高校の図書室で見つけた一冊の書物――『アナーキズム』(松田道雄 編集・解説)。
この本との出会いがその後の私の思考様式や文学嗜好を決めたように思っています。なかでも面白かったのが埴谷雄高が書いていたエッセイでした。
当時は旧ソヴィエト連邦・旧東欧圏の「共産主義国家」がベルリンの壁とともに崩壊していた頃で、中学生頃から共産主義に共感を覚えていた私としては「あんな国家が社会主義や共産主義であるはずはない」と考えつつも、思想や行動原理としての社会主義や共産主義までも否定されていくのが悔しかった覚えがあります。
そんな絶望的な世界観に陥っていた私は、図書室で出会ったこの『アナーキズム』という本を読み、アナーキズムに何らかの可能性があると思わずにはいられませんでした。
進路の希望も、心理学から社会学、法学、政治学に変わり、最終的には哲学となりました。大学では個人主義的アナーキズムの祖とされるマックス・シュティルナーの研究をし、現在に至っています(SW)。
2019年7月29日月曜日
なぜアナキズムに関心をもったか(広島集会に寄せて)Why I am interested in Anarchism
以前、お伝えしたとおり、事前に、以下のいずれかのテーマに関するメッセージ(字数は自由です)の送付を呼びかけています。(1)アナーキズムを面白くするには (2)未来のアナーキズム (3)私が考えるアナーキズム (4)広島とアナーキズム (5)なぜアナキズムに関心を持ったのか (6)8・6に思うこと(7)自由テーマ 以下は、(5)について、広島集会に参加されるかたから送付していただきました。引き続き、文章を募集中です。
小さな頃先生が
治安維持法や戦争に反対する人たちへの
弾圧や拷問などの話を授業中によくしてました
自由が大事やねん
聞いてた私は
国がなくなれば戦争やらない
つかまらなければ
みな勝手に
戦争いやだと言うと思った。
10代の頃映画を見ていた
映画の歴史で権力が映画に介入して世論を変えていた
歴史がいつもあった
私たちは
国は映画に口を出すなという常識があった
ロマンポルノ裁判の時代で
竹中労の文章もありました。
自由が大事やねん
でそういう考え方が
何か分からなかった所に
75年の新聞に
”真のアナキズムとは”という
なだいなだの文章が載っていて
スコンとはまって
漠然としたものに名前がついた
というわけでいまもアナキズムです。
何か考えれば
それを辿っていけば
アナキズムに繋がったという人は
多いのではないでしょうか
それと
トイレをつまらせるという考えは嫌いやないけどね
新聞紙でなく
ティシュペーパーでも
水溶性でなければ排水管つまる
業者呼ぶよりも紙常備したほうがいいと思わせたらいいんやけどね
小さな頃先生が
治安維持法や戦争に反対する人たちへの
弾圧や拷問などの話を授業中によくしてました
自由が大事やねん
聞いてた私は
国がなくなれば戦争やらない
つかまらなければ
みな勝手に
戦争いやだと言うと思った。
10代の頃映画を見ていた
映画の歴史で権力が映画に介入して世論を変えていた
歴史がいつもあった
私たちは
国は映画に口を出すなという常識があった
ロマンポルノ裁判の時代で
竹中労の文章もありました。
自由が大事やねん
でそういう考え方が
何か分からなかった所に
75年の新聞に
”真のアナキズムとは”という
なだいなだの文章が載っていて
スコンとはまって
漠然としたものに名前がついた
というわけでいまもアナキズムです。
何か考えれば
それを辿っていけば
アナキズムに繋がったという人は
多いのではないでしょうか
それと
トイレをつまらせるという考えは嫌いやないけどね
新聞紙でなく
ティシュペーパーでも
水溶性でなければ排水管つまる
業者呼ぶよりも紙常備したほうがいいと思わせたらいいんやけどね
2019年7月19日金曜日
アナーキズムをもっとおもしろくしよう:広島集会の告知 Let's Make Anarchism more Intersting: Notification for Hiroshima August 6th Gathering
8月6日の広島集会まで、2週間とちょっとですので、告知をいたします。アナキズム文献センターの『文献センター通信』第48号、2019年7月1日にも告知「今年の8・6広島集会の告知など」が掲載されています。通信の主な取扱店は、イレギュラー・リズム・アサイラム(新宿)、模索舎(新宿)、古書りぶるりべろ(神保町)、カフェ&ギャラリーRiver(本郷東大前)、CRY IN PUBLIC(静岡県三島市)、水曜文庫(静岡市)、三月書房(京都)、INFO SHOP 大都会門司港(北九州)、【NEW】汽水空港(鳥取)です。
さて、今回、広島集会のテーマを「アナーキズムをもっとおもしろくしよう」にしました。「もう十分におもしろいのに、どうしてそんなテーマなんだ」という疑問をもった人もいると思います。しかし、自分がおもしろいと思っていても、アナーキズムという言葉を日常的に使う機会は少ない、アナーキズムについて話し合うような機会はそれほど多くはない、という人のほうが多いのではないでしょうか。
国外から来るアナーキストに、日本の運動を紹介してもらいたい、と言われたときに、紹介できるような人や運動が少ないので、いつも困ります。これほど運動が低調なのは、どうしてかといえば、それは、大多数の人から見て、アナーキズムがおもしろいと思えないからではないでしょうか。
国外の運動を見ていて「おもしろい」と思えるのは、個人であれ集団であれ、様々な工夫をして、それぞれが思うところの「アナーキー」を今・ここでつくりだそうとして、ほんの一瞬であっても、これはもしかしたら・・・、という経験を持てる場をつくりだしているからではないか、と思います。
そういった人たちに「アナーキズムなんて幻想で実現不可能なユートピアだという批判がありますが」と聞くと、「やってみないとわからないじゃない」「こんなシステム放置してるわけにいかないじゃないか。私たちの孫の世代には地球環境は崩壊しているよ」といった感じで、猛然といろいろな反論をしてきます。こういうことが言えるのは、やってみてちょっとはうまくいった、という経験がどこかにあるからだろうな、と思います。つまり、「アナーキー」が心地よい、というちょっとした経験を持っているのではないかと思うわけです。
国外でよく見るのは、アナーキズム運動をやっている人たちが、資本主義や国家から相対的に自律した場所をつくりだしているというケースです。こういったやり方が唯一正しいわけではないと思いますが、彼らのひとつの選択だと思います。そこにたまり場ができ、そういった彼らのたまり場から、衣食住、あるいは生産や消費に関する新しい実験やアイデアが生まれ、新しい表現やアートが生まれてきているように思えます。資本と国家が作り出すシステムのど真ん中に生まれた、資本と国家を含めた諸々の支配を破壊していく意志を持つがん細胞のようなものです。似たようながん細胞が増えていけば、国家は崩壊する、とその昔ドイツのアナーキスト、グスタフ・ランダウアーが述べています。
さて、日本でそういう状況を作り出すためにどうしたらいいのかわかりませんが、アナーキズムに関心を持つ人たちが集まり、交流する機会がもっと多くあれば、少しは変わってくるのかもしれない、と思います。
デモを一緒にやって、集会でお互いの話を聞き、それぞれが日頃何を考えて何をしているかを知ることから、参加した人たちが「もっとおもしろくする」ヒントを得て、翌日からそれぞれのテリトリーで考え、行動していけばいいのだと思います。
そのような交流を活性化させるために、今年の集会では、5人の報告者から、「これがおもしろい」という話題提供をしてもらいます。
1人目の報告者からは、1970年代から広島で運動を始めた経緯についてお話をしてもらおうと思います。それに続く4人の報告のタイトルは、全て仮題ですが、「旧日本軍の運搬人:日雇労働の起源」「踏切切断男と爆弾製造高校生」「暁部隊につて」「ヒロシマと象徴天皇制~「癒やしと祈り」の国民統合について」というもので、それぞれ、8月6日の広島でしか聞けないお話になると思います。
というわけで、今年の8月6日は、ぜひ広島でお目にかかりましょう。暑さ対策をお忘れなく。参加ご希望の方は、必ず事前に以下までご連絡を:joh.most@gmail.com
広島集会スケジュール2019年8月5日(月)
プレイベント「軍都広島フィールドワーク」 昼12時 広島駅前集合(黒旗が目印)
2019年8月6日(火) 朝7時、平和公園原爆ドーム周辺でビラまきと抗議行動(黒旗が目印)
10時 原爆ドーム前(道を挟んで反対側にある広島商工会議所前に集合)よりデモ行進
13~17時 8・6集会 広島市内 *12時半より会場設営 終了後、懇親会を予定しています。
さて、今回、広島集会のテーマを「アナーキズムをもっとおもしろくしよう」にしました。「もう十分におもしろいのに、どうしてそんなテーマなんだ」という疑問をもった人もいると思います。しかし、自分がおもしろいと思っていても、アナーキズムという言葉を日常的に使う機会は少ない、アナーキズムについて話し合うような機会はそれほど多くはない、という人のほうが多いのではないでしょうか。
国外から来るアナーキストに、日本の運動を紹介してもらいたい、と言われたときに、紹介できるような人や運動が少ないので、いつも困ります。これほど運動が低調なのは、どうしてかといえば、それは、大多数の人から見て、アナーキズムがおもしろいと思えないからではないでしょうか。
国外の運動を見ていて「おもしろい」と思えるのは、個人であれ集団であれ、様々な工夫をして、それぞれが思うところの「アナーキー」を今・ここでつくりだそうとして、ほんの一瞬であっても、これはもしかしたら・・・、という経験を持てる場をつくりだしているからではないか、と思います。
そういった人たちに「アナーキズムなんて幻想で実現不可能なユートピアだという批判がありますが」と聞くと、「やってみないとわからないじゃない」「こんなシステム放置してるわけにいかないじゃないか。私たちの孫の世代には地球環境は崩壊しているよ」といった感じで、猛然といろいろな反論をしてきます。こういうことが言えるのは、やってみてちょっとはうまくいった、という経験がどこかにあるからだろうな、と思います。つまり、「アナーキー」が心地よい、というちょっとした経験を持っているのではないかと思うわけです。
国外でよく見るのは、アナーキズム運動をやっている人たちが、資本主義や国家から相対的に自律した場所をつくりだしているというケースです。こういったやり方が唯一正しいわけではないと思いますが、彼らのひとつの選択だと思います。そこにたまり場ができ、そういった彼らのたまり場から、衣食住、あるいは生産や消費に関する新しい実験やアイデアが生まれ、新しい表現やアートが生まれてきているように思えます。資本と国家が作り出すシステムのど真ん中に生まれた、資本と国家を含めた諸々の支配を破壊していく意志を持つがん細胞のようなものです。似たようながん細胞が増えていけば、国家は崩壊する、とその昔ドイツのアナーキスト、グスタフ・ランダウアーが述べています。
さて、日本でそういう状況を作り出すためにどうしたらいいのかわかりませんが、アナーキズムに関心を持つ人たちが集まり、交流する機会がもっと多くあれば、少しは変わってくるのかもしれない、と思います。
デモを一緒にやって、集会でお互いの話を聞き、それぞれが日頃何を考えて何をしているかを知ることから、参加した人たちが「もっとおもしろくする」ヒントを得て、翌日からそれぞれのテリトリーで考え、行動していけばいいのだと思います。
そのような交流を活性化させるために、今年の集会では、5人の報告者から、「これがおもしろい」という話題提供をしてもらいます。
1人目の報告者からは、1970年代から広島で運動を始めた経緯についてお話をしてもらおうと思います。それに続く4人の報告のタイトルは、全て仮題ですが、「旧日本軍の運搬人:日雇労働の起源」「踏切切断男と爆弾製造高校生」「暁部隊につて」「ヒロシマと象徴天皇制~「癒やしと祈り」の国民統合について」というもので、それぞれ、8月6日の広島でしか聞けないお話になると思います。
というわけで、今年の8月6日は、ぜひ広島でお目にかかりましょう。暑さ対策をお忘れなく。参加ご希望の方は、必ず事前に以下までご連絡を:joh.most@gmail.com
広島集会スケジュール2019年8月5日(月)
プレイベント「軍都広島フィールドワーク」 昼12時 広島駅前集合(黒旗が目印)
2019年8月6日(火) 朝7時、平和公園原爆ドーム周辺でビラまきと抗議行動(黒旗が目印)
10時 原爆ドーム前(道を挟んで反対側にある広島商工会議所前に集合)よりデモ行進
13~17時 8・6集会 広島市内 *12時半より会場設営 終了後、懇親会を予定しています。
Well, the theme of the Hiroshima August 6th Gathering of this year is "Let's make anarchism more interesting". Some people might ask "Why? It is interesting enough". However, even if you find interesting, there are few opportunities to use the word anarchism today, and there are not many opportunities to discuss anarchism.
Hiroshima August 6th Gathering schedule:
August 5, 2019 (Mon)
-Pre-event: Field Work around the "Military City Hiroshima".
-Pre-event: Field Work around the "Military City Hiroshima".
-12 noon, in front of JR Hiroshima station. Find the black.
August 6th, 2019 (Tuesday)
August 6th, 2019 (Tuesday)
At 7 am in the morning, around the Hiroshima Peace Park, we will distribute the flyers and make protest action. Find Black Flag.
At 10 am starts the Demonstration from the Hiroshima Chamber of Commerce. Find the Black Flags on the other side of Atomic Bomb Dome.
13-17 pm will be held the gathering in the Hiroshima city.
At 10 am starts the Demonstration from the Hiroshima Chamber of Commerce. Find the Black Flags on the other side of Atomic Bomb Dome.
13-17 pm will be held the gathering in the Hiroshima city.
* We will prepare the gathering from 12:30.
** After the gathering we will have eat & drink together.
2019年7月15日月曜日
乱狡太郎「偽書アナキズム 栗原本 その1(3)」 Fake Anarchism Book by Kurihara Yasushi: Part 1(3)
その1(2)の続き
(3)偽暴動論
で、そのプリウスを選択しないとしたら何が選ばれるのか、栗原がすすめているのが「暴動」である。
「ものすっごいスピードで、デシッ、デシッとハンマーを使って窓ガラスをぶちこわし、そこにひたすら石をなげこんでいく、投石につぐ投石、そしてさらなる投石だ。すると、どこからとなく火炎瓶がほうりこまれて、マックがメラメラと燃えはじめる。火を見た群衆はもうとまらない。火のついた猿、火のついた猿、黒いのがわけのわかんないことをさけびながら、ピョンピョンとびまわっている。すると、あたりからモクモクと煙がたちのぼってくるわけさ。そう、車やバイクにも火がはなたれたんだ。ウヒョーオーッ、ウヒョーオーーーッ!!!」(栗原『アナキズム』4頁)
この「暴動」の情景は栗原が、フランス、パリにおけるメーデーに突然黒いパーカーに覆面姿の一団が現れ、いきなりデモの先頭を取りマクドナルドに突っ込んだ場面を、友人からのメールに貼付されたURLで見たYoutubeの映像を記述したらしい。書体を変えた部分は、栗原の主観と思われる部分である。この本にはこのように随所に栗原の過剰演出が織り込まれている。
栗原の述べているのは、2018年5月1日のフランス、パリのメーデーで、この日、行進が始まった30分後、「一般デモ隊に紛れ込んでいた『壊し屋casseur』たちが黒装束にヘルメット、覆面をし、デモ隊の先頭に集まったのです。その数は約1200人、最大でも600人と考えていた機動隊はただ様子を見守るばかり。橋を渡った彼らは、金槌や金属棒、発煙筒を出し、沿道の店や信号、広告塔などを次々に壊し始めました。機動隊が介入したのは破壊が進んでからなので、物的被害は甚大です。そのうちのひとつであるルノー車販売店は店舗が壊されただけでなく、展示していた車やバイクを歩道に出され、燃やされました。」(*6)
配信されたメディアの記事、フランス滞在者によるレポートいくつかを当たってみたけど、明確にブラック・ブロックによるものとされている。なぜかアナーキズム研究家である栗原は集団の呼称を出していない。ブラック・ブロックは統率がとれていない集団という記述も見られるが、一方で警察が「よく組織されており敏捷で、逃げ足が速い。ジェスチャーで特殊なサインをし合って行動、破壊するや否やあとは跡形なく蒸発するプロ忍者」(*7)という指摘もある。
また最近では、今年2月に、「黄色いベスト」のリーダー格の男女2人が接触を図り「共同戦線」を提案したが、ブラック・ブロック側も「目的は諸君と同じ」と受け入れたとのニュースもあった。(*8)
俺は、破壊する対象がグローバリズムを象徴する店舗に限られていることや、リーダーが不在でも組織的に動けることから、明確な目標や思想性を共有する集団で、栗原の言う単なる「アンちゃん、ネエちゃん」の「火のついた猿」では全く違うように考える。
確かに定型的な組織形態はないが、ネットによって日常的に情報は共有化されており、破壊目標の設定、装備、行動の手順、実施、撤収まできちんと運営されているのがうかがえる。
しかも構成員たちは、インテリでそれぞれ個別に社会運動のメンバーであるとも言われている。ある意味「ブラック・ブロック」は、期間限定の「革命運動」の一種といえるかもしれない。
つまり、栗原も本来は、栗原の暴動のモデルと異なるのを知っていたんだろうけど、自分の論に近づけるために呼称を伏せたと疑っている。
ここで、栗原の暴動論を再度確認すると、
「で、そういう自発性の暴走ってんだろうか、いちどあばれはじめた力ってのは、もうだれにもなんにも、そして自分にですら制御できない。だって、なんでそんなことやりはじめたのか、自分にですら制御できない。だってなんでそんなことをやりはじめたのか、自分にだってわけがわからないんだから、損も得もありゃしない。なんなら損しかありゃしない。どえれえやつらがあらわれたァ!まるで火のついた猿だ。やめられない、とまらない、テメエのことはテメエでやれ、ついでにテメエをふっとばしてやれ。やるならいましかねえ、いつだっていましかねえ。いまのあとには、いましかねえ。そしてさらなるいましかねえ。いま、いま、死んだつもりで生きてみやがれ、死んでからが勝負。やることなすこと根拠なし、はじまりのない生をいきていきたい。アナーキー!」(栗原『アナキズム』13頁)
ここまでくると栗原の暴動論なるものが、ブラック・ブロックの実態と大きくかけ離れていることがさらに理解できるだろう。栗原本は全編こういう作りになっている。
だいぶ長くなっちまったんで、このくらいにしておくが、次回は栗原の暴動論のネタ本を明らかにして、栗原本がアナーキズムとはちがうインチキ本、偽書であることをさらに明らかにする予定です(つづく)。
【参考】
*6「ブラック・ブロックに乗っ取られた今年のメーデーBlack Blocs」楽しい年金生活 Bons plans à Paris 2018.5.2
*7 プラド夏樹「黄色いベストと極左派ブラックブロックの危険な関係」YAHOO NEWS 2019.4.15
*8 山口昌子「黄色いベストとブラック・ブロックの危険な関係」RONZA 2019.3.22
(3)偽暴動論
で、そのプリウスを選択しないとしたら何が選ばれるのか、栗原がすすめているのが「暴動」である。
「ものすっごいスピードで、デシッ、デシッとハンマーを使って窓ガラスをぶちこわし、そこにひたすら石をなげこんでいく、投石につぐ投石、そしてさらなる投石だ。すると、どこからとなく火炎瓶がほうりこまれて、マックがメラメラと燃えはじめる。火を見た群衆はもうとまらない。火のついた猿、火のついた猿、黒いのがわけのわかんないことをさけびながら、ピョンピョンとびまわっている。すると、あたりからモクモクと煙がたちのぼってくるわけさ。そう、車やバイクにも火がはなたれたんだ。ウヒョーオーッ、ウヒョーオーーーッ!!!」(栗原『アナキズム』4頁)
この「暴動」の情景は栗原が、フランス、パリにおけるメーデーに突然黒いパーカーに覆面姿の一団が現れ、いきなりデモの先頭を取りマクドナルドに突っ込んだ場面を、友人からのメールに貼付されたURLで見たYoutubeの映像を記述したらしい。書体を変えた部分は、栗原の主観と思われる部分である。この本にはこのように随所に栗原の過剰演出が織り込まれている。
栗原の述べているのは、2018年5月1日のフランス、パリのメーデーで、この日、行進が始まった30分後、「一般デモ隊に紛れ込んでいた『壊し屋casseur』たちが黒装束にヘルメット、覆面をし、デモ隊の先頭に集まったのです。その数は約1200人、最大でも600人と考えていた機動隊はただ様子を見守るばかり。橋を渡った彼らは、金槌や金属棒、発煙筒を出し、沿道の店や信号、広告塔などを次々に壊し始めました。機動隊が介入したのは破壊が進んでからなので、物的被害は甚大です。そのうちのひとつであるルノー車販売店は店舗が壊されただけでなく、展示していた車やバイクを歩道に出され、燃やされました。」(*6)
配信されたメディアの記事、フランス滞在者によるレポートいくつかを当たってみたけど、明確にブラック・ブロックによるものとされている。なぜかアナーキズム研究家である栗原は集団の呼称を出していない。ブラック・ブロックは統率がとれていない集団という記述も見られるが、一方で警察が「よく組織されており敏捷で、逃げ足が速い。ジェスチャーで特殊なサインをし合って行動、破壊するや否やあとは跡形なく蒸発するプロ忍者」(*7)という指摘もある。
また最近では、今年2月に、「黄色いベスト」のリーダー格の男女2人が接触を図り「共同戦線」を提案したが、ブラック・ブロック側も「目的は諸君と同じ」と受け入れたとのニュースもあった。(*8)
俺は、破壊する対象がグローバリズムを象徴する店舗に限られていることや、リーダーが不在でも組織的に動けることから、明確な目標や思想性を共有する集団で、栗原の言う単なる「アンちゃん、ネエちゃん」の「火のついた猿」では全く違うように考える。
確かに定型的な組織形態はないが、ネットによって日常的に情報は共有化されており、破壊目標の設定、装備、行動の手順、実施、撤収まできちんと運営されているのがうかがえる。
しかも構成員たちは、インテリでそれぞれ個別に社会運動のメンバーであるとも言われている。ある意味「ブラック・ブロック」は、期間限定の「革命運動」の一種といえるかもしれない。
つまり、栗原も本来は、栗原の暴動のモデルと異なるのを知っていたんだろうけど、自分の論に近づけるために呼称を伏せたと疑っている。
ここで、栗原の暴動論を再度確認すると、
「で、そういう自発性の暴走ってんだろうか、いちどあばれはじめた力ってのは、もうだれにもなんにも、そして自分にですら制御できない。だって、なんでそんなことやりはじめたのか、自分にですら制御できない。だってなんでそんなことをやりはじめたのか、自分にだってわけがわからないんだから、損も得もありゃしない。なんなら損しかありゃしない。どえれえやつらがあらわれたァ!まるで火のついた猿だ。やめられない、とまらない、テメエのことはテメエでやれ、ついでにテメエをふっとばしてやれ。やるならいましかねえ、いつだっていましかねえ。いまのあとには、いましかねえ。そしてさらなるいましかねえ。いま、いま、死んだつもりで生きてみやがれ、死んでからが勝負。やることなすこと根拠なし、はじまりのない生をいきていきたい。アナーキー!」(栗原『アナキズム』13頁)
ここまでくると栗原の暴動論なるものが、ブラック・ブロックの実態と大きくかけ離れていることがさらに理解できるだろう。栗原本は全編こういう作りになっている。
だいぶ長くなっちまったんで、このくらいにしておくが、次回は栗原の暴動論のネタ本を明らかにして、栗原本がアナーキズムとはちがうインチキ本、偽書であることをさらに明らかにする予定です(つづく)。
【参考】
*6「ブラック・ブロックに乗っ取られた今年のメーデーBlack Blocs」楽しい年金生活 Bons plans à Paris 2018.5.2
*7 プラド夏樹「黄色いベストと極左派ブラックブロックの危険な関係」YAHOO NEWS 2019.4.15
*8 山口昌子「黄色いベストとブラック・ブロックの危険な関係」RONZA 2019.3.22
乱狡太郎「偽書アナキズム・栗原本 その1(2)」 Fake Anarchism Book by Kurihara Yasushi :Part1 (2)
その1(1)のつづき
(2)内容に現れる偽書性
さて、表紙だけで終わってるとすましたいとこだけど、内容に入る。
例えばエコロジーのくだりでは、
「自然とはなにか。プリウスか、それとも暴動か、こたえはいつもきまってらあ、あばれる力だ、暴動だ。将来を燃やせ、先駆けを燃やせ、燃やして、燃やして、燃やしつくせ。」(栗原『アナキズム』65頁)
「プリウスミサイル」連続発射で、子どもが無残に轢死、上級国民が、栗原本の影響でやらかしたんかいなと、これは俺の妄想。ここで言っている「プリウス」とは、資本がエコを己の金儲けに利用しているというメタファー、この論法って実は珍しくはない、左翼が良く使う「共産主義化」の手口で、俺曰く、資本制先兵の「摘発」だ、「○○にはこんな資本の罠が仕掛けられている」てな具合。オルグなんかではこれが「罪悪感」と結びつけられる。
似た例を紹介すると、矢部史郎は、著書『愛と暴力の現代思想』で、「くまのプーさん」のヤバさについて、元々「ディズニー=反共主義=敵」という理解もあり「視野の外」においていたが、矢部の妻は、子どものため意識的にディズニーのキャラクターを極力排除していたらしい、が、「いくら排除しても一つや二つは侵入してきてしまう。」「ディズニーのなかでも特にプーさんは、とてもじゃないがくい止められない」「この繁殖力がおそろしい」と嘆く。
またちょっと遡ると連合赤軍のいわゆる総括リンチで殺害された赤軍派遠山美枝子は、革命左派の女性メンバーと比して明らかに戦士としての独立性、行動力にかけていることが、「彼女の服装や化粧や態度にハッキリ表れている」と批判され、「いわゆる女性らしさを“習慣化したブルジョワ的な女性の体質”とみなされ「根底的な変革」を求められていた。それがリンチの要因ともなった。(*1)
このように、「くまのプーさん」「ブルジョワ的服装、化粧、態度」は、共産主義化に抗する「敵」すなわち資本制の文化/記号であり、同様に栗原の言う「プリウス」も資本主義がエコロジーを僭称する文化/記号として否定されているわけや。
で、俺はようわからんけどなんで「プリウス」なんやと気になって調べてみた。プリウスは一台220万円から300万円以上もする車。プリウスの売れ筋はSシリーズというベーシックグレードが人気だそうで、それでも220万である。購買層は、50歳代以上が65%である。新型プリウスは、プリウスミサイルの時も話題になったが、高年齢層が支えている。年代別に見ると20代:5%、30代:12%、40代:18%となっている。男女比は9:1で圧倒的に男性である。「40歳代以上をオジサンとするならば、83%以上が対象。つまり、新型プリウスはオジサンもしくはお年寄りが好きなクルマということになる。」(*2)
プリウスの購入動機であるが、「初期の受注に関しては、トヨタ車を保有している顧客からの代替が多い。もともと、高年齢層を多く顧客にもつトヨタなので、こういった年齢構成になるのはある程度納得できる」(同上)つまり、トヨタ車ファンによる買い替え需要だというのである。さらに「下取り車」の傾向から見てみると、やはり「トヨタ車からの代替が72%」対して「トヨタ車以外はわずか28%」つまり販売台数に陰りの見えている現在ではなく当時は、空前のプリウスブームという状況なのに、トヨタ車以外はわずか28%ということだから、「トヨタファン以外には人気がないのでは?と、感じてしまう数字でもある。」(同上)ここでも、プリウスのヘビーユーザーは、トヨタ車ファン,ということがわかる。
ここで、2010年にネットエイジアリサーチ(株)が実施した、年齢20歳~59歳の「自宅に自分が運転する自動車がある」と答えた携帯電話ユーザー1000名へ試みた『「プリウス」と「インサイト」についての意識調査』(2010年4月9日)の結果を見て抜粋してみる。
□ネットエイジアリサーチ調査結果(抜粋)
1)「ハイブリッドカー」の保有者 3.6% … 回答者全員(1000名)
2)「ハイブリッドカー」への関心79.9% … ハイブリッドカー非保有者(964名)
3)「ハイブリッドカー」の購入意向あり、86.4% … ハイブリッドカー非保有者(964名)
4)「ハイブリッドカー」を購入したい理由、… 3)の回答者(833名)※複数回答
1.「燃費が良いから」… 83.0%
2.「地球環境にやさしいから」… 57.5% (女性66.7% 男性48.0%)
3.「税制の優遇が受けられるから」… 38.3%
4.「購入時に補助金が出るから」… 35.7%
5.「価格が安くなってきたから」… 31.8%
この調査結果では、確かにプリウスを購入する動機としては、他の理由を圧して、「燃費が良いから」となっている。プリウスの燃費性能の優位性については、ユーザーのみならず当然専門家も認める所だ。「プリウスの2WD車の実燃費は25.63㎞/L、4WD車は23.53㎞/L。プリウスPHVの実燃費は28.76㎞/Lとなっています。カタログ燃費ほどの実燃費を期待してしまうとがっかりするかもしれませんが、それでも2WD車においては25㎞/Lを超えているので燃費はトップレベルといえるでしょう。さすがはプリウス、といったところです。」(*3)「いやぁよく走ります。本当によく走る。高速主体だと26キロだったが、帰京して街中主体で測り直したら28キロまで行った。…」(*4)
つまりプリウスが売れているのは、ある程度金に余裕のある元々トヨタ車好きなユーザーが買う。その一番の動機は「燃費性能」、「少ないガソリンでたくさん走れます」という経済的合理性だ。結果として化石燃料の消費を少なくする観点からエコロジカルともいえるが、思想性で買ってるわけやない。車の購入者にとっての関心事はなんといってもランニングコストを低く抑えることだ。
栗原は「プリウス」を敢えてイデオロギー化してみせたが、前述したようにそれは左翼的文脈の「摘発」と軌を一にするものである。矢部の「プーさん」論も同様である。資本制の先兵「プーさん」は、中国では、「丸っこくてふっくらして愛らしいプーさんの外見が、習近平国家主席に似ているとソーシャルメディアで評判になったため、検閲当局はプーさんの名前や画像の投稿をブロックしている。」(*5)つまり中国では、習近平批判のアイコンとして利用されている。
またJ.T.ウィリアムズの『クマのプーさんの哲学』のように、哲学のキャラクターとして用いたり、またサンデル教授が「ハーバード白熱教室」のある回で、「アリストテレスの目的論的論法」を説明するのに「プーさん」を登場させている。またプーさんは西洋哲学のみならず東洋思想とも相性が良いらしく、ベンジャミン・ホフ、E・H・シェパードが『タオのプーさん』、『クマのプーさんの「のんびり」タオ』、など老荘思想本も出している。そうなると矢部の言う、「非常に有害と思う」、「非常に陰惨な印象」「僕がプーさんで連想するのは、こどもがぬいぐるみのように破壊される現場です」とはずいぶんちがうイメージで存在していることがわかる。
今回の栗原のプリウス=エコ・シンボル化にも、既存左翼イデオロギーと類似した「摘発」がなされたといえるんとちゃうかと。
「やっぱプリウスでしょう、この車だったらいくらのっても大丈夫ですよ、地球にやさしいですよ、みんなの役にたってますよ、温暖化を解決するということは、プリウスを買うのとおなじことだァってね。」「ちょっと強調しておきたいのはね。日本の場合、マジでプリウスみたいなのにのっていれば温暖化を解消できるっておもってんじゃねえのかってことだ」(栗原『アナキズム』50頁)。
「そんなやつおらへんわ~」大木こだまが聞いたなら言うやろな。「プーさん」と同じく、前提となっているイデオロギー、個人的幻想が読み手に共有されなければ、かなり奇怪な言説であることがわかるかと思う(その1(3)につづく)。
【参考】
*1 坂口弘『続あさま山荘1972』彩流社、1995年、37~38頁
*2 「トヨタ新型プリウス トヨタファンのお年寄りに売れている? 」CAR-TOPICS 2009.7.18
*3 「プリウスの実燃費が知りたい!…」カルモマガジン2018.11.19
*4 「フェルディナント・ヤマグチの走りながら考える」日経ビジネス 2016.7.11
*5 「中国検閲はなぜクマのプーさんを禁止したのか」BBC NEWS JAPAN 2017.7.18
(2)内容に現れる偽書性
さて、表紙だけで終わってるとすましたいとこだけど、内容に入る。
例えばエコロジーのくだりでは、
「自然とはなにか。プリウスか、それとも暴動か、こたえはいつもきまってらあ、あばれる力だ、暴動だ。将来を燃やせ、先駆けを燃やせ、燃やして、燃やして、燃やしつくせ。」(栗原『アナキズム』65頁)
「プリウスミサイル」連続発射で、子どもが無残に轢死、上級国民が、栗原本の影響でやらかしたんかいなと、これは俺の妄想。ここで言っている「プリウス」とは、資本がエコを己の金儲けに利用しているというメタファー、この論法って実は珍しくはない、左翼が良く使う「共産主義化」の手口で、俺曰く、資本制先兵の「摘発」だ、「○○にはこんな資本の罠が仕掛けられている」てな具合。オルグなんかではこれが「罪悪感」と結びつけられる。
似た例を紹介すると、矢部史郎は、著書『愛と暴力の現代思想』で、「くまのプーさん」のヤバさについて、元々「ディズニー=反共主義=敵」という理解もあり「視野の外」においていたが、矢部の妻は、子どものため意識的にディズニーのキャラクターを極力排除していたらしい、が、「いくら排除しても一つや二つは侵入してきてしまう。」「ディズニーのなかでも特にプーさんは、とてもじゃないがくい止められない」「この繁殖力がおそろしい」と嘆く。
またちょっと遡ると連合赤軍のいわゆる総括リンチで殺害された赤軍派遠山美枝子は、革命左派の女性メンバーと比して明らかに戦士としての独立性、行動力にかけていることが、「彼女の服装や化粧や態度にハッキリ表れている」と批判され、「いわゆる女性らしさを“習慣化したブルジョワ的な女性の体質”とみなされ「根底的な変革」を求められていた。それがリンチの要因ともなった。(*1)
このように、「くまのプーさん」「ブルジョワ的服装、化粧、態度」は、共産主義化に抗する「敵」すなわち資本制の文化/記号であり、同様に栗原の言う「プリウス」も資本主義がエコロジーを僭称する文化/記号として否定されているわけや。
で、俺はようわからんけどなんで「プリウス」なんやと気になって調べてみた。プリウスは一台220万円から300万円以上もする車。プリウスの売れ筋はSシリーズというベーシックグレードが人気だそうで、それでも220万である。購買層は、50歳代以上が65%である。新型プリウスは、プリウスミサイルの時も話題になったが、高年齢層が支えている。年代別に見ると20代:5%、30代:12%、40代:18%となっている。男女比は9:1で圧倒的に男性である。「40歳代以上をオジサンとするならば、83%以上が対象。つまり、新型プリウスはオジサンもしくはお年寄りが好きなクルマということになる。」(*2)
プリウスの購入動機であるが、「初期の受注に関しては、トヨタ車を保有している顧客からの代替が多い。もともと、高年齢層を多く顧客にもつトヨタなので、こういった年齢構成になるのはある程度納得できる」(同上)つまり、トヨタ車ファンによる買い替え需要だというのである。さらに「下取り車」の傾向から見てみると、やはり「トヨタ車からの代替が72%」対して「トヨタ車以外はわずか28%」つまり販売台数に陰りの見えている現在ではなく当時は、空前のプリウスブームという状況なのに、トヨタ車以外はわずか28%ということだから、「トヨタファン以外には人気がないのでは?と、感じてしまう数字でもある。」(同上)ここでも、プリウスのヘビーユーザーは、トヨタ車ファン,ということがわかる。
ここで、2010年にネットエイジアリサーチ(株)が実施した、年齢20歳~59歳の「自宅に自分が運転する自動車がある」と答えた携帯電話ユーザー1000名へ試みた『「プリウス」と「インサイト」についての意識調査』(2010年4月9日)の結果を見て抜粋してみる。
□ネットエイジアリサーチ調査結果(抜粋)
1)「ハイブリッドカー」の保有者 3.6% … 回答者全員(1000名)
2)「ハイブリッドカー」への関心79.9% … ハイブリッドカー非保有者(964名)
3)「ハイブリッドカー」の購入意向あり、86.4% … ハイブリッドカー非保有者(964名)
4)「ハイブリッドカー」を購入したい理由、… 3)の回答者(833名)※複数回答
1.「燃費が良いから」… 83.0%
2.「地球環境にやさしいから」… 57.5% (女性66.7% 男性48.0%)
3.「税制の優遇が受けられるから」… 38.3%
4.「購入時に補助金が出るから」… 35.7%
5.「価格が安くなってきたから」… 31.8%
この調査結果では、確かにプリウスを購入する動機としては、他の理由を圧して、「燃費が良いから」となっている。プリウスの燃費性能の優位性については、ユーザーのみならず当然専門家も認める所だ。「プリウスの2WD車の実燃費は25.63㎞/L、4WD車は23.53㎞/L。プリウスPHVの実燃費は28.76㎞/Lとなっています。カタログ燃費ほどの実燃費を期待してしまうとがっかりするかもしれませんが、それでも2WD車においては25㎞/Lを超えているので燃費はトップレベルといえるでしょう。さすがはプリウス、といったところです。」(*3)「いやぁよく走ります。本当によく走る。高速主体だと26キロだったが、帰京して街中主体で測り直したら28キロまで行った。…」(*4)
つまりプリウスが売れているのは、ある程度金に余裕のある元々トヨタ車好きなユーザーが買う。その一番の動機は「燃費性能」、「少ないガソリンでたくさん走れます」という経済的合理性だ。結果として化石燃料の消費を少なくする観点からエコロジカルともいえるが、思想性で買ってるわけやない。車の購入者にとっての関心事はなんといってもランニングコストを低く抑えることだ。
栗原は「プリウス」を敢えてイデオロギー化してみせたが、前述したようにそれは左翼的文脈の「摘発」と軌を一にするものである。矢部の「プーさん」論も同様である。資本制の先兵「プーさん」は、中国では、「丸っこくてふっくらして愛らしいプーさんの外見が、習近平国家主席に似ているとソーシャルメディアで評判になったため、検閲当局はプーさんの名前や画像の投稿をブロックしている。」(*5)つまり中国では、習近平批判のアイコンとして利用されている。
またJ.T.ウィリアムズの『クマのプーさんの哲学』のように、哲学のキャラクターとして用いたり、またサンデル教授が「ハーバード白熱教室」のある回で、「アリストテレスの目的論的論法」を説明するのに「プーさん」を登場させている。またプーさんは西洋哲学のみならず東洋思想とも相性が良いらしく、ベンジャミン・ホフ、E・H・シェパードが『タオのプーさん』、『クマのプーさんの「のんびり」タオ』、など老荘思想本も出している。そうなると矢部の言う、「非常に有害と思う」、「非常に陰惨な印象」「僕がプーさんで連想するのは、こどもがぬいぐるみのように破壊される現場です」とはずいぶんちがうイメージで存在していることがわかる。
今回の栗原のプリウス=エコ・シンボル化にも、既存左翼イデオロギーと類似した「摘発」がなされたといえるんとちゃうかと。
「やっぱプリウスでしょう、この車だったらいくらのっても大丈夫ですよ、地球にやさしいですよ、みんなの役にたってますよ、温暖化を解決するということは、プリウスを買うのとおなじことだァってね。」「ちょっと強調しておきたいのはね。日本の場合、マジでプリウスみたいなのにのっていれば温暖化を解消できるっておもってんじゃねえのかってことだ」(栗原『アナキズム』50頁)。
「そんなやつおらへんわ~」大木こだまが聞いたなら言うやろな。「プーさん」と同じく、前提となっているイデオロギー、個人的幻想が読み手に共有されなければ、かなり奇怪な言説であることがわかるかと思う(その1(3)につづく)。
【参考】
*1 坂口弘『続あさま山荘1972』彩流社、1995年、37~38頁
*2 「トヨタ新型プリウス トヨタファンのお年寄りに売れている? 」CAR-TOPICS 2009.7.18
*3 「プリウスの実燃費が知りたい!…」カルモマガジン2018.11.19
*4 「フェルディナント・ヤマグチの走りながら考える」日経ビジネス 2016.7.11
*5 「中国検閲はなぜクマのプーさんを禁止したのか」BBC NEWS JAPAN 2017.7.18
乱狡太郎「偽書アナキズム・栗原本 その1(1)」 Fake Anarchism Book by Kurihara Yasushi: Part 1(1)
本書『アナキズム 一丸となってバラバラに生きろ』で万が一にもアナーキズムを知ろうと入門書代わりにすることはやめた方が良いな。これは、アナーキズムとはまったく無縁な本、アナーキズムを標榜しながら別の世界へ誘導していく偽書やから。
たしかに、大杉栄と伊藤野枝を中心にクロポトキンやプルードン、エマ・ゴールドマンなど有名どころのアナーキストの名前があり、「エコ・アナキズム」「アナルコ・キャピタリズム」「アナルコ・サンディカリズム」、「アナルコ・フェミニズム」「アナルコ・コミュニズム」などと題される理論や批判めいた記述があるが、それはアナーキズムが著者栗原によって擬態として用いているだけや。なんで、以下に偽書の正体を明らかにしたい。
【擬態】ぎたい mimicry; mimesis
動物が,周囲の事物やほかの動物によく似た形態をもっていること。敵の攻撃を避けるのに役立つと思われる。小枝に似た尺取虫やナナフシ,木の葉に似たコノハチョウなど昆虫にその例が多い。またアリに似たクモや花びらに似たカマキリなどのように,攻撃に役立つと思われる擬態もある。(ブリタニカ国際大百科事典小項目より)
(1)表紙に現れる偽書性
この本を手にした瞬間、その表紙に海老ぞったわ。いつも真っ赤な岩波新書が黒になっていたからでも、春画の局部隠しの銀色に太ゴチで「人生は爆弾である正しさをぶちこわせ!」の惹句が踊っていたからではない、サブタイの「一丸となってバラバラに生きろ」にである。何が「一丸となって」やねん。大日本帝国の標語「打って一丸防諜強化」とか、あるいは会社の企業方針なんかの「社員一同一丸となって頑張る」とか、団体競技スポーツではまいどの「チーム一丸となって日本一を目指す」など、いずれにしても個人より集団の凝集性を表現する言葉や、こんなんまずアナーキズムちゃうやろと、俺みたいな組織、集団ぎらいはじんましんが出る言葉やちゅうねん。
ついでに言うとくと「人生は爆弾…」ってわけわかんないコピー、俺なら、手当たり次第に積み上げた本の上にそっと置いた檸檬の写真か絵にしてるけどな、まっそれは余談や。
とにかく、これはアナーキズムやないわ、うさん臭い感じがプンプンや。俺、アナーキズムなんやかんや言うてディスってるときもあるけど好きや、せやからこいつ次々と一見アナーキズム風の本書いとるから興味もってもええんやけど、ちらっと顔見ただけで、こりゃちゃうなあって手を伸ばさんかったんや、人を見た目で判断するんかいなと言われそうやけど、そりゃそうやで、俺は、基本他人は苦手や、誰彼無しに付き合う気もない。それでも人と関係せなあかん時がある。その時見極めなアカン、ヘタしたらえらい目にあうからな、そんなんでこいつは外しとったんや。でもふとしたことでこの本は読むはめになってもた(その1(2)につづく)。
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