2020年4月18日土曜日

「危機」は「協力」をつくり出すのか 4:レベッカ・ソルニット、島月園子訳『災害ユートピア』(亜紀書房、2011年)

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 フリッツの最初の革新的な前提は、日常生活はすでに一種の災害であり、実際の災害は私たちをこそから解放するというものだった。人々は日常的に苦しみや死を経験するが、通常それは個人的にばらばらに起きている。
 「”通常”と”災害”の従来型対比では、日常生活に頻発するストレスとそれによる個人的または社会的影響のほうが常に無視されるか、軽視されてきた。それはまた、コミュニティ内でのアイデンティティに対する個人の基本的な人間的欲求を、現代社会が満たせないでいることを示す多くの政治的社会的分析を無視している。それは歴史的に一貫性があり、絶えず大きくなり続けているにも関わらずだ」。
 「危機や喪失、欠乏を広く共有することで、生き抜いた者たちの間に親密な第1次グループの連帯感が生まれ、それが社会的孤立を乗り越えさせ、親しいコミュニケーションや表現への経路を提供し、物理的また心理的な援助と安心感の大きな源となる。・・・アウトサイダーがインサイダーに、周辺にいた人が中心的な人物になる。人々はこのように、以前には可能でなかった明白さでもって、すべての人が同意する、うちに潜んでいた基本的な価値観に気づくのである。彼らは、これらの価値観が維持されるためには集団での行動が必要であること、個人とグループの目的が切り離せないほど合体している必要があることを知る。この個人と社会のニーズの合体が、正常な状況の下では滅多に得られない帰属感と一体感を与えてくれる」。
 「こうして、災害を引き起こし、災害を拡大させる自然や人的な力が敵意に満ちたものに見えるのとは逆に、そこで生き延びる人々は普段より気さくで、情け深く、親切になる。人間に対する分類的な見方はおさえられ、同情的な見方が広がる。そういった意味で、災害は物理的には地獄かもしれないが、結果的には、一時的ではあるが、社会的なユートピアとも言えるものを出現させるのだ」。
 「災害は、過去や未来と結びついた心配事や抑制や不安からの一時的な解放を提供してくれる。なぜなら、災害のせいで人々は現在のリアリティという文脈の中で、目の前の、一瞬一瞬の、一日一日の欲求に関心を集中せざるを得ないからだ」
 災害は私たちがとらわれている過去の悲しみ、習慣、思い込み、恐怖のクモの巣から、私たちを解き放ってくれる。

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