも記す。「野枝がいいたかったのは、端的にこういうことなのだと思う。わがまま、友情、夢、おカネ。結婚なんてクソくらえ。腐った家庭に火をつけろ。ああ、セックスがしたい、人間をやめたい、ミシンになりたい、友だちがほしい。泣いて笑ってケンカして。ひとつになっても、ひとつになれないよ」(134)。
 意味不明の言葉が羅列されているだけである。
 彼は、セックスという語を多用する。本文中に20回程度つかわれている。たとえば「家のことなんて関係なく、好きなひとと好きに恋をして、好きだけセックスをすればいい」(40)、「ただ好きだ、ただセックスがしたいという純然たるおもいで突っ走っていく」(41)。
 野枝はこのようなことは、一切書いていない。これは彼の憶測でしかない。
 また大杉についても、「オレはなんにもわるいことはしてないぞ。オレはただセックスがしたいんだと。大杉の持論である。」(『村に火をつけ、白痴になれ』76頁)としている。野枝も大杉も、「ただセックスをしたい」という人物にされてしまっているのだ。
 野枝は恋愛論を何度か書いている。『解放』(1920年4月号)、「自由母権の方へ」では、「両性の結合を持続さすものは・・・『フレンドシップ』だと思います」。恋愛とは、フレンドシップ、つまり「友人である状態」であると。また「私共を結びつけるもの」(『女性改造』2巻4号、1923年)では、「私共二人の友人としての話題は実に多種多様なものなのです。ですから私共は一緒にゐれば絶えずしゃべつていますけれど、話に退屈することは先づありません。そして大抵の場合私は其の友人としての会話の間に教育されてゐるのです。多くの知識を授けられ、鞭撻され、いま警しめられ、訓へられるのです。同時に又、彼は何時でも私を一人の同志として扱ふ事を忘れません。」と書いている。つまり野枝と大杉とは友人でありまた同志だというのである。
 そして『婦人公論』(1923年9月号)におけるアンケート、「人生に於ける恋愛の位置」の回答で、野枝は「『如何によく生きるか?』と云ふ人間の大事な問題が、どんな答へで解決するかによつて事は決まるのではないでせうか。そして私は今迄自分の『生命』を恋愛の為めに捧げた勇敢な人達が、つひに本当に現実的にはよく生き得なかつたといふ事実を挙げることが出来ます」と回答している。つまり、恋愛も「如何によく生きるか」ということによって決まる、というのである。
 また野枝は、辻との生活についても、後に振り返って、『婦人公論』(1921年10月号)の「成長が生んだ私の恋愛破綻」にこう書いている。辻のところに入りこんだのは、野枝17歳の時。
 「・・此の結婚について自らを責めなければならぬ点は、私があんまり早く結婚生活にはいつたからだと云ふ事のみです。結婚生活に対する適確な何の考慮をする事も出来ないやうな若い時に結婚をしたと云ふ過失のみです。事実、私は結婚をするまでは、或はしてからでも、何の方面から云つてもまだ本当の子供だつたのです。私の恋の火は燃えました。けれども自ら求めて得た火で燃えたのではありませんでした。それはたヾ行きあたりばつたりに出遇つた火が燃えついたのです。・・・・・でも、私は、それでも強ひられて、いやな結婚をする人達から見れば、自分達がどんなに正しい結婚をし、またどんなに幸福だかと云ふ事を誇りにしてゐました。私のいヽ加減な撰択でも、私はいヽ男にぶつかつたのです。私は勉強をする事も覚え、読んだり考へたり書いたりする事も覚えました。私は今日自分で多少なり物が書けたり物を観たり、考へたりすることが出来るのは男のおかげだと思つてゐます。・・・が、私が漸く一人前の人間として彼れに相対しはじめた時、二人がまるで違つた人間だと云ふ事がはつきりしてきたのです。そして此の性格のはげしい相違が、二人のお互いの理解を以てしてもふせぎ切れないやうな日がだんだんに迫つてきたのです。」
 このように、野枝は生きる過程の中で、みずからの恋愛観をつくってきた。栗原の一面的な見方は、野枝のこのような思考の展開を無視するものでしかない。
 栗原も、「自由母権の方へ」をもとに野枝の恋愛論を紹介してはいる。第4章のおわりで「だいじなのは、性欲それ自体ではない、フレンドシップだ」(128)と。にもかかわらず、その章の末尾では、先ほど紹介したように、「野枝がいいたかったのは、・・ああ、セックスがしたい、人間をやめたい・・・・」(134)と記すのだ。このようにきわめて恣意的な記述がなされているのである。
 もう一つ、第5章のはじめに、「野枝、大暴れ」という項目がある。1919年10月5日、友愛会婦人部主催による「婦人労働者大会」があった。ILO国際労働大会に派遣される政府代表・田中孝子(渋沢栄一の姪)に「実際に労働に従事する婦人労働者の真の要求を告げる目的で」開かれたもので、「八人の女工が・・熱弁」(大原社研『日本労働年鑑』第一集)をふるった(これは当時友愛会にいた市川房枝が企画したものである)。大会が終わり、控室に戻った田中孝子に野枝が詰め寄ったときの顛末を栗原は書いている。その際に使用された資料は、山内みなの自伝、平塚らいてうの自伝である。
(1)栗原本は、らいてうが「外まで聞こえるような怒号」を聞いて、らいてうが「なんの騒ぎだろうとおもって駆けつけてみる」となっているが、らいてう自伝では控え室にいたときに突然野枝が入ってきたと記されている(『元始、女性は太陽であった』完 大月書店、1973年、56頁)。「外まで聞こえるような怒号」は根拠があるのだろうか。
(2)栗原本では、らいてうが「田中がかわいそうだとおもい、とめにはいったが、野枝はきかない」と記されているが、らいてう自伝では、野枝をたしなめるつもりでひとことだけことば(「工場で働く労働者のほかは労働者でないように言うのは間違いでしょう・・」)をはさんだ、となっている。
(3)栗原本では「・・・、さらにまくしたてた。このブルジョア夫人め、ブルジョア夫人め」とあるが、これはまったくのフィクションである。
(4)栗原本では、山内みなが「やめなよといってとめにはいった」となっているが、『山内みな自伝』(新宿書房、1975年、56頁)では、とめたのは市川房枝と記され(「市川さんは、「ここでそんな議論はこまる、やめて下さい」といってやめさせました」)、その後に野枝がみなのところにくるのであって、栗原のいう、みなが「野枝の逆鱗にふれ」たということは記されていない。
(5)栗原本では、野枝がみなに「あなたは婦人労働者として、どうしたら自分が解放されるのか、もっと勉強してください。社会主義じゃなきゃダメなんです、なんでわからないの」と言ったと記されているが、『山内みな自伝』では「あなたは労働者だから、労働者はどうしたら解放されるか勉強しなさい、社会主義でなければだめだということがわかるでしょう、本を送ってあげます」となっている。ちなみに、本はあとでみなのところに送られてきた。
 みられるように、まず、彼は事実をあまり重視していない。明らかに創作がはいっている。彼が描こうとしている野枝像をより際立たせようと様々に修飾を加え、それを根拠にして断定していくという乱暴な手法を用いて野枝像をつくりあげている。
 彼は、大杉栄の本も書いている。『大杉栄伝 永遠のアナキズム』(夜光社、2013年)であるが、これも大杉の考えなのか栗原の考えなのか判然としない記述で、大杉が書いた文献を引用はするが、その解説が解説になっていない。解説ではなく、栗原の考えになっている。この本をはじめて読んだとき、私はこう書き込んだ。「(著者は)自らの主観的世界に大杉を流し込んでしまっている」と。
 彼は大杉や野枝を材料にして、自己の考えを書き込む、自己を表現しようとしているのではないか。
 この『村に火をつけ、白痴になれ』の「あとがき」の最初にこう記されている。「この本を書いているあいだに、かの女ができた。 三年ぶりだ。まだつきあいたてということもあってひたすら愛欲にふけっている。好きで、好きで、好きで、どうしようもないほど。セックスだ。もちろん性的衝動もおおきいのだが、とはいえそればかりじゃない。心も体もマジでぶつかればぶつかるほど、わかってくるのは、ひとつになっても、 ひとつになれないよ、自分とはまったくの別人であるということだ。でもだからこそ、そのかけがえのない異質な相手に対して、手探りでやさしくしたいと思う。泣いて、笑って、ケンカして。・・」(163頁)。先に紹介した、野枝について記したところにも「わがまま、友情、夢、おカネ。結婚なんてクソくらえ。腐った家庭に火をつけろ。ああ、セックスがしたい、人間をやめたい、・・。泣いて笑ってケンカして。ひとつになっても、ひとつになれないよ」とあった。栗原が自分自身を語った内容とほとんど変わらないではないか。
 この本に描かれた野枝像と栗原自身は、おそらく等号で結ぶことが出来るのではないだろうか。
 栗原は、野枝を、自己表現の手段、もっと言ってしまうなら自己の生き方、考え方を正当化するための手段としてつかっている。こういう本を「伊藤野枝伝」とすべきではない。
 大杉も、野枝も、「やりたいことだけをやる」という栗原のアナキズム理解に流し込まれ、同じような人間類型にされてしまっている。この本で描かれた野枝像は、フィクションであると言わざるをえない。
投稿者 joh.most 時刻: 13:23 0 件のコメント:
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