また、栗原氏は、女性たちが「ミルク瓶に石油をいれて」まいて火をつけた、と書いているが、この記述もとても不思議なものに思える。
というのも、上記のルイズ・ミッシェルによる記述、正確にはその翻訳は「ミルクの罐」である。原文を見ると、"une boite au lait"とある。"boite" は「箱」もしくは「缶」としか訳せない。瓶であれば、"bouteille" ではないだろうか。
そもそもミルクを瓶に詰めるようになったのがいつ頃かはわからない。1871年のパリに、「瓶詰ミルク」はあったのだろうか。
そこで、当時、パリ・コミューンの敗北直後から広まった「石油放火女」の図像を見ると、彼女たちが持っているのは、おそらく金属製の「缶」か、あるいは、焼き物でできたボトルのようなものである。
ここで強調しておきたいのは、これらはすべて「イメージ」だということである。つまり、「あったかなかったかわからない」ことに関する噂話を画家が想像して描いたものと見なすべきであろう。このような図像、もしくは、その元ネタとなった噂話の目的は、パリ・コミューンに関わった女性たちをおとしめることにあったのではないだろうか。
もしも、関東大震災直後に、「井戸に毒をまいた朝鮮人」の図像がはやった、ということが、かりにあったとすれば(そういうことがあった、ということは聞いたことがないので、「もし」「かりに」なのだが)、これは、それと同じことではないだろうか。
それとも、「石油放火女」は、「伝説」や「神話」などではなく、栗原氏が描くとおり、実際にあったことなのだろうか? 「石油放火女(Petroleuses)」の謎(4)に続く(文責:田中)
1871年にフランスで作成された「石油放火女」のカリカチュア |
1871年代にイギリスで作成された「石油放火女」の図像 |
「放火犯たち―石油放火女たちとその共犯者たち『挿絵入りル・モンド』1871年6月3日号掲載 |
「石油放火女」に関する作成年不詳の図像 |
牛乳瓶ですが、1870年代にアメリカで特許申請されたようです。家庭にビン詰めの牛乳が配達されるのが、1878年のアメリカが最初だそうです。北ヨーロッパではそれまではブリキ缶に牛乳を入れていたし、フランスで瓶詰めの牛乳が一般化するのは、たぶん1900年代になってからだと思います。なので1871年のパリでは、そこそこ大きなブリキ缶で牛乳を運搬及び販売していたようにおもいます(そもそも、あんまし牛乳を飲む習慣がなかったように思います)。
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