”アナーキーを実現したいのであれば、わたしたちはまず、最低限、自由な女性が必要だ。彼女たちは、男性と同様に、経済的に独立している必要がある。この自由な女性がいなくては、自由な母親も現れない。母親が自由でなければ、アナーキスト社会の建設というわたしたちの目的を支援してくれるような若い世代は現れないのである。”
エマ・ゴールドマン「結婚」『松明』1897年7月18日より(From Emma Goldman, Marriage’ [Essay in the Firebrand, New York, 18 July, 1897], in: Emma Goldman, A Documentary History of the American Years, Vol.1, Made for America, 1890-1901, eds. Candace Falk et al., University of California Press, pp.272-273.)
2020年9月21日月曜日
エマ・ゴールドマン「結婚」(1897年)より Emma Goldman on "Marriage" (1897)
2020年8月4日火曜日
(再掲) 2018年8・6集会の資料2:なぜアナーキストは毎年8月6日に広島で開催される平和記念式典に対して抗議をするのか ( 広島無政府主義研究会のビラより一部を抜粋・改変)repost: Why the anarchists protest every year against the Hiroshima Peace Memorial Ceremony of the August 6 (extracted from a flyer of Hiroshima anarchist study group)
原爆投下を喜んだ人々と広島との関係
広島への原爆投下によって「これで戦争が終わる」と喜び、8月11日には「日本が降服した」と闇市情報までが飛び交ったのは、他でもないこの広島に拠点があり、1941年12月8日以降、陸軍第5師団によって侵略された、マレーシア(マライ)、シンガポールの人々でした。
1946年に描かれた劉抗(リュウカン)さん『チョプス』(めこん出版 中原道子訳/解説)に第5師団が何をしたのかが描かれています。
1941年12月8日未明、マレー半島の東側のコタ・バルに上陸した日本陸軍の最終目的地はシンガポールでした。1942年2月3日から開始されたシンガポール攻撃によってイギリス軍は降伏しました。
この戦闘で日本軍が勝利する可能性も考慮したシンガポールの人々が行ったのは港や石油基地、ゴム農園の産業の破壊や通貨の焼却、そして、何よりも東アジア全域に供給できるほどあった酒類を破棄することでした。
すでに中国や朝鮮などで日本軍は、虐殺や女性への強姦などで世界中を震撼させていました。このことを知っていた人々は、シンガポールでもそのような暴力が起きることに恐怖を感じました。
そのために、日本軍に酒類を渡してはならないと考えたのです。マライ、シンガポール侵略は、第25軍司令官山下泰文の指揮によって展開しました。
なお、後に山下は、フィリピンに転戦し、敗走することになりますが、1945年2月、フィリピンにあった山下の邸宅の倉庫には、スコッチウイスキーが山積みされており、下級兵士に持って逃げさせるためにドラム缶2本に流し込んでも、まだ残っていたほどでした。戦争の最中に、これだけの量のスコッチウイスキーをどこから持ってきたのでしょうか。
1941年以降、当然、マライ、シンガポールでも拷問や虐殺、略奪、強姦などのありとあらゆる暴力が吹き荒れました。
マレーシアやシンガポールに「ロームシャ」、「トナリグミ」、「キヲツケ」、「バカヤロ」、そして、「オンナ」という第5師団が持ち込んだ言葉が、そのままマレー語、あるいはインドネシア語として今でも使われています。中原道子さんによれば:
・・・日本では昔も今も当たり前となっているビンタですが、マライやシンガポールの人々にとって、人の顔をひっぱたくというのは粗暴であり無礼極まりない行為であり、こんなことは見たことも聞いたこともない行為だったのです。第5師団の兵士たちが人の顔をひっぱたき、平気でバスから立ちションベンをするくせに「服のボタンがちゃんとはまっていない、行儀作法は重んじられるべし!」と言って鼻を引っ張ってビンタをするというめちゃくちゃな日本人の行儀作法は戦争が終った後も記憶されました。
このような軍隊を送り出した広島に原爆が投下されたのです。
マライ、シンガポールの人々に暴行を加え、虐殺したのだから、その分我慢しろ!と言いたいわけではありません。
しかし、なぜ広島に原爆が投下されなければならなかったのか、また、なぜ、マライ、シンガポールの人々が「これで戦争が終わる」と喜んだのか、ということについては、真摯かつ丁寧に考えなければならないでしょう。
広島平和記念式典の欺瞞性
これに対して、毎年行われている「広島平和祈念式典」は、原爆が広島になぜ投下されなければならなかったのか、という、誰もが持っている疑問については、何も答えようとはしません。
たとえば、「過ちは繰り返しません」の「過ち」とは一体だれがだれに対して行った「過ち」なのか?という疑問です。そして、現憲法の9条が、しばしば言われるように「戦争の反省」から生まれたものであるなら、その「戦争の反省」とは一体だれがだれに対して行う「反省」なのか?という疑問です。
その一方で、ここ数年、そして今年も言われるであろう「戦争体験、被爆体験の風化」が懸念されながらも、現実には「戦争法」が成立し、「核兵器禁止条約」に背を向け、憲法改悪が着々と進んでいるではありませんか。
一体、何に「過ち」を感じて「反省」して、何の「風化」を懸念しているのでしょうか。
1985年、第二次世界大戦終結40年の式典で、当時のドイツ大統領ヴァイツゼッカーは、「 過去に目を閉ざす者は現在に対して盲目になる」という名言を発しました。
では、私たちは、1945年8月6日の原爆投下という過去を、毎年どのように回想しているでしょうか。
毎年8月6日、平和記念式典では、1945年8月6日の広島が想起され、全世界に向けて、「核と人類は共存できない」というメッセージが出され続けています。
そのような「想起」を通じて「ヒロシマ」が「国際平和都市」であるということがアピールされてきました。
それと同時に、私たちは、日本が戦争をしていないし、ある日、突然、原爆が落ちてくるような気配もない、そのような「平和な時代」として現在の日本をみてしまうことを毎年8月6日に繰り返しています。
しかもこの「想起」は、明治以降、日清、日露戦争、第一次世界大戦、シベリア出兵、中国、アジア太平洋各地に出兵して行った1945年8月5日までの過去は想起しない、という身勝手な「想起」なのです。
このような「想起」をすればするだけ、わたしたちは「現在」に対して「盲目」になってしまうのではないでしょうか。
戦後のヒロシマが「平和都市」として全世界に核の恐ろしさを訴え続けた一方で、同時にそのヒロシマは、アメリカのABCC[原爆傷害調査委員会:Atomic Bomb Casualty Commissionの略称]が被爆者のデータをせっせと集めてはアメリカ本国に送るという米ソ冷戦構造の最前線でもあった、ということに、どれだけの人々が問題意識を持ってきたのでしょうか。
そもそも、あの戦争屋の安倍首相が、「平和記念式典」に出席して、全世界に向けて「平和の尊さ」を高らかに宣言すること自体がすでに問題です。
こうやってみてくると、「平和」とは「戦争がない」ということではなく、「一見するとあたかも平和な時代に見える今現在」「現に今ここにあるこの日常の平和な暮らし」の中に「戦争」がある、という状態のことをいっているだけだ、ということがわかってくるのです。
こういったことに疑問を持たないばかりか、8時15分に黙祷をしたりダイインをしたりすることは、「死者の前では居住まいや襟を正すべき」という場合の「死者」であるところの原爆犠牲者をタテにしたごまかし以外の何ものでもありません。
「平和」を祈ってやっているようなそういった行為は、実は、「平和」を祈っていると宣言しながら戦争を推進している、あの、戦争屋の安倍による欺瞞と何ら変わるところはないのです。
どうやって死者を追悼すればよいのか
広島への原爆投下によって14万人が死んだわけですが、ここで問われなければならないことは、亡くなった一人一人にはきちんと顔と名前があったにも関わらず、それを単に「原爆犠牲者14万人」として一塊の数として束ねていることです。わたしたちはこのことにあまりにも無自覚になっているのではないでしょうか。
原爆で死んだのは日本人だけではありません。日本に強制連行された中国人、朝鮮人もいましたし、アメリカ軍の捕虜もいました。その死は「原爆犠牲者14万人」として黙祷できるものですか。原爆で死んでしまったら、原爆を落とした側も落とされた側も同列にしていいものですか。
こういった問題を忘れて、8時15分になればダイインや黙祷をするというのは、死者に対する冒涜ではないでしょうか。
原爆犠牲者14万人の一人一人の顔を思い浮かべることも、名前を呼ぶことも、死んだ子の歳を数えることもできない、何よりも原爆犠牲者と今生きている自分との間にある断絶を、心底思い知らされることを抜きにして、一体どのような原爆犠牲者に対する向き合い方があると言うのでしょうか。
紀貫之は、我が子の死に対する自身の断絶感を『土佐日記』に書きました。しかし、死んだ子がどうやっても生き返ってくることはない以上、忘れな草も忘れ貝も、そして、あけても暮れても書き綴る日記さえも、何のなぐさめにならないばかりか、ごまかしにしかならないと思い知りました。
死者に向き合うとは、こういうことではないでしょうか。
広島への原爆投下によって「これで戦争が終わる」と喜び、8月11日には「日本が降服した」と闇市情報までが飛び交ったのは、他でもないこの広島に拠点があり、1941年12月8日以降、陸軍第5師団によって侵略された、マレーシア(マライ)、シンガポールの人々でした。
1946年に描かれた劉抗(リュウカン)さん『チョプス』(めこん出版 中原道子訳/解説)に第5師団が何をしたのかが描かれています。
1941年12月8日未明、マレー半島の東側のコタ・バルに上陸した日本陸軍の最終目的地はシンガポールでした。1942年2月3日から開始されたシンガポール攻撃によってイギリス軍は降伏しました。
この戦闘で日本軍が勝利する可能性も考慮したシンガポールの人々が行ったのは港や石油基地、ゴム農園の産業の破壊や通貨の焼却、そして、何よりも東アジア全域に供給できるほどあった酒類を破棄することでした。
すでに中国や朝鮮などで日本軍は、虐殺や女性への強姦などで世界中を震撼させていました。このことを知っていた人々は、シンガポールでもそのような暴力が起きることに恐怖を感じました。
そのために、日本軍に酒類を渡してはならないと考えたのです。マライ、シンガポール侵略は、第25軍司令官山下泰文の指揮によって展開しました。
なお、後に山下は、フィリピンに転戦し、敗走することになりますが、1945年2月、フィリピンにあった山下の邸宅の倉庫には、スコッチウイスキーが山積みされており、下級兵士に持って逃げさせるためにドラム缶2本に流し込んでも、まだ残っていたほどでした。戦争の最中に、これだけの量のスコッチウイスキーをどこから持ってきたのでしょうか。
1941年以降、当然、マライ、シンガポールでも拷問や虐殺、略奪、強姦などのありとあらゆる暴力が吹き荒れました。
マレーシアやシンガポールに「ロームシャ」、「トナリグミ」、「キヲツケ」、「バカヤロ」、そして、「オンナ」という第5師団が持ち込んだ言葉が、そのままマレー語、あるいはインドネシア語として今でも使われています。中原道子さんによれば:
・・・日本では昔も今も当たり前となっているビンタですが、マライやシンガポールの人々にとって、人の顔をひっぱたくというのは粗暴であり無礼極まりない行為であり、こんなことは見たことも聞いたこともない行為だったのです。第5師団の兵士たちが人の顔をひっぱたき、平気でバスから立ちションベンをするくせに「服のボタンがちゃんとはまっていない、行儀作法は重んじられるべし!」と言って鼻を引っ張ってビンタをするというめちゃくちゃな日本人の行儀作法は戦争が終った後も記憶されました。
このような軍隊を送り出した広島に原爆が投下されたのです。
マライ、シンガポールの人々に暴行を加え、虐殺したのだから、その分我慢しろ!と言いたいわけではありません。
しかし、なぜ広島に原爆が投下されなければならなかったのか、また、なぜ、マライ、シンガポールの人々が「これで戦争が終わる」と喜んだのか、ということについては、真摯かつ丁寧に考えなければならないでしょう。
広島平和記念式典の欺瞞性
これに対して、毎年行われている「広島平和祈念式典」は、原爆が広島になぜ投下されなければならなかったのか、という、誰もが持っている疑問については、何も答えようとはしません。
たとえば、「過ちは繰り返しません」の「過ち」とは一体だれがだれに対して行った「過ち」なのか?という疑問です。そして、現憲法の9条が、しばしば言われるように「戦争の反省」から生まれたものであるなら、その「戦争の反省」とは一体だれがだれに対して行う「反省」なのか?という疑問です。
その一方で、ここ数年、そして今年も言われるであろう「戦争体験、被爆体験の風化」が懸念されながらも、現実には「戦争法」が成立し、「核兵器禁止条約」に背を向け、憲法改悪が着々と進んでいるではありませんか。
一体、何に「過ち」を感じて「反省」して、何の「風化」を懸念しているのでしょうか。
1985年、第二次世界大戦終結40年の式典で、当時のドイツ大統領ヴァイツゼッカーは、「 過去に目を閉ざす者は現在に対して盲目になる」という名言を発しました。
では、私たちは、1945年8月6日の原爆投下という過去を、毎年どのように回想しているでしょうか。
毎年8月6日、平和記念式典では、1945年8月6日の広島が想起され、全世界に向けて、「核と人類は共存できない」というメッセージが出され続けています。
そのような「想起」を通じて「ヒロシマ」が「国際平和都市」であるということがアピールされてきました。
それと同時に、私たちは、日本が戦争をしていないし、ある日、突然、原爆が落ちてくるような気配もない、そのような「平和な時代」として現在の日本をみてしまうことを毎年8月6日に繰り返しています。
しかもこの「想起」は、明治以降、日清、日露戦争、第一次世界大戦、シベリア出兵、中国、アジア太平洋各地に出兵して行った1945年8月5日までの過去は想起しない、という身勝手な「想起」なのです。
このような「想起」をすればするだけ、わたしたちは「現在」に対して「盲目」になってしまうのではないでしょうか。
戦後のヒロシマが「平和都市」として全世界に核の恐ろしさを訴え続けた一方で、同時にそのヒロシマは、アメリカのABCC[原爆傷害調査委員会:Atomic Bomb Casualty Commissionの略称]が被爆者のデータをせっせと集めてはアメリカ本国に送るという米ソ冷戦構造の最前線でもあった、ということに、どれだけの人々が問題意識を持ってきたのでしょうか。
そもそも、あの戦争屋の安倍首相が、「平和記念式典」に出席して、全世界に向けて「平和の尊さ」を高らかに宣言すること自体がすでに問題です。
こうやってみてくると、「平和」とは「戦争がない」ということではなく、「一見するとあたかも平和な時代に見える今現在」「現に今ここにあるこの日常の平和な暮らし」の中に「戦争」がある、という状態のことをいっているだけだ、ということがわかってくるのです。
こういったことに疑問を持たないばかりか、8時15分に黙祷をしたりダイインをしたりすることは、「死者の前では居住まいや襟を正すべき」という場合の「死者」であるところの原爆犠牲者をタテにしたごまかし以外の何ものでもありません。
「平和」を祈ってやっているようなそういった行為は、実は、「平和」を祈っていると宣言しながら戦争を推進している、あの、戦争屋の安倍による欺瞞と何ら変わるところはないのです。
どうやって死者を追悼すればよいのか
広島への原爆投下によって14万人が死んだわけですが、ここで問われなければならないことは、亡くなった一人一人にはきちんと顔と名前があったにも関わらず、それを単に「原爆犠牲者14万人」として一塊の数として束ねていることです。わたしたちはこのことにあまりにも無自覚になっているのではないでしょうか。
原爆で死んだのは日本人だけではありません。日本に強制連行された中国人、朝鮮人もいましたし、アメリカ軍の捕虜もいました。その死は「原爆犠牲者14万人」として黙祷できるものですか。原爆で死んでしまったら、原爆を落とした側も落とされた側も同列にしていいものですか。
こういった問題を忘れて、8時15分になればダイインや黙祷をするというのは、死者に対する冒涜ではないでしょうか。
原爆犠牲者14万人の一人一人の顔を思い浮かべることも、名前を呼ぶことも、死んだ子の歳を数えることもできない、何よりも原爆犠牲者と今生きている自分との間にある断絶を、心底思い知らされることを抜きにして、一体どのような原爆犠牲者に対する向き合い方があると言うのでしょうか。
紀貫之は、我が子の死に対する自身の断絶感を『土佐日記』に書きました。しかし、死んだ子がどうやっても生き返ってくることはない以上、忘れな草も忘れ貝も、そして、あけても暮れても書き綴る日記さえも、何のなぐさめにならないばかりか、ごまかしにしかならないと思い知りました。
死者に向き合うとは、こういうことではないでしょうか。
2020年7月7日火曜日
今年の広島集会は中止します This Year's August 6th Anarchist Gathering in Hiroshima is cancelled
広島集会中止のお知らせ
先日、広島集会実行委員会のメンバーの間で話しあった結果 、今年の広島集会は中止することになりました。同時に、来年の集会に向けて、1年がかりで準備をしていくことについて合意しました。今年、集会では、敗戦直後の広島市内で、バラックを建て、生きていこうとした人々に焦点を当てる予定でした。これから、来年に向けて、このテーマについて検討していきます。その参考書として、西井麻里奈『広島 復興の戦後史-廃墟からの「声」と都市』(人文書院、2020年)を挙げておきます。
また、現在、以下のような写真を集め、バラックに住んでいた人々の生活 に関する文献、また、その人たちが、いつ、どこで、どのように立ち退かされたのか、ということについての情報も集めています。
来年の8月6日は、広島でお目にかかりましょう。
先日、広島集会実行委員会のメンバーの間で話しあった結果 、今年の広島集会は中止することになりました。同時に、来年の集会に向けて、1年がかりで準備をしていくことについて合意しました。今年、集会では、敗戦直後の広島市内で、バラックを建て、生きていこうとした人々に焦点を当てる予定でした。これから、来年に向けて、このテーマについて検討していきます。その参考書として、西井麻里奈『広島 復興の戦後史-廃墟からの「声」と都市』(人文書院、2020年)を挙げておきます。
また、現在、以下のような写真を集め、バラックに住んでいた人々の生活 に関する文献、また、その人たちが、いつ、どこで、どのように立ち退かされたのか、ということについての情報も集めています。
来年の8月6日は、広島でお目にかかりましょう。
2020年5月12日火曜日
月刊情報紙『アナキズム』1号、2号 No.1 & No.2 of Monthly Paper "Anarchism"
『アナキズム』創刊号(2020年4月1日) |
『アナキズム』第2号(2020年5月1日) |
創刊号内容
松枝 到●潮待ち50年?-circa 1968
鵜飼 哲●東京五輪、嘘から暴力へ、そして… 平井 玄●「赤と黒」のこのごろ
森川莫人・訳●英国:新型コロナウイルス相互扶助グループ
マニュエル・ヤン●黒旗はためく下に
黒木欽二●アナーキー戦後日本労働運動噺〈1〉
ブラス・ヒタム●バリは埋め立てを拒否する
塙輝隆●2/11 高校闘争から半世紀シンポジウム
軽部哲雄●「地域からつくる反ヘイト運動-2.29シンポジウム」報告
中西レモン●民衆音楽通信(仮)
高野慎三●『ザ・うらたじゅん全マンガ全一冊』
川口秀彦●アナキズムと古本屋・第一回
松原秀晃●自由労働者連合より報告3点
久保 隆●映画『ジョーカー』が放つ〈暗渠〉
創刊号[A4判・8P]、四月一日発売
定価三百円(税込)・年間購読料 三千円(税込)
振替口座00130-3-487884
口座名・アナキズム紙編集委員会
…………………………………………………………………………………………
第2号内容
村上らっぱ●メーデーは変わらずやってくる
白石 草●呪われた五輪稲葉奈々子●貧乏人は飼い慣らされないーフランスの持たざる者の運動
森川莫人・訳●カナダ:直接行動で先住民族の土地を防衛!
羅 皓名●日本の「空気」に毒ありー2020年のダイアローグ
黒本欽二●アナーキー戦後日本労働運動噺〈2〉
斎藤徹夫●大杉栄読書会 in 松山に参加して
橋本正彦●〈生のサンジカ〉で「ネオリベ攻撃」に対抗する??「『生の拡充/生のサンジカ』プロジェクト・2020」に取り組む
安田幸弘●GAFAだとかビッグデータだとかブロックチェーンだとか
軽部哲雄●差別・排外主義に反対する連絡会の紹介
村木和也●訃報 松田政男さん逝去
川口秀彦●アナキズムと古本屋・第二回 高橋光吉
高野慎三●七尾旅人の静かな叫び
…………………………………………………………………………………………
第2号[A4判・8P]、五月一日発売
定価三百円(税込)・年間購読料 三千円(税込)
振替口座00130-3-487884
口座名・アナキズム紙編集委員会
月刊情報紙「アナキズム」・BlogSite
2020年5月10日日曜日
What is "Normal"?, What is "Something Different"? and What is "New Garment"? 「正常」とは何か、「何か別のもの」とは何か、そして、「新しい服」とは何か。
訳:私たちは、かつて「正常」と言われていた状態に戻ろうとは思わない。あれは「正常」というものではなかった。
コロナ以前の私たちは、貪欲や不公平、 消耗や枯渇、搾取・・・、こういうことがある状態を、「正常」なものと見なしていただけだったではないか。
もうあの状態に戻ってはならない。そうだろう。
私たちは、人にも自然にも、生きとし生けるものすべてにあうような、そんな「新しい服」を作る機会を与えられているのだ。
2020年4月18日土曜日
「危機」は「協力」をつくり出すのか 6:レベッカ・ソルニット、島月園子訳『災害ユートピア』(亜紀書房、2011年)
213-214ページ
「重要なのは自由であり、自分の人生や活動を自ら決定できること。地震直後の数日間、私たちには、自分たちで何かを決定して実行できるという感覚がありました。二日後にはあの暴君に戒厳令やら夜間外出禁止令やらを発令させてしまった。大惨事の上に、そういった抑圧はとても耐えられるものではありません。それに、自分の人生が、たった一夜、地球が揺れただけで大きく変わってしまうことを悟ったならば、「だからどうだっていうの? 私はいい人生を送りたいし、そのためなら命を危険にさらしてもかまわない。しょせん、一夜のうちに失いかねない命ならば」と思ってしまうのです。いい人生を送らなければ、生きている価値はないと。それは大惨事の間に誰もが体験した、深いところで起きた変化でした。臨死体験のようですが、この場合、多くの人が同時に体験しました。それは人々の行動に大きな違いを生み出します。そういった体験は、人々の中から一番いい部分を引き出すのです。人々が自分のことだけを考えるのをやめる場面を、私は何度も目撃しました。何かがきっかけとなり、人間は突然、仲間のことや、集団のことを考え始める。それが人生を意義深いものにしてくれるのでしょうね」
「重要なのは自由であり、自分の人生や活動を自ら決定できること。地震直後の数日間、私たちには、自分たちで何かを決定して実行できるという感覚がありました。二日後にはあの暴君に戒厳令やら夜間外出禁止令やらを発令させてしまった。大惨事の上に、そういった抑圧はとても耐えられるものではありません。それに、自分の人生が、たった一夜、地球が揺れただけで大きく変わってしまうことを悟ったならば、「だからどうだっていうの? 私はいい人生を送りたいし、そのためなら命を危険にさらしてもかまわない。しょせん、一夜のうちに失いかねない命ならば」と思ってしまうのです。いい人生を送らなければ、生きている価値はないと。それは大惨事の間に誰もが体験した、深いところで起きた変化でした。臨死体験のようですが、この場合、多くの人が同時に体験しました。それは人々の行動に大きな違いを生み出します。そういった体験は、人々の中から一番いい部分を引き出すのです。人々が自分のことだけを考えるのをやめる場面を、私は何度も目撃しました。何かがきっかけとなり、人間は突然、仲間のことや、集団のことを考え始める。それが人生を意義深いものにしてくれるのでしょうね」
「危機」は「協力」をつくり出すのか 5:レベッカ・ソルニット、島月園子訳『災害ユートピア』(亜紀書房、2011年)
171ページ
コロラド大学の自然災害センターを率いる災害社会学者キャスリーン・ティアニーは、カリフォルニア大学バークレー校で、1906年の地震の100周年記念に講演を行い、聴衆を虜にした。
その中で彼女は、「エリートは、自分たちの正統性に対する挑戦である社会秩序の混乱を恐れる」と主張した。彼女はそれを「エリートパニック」と呼び、パニックに陥る市民と英雄的な少数派という一般的なイメージをくつがえした。
エリートパニックの中身は「社会的混乱に対する恐怖、貧乏人やマイノリティや移民に対する恐怖、火事場泥棒や窃盗に対する強迫観念、すぐに致死的手段に訴える性向、うわさをもとに起こすアクション」だ。
要するに、間違いを起こす人は少数で、いざというときにはうまく対処できるのが多数派なのだ。その少数派が見苦しい振る舞いをするのは、事実ではなく思い込みがそうさせている。彼らは自分たち以外の人々はパニックになるか、暴徒になるか、家主と店子の関係をひっくり返そうとしていると信じ、恐怖に駆られて、彼らの想像の中にのみ存在している何かを防ごうとし、行動にでる。・・・
「メディアは市民の無法ぶりとより厳しい社会管理の必要性を強調するが、それらは災害管理における軍の役割の拡大を求める政治論をうながし、強固にする。そのような政治的立場は、合衆国では、イデオロギーとしての軍国主義の台頭を示唆する」
・・・
数十年に及ぶ念入りな調査から、大半の災害学者が、災害においては市民社会が勝利を収め、公的機関が過ちを犯すという世界観を描くに至った。彼らはクロポトキンのようなアナキストたちが長年提唱してきた説の大部分を、静かに承認した。
コロラド大学の自然災害センターを率いる災害社会学者キャスリーン・ティアニーは、カリフォルニア大学バークレー校で、1906年の地震の100周年記念に講演を行い、聴衆を虜にした。
その中で彼女は、「エリートは、自分たちの正統性に対する挑戦である社会秩序の混乱を恐れる」と主張した。彼女はそれを「エリートパニック」と呼び、パニックに陥る市民と英雄的な少数派という一般的なイメージをくつがえした。
エリートパニックの中身は「社会的混乱に対する恐怖、貧乏人やマイノリティや移民に対する恐怖、火事場泥棒や窃盗に対する強迫観念、すぐに致死的手段に訴える性向、うわさをもとに起こすアクション」だ。
要するに、間違いを起こす人は少数で、いざというときにはうまく対処できるのが多数派なのだ。その少数派が見苦しい振る舞いをするのは、事実ではなく思い込みがそうさせている。彼らは自分たち以外の人々はパニックになるか、暴徒になるか、家主と店子の関係をひっくり返そうとしていると信じ、恐怖に駆られて、彼らの想像の中にのみ存在している何かを防ごうとし、行動にでる。・・・
「メディアは市民の無法ぶりとより厳しい社会管理の必要性を強調するが、それらは災害管理における軍の役割の拡大を求める政治論をうながし、強固にする。そのような政治的立場は、合衆国では、イデオロギーとしての軍国主義の台頭を示唆する」
・・・
数十年に及ぶ念入りな調査から、大半の災害学者が、災害においては市民社会が勝利を収め、公的機関が過ちを犯すという世界観を描くに至った。彼らはクロポトキンのようなアナキストたちが長年提唱してきた説の大部分を、静かに承認した。
「危機」は「協力」をつくり出すのか 4:レベッカ・ソルニット、島月園子訳『災害ユートピア』(亜紀書房、2011年)
155ページ
フリッツの最初の革新的な前提は、日常生活はすでに一種の災害であり、実際の災害は私たちをこそから解放するというものだった。人々は日常的に苦しみや死を経験するが、通常それは個人的にばらばらに起きている。
「”通常”と”災害”の従来型対比では、日常生活に頻発するストレスとそれによる個人的または社会的影響のほうが常に無視されるか、軽視されてきた。それはまた、コミュニティ内でのアイデンティティに対する個人の基本的な人間的欲求を、現代社会が満たせないでいることを示す多くの政治的社会的分析を無視している。それは歴史的に一貫性があり、絶えず大きくなり続けているにも関わらずだ」。
「危機や喪失、欠乏を広く共有することで、生き抜いた者たちの間に親密な第1次グループの連帯感が生まれ、それが社会的孤立を乗り越えさせ、親しいコミュニケーションや表現への経路を提供し、物理的また心理的な援助と安心感の大きな源となる。・・・アウトサイダーがインサイダーに、周辺にいた人が中心的な人物になる。人々はこのように、以前には可能でなかった明白さでもって、すべての人が同意する、うちに潜んでいた基本的な価値観に気づくのである。彼らは、これらの価値観が維持されるためには集団での行動が必要であること、個人とグループの目的が切り離せないほど合体している必要があることを知る。この個人と社会のニーズの合体が、正常な状況の下では滅多に得られない帰属感と一体感を与えてくれる」。
「こうして、災害を引き起こし、災害を拡大させる自然や人的な力が敵意に満ちたものに見えるのとは逆に、そこで生き延びる人々は普段より気さくで、情け深く、親切になる。人間に対する分類的な見方はおさえられ、同情的な見方が広がる。そういった意味で、災害は物理的には地獄かもしれないが、結果的には、一時的ではあるが、社会的なユートピアとも言えるものを出現させるのだ」。
「災害は、過去や未来と結びついた心配事や抑制や不安からの一時的な解放を提供してくれる。なぜなら、災害のせいで人々は現在のリアリティという文脈の中で、目の前の、一瞬一瞬の、一日一日の欲求に関心を集中せざるを得ないからだ」
災害は私たちがとらわれている過去の悲しみ、習慣、思い込み、恐怖のクモの巣から、私たちを解き放ってくれる。
フリッツの最初の革新的な前提は、日常生活はすでに一種の災害であり、実際の災害は私たちをこそから解放するというものだった。人々は日常的に苦しみや死を経験するが、通常それは個人的にばらばらに起きている。
「”通常”と”災害”の従来型対比では、日常生活に頻発するストレスとそれによる個人的または社会的影響のほうが常に無視されるか、軽視されてきた。それはまた、コミュニティ内でのアイデンティティに対する個人の基本的な人間的欲求を、現代社会が満たせないでいることを示す多くの政治的社会的分析を無視している。それは歴史的に一貫性があり、絶えず大きくなり続けているにも関わらずだ」。
「危機や喪失、欠乏を広く共有することで、生き抜いた者たちの間に親密な第1次グループの連帯感が生まれ、それが社会的孤立を乗り越えさせ、親しいコミュニケーションや表現への経路を提供し、物理的また心理的な援助と安心感の大きな源となる。・・・アウトサイダーがインサイダーに、周辺にいた人が中心的な人物になる。人々はこのように、以前には可能でなかった明白さでもって、すべての人が同意する、うちに潜んでいた基本的な価値観に気づくのである。彼らは、これらの価値観が維持されるためには集団での行動が必要であること、個人とグループの目的が切り離せないほど合体している必要があることを知る。この個人と社会のニーズの合体が、正常な状況の下では滅多に得られない帰属感と一体感を与えてくれる」。
「こうして、災害を引き起こし、災害を拡大させる自然や人的な力が敵意に満ちたものに見えるのとは逆に、そこで生き延びる人々は普段より気さくで、情け深く、親切になる。人間に対する分類的な見方はおさえられ、同情的な見方が広がる。そういった意味で、災害は物理的には地獄かもしれないが、結果的には、一時的ではあるが、社会的なユートピアとも言えるものを出現させるのだ」。
「災害は、過去や未来と結びついた心配事や抑制や不安からの一時的な解放を提供してくれる。なぜなら、災害のせいで人々は現在のリアリティという文脈の中で、目の前の、一瞬一瞬の、一日一日の欲求に関心を集中せざるを得ないからだ」
災害は私たちがとらわれている過去の悲しみ、習慣、思い込み、恐怖のクモの巣から、私たちを解き放ってくれる。
「危機」は「協力」をつくり出すのか 3:レベッカ・ソルニット、島月園子訳『災害ユートピア』(亜紀書房、2011年)
157-160ページ
・・・核戦争が起きれば、主要な都市や地方は破壊され、放射能を浴びるであろうと予測された。両国とも、もしそうなっても、直接被弾さえしない限り、シェルターにより人々を放射能から隔離しておいて、あとからすべてを建て直すことで、核戦争を生き延びることは可能だと信じたがっていた。・・・
トルーマン大統領の『プロジェクト・イーストリバー』には「攻撃を受けたときにパニックが起きるのを防ぎ、またそれを抑制することは民間防衛の重要任務である。なぜなら、人々が攻撃によりパニックに陥ったときには、それが原因で、兵器が直接引き起こす数よりも多くの死者や負傷者が出る可能性があるからだ」とある。すなわち、一般市民は自身や自国に対し、敵の核兵器より大きな脅威となる可能性を秘めているというわけだ。・・・・
アメリカ政府は、国民に私設の核シェルターを作ることを、10年以上も熱心に勧めた。核戦争を生き延びるには、再び表に出て町を再建できるようになるまでに、数週間もしくは数ヶ月もシェルター内で過ごさなければならないだろうと彼らは考えていた。・・・・
連邦政府の高官や重要な官僚のためには、大規模なフル装備の豪華シェルターが建設された。彼らはたとえ他のすべての人々が助からなくても、自分たちが生き残ることが最重要だと考えたのだ。ソ連人は集団用シェルターを作ったが、アメリカ人は個人用シェルターを作るようにうながされた。・・・・
けれども、人々は私設シェルターが突きつける道徳的難問の前に立ちつくした。その重要な問題とは、―もし、あなたが自分と家族のためにシェルターを作ったとして(裏庭のある家に限られるので、都市居住者や貧しい人には初めから無理)、近所の人を入れてあげますか?・・・
同時期に『タイム』誌は、どんなことをしてでも生き延びようとするシェルターの持ち主を主人公にした、痛烈な皮肉を込めた物語を掲載した。タイトルは『汝の隣人を撃て Gun Thy Neighbor』。それはこんな言葉から始まっている。
「シェルターが完成した暁には、爆弾が落ちたときには近所の者たちを入れないため、ハッチに機関銃を用意しておこう」
・・・・20年後、ある歴史学者は「徐々に、だが確実に、何千万ものアメリカ人は、私設の核シェルターは道徳的に弁護できないという結論に達した」と結論した。
気づいた人は少ないが、それは注目すべき瞬間だった。核戦争が大きな脅威で、しかも集団による解決や連帯が共産主義をにおわせていた時代に、ごく普通の市民が、他の人を犠牲にしてまで自分自身が助かろうとすることにたじろいだのだ。
ドロシー・デイと平和主義コミュニティの<カトリック労働者>のメンバーは、1955年にニューヨークで始まった全国規模の民間防衛訓練への参加を拒絶した。そして、他のすべての市民が、訓練で地下に潜っているときに、挑戦的にマンハッタンの市庁舎に集結した。
2千人の人々が反対運動に参加したせいでとうとう訓練が廃止された1961年まで、毎年、デイのグループは協力を公的に拒み、そのせいでデイはときには逮捕され、また、ときには無視された。この集団としての強情さは、その10年がもたらした大激変への小さな端緒だ。
この挑戦的な利他主義は、相互扶助や進化論的議論を凌駕している。市民は、隣人への援助を拒むことはあまりにも不快なので、たとえ国のリーダーたちが全人類の命を危険にさらす博打をしているときすら、自分だけが生き延びる道を探ることはできなかったのだ。
・・・核戦争が起きれば、主要な都市や地方は破壊され、放射能を浴びるであろうと予測された。両国とも、もしそうなっても、直接被弾さえしない限り、シェルターにより人々を放射能から隔離しておいて、あとからすべてを建て直すことで、核戦争を生き延びることは可能だと信じたがっていた。・・・
トルーマン大統領の『プロジェクト・イーストリバー』には「攻撃を受けたときにパニックが起きるのを防ぎ、またそれを抑制することは民間防衛の重要任務である。なぜなら、人々が攻撃によりパニックに陥ったときには、それが原因で、兵器が直接引き起こす数よりも多くの死者や負傷者が出る可能性があるからだ」とある。すなわち、一般市民は自身や自国に対し、敵の核兵器より大きな脅威となる可能性を秘めているというわけだ。・・・・
アメリカ政府は、国民に私設の核シェルターを作ることを、10年以上も熱心に勧めた。核戦争を生き延びるには、再び表に出て町を再建できるようになるまでに、数週間もしくは数ヶ月もシェルター内で過ごさなければならないだろうと彼らは考えていた。・・・・
連邦政府の高官や重要な官僚のためには、大規模なフル装備の豪華シェルターが建設された。彼らはたとえ他のすべての人々が助からなくても、自分たちが生き残ることが最重要だと考えたのだ。ソ連人は集団用シェルターを作ったが、アメリカ人は個人用シェルターを作るようにうながされた。・・・・
けれども、人々は私設シェルターが突きつける道徳的難問の前に立ちつくした。その重要な問題とは、―もし、あなたが自分と家族のためにシェルターを作ったとして(裏庭のある家に限られるので、都市居住者や貧しい人には初めから無理)、近所の人を入れてあげますか?・・・
同時期に『タイム』誌は、どんなことをしてでも生き延びようとするシェルターの持ち主を主人公にした、痛烈な皮肉を込めた物語を掲載した。タイトルは『汝の隣人を撃て Gun Thy Neighbor』。それはこんな言葉から始まっている。
「シェルターが完成した暁には、爆弾が落ちたときには近所の者たちを入れないため、ハッチに機関銃を用意しておこう」
・・・・20年後、ある歴史学者は「徐々に、だが確実に、何千万ものアメリカ人は、私設の核シェルターは道徳的に弁護できないという結論に達した」と結論した。
気づいた人は少ないが、それは注目すべき瞬間だった。核戦争が大きな脅威で、しかも集団による解決や連帯が共産主義をにおわせていた時代に、ごく普通の市民が、他の人を犠牲にしてまで自分自身が助かろうとすることにたじろいだのだ。
ドロシー・デイと平和主義コミュニティの<カトリック労働者>のメンバーは、1955年にニューヨークで始まった全国規模の民間防衛訓練への参加を拒絶した。そして、他のすべての市民が、訓練で地下に潜っているときに、挑戦的にマンハッタンの市庁舎に集結した。
2千人の人々が反対運動に参加したせいでとうとう訓練が廃止された1961年まで、毎年、デイのグループは協力を公的に拒み、そのせいでデイはときには逮捕され、また、ときには無視された。この集団としての強情さは、その10年がもたらした大激変への小さな端緒だ。
この挑戦的な利他主義は、相互扶助や進化論的議論を凌駕している。市民は、隣人への援助を拒むことはあまりにも不快なので、たとえ国のリーダーたちが全人類の命を危険にさらす博打をしているときすら、自分だけが生き延びる道を探ることはできなかったのだ。
「危機」は「協力」をつくり出すのか 2:レベッカ・ソルニット、島月園子訳『災害ユートピア』(亜紀書房、2011年)
10-12ページ
地震、爆撃、大嵐などの直後には緊迫した状況の中で誰もが利他的になり、自身や身内のみならず隣人や身も知らぬ人々に対してさえ、まず思いやりを示す。大惨事に直面すると、人間は利己的になり、パニックに陥り、退行現象が起きて野蛮になるという一般的イメージがあるが、それは真実とはほど遠い。
二次大戦の爆撃から、洪水、竜巻、地震、大嵐に至るまで、惨事が起きたときの世界中の人々の行動についての何十年もの綿密な社会学的調査の結果が、これを裏付けている。けれども、この事実が知られていないために、災害直後にはしばしば「他の人々は野蛮になるだろうから、自分はそれに対する防衛策を講じているにすぎない」と信じる人々による最悪の行動が見られるのだ。
・・・
大抵の伝統的な社会に、個人同士や家族同士、集団の間に、深く根付いた責任と結合がある。社会という概念自体が共感や親愛の情で結ばれたネットワークをベースにとしていて、独立独歩の人はたいがいの場合、世捨て人または追放された者として存在した。
だが、流動的で個人主義的な現代社会がこういった昔ながらの結合の幾分かを切り捨てた結果、人々は特に経済的な取り決めにより他人を背負い込むこと―高齢者や社会的弱者への物質的援助や、貧困や悲惨な状況に対する支援、すなわち”兄弟姉妹”の扶養―に二の足を踏むようになった。
他人の扶養に反対する議論は、しばしば人間の本性についての議論に姿を変える。人間は本来、利己的な生き物だ。人は私の面倒を見てくれはくれないだろうから、私も人の面倒は見ない。食糧不足に備えて食料の備蓄が必要だから、人に与える食糧はない。それは、私自身も他人など当てにできないからだ。一方で、できれば誰かの財産を頂戴して、私腹を肥やしたいと思う。・・・・
こうなると人々の日常生活は社会的に大きな危険を抱え込むことになる。ときに本物の災害がこの状況を一層悪化させる。しかし、反対に災害がこういった状況を一時的に棚上げにし、私たち自身の中にある別の世界を垣間見させてくれる場合もある。
平常時の社会的構図や分裂がことごとく崩壊すると、全員とはいわないが、大多数の人々が兄弟の番人になろうとする。すると、その目的意識や連帯感が、死やカオス、恐怖、喪失の中にあってさえ、一種の喜びをもたらすのだ。
もし私たちがそのことを知っていて、それを信じていれば、どんな場面においても、自分たちの可能性に対する自覚は変わるかもしれない。どんな信念であれ、それに基づいた行動は、世界をイメージ通りに変えられる。繰り返すが、何を信じるかが問題だ。
「危機」は「協力」をつくりだすのか:レベッカ・ソルニット、高月園子訳『災害ユートピア』(亜紀書房、2011年)より
『災害ユートピア』427-429ページ
災害の歴史は、私たちの大多数が、生きる目的や意味だけでなく、人とのつながりを切実に求める社会的な動物であることを教えてくれる。
もし私たちがそのような社会的動物ならば、ほぼすべての場所で営まれている日常生活は一種の災難であり、それを妨害するものこそが、私たちに変わるチャンスを与えてくれることを示唆している。・・・
災害は普段私たちをとじ込めている塀の裂け目のようなもので、そこから洪水のように流れ込んでくるものは、とてつもなく破壊的、もしくは創造的だ。ヒエラルキーや公的機関はこのような状況に対処するには力不足で、危機において失敗するのは大抵これらだ。
反対に、成功するのは市民社会のほうで、人々は利他主義や相互扶助を感情的に表現するだけでなく、挑戦を受けて立ち、創造性や機知を駆使する。この数え切れないほど多くの決断をする数え切れないほど大勢の人々の分散した力のみが、大災害には適している。
災害がエリートを脅かす理由の一つは、多くの意味で、権力が災害現場にいる市井の人々に移るからだ。
危機に最初に対応し、間に合わせの共同キッチンを作り、ネットワークを作るのは住民たちだ。それは中央集権型でない、分散した意志決定システムも有効であることを証明する。そういった瞬間には、市民そのものが政府、すなわち臨時の意志決定機関となるが、それは民主主義が常に約束しながらも、滅多に手渡してくれなかったものだ。
これらのはかない一時期については、次の二点が最も意義深い。
まず、それは何が可能であるかを、いや、もっと正確に言えば、何が潜在しているかを明確に示してくれる。それは私たちのまわりの人々の立ち直りの早さや気前の良さ、そして別の種類の社会を即席に作る能力だ。
第2に、人々とつながりたい、何かに参加したい、人の役に立ち、目的のために邁進したいという私たちの欲求がいかに深いものであるかを見せつけてくれる。だからこそ、災害では驚異的な喜びが見られるのだ。
ナチスのアウシュヴィッツ強制収容所を生き抜いた精神科医ヴィクトール・フランクルは、のちに、生きる意味と目的を持ち続けることこそが、多くのケースにおいて、そこにいた人たちの生死を分けたと結論している。
9・11のあと、ニューヨーカーのマーシャル・バーマンは「人間、それは最も勇敢な動物で、最も悩むことに慣れている生き物であるからして、本来、苦しみを拒まない。苦しみに意味が与えられる限り、それを欲しがり、それを探し出す」というニーチェの言葉を引用した。
フランクルは同じくニーチェの「生きる目的を持つ者は、ほとんどどんな生き方にでも耐えられる」という宣言をも引用している。・・・
災害の中の喜びは、もしそれが訪れるとするなら、はっきりした目的の存在や、生き延びることや、他人に対する奉仕への没頭や、個人に向けられた愛ではなく市民としての愛からやってくる。市民の愛―それは、見知らぬ者同士の愛、自分の町に対する愛、大きな何かに帰属し、意味のある仕事をすることに対する愛だ。
脱工業化した現代社会では、このような愛は大抵冬眠中か、もしくは認められていない。それゆえ日常生活は災難なのだ。
災害の歴史は、私たちの大多数が、生きる目的や意味だけでなく、人とのつながりを切実に求める社会的な動物であることを教えてくれる。
もし私たちがそのような社会的動物ならば、ほぼすべての場所で営まれている日常生活は一種の災難であり、それを妨害するものこそが、私たちに変わるチャンスを与えてくれることを示唆している。・・・
災害は普段私たちをとじ込めている塀の裂け目のようなもので、そこから洪水のように流れ込んでくるものは、とてつもなく破壊的、もしくは創造的だ。ヒエラルキーや公的機関はこのような状況に対処するには力不足で、危機において失敗するのは大抵これらだ。
反対に、成功するのは市民社会のほうで、人々は利他主義や相互扶助を感情的に表現するだけでなく、挑戦を受けて立ち、創造性や機知を駆使する。この数え切れないほど多くの決断をする数え切れないほど大勢の人々の分散した力のみが、大災害には適している。
災害がエリートを脅かす理由の一つは、多くの意味で、権力が災害現場にいる市井の人々に移るからだ。
危機に最初に対応し、間に合わせの共同キッチンを作り、ネットワークを作るのは住民たちだ。それは中央集権型でない、分散した意志決定システムも有効であることを証明する。そういった瞬間には、市民そのものが政府、すなわち臨時の意志決定機関となるが、それは民主主義が常に約束しながらも、滅多に手渡してくれなかったものだ。
これらのはかない一時期については、次の二点が最も意義深い。
まず、それは何が可能であるかを、いや、もっと正確に言えば、何が潜在しているかを明確に示してくれる。それは私たちのまわりの人々の立ち直りの早さや気前の良さ、そして別の種類の社会を即席に作る能力だ。
第2に、人々とつながりたい、何かに参加したい、人の役に立ち、目的のために邁進したいという私たちの欲求がいかに深いものであるかを見せつけてくれる。だからこそ、災害では驚異的な喜びが見られるのだ。
ナチスのアウシュヴィッツ強制収容所を生き抜いた精神科医ヴィクトール・フランクルは、のちに、生きる意味と目的を持ち続けることこそが、多くのケースにおいて、そこにいた人たちの生死を分けたと結論している。
9・11のあと、ニューヨーカーのマーシャル・バーマンは「人間、それは最も勇敢な動物で、最も悩むことに慣れている生き物であるからして、本来、苦しみを拒まない。苦しみに意味が与えられる限り、それを欲しがり、それを探し出す」というニーチェの言葉を引用した。
フランクルは同じくニーチェの「生きる目的を持つ者は、ほとんどどんな生き方にでも耐えられる」という宣言をも引用している。・・・
災害の中の喜びは、もしそれが訪れるとするなら、はっきりした目的の存在や、生き延びることや、他人に対する奉仕への没頭や、個人に向けられた愛ではなく市民としての愛からやってくる。市民の愛―それは、見知らぬ者同士の愛、自分の町に対する愛、大きな何かに帰属し、意味のある仕事をすることに対する愛だ。
脱工業化した現代社会では、このような愛は大抵冬眠中か、もしくは認められていない。それゆえ日常生活は災難なのだ。
2020年1月17日金曜日
乱狡太郎 偽書アナキズム・栗原本 その2 Fake Anarchism Book by Kurihara Yasushi: Part 2
今回は(前回までについては「偽書アナキズム 栗原本 その1(3) 」を参照)、「序章アナキズムってなんですか?」を中心に、栗原がアナーキズムをどう理解しているのかを見ていく。まあ栗原の文章はダラダラ牛の涎のように続く自問自答の主客融合した文体、つまり読み手に考える間を与えない形式となっていて、俺は読んでいると気持ちが悪くなっちまうんだが、まっ、行きがかりなんでやってみた。
(4)「制御できない力」= アナキズム
前回でも述べたように、この『アナキズム』は、栗原がYoutubeで観ることの出来たパリの暴動に栗原が異常に興奮しまくるところから始まる。栗原が暴動鑑賞で得た結論は以下の通りだ。
だれにもなんにも、国家にも資本にも、左翼にも右翼にもしばられない、そして自分自身にですら制御できない、得体のしれない力がある。それがわかったんだと。だから、マックを焼き討ちにした当人たちも、それを目撃したおいらたちも、そんな力にただ酔いしれればいいんだ、そんな力があることを誇りにおもえばいいんだ、あれもできる、これもできる、もっとできる、もっともっとできる、うれしい、たのしい、きもちいい、オレ、すげえ、オレ、すげえ、オレ、オレ、オ-レイ!ってね。わすれやしない、この酔い心地だけは。えっ、なにいってんのって?
いやいや、それがアナキズムってもんさ。どえれえやつらがあらわれたァ!火のついた猿、火のついた猿。ウッキャッキャッキャッキャ---ッ!!! 手に負えない。(栗原康『アナキズム』7~8頁)
栗原は「自分自身にですら制御できない、得体のしれない力がある。」「そんな力にただ酔いしれればいいんだ」それがアナキズムだとまず結論づける。
(5)アルケー及びアナーキー
栗原はここで、アナキズムを語源から説明しようと試みる。
アナキズムというのはギリシャ語のanarchosからきていて、an(アン)っていう接頭語と、arche(アルケー)がくっついてできたものだ。アン、アルケーで、アナーキー。でね、このアンというのは「~がない」って意味で、アルケーというのは「支配」とか「統治」って意味なんだ。
だからていねいに訳していくと、「だれもなんにも支配されないぞ」「統治されないものになれ」ってのがアナーキーになる。で、それを思想信条としましょうってのが、アナキズムだ。アナーキーに「~主義」のイズムをつけてアナキズム。(栗原康『アナキズム』8~9頁)
ほんまかいな、疑う俺は、他の文献で語源に言及したものを比較してみた。
語源となっているギリシャ語のanarchosは、単に”支配者のない”ということを意味するだけであり、したがってアナキィそれ自身は、一般的な文脈においては、明らかに、支配に従っていないこと(unruliness)という消極的な状態か、支配は秩序の維持にとって不必要であるから支配をうけない(being unruled)という積極的な状態が、いずれかを意味するように用いられうるのである。(ジョージ・ウドコック『アナキズムⅠ思想篇3頁)
一九世紀に現れたアナーキズムは、人間に対する人間による支配のない社会を「アナーキーAnarchy」つまり「無支配」と規定し、これを理想的な人間社会のあり方であると主張した。(田中ひかる『ドイツ・アナ-キズムの成立』4頁)
確かに比較してわかるように、情報量に違いがあるものの、アナーキーが「無支配」をめざすものとしてとらえられていることは栗原を含め概ね共通していると言ってよい。ところが、栗原は語源アルケーにはもともともう一つの意味があると言い出す。
でもね、もうひとつ、あたまにいれておかなきゃいけないのは、このアルケーっていうのはもともと哲学用語だってことだ。「万物の始原」とか、「根源的原理」とかね。かんたんにいってしまえば、「はじまり」とか、「根拠」ってことになるだろうか、それがないってことだから、アナキズムってのは、「はじまりのない生をいきる」とか、「根拠のないことをやる」ってことになる。(栗原康『アナキズム』8~9頁)
栗原はここで、アルケーの語源に立ち戻りつつアナキズムは、「はじまりのない生をいきる」とか、「根拠のないことをやる」ってことだと定義するのである。ここで栗原のアナキズムの定義について整理すると、
栗原式アナキズムの定義
(1) 「誰も何にも支配や統治されない」主義
(2) 「はじまりのない生き方あるいは根拠もないことを行う」主義
(1)については、すでに述べたように他の論者との見解とも一致すると言ってよいが、問題は、(2)の方である。こんな定義について俺は聞いたことがない。もっとも俺は研究者でないので、こういう主張をしているアナーキストなり、研究者を知らないだけかもしれない。で、哲学用語というので辞典に当たってみた。
古代ギリシャ語Αρχη。「初め」の意。ラテン語のプリンキピウムprincipium(*1)にあたる。イオニアの哲学者たちによって万象の「もとのもの」の意で用いられ、アナクシマアンドロスがト・アペイロンと同様の意で特定の意味で用いたのが最初である。その後、次第に「知の原理」「存在のもと」「運動の原因」などの意味で用いられるようになった。(『哲学辞典』平凡社43頁)
さらに辞典ではアリストテレスの『形而上学』に第5巻、第1章にアルケーに言及があり、分類されているとする。それは以下のようなものである。
(1)そこから人が運動を始めるところ、たとえば道の出発点。
(2)そこからそれぞれのものがもっとも見事に生じうるもの、たとえば学習のもっとも容易になされうる初歩。
(3)それからものが最初に生じてきて、しかもその生じてきたものに内在しているもの、たとえば船の竜骨。
(4)それからものが最初に生じてきて、しかもその生じてきたものに内在しないもの。あるいは運動が本来そこから始まるもの、たとえば子どもが生じてくる父母。
(5)運動するものが、「そのもの」の意図によって運動することになる「そのもの」、たとえば、国の政府。
(6)事物がそれによってはじめて知られるものとなること。
ギリシャの哲学者たちは、この分類の中から、適宜、あるいはすべてをアルケーの概念として展開したとある。栗原が、ギリシャ哲学者にならってチョイスしたのか、「初め」「根拠」と意味づけし、それをanして見せた、つまり否定したものこそが、アルケーをアンしたすなわちアナーキーで、「はじまりのない生をいきる」とか、「根拠のないことをやる」ということにもっていったことがわかる。
では、具体的に何がanされる否定される「初め」なり「根拠」かというと、栗原は、例えとして資本主義の世の中では「カネによる支配」が「はじまり」だとしている(*2)。
たとえば、この資本主義の世の中じゃ、たくさんカネをかせいでなんぼってのがあるわけさ、カネをかせいで生きるのがよいことだ「はじまり」としてあって、じゃあ、それでよりよい生活をしていくためには、よりよい将来のためには、ああしなきゃいけない、こうしなきゃいけないっていわれている。カネによる支配だ。でもね、これじゃすんげえいきぐるしい。いま、メッチチャやりたいことがあったとしても、それがカネになるもんじゃなきゃ将来のためにならない、やっちゃダメだ、それでもやるのはろくでなしだ、クソなんだっていわれちまうからね。(栗原康『アナキズム』9~10頁)
栗原は、さらに大杉栄を引っ張りだして、下記のように自身の論を補強にかかる。
あれもダメ、これもダメ、ぜんぶダメ。ダメ、ダメ、ダメ、ドヒャア!100年前の日本のアナキスト、大杉栄は、それじゃダメでしょうってことで、だいじなのは「生の拡充」だっていっていた。ひとってのは自分の生きる力をどんだけおもうぞんぶんひろげることができるのか、やりたいことをやってみて、それができたら、うれしい、たのしい、きもちいい、オレすげえ、オレすげえって、ハシャギまくって、どんだけ自分で自分に充実感をえることができたのか、そんだけのもんでしょうと。はじめからやっちゃいけないことなんてない、はじめからいっちゃいけないことなんてない、ぜんぶ自由だ。やりたいことしかやりたくないね!やっちまいな、いいよ!(栗原康『アナキズム』10頁)
つまり栗原は、カネの支配をはじまりとする資本主義では、カネを稼ぐ以外のことはやってはいけない、自分のしたいことをやってはいけないと言われる。だけど大杉栄の「生の拡充」は、人にはやってはいけないことはないんだ、やりたいことしたいことを全部自由だからやれよって言っているという。
栗原の論が本当に大杉栄の「生の拡充」と繋がるんだろうか。少し長くなるが、「生の拡充」について述べたいと思う。
(6)大杉栄「生の拡充」について
大杉の「生の拡充」は、『近代思想』の1913年7月号に掲載されたものである。これは『近代思想』前月号に掲載された「征服の事実」の続編である。「征服の事実」は文芸の徒、アーティストたちに向けた体裁を取っており、当然続編の「生の拡充」も同様である(*3)。
「征服の事実」は、「過去と現在とおよび近き将来との数万あるいは数千年間の人類社会の根本事実」たる「征服」を説いたものである。
人類の歴史は、マルクスの言う「階級闘争」がある。しかしそれに先行する種族間の闘争があった。闘争の結果、征服者と被征服者が発生し、引いてはそれを合理的に統治する社会システム創出のきっかけとなったというのである。
まずこの「征服」の事実を意識しないで社会を理解することはないと言い、さらにその「反抗」に触れない限り、芸術は遊びにとどまると断じる。そうした結果生み出される芸術は、
われわれはエクスタシイと同時にアンツウジアスム(*4)を生ぜしめる動的美に憧れたい。われわれの要求する文芸は、かの事実に対する憎悪美と叛逆美との創造的文芸である(*5)。
と結ぶ。
ここまでが「征服の事実」の要旨であり、さらに「生の拡充」おいてその内容を深めて行く。
「生の拡充」、その「生」とは何か。「生」の神髄とは「自我」である。そして自我とは一種の「力」を意味するが、「力はただちに動作となって現れねばならぬ」、「力の存在と動作とは同意義だ」という。
さればわれわれの生の必然の論理は、われわれに活動を命ずる。また拡張を命ずる(*5)。
さらに大杉は言葉を続けて、「けれども生の拡張には、また生の充実を伴わねばならぬ」「充実と拡張とは同一物であらねばならぬ」(*6)。
大杉は、「かくして『生の拡充』はわれわれの唯一の生の義務となる。」というのだ。その結果、生の拡充の障害となるものが現われた場合は、「いっさいの事物を除去し破壊すべく、われわれに命ずる」。我が道に立ちふさがる障害物は排除せよと主張するのである。
もしそれに自らが服すことが不可能な場合はどうなるのか。
「そしてこの命令に背く時、われわれの生は、われわれの自我は、停滞し、腐敗し、壊滅する。生の拡充は生そのものの根本的性質である。」
つまり停滞は自我の壊滅を意味する(*7)。
大杉は、さらに深く原始以来の人類の相克の内に「生の拡充」を見いだす。「お互いの闘争と利用とを続けて来た」結果、人類の「生の拡充」は障害されるようになる。
「征服の事実」でも述べたように、人類間に征服者と被征服者、すなわち主人と奴隷の関係を生み出したが、両極の両者はともに「自我」を失い、「生の拡充」は停滞を迎えたのだ。
この両極の生の毀損がまさに壊滅を迎えようとするとき、「比較的に健全なる生を有する中間階級」がイニシアチブを取って、「被征服階級の救済」の名の下に革命が起きてくるが、結果は「常に中間階級が新しき主人」となることが繰り返されるだけである。
それは人類が、主人と奴隷に分化する以前の原始について無知であったためだ、「人の上の人の権威を排除して、われ自らわれを主宰することが、生の拡充の至上の手段であることに想い到らなかった」。
彼等はただ主人を選んだ。主人の名を変えた。そしてついに根本の征服の事実そのものに斧を触れることをあえてしなかった。これが人類の歴史の最大誤謬である(*5)。
大杉は言う、生が生きて行くためには、征服の事実に対する「憎悪」がさらには「反逆」を生ぜさすこと、人の上に人の権威を戴かない、自我が自我を主宰する、自由生活の要求が起きる必要がある。
そして生の拡充の中、に生の至上の美を見る僕は、この反逆とこの破壊との中にのみ、今日生の至上の美を見る(*5)。
階調はもはや美ではない。美はただ乱調にある。
階調は偽りである。真はただ乱調にある(*5)。
大杉は、美を「反逆」の中に見いだすが、それは「実行の芸術」でもある。その「実行」とは何か。「実行」とは生の直接の活動であるが、それは「頭脳の科学的洗練を受けた近代人の実行」は、「前後の思慮のない実行ではない」という。
多年の観察と思索とから、生のもっとも有効なる活動であると信じた実行である。実行の前後は勿論、その最中といえども、なお当面の事件の背景が十分に頭に映じている実行である。実行に伴う観照がある。観照に伴う恍惚がある。恍惚に伴う熱情がある。そしてこの熱情はさらに新しき実行を呼ぶ(*5)。
最後は、「僕は生の要求するところに従って、この意味の傾向的の文芸を要求する、科学を要求する、哲学を要求する」で結んでいる。
(7)栗原アナキズム論の怪しさ
栗原は映像で観た群衆の破壊への行動に強く惹かれるわけだ、それもその無意味、無根拠性を評価する。
確かに栗原のいうパリ暴動に、そういう破壊活動そのものを目的とする個人がいないわけではないだろう。
しかし、前回にも述べたように、その先頭に立つブラックブロック(*8)は、ある意味極めて統制のとれた暴動に特化した組織と解するべきではないかと思う。
自然発生的に、自分でもわけわからない状態でデモに参加するなどあり得ない。暴動という混乱状況においてこそ的確な判断が求められる。
警察という重武装で身を固め訓練を受けたプロの集団、正に国家の暴力に対峙している最中に、「自分自身にですら制御できない、得体のしれない力」「そんな力にただ酔いしれればいいんだ」なんて能天気なことを言うなどあり得ないのではないか。
そういう状態が成立するとしたらそれは当事者ではなく、映画館の観客や、暴動の野次馬たちの視点だろう。
自分は決して危なくない対岸の火事なら、そのスペクタルに興じたり興奮したりすることもあり得る。まあ「目撃したおいらたち」と記しているが、それを暴動の当事者や当人たちと同レベルで語っているところに強い違和感を覚える。
また、その興奮の描写も奇妙なものだ。「あれもできる、これもできる、もっとできる、もっともっとできる」って、暴動の最中になぜ「万能感」(*9)に浸っているのかと呆れてしまう。
この続きが、「うれしい、たのしい、きもちいい、オレ、すげえ、オレ、すげえ…」これまた自分の感覚であり、万能感が表明されている。暴動や政治的表現は、自己実現の道具にすぎないのか。
しかし、この栗原独自の考え方を、栗原はアナキズムだと宣言するのである。
その根拠の一つとして、語源から手繰り寄せる。それについては、(5)アルケー及びアナーキーで述べたように、アナキズムに関する2つの定義のうち、一つは、「誰も何にも支配や統治されない」であり、これはまあ、辞書的に比較しただけでも納得はまだできる。
しかし、問題は二つ目の、「はじまりのない生をいきる」、「根拠のないことをやる」それらをアナキズムとする点だ。ギリシャ語源のアルケーの定義から、恣意的に導き出されたことがわかる。
栗原は例えば「根源がない」というのを「根拠がない」という言葉として用いているが、「根源」と「根拠」は似て非なるものであろう。これは栗原式アナキズムを展開する上でのすり替えだと俺は思っている。
「火のついた猿、火のついた猿。ウッキャッキャッキャッキャ---ッ!!!」とやりたい放題暴れるためには、「根源」などという固い哲学用語ではanは使いづらい、そこでanし易い「根拠」を持ってきたのだろう。「根拠なし」一丁あがりである。
さらに自身の論の裏付けに、大杉栄の「生の拡充」を持ってくる。結論から言えば、「生の拡充」と栗原式アナキズムは全く別物といってよい。
既に述べたように「生の拡充」は「征服の事実」の続編である。その「征服の事実」は、表現者はまず人類の起源から存在している「征服」という事実の認識、そしてその「反抗」、それを知らずして何を表現するのだという問題提起である。
その是非はともかく、大杉はマルクスの「階級闘争」を包摂する形で、人類の宿痾「征服」の歴史を簡潔に述べた上で、表現者の方向性を指し示す。
さらに「生の拡充」では、「生の拡充」を人類の「征服」史に重ねたうえで、「生の拡充」の停滞、それを個々人の「反抗」へと展開することこそ表現者のありようではないかと述べる。
そしてそのプロセスには、「多年の観察と思索とから、生のもっとも有効なる活動であると信じた実行である」と指摘しているように、物事を客観的に科学的に思索した上で、机上の上にとどまらない「実行」が必要なのだと言っているのである。
栗原の言う、「オレすげえって、ハシャギまくって、どんだけ自分で自分に充実感をえることができたのか、そんだけのもんでしょうと…」なんてバカバカしいことは決して言ってはいない。
大杉は「観照に伴う恍惚がある。恍惚に伴う熱情がある。そしてこの熱情はさらに新しき実行を呼ぶ」と言い、「観照」という深い用語を使っている。その上での恍惚や熱情である。我を忘れてとち狂って騒げなんてどこにも言ってやしない。
栗原が如何に原文の意図を損ねて、自分の論の補強に使ったかおわかりいただけたかと思う。
(8)まとめ
俺は、栗原の言っている自由やアナキズムは、せいぜい「バカッター」(*10)の作り方を指南しているに過ぎないと思う。
俺はシステムから虐げられていると感じる「弱者」ほど頭や知恵を使うべきだと思う。これは学校教育を頑張れと言うのではない。
大杉のいう通り世の中を支配する仕組み、システムの穴、その手掛かりは多くは、システム側が保有しているものである。それをまずよく見極めることだと思う。
大杉は、それを「征服」と認識したが、それだけでは今は足らないと思う。自分を含め人間や組織、社会、国家についてもっと深く見極める必要がある(*11)。それらを学びつつ、サバイバルや自由になる方法を実行するのである。
「弱者」はやり直しがきかないのだ。
俺は無責任に思想の煽り運転をやらかす栗原を否定する。栗原はアナ界の太田竜というべきものだ。もっとも栗原とはスケール感が違うが(*12)。
栗原の本などから何も得ることはないはず、かと言って便所紙にも使えない。それだったら福本伸行の漫画『賭博黙示録カイジ』の方がはるかにためになるのでおすすめしたいな。
今回はこれまで。後機会があれば栗原の暴動論批判を行いたい。
最後に栗原先生の芸、うたと踊りでしめくくりたい。
うれしい、たのしい、きもちいい、オレすげえ、オレすげえって、だれにもなんにも、法律やモラルにしばられない、そして自分自身にですら制御できない、得体のしれない衝動があるウッキャッキャッキャッキャ---ッ!!!だから、火のついたコアラ、火のついたコアラ、京アニを焼き討ちにした犯人も、プリウスミサイル発射した元官僚も、川崎市登戸通り魔も、新幹線殺傷犯も、誰でもよかった、何でもよかった、意味も根拠もなし、はじめからやっちゃいけないことなんてない、ぜんぶ自由だ。やりたいことしかやりたくないね!やっちまいな、いいよ!それを目撃したおいらたちも、そんな力にただ酔いしれればいいんだ、うれしい、たのしい、ウッキャッキャッキャッ…それがアナキズムってもんさ。どえれえやつらがあらわれたァ!火のついたコアラ、火のついたコアラ。ウッキャッキャッキャッキャ---ッ!!! 手に負えない。オレ、すげえ、オレ、すげえ、オレ、オレ、オレ、オレ、オ-レイ!オレクリハラ!(*13)
注 (*1) principium 基礎、原則、原理の意。
(*2) ここで脱線的に突っ込んでおくと、カネになること以外をやろうとすると、「やっちゃダメだ」「クソなんだ」って誰が言ってくるんだい。よしんば言ってくるやつがいても、それは栗原周辺の親、親戚、あるいは教師、友人か、栗原固有の事象ではないのか。また、それに言われたとしても、無視するだけで事足りるんじゃないのか。もし自分がやろうとしても、周囲の非難に堪えられない、息苦しいというのなら、アナキズムに解決を求めるのではなく、友人に相談するか、カウンセリングでも受けた方が早いと思うのだが。あまりお勧めはできないが、ジャンキーになるって手もある。個人的問題の解決に哲学や政治思想が必要かいな。それとも資本制のメタファーに失敗しているだけなのか。
(*3) しかし、これは当局の眼をかいくぐるための偽装と思われる。アナーキスト同志に向けられたものと解してよいだろう。
(*4) enthousiasme 熱中、熱狂、熱意、感激、熱中させるものの意。
(*5) 大杉栄「生の拡充」 引用:青空文庫作成(http://www.aozora.gr.jp/)
(*6) この大杉の論理展開が妥当なのか。出発点の「生」の神髄が「自我」というものもどうなのか、「自我」が活動や動作を「力」と等価な形で現れるとするが、そう断定的に表現できるのだろうかと疑問が沸き起こってくる。しかし、ここでは栗原と大杉の論の比較検証なので、ひとまず大杉の論は是として観ていく。
(*7) 停止したら死ぬまるでサメやマグロ、カツオのような回遊魚のような「生」だが、それでは自我の機能していない状態は「生」ではないというのだろうか、障がい者、脳死状態の患者、何某かの理由で自我機能をそこなっている人間は切り捨てられているように感じる。やはり「自我」だけで「生」を語る大杉の危うさを感じてしまう。
(*8) 前回の記述で栗原は「ブラックブロック」という呼称を表記していないと述べた箇所は間違いであるので訂正したい。ただ、栗原はブラックブロックを戦術のように記述しているが、やはりこれはフレキシブルではあるが組織形態と観るべきかとも思う。現在発生している香港暴動では、デモ隊の戦術を担っているのはサバゲーのオタク集団との報道があった。日常的に模擬戦闘での訓練や彼らの軍事関連のオタク知識が役立っている。つまり自然発生に任せただけでは権力との闘いは維持できないということでもあろう。
(*9) 「幼児的万能感」の意。幼児期、ウルトラマンや仮面ライダーにあこがれ自分をヒーローと重ね「自分には何でもできる」と思い込んでしまうこと。思春期青年期に入ると、自分が今まで抱いていた「万能感」は現実の前に修正を余儀なくされ、自分の利点欠点をも知ったうえでの現実的な目標や選択が行われるようになる。しかし大人になってもまれに引きずってしまう場合もある。「平凡な自分」の部分を受け入れることの不安から「根拠のない自信」にしがみつこうとする。重篤な病理へと進行する場合もある。
(*10) バカッター Twitterの利用者が投稿するツイートに内容の酷いものが多く見つけられ話題になったことから、『バカッター』という名称が造られ、広まった。Twitterの利用者が投稿を通して自らの犯罪、詐欺、嘘、その他の反社会的行動を世間に曝け出す行為を指す。(以上ウィキペディアより)
バカッターの行動に興味のある方は、youtuberのPDRさんが批判的に動画をアップしているので参照して下さい。(https://www.youtube.com/user/PDRKabushikigaisha/videos)
(*11) リベラルや左翼の知識は批判的でないと使えないものが大半である。良質な保守系の思想の方が人間や社会の考察が正確である場合が多い。
(*12) 「世界革命浪人はいう。/日本侵略軍を琉球列島にさそい込み、これを一兵のこらずセンメツする、と。六千人くれば六千人センメツする。二個師団くれば、二個師団センメツする。十個師団くれば、十個師団センメツする。(太田竜『世界革命への道』27~28頁) 凄いスケールだけど実行が…w
(*13) これは栗原康の「霊言」というイタコ芸です。
(4)「制御できない力」= アナキズム
前回でも述べたように、この『アナキズム』は、栗原がYoutubeで観ることの出来たパリの暴動に栗原が異常に興奮しまくるところから始まる。栗原が暴動鑑賞で得た結論は以下の通りだ。
だれにもなんにも、国家にも資本にも、左翼にも右翼にもしばられない、そして自分自身にですら制御できない、得体のしれない力がある。それがわかったんだと。だから、マックを焼き討ちにした当人たちも、それを目撃したおいらたちも、そんな力にただ酔いしれればいいんだ、そんな力があることを誇りにおもえばいいんだ、あれもできる、これもできる、もっとできる、もっともっとできる、うれしい、たのしい、きもちいい、オレ、すげえ、オレ、すげえ、オレ、オレ、オ-レイ!ってね。わすれやしない、この酔い心地だけは。えっ、なにいってんのって?
いやいや、それがアナキズムってもんさ。どえれえやつらがあらわれたァ!火のついた猿、火のついた猿。ウッキャッキャッキャッキャ---ッ!!! 手に負えない。(栗原康『アナキズム』7~8頁)
栗原は「自分自身にですら制御できない、得体のしれない力がある。」「そんな力にただ酔いしれればいいんだ」それがアナキズムだとまず結論づける。
(5)アルケー及びアナーキー
栗原はここで、アナキズムを語源から説明しようと試みる。
アナキズムというのはギリシャ語のanarchosからきていて、an(アン)っていう接頭語と、arche(アルケー)がくっついてできたものだ。アン、アルケーで、アナーキー。でね、このアンというのは「~がない」って意味で、アルケーというのは「支配」とか「統治」って意味なんだ。
だからていねいに訳していくと、「だれもなんにも支配されないぞ」「統治されないものになれ」ってのがアナーキーになる。で、それを思想信条としましょうってのが、アナキズムだ。アナーキーに「~主義」のイズムをつけてアナキズム。(栗原康『アナキズム』8~9頁)
ほんまかいな、疑う俺は、他の文献で語源に言及したものを比較してみた。
語源となっているギリシャ語のanarchosは、単に”支配者のない”ということを意味するだけであり、したがってアナキィそれ自身は、一般的な文脈においては、明らかに、支配に従っていないこと(unruliness)という消極的な状態か、支配は秩序の維持にとって不必要であるから支配をうけない(being unruled)という積極的な状態が、いずれかを意味するように用いられうるのである。(ジョージ・ウドコック『アナキズムⅠ思想篇3頁)
一九世紀に現れたアナーキズムは、人間に対する人間による支配のない社会を「アナーキーAnarchy」つまり「無支配」と規定し、これを理想的な人間社会のあり方であると主張した。(田中ひかる『ドイツ・アナ-キズムの成立』4頁)
確かに比較してわかるように、情報量に違いがあるものの、アナーキーが「無支配」をめざすものとしてとらえられていることは栗原を含め概ね共通していると言ってよい。ところが、栗原は語源アルケーにはもともともう一つの意味があると言い出す。
でもね、もうひとつ、あたまにいれておかなきゃいけないのは、このアルケーっていうのはもともと哲学用語だってことだ。「万物の始原」とか、「根源的原理」とかね。かんたんにいってしまえば、「はじまり」とか、「根拠」ってことになるだろうか、それがないってことだから、アナキズムってのは、「はじまりのない生をいきる」とか、「根拠のないことをやる」ってことになる。(栗原康『アナキズム』8~9頁)
栗原はここで、アルケーの語源に立ち戻りつつアナキズムは、「はじまりのない生をいきる」とか、「根拠のないことをやる」ってことだと定義するのである。ここで栗原のアナキズムの定義について整理すると、
栗原式アナキズムの定義
(1) 「誰も何にも支配や統治されない」主義
(2) 「はじまりのない生き方あるいは根拠もないことを行う」主義
(1)については、すでに述べたように他の論者との見解とも一致すると言ってよいが、問題は、(2)の方である。こんな定義について俺は聞いたことがない。もっとも俺は研究者でないので、こういう主張をしているアナーキストなり、研究者を知らないだけかもしれない。で、哲学用語というので辞典に当たってみた。
古代ギリシャ語Αρχη。「初め」の意。ラテン語のプリンキピウムprincipium(*1)にあたる。イオニアの哲学者たちによって万象の「もとのもの」の意で用いられ、アナクシマアンドロスがト・アペイロンと同様の意で特定の意味で用いたのが最初である。その後、次第に「知の原理」「存在のもと」「運動の原因」などの意味で用いられるようになった。(『哲学辞典』平凡社43頁)
さらに辞典ではアリストテレスの『形而上学』に第5巻、第1章にアルケーに言及があり、分類されているとする。それは以下のようなものである。
(1)そこから人が運動を始めるところ、たとえば道の出発点。
(2)そこからそれぞれのものがもっとも見事に生じうるもの、たとえば学習のもっとも容易になされうる初歩。
(3)それからものが最初に生じてきて、しかもその生じてきたものに内在しているもの、たとえば船の竜骨。
(4)それからものが最初に生じてきて、しかもその生じてきたものに内在しないもの。あるいは運動が本来そこから始まるもの、たとえば子どもが生じてくる父母。
(5)運動するものが、「そのもの」の意図によって運動することになる「そのもの」、たとえば、国の政府。
(6)事物がそれによってはじめて知られるものとなること。
ギリシャの哲学者たちは、この分類の中から、適宜、あるいはすべてをアルケーの概念として展開したとある。栗原が、ギリシャ哲学者にならってチョイスしたのか、「初め」「根拠」と意味づけし、それをanして見せた、つまり否定したものこそが、アルケーをアンしたすなわちアナーキーで、「はじまりのない生をいきる」とか、「根拠のないことをやる」ということにもっていったことがわかる。
では、具体的に何がanされる否定される「初め」なり「根拠」かというと、栗原は、例えとして資本主義の世の中では「カネによる支配」が「はじまり」だとしている(*2)。
たとえば、この資本主義の世の中じゃ、たくさんカネをかせいでなんぼってのがあるわけさ、カネをかせいで生きるのがよいことだ「はじまり」としてあって、じゃあ、それでよりよい生活をしていくためには、よりよい将来のためには、ああしなきゃいけない、こうしなきゃいけないっていわれている。カネによる支配だ。でもね、これじゃすんげえいきぐるしい。いま、メッチチャやりたいことがあったとしても、それがカネになるもんじゃなきゃ将来のためにならない、やっちゃダメだ、それでもやるのはろくでなしだ、クソなんだっていわれちまうからね。(栗原康『アナキズム』9~10頁)
栗原は、さらに大杉栄を引っ張りだして、下記のように自身の論を補強にかかる。
あれもダメ、これもダメ、ぜんぶダメ。ダメ、ダメ、ダメ、ドヒャア!100年前の日本のアナキスト、大杉栄は、それじゃダメでしょうってことで、だいじなのは「生の拡充」だっていっていた。ひとってのは自分の生きる力をどんだけおもうぞんぶんひろげることができるのか、やりたいことをやってみて、それができたら、うれしい、たのしい、きもちいい、オレすげえ、オレすげえって、ハシャギまくって、どんだけ自分で自分に充実感をえることができたのか、そんだけのもんでしょうと。はじめからやっちゃいけないことなんてない、はじめからいっちゃいけないことなんてない、ぜんぶ自由だ。やりたいことしかやりたくないね!やっちまいな、いいよ!(栗原康『アナキズム』10頁)
つまり栗原は、カネの支配をはじまりとする資本主義では、カネを稼ぐ以外のことはやってはいけない、自分のしたいことをやってはいけないと言われる。だけど大杉栄の「生の拡充」は、人にはやってはいけないことはないんだ、やりたいことしたいことを全部自由だからやれよって言っているという。
栗原の論が本当に大杉栄の「生の拡充」と繋がるんだろうか。少し長くなるが、「生の拡充」について述べたいと思う。
(6)大杉栄「生の拡充」について
大杉の「生の拡充」は、『近代思想』の1913年7月号に掲載されたものである。これは『近代思想』前月号に掲載された「征服の事実」の続編である。「征服の事実」は文芸の徒、アーティストたちに向けた体裁を取っており、当然続編の「生の拡充」も同様である(*3)。
「征服の事実」は、「過去と現在とおよび近き将来との数万あるいは数千年間の人類社会の根本事実」たる「征服」を説いたものである。
人類の歴史は、マルクスの言う「階級闘争」がある。しかしそれに先行する種族間の闘争があった。闘争の結果、征服者と被征服者が発生し、引いてはそれを合理的に統治する社会システム創出のきっかけとなったというのである。
まずこの「征服」の事実を意識しないで社会を理解することはないと言い、さらにその「反抗」に触れない限り、芸術は遊びにとどまると断じる。そうした結果生み出される芸術は、
われわれはエクスタシイと同時にアンツウジアスム(*4)を生ぜしめる動的美に憧れたい。われわれの要求する文芸は、かの事実に対する憎悪美と叛逆美との創造的文芸である(*5)。
と結ぶ。
ここまでが「征服の事実」の要旨であり、さらに「生の拡充」おいてその内容を深めて行く。
「生の拡充」、その「生」とは何か。「生」の神髄とは「自我」である。そして自我とは一種の「力」を意味するが、「力はただちに動作となって現れねばならぬ」、「力の存在と動作とは同意義だ」という。
さればわれわれの生の必然の論理は、われわれに活動を命ずる。また拡張を命ずる(*5)。
さらに大杉は言葉を続けて、「けれども生の拡張には、また生の充実を伴わねばならぬ」「充実と拡張とは同一物であらねばならぬ」(*6)。
大杉は、「かくして『生の拡充』はわれわれの唯一の生の義務となる。」というのだ。その結果、生の拡充の障害となるものが現われた場合は、「いっさいの事物を除去し破壊すべく、われわれに命ずる」。我が道に立ちふさがる障害物は排除せよと主張するのである。
もしそれに自らが服すことが不可能な場合はどうなるのか。
「そしてこの命令に背く時、われわれの生は、われわれの自我は、停滞し、腐敗し、壊滅する。生の拡充は生そのものの根本的性質である。」
つまり停滞は自我の壊滅を意味する(*7)。
大杉は、さらに深く原始以来の人類の相克の内に「生の拡充」を見いだす。「お互いの闘争と利用とを続けて来た」結果、人類の「生の拡充」は障害されるようになる。
「征服の事実」でも述べたように、人類間に征服者と被征服者、すなわち主人と奴隷の関係を生み出したが、両極の両者はともに「自我」を失い、「生の拡充」は停滞を迎えたのだ。
この両極の生の毀損がまさに壊滅を迎えようとするとき、「比較的に健全なる生を有する中間階級」がイニシアチブを取って、「被征服階級の救済」の名の下に革命が起きてくるが、結果は「常に中間階級が新しき主人」となることが繰り返されるだけである。
それは人類が、主人と奴隷に分化する以前の原始について無知であったためだ、「人の上の人の権威を排除して、われ自らわれを主宰することが、生の拡充の至上の手段であることに想い到らなかった」。
彼等はただ主人を選んだ。主人の名を変えた。そしてついに根本の征服の事実そのものに斧を触れることをあえてしなかった。これが人類の歴史の最大誤謬である(*5)。
大杉は言う、生が生きて行くためには、征服の事実に対する「憎悪」がさらには「反逆」を生ぜさすこと、人の上に人の権威を戴かない、自我が自我を主宰する、自由生活の要求が起きる必要がある。
そして生の拡充の中、に生の至上の美を見る僕は、この反逆とこの破壊との中にのみ、今日生の至上の美を見る(*5)。
階調はもはや美ではない。美はただ乱調にある。
階調は偽りである。真はただ乱調にある(*5)。
大杉は、美を「反逆」の中に見いだすが、それは「実行の芸術」でもある。その「実行」とは何か。「実行」とは生の直接の活動であるが、それは「頭脳の科学的洗練を受けた近代人の実行」は、「前後の思慮のない実行ではない」という。
多年の観察と思索とから、生のもっとも有効なる活動であると信じた実行である。実行の前後は勿論、その最中といえども、なお当面の事件の背景が十分に頭に映じている実行である。実行に伴う観照がある。観照に伴う恍惚がある。恍惚に伴う熱情がある。そしてこの熱情はさらに新しき実行を呼ぶ(*5)。
最後は、「僕は生の要求するところに従って、この意味の傾向的の文芸を要求する、科学を要求する、哲学を要求する」で結んでいる。
(7)栗原アナキズム論の怪しさ
栗原は映像で観た群衆の破壊への行動に強く惹かれるわけだ、それもその無意味、無根拠性を評価する。
確かに栗原のいうパリ暴動に、そういう破壊活動そのものを目的とする個人がいないわけではないだろう。
しかし、前回にも述べたように、その先頭に立つブラックブロック(*8)は、ある意味極めて統制のとれた暴動に特化した組織と解するべきではないかと思う。
自然発生的に、自分でもわけわからない状態でデモに参加するなどあり得ない。暴動という混乱状況においてこそ的確な判断が求められる。
警察という重武装で身を固め訓練を受けたプロの集団、正に国家の暴力に対峙している最中に、「自分自身にですら制御できない、得体のしれない力」「そんな力にただ酔いしれればいいんだ」なんて能天気なことを言うなどあり得ないのではないか。
そういう状態が成立するとしたらそれは当事者ではなく、映画館の観客や、暴動の野次馬たちの視点だろう。
自分は決して危なくない対岸の火事なら、そのスペクタルに興じたり興奮したりすることもあり得る。まあ「目撃したおいらたち」と記しているが、それを暴動の当事者や当人たちと同レベルで語っているところに強い違和感を覚える。
また、その興奮の描写も奇妙なものだ。「あれもできる、これもできる、もっとできる、もっともっとできる」って、暴動の最中になぜ「万能感」(*9)に浸っているのかと呆れてしまう。
この続きが、「うれしい、たのしい、きもちいい、オレ、すげえ、オレ、すげえ…」これまた自分の感覚であり、万能感が表明されている。暴動や政治的表現は、自己実現の道具にすぎないのか。
しかし、この栗原独自の考え方を、栗原はアナキズムだと宣言するのである。
その根拠の一つとして、語源から手繰り寄せる。それについては、(5)アルケー及びアナーキーで述べたように、アナキズムに関する2つの定義のうち、一つは、「誰も何にも支配や統治されない」であり、これはまあ、辞書的に比較しただけでも納得はまだできる。
しかし、問題は二つ目の、「はじまりのない生をいきる」、「根拠のないことをやる」それらをアナキズムとする点だ。ギリシャ語源のアルケーの定義から、恣意的に導き出されたことがわかる。
栗原は例えば「根源がない」というのを「根拠がない」という言葉として用いているが、「根源」と「根拠」は似て非なるものであろう。これは栗原式アナキズムを展開する上でのすり替えだと俺は思っている。
「火のついた猿、火のついた猿。ウッキャッキャッキャッキャ---ッ!!!」とやりたい放題暴れるためには、「根源」などという固い哲学用語ではanは使いづらい、そこでanし易い「根拠」を持ってきたのだろう。「根拠なし」一丁あがりである。
さらに自身の論の裏付けに、大杉栄の「生の拡充」を持ってくる。結論から言えば、「生の拡充」と栗原式アナキズムは全く別物といってよい。
既に述べたように「生の拡充」は「征服の事実」の続編である。その「征服の事実」は、表現者はまず人類の起源から存在している「征服」という事実の認識、そしてその「反抗」、それを知らずして何を表現するのだという問題提起である。
その是非はともかく、大杉はマルクスの「階級闘争」を包摂する形で、人類の宿痾「征服」の歴史を簡潔に述べた上で、表現者の方向性を指し示す。
さらに「生の拡充」では、「生の拡充」を人類の「征服」史に重ねたうえで、「生の拡充」の停滞、それを個々人の「反抗」へと展開することこそ表現者のありようではないかと述べる。
そしてそのプロセスには、「多年の観察と思索とから、生のもっとも有効なる活動であると信じた実行である」と指摘しているように、物事を客観的に科学的に思索した上で、机上の上にとどまらない「実行」が必要なのだと言っているのである。
栗原の言う、「オレすげえって、ハシャギまくって、どんだけ自分で自分に充実感をえることができたのか、そんだけのもんでしょうと…」なんてバカバカしいことは決して言ってはいない。
大杉は「観照に伴う恍惚がある。恍惚に伴う熱情がある。そしてこの熱情はさらに新しき実行を呼ぶ」と言い、「観照」という深い用語を使っている。その上での恍惚や熱情である。我を忘れてとち狂って騒げなんてどこにも言ってやしない。
栗原が如何に原文の意図を損ねて、自分の論の補強に使ったかおわかりいただけたかと思う。
(8)まとめ
俺は、栗原の言っている自由やアナキズムは、せいぜい「バカッター」(*10)の作り方を指南しているに過ぎないと思う。
俺はシステムから虐げられていると感じる「弱者」ほど頭や知恵を使うべきだと思う。これは学校教育を頑張れと言うのではない。
大杉のいう通り世の中を支配する仕組み、システムの穴、その手掛かりは多くは、システム側が保有しているものである。それをまずよく見極めることだと思う。
大杉は、それを「征服」と認識したが、それだけでは今は足らないと思う。自分を含め人間や組織、社会、国家についてもっと深く見極める必要がある(*11)。それらを学びつつ、サバイバルや自由になる方法を実行するのである。
「弱者」はやり直しがきかないのだ。
俺は無責任に思想の煽り運転をやらかす栗原を否定する。栗原はアナ界の太田竜というべきものだ。もっとも栗原とはスケール感が違うが(*12)。
栗原の本などから何も得ることはないはず、かと言って便所紙にも使えない。それだったら福本伸行の漫画『賭博黙示録カイジ』の方がはるかにためになるのでおすすめしたいな。
今回はこれまで。後機会があれば栗原の暴動論批判を行いたい。
最後に栗原先生の芸、うたと踊りでしめくくりたい。
うれしい、たのしい、きもちいい、オレすげえ、オレすげえって、だれにもなんにも、法律やモラルにしばられない、そして自分自身にですら制御できない、得体のしれない衝動があるウッキャッキャッキャッキャ---ッ!!!だから、火のついたコアラ、火のついたコアラ、京アニを焼き討ちにした犯人も、プリウスミサイル発射した元官僚も、川崎市登戸通り魔も、新幹線殺傷犯も、誰でもよかった、何でもよかった、意味も根拠もなし、はじめからやっちゃいけないことなんてない、ぜんぶ自由だ。やりたいことしかやりたくないね!やっちまいな、いいよ!それを目撃したおいらたちも、そんな力にただ酔いしれればいいんだ、うれしい、たのしい、ウッキャッキャッキャッ…それがアナキズムってもんさ。どえれえやつらがあらわれたァ!火のついたコアラ、火のついたコアラ。ウッキャッキャッキャッキャ---ッ!!! 手に負えない。オレ、すげえ、オレ、すげえ、オレ、オレ、オレ、オレ、オ-レイ!オレクリハラ!(*13)
注 (*1) principium 基礎、原則、原理の意。
(*2) ここで脱線的に突っ込んでおくと、カネになること以外をやろうとすると、「やっちゃダメだ」「クソなんだ」って誰が言ってくるんだい。よしんば言ってくるやつがいても、それは栗原周辺の親、親戚、あるいは教師、友人か、栗原固有の事象ではないのか。また、それに言われたとしても、無視するだけで事足りるんじゃないのか。もし自分がやろうとしても、周囲の非難に堪えられない、息苦しいというのなら、アナキズムに解決を求めるのではなく、友人に相談するか、カウンセリングでも受けた方が早いと思うのだが。あまりお勧めはできないが、ジャンキーになるって手もある。個人的問題の解決に哲学や政治思想が必要かいな。それとも資本制のメタファーに失敗しているだけなのか。
(*3) しかし、これは当局の眼をかいくぐるための偽装と思われる。アナーキスト同志に向けられたものと解してよいだろう。
(*4) enthousiasme 熱中、熱狂、熱意、感激、熱中させるものの意。
(*5) 大杉栄「生の拡充」 引用:青空文庫作成(http://www.aozora.gr.jp/)
(*6) この大杉の論理展開が妥当なのか。出発点の「生」の神髄が「自我」というものもどうなのか、「自我」が活動や動作を「力」と等価な形で現れるとするが、そう断定的に表現できるのだろうかと疑問が沸き起こってくる。しかし、ここでは栗原と大杉の論の比較検証なので、ひとまず大杉の論は是として観ていく。
(*7) 停止したら死ぬまるでサメやマグロ、カツオのような回遊魚のような「生」だが、それでは自我の機能していない状態は「生」ではないというのだろうか、障がい者、脳死状態の患者、何某かの理由で自我機能をそこなっている人間は切り捨てられているように感じる。やはり「自我」だけで「生」を語る大杉の危うさを感じてしまう。
(*8) 前回の記述で栗原は「ブラックブロック」という呼称を表記していないと述べた箇所は間違いであるので訂正したい。ただ、栗原はブラックブロックを戦術のように記述しているが、やはりこれはフレキシブルではあるが組織形態と観るべきかとも思う。現在発生している香港暴動では、デモ隊の戦術を担っているのはサバゲーのオタク集団との報道があった。日常的に模擬戦闘での訓練や彼らの軍事関連のオタク知識が役立っている。つまり自然発生に任せただけでは権力との闘いは維持できないということでもあろう。
(*9) 「幼児的万能感」の意。幼児期、ウルトラマンや仮面ライダーにあこがれ自分をヒーローと重ね「自分には何でもできる」と思い込んでしまうこと。思春期青年期に入ると、自分が今まで抱いていた「万能感」は現実の前に修正を余儀なくされ、自分の利点欠点をも知ったうえでの現実的な目標や選択が行われるようになる。しかし大人になってもまれに引きずってしまう場合もある。「平凡な自分」の部分を受け入れることの不安から「根拠のない自信」にしがみつこうとする。重篤な病理へと進行する場合もある。
(*10) バカッター Twitterの利用者が投稿するツイートに内容の酷いものが多く見つけられ話題になったことから、『バカッター』という名称が造られ、広まった。Twitterの利用者が投稿を通して自らの犯罪、詐欺、嘘、その他の反社会的行動を世間に曝け出す行為を指す。(以上ウィキペディアより)
バカッターの行動に興味のある方は、youtuberのPDRさんが批判的に動画をアップしているので参照して下さい。(https://www.youtube.com/user/PDRKabushikigaisha/videos)
(*11) リベラルや左翼の知識は批判的でないと使えないものが大半である。良質な保守系の思想の方が人間や社会の考察が正確である場合が多い。
(*12) 「世界革命浪人はいう。/日本侵略軍を琉球列島にさそい込み、これを一兵のこらずセンメツする、と。六千人くれば六千人センメツする。二個師団くれば、二個師団センメツする。十個師団くれば、十個師団センメツする。(太田竜『世界革命への道』27~28頁) 凄いスケールだけど実行が…w
(*13) これは栗原康の「霊言」というイタコ芸です。
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