評者のんきちさんへのインタビュー(3)(インタビュー(2)の続き):書評(5)
タ:「某通信で栗原の本を検証している人がいるのですが、その人によると栗原は伊藤野枝や大杉の言っていることを、自分の都合のいいように改ざんしていて、その通信によると『野枝も大杉も「ただセックスをしたい」という人物にされてしまっているのだ』。これ笑いました。ほんとに、ただセックスがしたいだけだったのなら、2人とも虐殺されることもなかっただろうに」とお書きになっていますが、これは、小池善之「栗原康『村に火をつけ、白痴になれ』を読む」『沓谷だより』(大杉栄らの墓前祭実行委員会発行、2019年1月21日、復刊第4号、1-4頁)のことだと思いますので、以下、小池氏の書評から関連する箇所を引用しておいたうえでうかがいます。この書評で評者(小池氏)が『村に火をつけ、白痴になれ』について指摘していることが、本書『アナキズム』についても当てはまると思いますか。
の:これ探したのですが、よくわかりませんでした。っていうか、なんで、こんなつまらない新書を何度も読んでいるのかと、むなしくなりました(笑)。
タ:「これ笑いました。ほんとに、ただセックスがしたいだけだったのなら、2人とも虐殺されることもなかっただろうに」というのは、小池氏の書評への感想で、本書に対する感想ではない、ということですね。ではこの辺でインタビューを終わります。ありがとうございました。
参考資料:小池善之「栗原康『村に火をつけ、白痴になれ』を読む」『沓谷だより』(大杉栄らの墓前祭実行委員会発行、2019年1月21日、復刊第4号、1-4頁)より
・・・[前略]あるいは彼[=栗原康]はこうも記す。「野枝がいいたかったのは、端的にこういうことなのだと思う。わがまま、友情、夢、おカネ。結婚なんてクソくらえ。腐った家庭に火をつけろ。ああ、セックスがしたい、人間をやめたい、ミシンになりたい、友だちがほしい。泣いて笑ってケンカして。ひとつになっても、ひとつになれないよ」(134)。
意味不明の言葉が羅列されているだけである。
彼は、セックスという語を多用する。本文中に20回程度つかわれている。たとえば「家のことなんて関係なく、好きなひとと好きに恋をして、好きだけセックスをすればいい」(40)、「ただ好きだ、ただセックスがしたいという純然たるおもいで突っ走っていく」(41)。
野枝はこのようなことは、一切書いていない。これは彼の憶測でしかない。
また大杉についても、「オレはなんにもわるいことはしてないぞ。オレはただセックスがしたいんだと。大杉の持論である。」(『村に火をつけ、白痴になれ』76頁)としている。野枝も大杉も、「ただセックスをしたい」という人物にされてしまっているのだ。
野枝は恋愛論を何度か書いている。『解放』(1920年4月号)、「自由母権の方へ」では、「両性の結合を持続さすものは・・・『フレンドシップ』だと思います」。恋愛とは、フレンドシップ、つまり「友人である状態」であると。また「私共を結びつけるもの」(『女性改造』2巻4号、1923年)では、「私共二人の友人としての話題は実に多種多様なものなのです。ですから私共は一緒にゐれば絶えずしゃべつていますけれど、話に退屈することは先づありません。そして大抵の場合私は其の友人としての会話の間に教育されてゐるのです。多くの知識を授けられ、鞭撻され、いま警しめられ、訓へられるのです。同時に又、彼は何時でも私を一人の同志として扱ふ事を忘れません。」と書いている。つまり野枝と大杉とは友人でありまた同志だというのである。
そして『婦人公論』(1923年9月号)におけるアンケート、「人生に於ける恋愛の位置」の回答で、野枝は「『如何によく生きるか?』と云ふ人間の大事な問題が、どんな答へで解決するかによつて事は決まるのではないでせうか。そして私は今迄自分の『生命』を恋愛の為めに捧げた勇敢な人達が、つひに本当に現実的にはよく生き得なかつたといふ事実を挙げることが出来ます」と回答している。つまり、恋愛も「如何によく生きるか」ということによって決まる、というのである。
また野枝は、辻との生活についても、後に振り返って、『婦人公論』(1921年10月号)の「成長が生んだ私の恋愛破綻」にこう書いている。辻のところに入りこんだのは、野枝17歳の時。
「・・此の結婚について自らを責めなければならぬ点は、私があんまり早く結婚生活にはいつたからだと云ふ事のみです。結婚生活に対する適確な何の考慮をする事も出来ないやうな若い時に結婚をしたと云ふ過失のみです。事実、私は結婚をするまでは、或はしてからでも、何の方面から云つてもまだ本当の子供だつたのです。私の恋の火は燃えました。けれども自ら求めて得た火で燃えたのではありませんでした。それはたヾ行きあたりばつたりに出遇つた火が燃えついたのです。・・・・・でも、私は、それでも強ひられて、いやな結婚をする人達から見れば、自分達がどんなに正しい結婚をし、またどんなに幸福だかと云ふ事を誇りにしてゐました。私のいヽ加減な撰択でも、私はいヽ男にぶつかつたのです。私は勉強をする事も覚え、読んだり考へたり書いたりする事も覚えました。私は今日自分で多少なり物が書けたり物を観たり、考へたりすることが出来るのは男のおかげだと思つてゐます。・・・が、私が漸く一人前の人間として彼れに相対しはじめた時、二人がまるで違つた人間だと云ふ事がはつきりしてきたのです。そして此の性格のはげしい相違が、二人のお互いの理解を以てしてもふせぎ切れないやうな日がだんだんに迫つてきたのです。」
このように、野枝は生きる過程の中で、みずからの恋愛観をつくってきた。栗原の一面的な見方は、野枝のこのような思考の展開を無視するものでしかない。
栗原も、「自由母権の方へ」をもとに野枝の恋愛論を紹介してはいる。第4章のおわりで「だいじなのは、性欲それ自体ではない、フレンドシップだ」(128)と。にもかかわらず、その章の末尾では、先ほど紹介したように、「野枝がいいたかったのは、・・ああ、セックスがしたい、人間をやめたい・・・・」(134)と記すのだ。このようにきわめて恣意的な記述がなされているのである。
もう一つ、第5章のはじめに、「野枝、大暴れ」という項目がある。1919年10月5日、友愛会婦人部主催による「婦人労働者大会」があった。ILO国際労働大会に派遣される政府代表・田中孝子(渋沢栄一の姪)に「実際に労働に従事する婦人労働者の真の要求を告げる目的で」開かれたもので、「八人の女工が・・熱弁」(大原社研『日本労働年鑑』第一集)をふるった(これは当時友愛会にいた市川房枝が企画したものである)。大会が終わり、控室に戻った田中孝子に野枝が詰め寄ったときの顛末を栗原は書いている。その際に使用された資料は、山内みなの自伝、平塚らいてうの自伝である。
(1)栗原本は、らいてうが「外まで聞こえるような怒号」を聞いて、らいてうが「なんの騒ぎだろうとおもって駆けつけてみる」となっているが、らいてう自伝では控え室にいたときに突然野枝が入ってきたと記されている(『元始、女性は太陽であった』完 大月書店、1973年、56頁)。「外まで聞こえるような怒号」は根拠があるのだろうか。
(2)栗原本では、らいてうが「田中がかわいそうだとおもい、とめにはいったが、野枝はきかない」と記されているが、らいてう自伝では、野枝をたしなめるつもりでひとことだけことば(「工場で働く労働者のほかは労働者でないように言うのは間違いでしょう・・」)をはさんだ、となっている。
(3)栗原本では「・・・、さらにまくしたてた。このブルジョア夫人め、ブルジョア夫人め」とあるが、これはまったくのフィクションである。
(4)栗原本では、山内みなが「やめなよといってとめにはいった」となっているが、『山内みな自伝』(新宿書房、1975年、56頁)では、とめたのは市川房枝と記され(「市川さんは、「ここでそんな議論はこまる、やめて下さい」といってやめさせました」)、その後に野枝がみなのところにくるのであって、栗原のいう、みなが「野枝の逆鱗にふれ」たということは記されていない。
(5)栗原本では、野枝がみなに「あなたは婦人労働者として、どうしたら自分が解放されるのか、もっと勉強してください。社会主義じゃなきゃダメなんです、なんでわからないの」と言ったと記されているが、『山内みな自伝』では「あなたは労働者だから、労働者はどうしたら解放されるか勉強しなさい、社会主義でなければだめだということがわかるでしょう、本を送ってあげます」となっている。ちなみに、本はあとでみなのところに送られてきた。
みられるように、まず、彼は事実をあまり重視していない。明らかに創作がはいっている。彼が描こうとしている野枝像をより際立たせようと様々に修飾を加え、それを根拠にして断定していくという乱暴な手法を用いて野枝像をつくりあげている。
彼は、大杉栄の本も書いている。『大杉栄伝 永遠のアナキズム』(夜光社、2013年)であるが、これも大杉の考えなのか栗原の考えなのか判然としない記述で、大杉が書いた文献を引用はするが、その解説が解説になっていない。解説ではなく、栗原の考えになっている。この本をはじめて読んだとき、私はこう書き込んだ。「(著者は)自らの主観的世界に大杉を流し込んでしまっている」と。
彼は大杉や野枝を材料にして、自己の考えを書き込む、自己を表現しようとしているのではないか。
この『村に火をつけ、白痴になれ』の「あとがき」の最初にこう記されている。「この本を書いているあいだに、かの女ができた。 三年ぶりだ。まだつきあいたてということもあってひたすら愛欲にふけっている。好きで、好きで、好きで、どうしようもないほど。セックスだ。もちろん性的衝動もおおきいのだが、とはいえそればかりじゃない。心も体もマジでぶつかればぶつかるほど、わかってくるのは、ひとつになっても、 ひとつになれないよ、自分とはまったくの別人であるということだ。でもだからこそ、そのかけがえのない異質な相手に対して、手探りでやさしくしたいと思う。泣いて、笑って、ケンカして。・・」(163頁)。先に紹介した、野枝について記したところにも「わがまま、友情、夢、おカネ。結婚なんてクソくらえ。腐った家庭に火をつけろ。ああ、セックスがしたい、人間をやめたい、・・。泣いて笑ってケンカして。ひとつになっても、ひとつになれないよ」とあった。栗原が自分自身を語った内容とほとんど変わらないではないか。
この本に描かれた野枝像と栗原自身は、おそらく等号で結ぶことが出来るのではないだろうか。
栗原は、野枝を、自己表現の手段、もっと言ってしまうなら自己の生き方、考え方を正当化するための手段としてつかっている。こういう本を「伊藤野枝伝」とすべきではない。
大杉も、野枝も、「やりたいことだけをやる」という栗原のアナキズム理解に流し込まれ、同じような人間類型にされてしまっている。この本で描かれた野枝像は、フィクションであると言わざるをえない。
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