2020年4月18日土曜日

「危機」は「協力」をつくり出すのか 6:レベッカ・ソルニット、島月園子訳『災害ユートピア』(亜紀書房、2011年)

213-214ページ
「重要なのは自由であり、自分の人生や活動を自ら決定できること。地震直後の数日間、私たちには、自分たちで何かを決定して実行できるという感覚がありました。二日後にはあの暴君に戒厳令やら夜間外出禁止令やらを発令させてしまった。大惨事の上に、そういった抑圧はとても耐えられるものではありません。それに、自分の人生が、たった一夜、地球が揺れただけで大きく変わってしまうことを悟ったならば、「だからどうだっていうの? 私はいい人生を送りたいし、そのためなら命を危険にさらしてもかまわない。しょせん、一夜のうちに失いかねない命ならば」と思ってしまうのです。いい人生を送らなければ、生きている価値はないと。それは大惨事の間に誰もが体験した、深いところで起きた変化でした。臨死体験のようですが、この場合、多くの人が同時に体験しました。それは人々の行動に大きな違いを生み出します。そういった体験は、人々の中から一番いい部分を引き出すのです。人々が自分のことだけを考えるのをやめる場面を、私は何度も目撃しました。何かがきっかけとなり、人間は突然、仲間のことや、集団のことを考え始める。それが人生を意義深いものにしてくれるのでしょうね」

「危機」は「協力」をつくり出すのか 5:レベッカ・ソルニット、島月園子訳『災害ユートピア』(亜紀書房、2011年)

171ページ
 コロラド大学の自然災害センターを率いる災害社会学者キャスリーン・ティアニーは、カリフォルニア大学バークレー校で、1906年の地震の100周年記念に講演を行い、聴衆を虜にした。
 その中で彼女は、「エリートは、自分たちの正統性に対する挑戦である社会秩序の混乱を恐れる」と主張した。彼女はそれを「エリートパニック」と呼び、パニックに陥る市民と英雄的な少数派という一般的なイメージをくつがえした。
 エリートパニックの中身は「社会的混乱に対する恐怖、貧乏人やマイノリティや移民に対する恐怖、火事場泥棒や窃盗に対する強迫観念、すぐに致死的手段に訴える性向、うわさをもとに起こすアクション」だ。
 要するに、間違いを起こす人は少数で、いざというときにはうまく対処できるのが多数派なのだ。その少数派が見苦しい振る舞いをするのは、事実ではなく思い込みがそうさせている。彼らは自分たち以外の人々はパニックになるか、暴徒になるか、家主と店子の関係をひっくり返そうとしていると信じ、恐怖に駆られて、彼らの想像の中にのみ存在している何かを防ごうとし、行動にでる。・・・
 「メディアは市民の無法ぶりとより厳しい社会管理の必要性を強調するが、それらは災害管理における軍の役割の拡大を求める政治論をうながし、強固にする。そのような政治的立場は、合衆国では、イデオロギーとしての軍国主義の台頭を示唆する」
・・・
 数十年に及ぶ念入りな調査から、大半の災害学者が、災害においては市民社会が勝利を収め、公的機関が過ちを犯すという世界観を描くに至った。彼らはクロポトキンのようなアナキストたちが長年提唱してきた説の大部分を、静かに承認した。

「危機」は「協力」をつくり出すのか 4:レベッカ・ソルニット、島月園子訳『災害ユートピア』(亜紀書房、2011年)

155ページ
 フリッツの最初の革新的な前提は、日常生活はすでに一種の災害であり、実際の災害は私たちをこそから解放するというものだった。人々は日常的に苦しみや死を経験するが、通常それは個人的にばらばらに起きている。
 「”通常”と”災害”の従来型対比では、日常生活に頻発するストレスとそれによる個人的または社会的影響のほうが常に無視されるか、軽視されてきた。それはまた、コミュニティ内でのアイデンティティに対する個人の基本的な人間的欲求を、現代社会が満たせないでいることを示す多くの政治的社会的分析を無視している。それは歴史的に一貫性があり、絶えず大きくなり続けているにも関わらずだ」。
 「危機や喪失、欠乏を広く共有することで、生き抜いた者たちの間に親密な第1次グループの連帯感が生まれ、それが社会的孤立を乗り越えさせ、親しいコミュニケーションや表現への経路を提供し、物理的また心理的な援助と安心感の大きな源となる。・・・アウトサイダーがインサイダーに、周辺にいた人が中心的な人物になる。人々はこのように、以前には可能でなかった明白さでもって、すべての人が同意する、うちに潜んでいた基本的な価値観に気づくのである。彼らは、これらの価値観が維持されるためには集団での行動が必要であること、個人とグループの目的が切り離せないほど合体している必要があることを知る。この個人と社会のニーズの合体が、正常な状況の下では滅多に得られない帰属感と一体感を与えてくれる」。
 「こうして、災害を引き起こし、災害を拡大させる自然や人的な力が敵意に満ちたものに見えるのとは逆に、そこで生き延びる人々は普段より気さくで、情け深く、親切になる。人間に対する分類的な見方はおさえられ、同情的な見方が広がる。そういった意味で、災害は物理的には地獄かもしれないが、結果的には、一時的ではあるが、社会的なユートピアとも言えるものを出現させるのだ」。
 「災害は、過去や未来と結びついた心配事や抑制や不安からの一時的な解放を提供してくれる。なぜなら、災害のせいで人々は現在のリアリティという文脈の中で、目の前の、一瞬一瞬の、一日一日の欲求に関心を集中せざるを得ないからだ」
 災害は私たちがとらわれている過去の悲しみ、習慣、思い込み、恐怖のクモの巣から、私たちを解き放ってくれる。

「危機」は「協力」をつくり出すのか 3:レベッカ・ソルニット、島月園子訳『災害ユートピア』(亜紀書房、2011年)

157-160ページ
・・・核戦争が起きれば、主要な都市や地方は破壊され、放射能を浴びるであろうと予測された。両国とも、もしそうなっても、直接被弾さえしない限り、シェルターにより人々を放射能から隔離しておいて、あとからすべてを建て直すことで、核戦争を生き延びることは可能だと信じたがっていた。・・・
 トルーマン大統領の『プロジェクト・イーストリバー』には「攻撃を受けたときにパニックが起きるのを防ぎ、またそれを抑制することは民間防衛の重要任務である。なぜなら、人々が攻撃によりパニックに陥ったときには、それが原因で、兵器が直接引き起こす数よりも多くの死者や負傷者が出る可能性があるからだ」とある。すなわち、一般市民は自身や自国に対し、敵の核兵器より大きな脅威となる可能性を秘めているというわけだ。・・・・
 アメリカ政府は、国民に私設の核シェルターを作ることを、10年以上も熱心に勧めた。核戦争を生き延びるには、再び表に出て町を再建できるようになるまでに、数週間もしくは数ヶ月もシェルター内で過ごさなければならないだろうと彼らは考えていた。・・・・
 連邦政府の高官や重要な官僚のためには、大規模なフル装備の豪華シェルターが建設された。彼らはたとえ他のすべての人々が助からなくても、自分たちが生き残ることが最重要だと考えたのだ。ソ連人は集団用シェルターを作ったが、アメリカ人は個人用シェルターを作るようにうながされた。・・・・
 けれども、人々は私設シェルターが突きつける道徳的難問の前に立ちつくした。その重要な問題とは、―もし、あなたが自分と家族のためにシェルターを作ったとして(裏庭のある家に限られるので、都市居住者や貧しい人には初めから無理)、近所の人を入れてあげますか?・・・
 同時期に『タイム』誌は、どんなことをしてでも生き延びようとするシェルターの持ち主を主人公にした、痛烈な皮肉を込めた物語を掲載した。タイトルは『汝の隣人を撃て Gun Thy Neighbor』。それはこんな言葉から始まっている。
 「シェルターが完成した暁には、爆弾が落ちたときには近所の者たちを入れないため、ハッチに機関銃を用意しておこう」
・・・・20年後、ある歴史学者は「徐々に、だが確実に、何千万ものアメリカ人は、私設の核シェルターは道徳的に弁護できないという結論に達した」と結論した。
 気づいた人は少ないが、それは注目すべき瞬間だった。核戦争が大きな脅威で、しかも集団による解決や連帯が共産主義をにおわせていた時代に、ごく普通の市民が、他の人を犠牲にしてまで自分自身が助かろうとすることにたじろいだのだ。
 ドロシー・デイと平和主義コミュニティの<カトリック労働者>のメンバーは、1955年にニューヨークで始まった全国規模の民間防衛訓練への参加を拒絶した。そして、他のすべての市民が、訓練で地下に潜っているときに、挑戦的にマンハッタンの市庁舎に集結した。
 2千人の人々が反対運動に参加したせいでとうとう訓練が廃止された1961年まで、毎年、デイのグループは協力を公的に拒み、そのせいでデイはときには逮捕され、また、ときには無視された。この集団としての強情さは、その10年がもたらした大激変への小さな端緒だ。
 この挑戦的な利他主義は、相互扶助や進化論的議論を凌駕している。市民は、隣人への援助を拒むことはあまりにも不快なので、たとえ国のリーダーたちが全人類の命を危険にさらす博打をしているときすら、自分だけが生き延びる道を探ることはできなかったのだ。

「危機」は「協力」をつくり出すのか 2:レベッカ・ソルニット、島月園子訳『災害ユートピア』(亜紀書房、2011年)


10-12ページ
 地震、爆撃、大嵐などの直後には緊迫した状況の中で誰もが利他的になり、自身や身内のみならず隣人や身も知らぬ人々に対してさえ、まず思いやりを示す。大惨事に直面すると、人間は利己的になり、パニックに陥り、退行現象が起きて野蛮になるという一般的イメージがあるが、それは真実とはほど遠い。
 二次大戦の爆撃から、洪水、竜巻、地震、大嵐に至るまで、惨事が起きたときの世界中の人々の行動についての何十年もの綿密な社会学的調査の結果が、これを裏付けている。けれども、この事実が知られていないために、災害直後にはしばしば「他の人々は野蛮になるだろうから、自分はそれに対する防衛策を講じているにすぎない」と信じる人々による最悪の行動が見られるのだ。
・・・
 大抵の伝統的な社会に、個人同士や家族同士、集団の間に、深く根付いた責任と結合がある。社会という概念自体が共感や親愛の情で結ばれたネットワークをベースにとしていて、独立独歩の人はたいがいの場合、世捨て人または追放された者として存在した。
 だが、流動的で個人主義的な現代社会がこういった昔ながらの結合の幾分かを切り捨てた結果、人々は特に経済的な取り決めにより他人を背負い込むこと―高齢者や社会的弱者への物質的援助や、貧困や悲惨な状況に対する支援、すなわち”兄弟姉妹”の扶養―に二の足を踏むようになった。
 他人の扶養に反対する議論は、しばしば人間の本性についての議論に姿を変える。人間は本来、利己的な生き物だ。人は私の面倒を見てくれはくれないだろうから、私も人の面倒は見ない。食糧不足に備えて食料の備蓄が必要だから、人に与える食糧はない。それは、私自身も他人など当てにできないからだ。一方で、できれば誰かの財産を頂戴して、私腹を肥やしたいと思う。・・・・
 こうなると人々の日常生活は社会的に大きな危険を抱え込むことになる。ときに本物の災害がこの状況を一層悪化させる。しかし、反対に災害がこういった状況を一時的に棚上げにし、私たち自身の中にある別の世界を垣間見させてくれる場合もある。
 平常時の社会的構図や分裂がことごとく崩壊すると、全員とはいわないが、大多数の人々が兄弟の番人になろうとする。すると、その目的意識や連帯感が、死やカオス、恐怖、喪失の中にあってさえ、一種の喜びをもたらすのだ。
 もし私たちがそのことを知っていて、それを信じていれば、どんな場面においても、自分たちの可能性に対する自覚は変わるかもしれない。どんな信念であれ、それに基づいた行動は、世界をイメージ通りに変えられる。繰り返すが、何を信じるかが問題だ。

「危機」は「協力」をつくりだすのか:レベッカ・ソルニット、高月園子訳『災害ユートピア』(亜紀書房、2011年)より

『災害ユートピア』427-429ページ
 災害の歴史は、私たちの大多数が、生きる目的や意味だけでなく、人とのつながりを切実に求める社会的な動物であることを教えてくれる。
 もし私たちがそのような社会的動物ならば、ほぼすべての場所で営まれている日常生活は一種の災難であり、それを妨害するものこそが、私たちに変わるチャンスを与えてくれることを示唆している。・・・
 災害は普段私たちをとじ込めている塀の裂け目のようなもので、そこから洪水のように流れ込んでくるものは、とてつもなく破壊的、もしくは創造的だ。ヒエラルキーや公的機関はこのような状況に対処するには力不足で、危機において失敗するのは大抵これらだ。
 反対に、成功するのは市民社会のほうで、人々は利他主義や相互扶助を感情的に表現するだけでなく、挑戦を受けて立ち、創造性や機知を駆使する。この数え切れないほど多くの決断をする数え切れないほど大勢の人々の分散した力のみが、大災害には適している。
 災害がエリートを脅かす理由の一つは、多くの意味で、権力が災害現場にいる市井の人々に移るからだ。
 危機に最初に対応し、間に合わせの共同キッチンを作り、ネットワークを作るのは住民たちだ。それは中央集権型でない、分散した意志決定システムも有効であることを証明する。そういった瞬間には、市民そのものが政府、すなわち臨時の意志決定機関となるが、それは民主主義が常に約束しながらも、滅多に手渡してくれなかったものだ。
 これらのはかない一時期については、次の二点が最も意義深い。
 まず、それは何が可能であるかを、いや、もっと正確に言えば、何が潜在しているかを明確に示してくれる。それは私たちのまわりの人々の立ち直りの早さや気前の良さ、そして別の種類の社会を即席に作る能力だ。
 第2に、人々とつながりたい、何かに参加したい、人の役に立ち、目的のために邁進したいという私たちの欲求がいかに深いものであるかを見せつけてくれる。だからこそ、災害では驚異的な喜びが見られるのだ。
 ナチスのアウシュヴィッツ強制収容所を生き抜いた精神科医ヴィクトール・フランクルは、のちに、生きる意味と目的を持ち続けることこそが、多くのケースにおいて、そこにいた人たちの生死を分けたと結論している。
 9・11のあと、ニューヨーカーのマーシャル・バーマンは「人間、それは最も勇敢な動物で、最も悩むことに慣れている生き物であるからして、本来、苦しみを拒まない。苦しみに意味が与えられる限り、それを欲しがり、それを探し出す」というニーチェの言葉を引用した。
 フランクルは同じくニーチェの「生きる目的を持つ者は、ほとんどどんな生き方にでも耐えられる」という宣言をも引用している。・・・
 災害の中の喜びは、もしそれが訪れるとするなら、はっきりした目的の存在や、生き延びることや、他人に対する奉仕への没頭や、個人に向けられた愛ではなく市民としての愛からやってくる。市民の愛―それは、見知らぬ者同士の愛、自分の町に対する愛、大きな何かに帰属し、意味のある仕事をすることに対する愛だ。
 脱工業化した現代社会では、このような愛は大抵冬眠中か、もしくは認められていない。それゆえ日常生活は災難なのだ。