関西アナーキズム研究会 Association for Anarchism Studies, Kansai/ Japan

2019年4月29日月曜日

有象無象のレッツゴー★メーデー参加への呼びかけ 

行動提起!! 2019年5月1日(水)18時~
大淀コミュニティーセンター 第4会議室
18時~ 集会
19時 デモ出発
主催:有象無象のレッツゴー★メーデー実行委員会

 4月1日、政府は新元号を『令和』と発表しました。『令和』の『令』という漢字の意味合いの中に『~させる』、つまり、使役の意味が含まれていることを確認する時、新元号が発せられたこの日からはじまった、働き方改革、外国人労働者の受け入れと合わせて考えるなら、この『令和』とはあまりに露骨なものと言わざるをえません。そして、この新元号『令和』がスタートする5月1日に即位する新天皇と前日に退位するアキヒトのために10連休になることによって多くの人々から悲鳴があがっています。1ヶ月のうち10日も休みにされたら困る!生活ができない!
 わたしたちは国家総動員法―1億総タコ部屋、飼い殺し体制が天皇のための戦争を支えたおぞましい歴史を想起しなければならないでしょう。わたしたちは古代中国王制を真似した時間の支配、つまり水金地火木土天海冥の宇宙さえも支配するという元号に反対します。人はどこに生まれるか、どのように生まれるかを選択することはできません。わたしたちはたまたまここに生まれたにすぎません。しかし、天皇家に第一子の男子にたまたま生まれたというだけで、なぜ時間を支配することまでゆるされるのでしょうか。明らかに理屈が通っていないにもかかわらず、わたしたちは一体何のために生活を壊されてまで新天皇の祝賀を祝わなければならないのでしょうか。よしそれがわたしたちの手も声も届かなければ足もとにも及ばないお上が決めたことであったとしても、それによって壊された現に今ここにある日々の暮らしを!削られた給料を!減らされた米びつの米を!誰が補償してくれるのですか!わたしたちは天皇のまんまんちゃんのために税金を払っているわけではない!頼みもしないのに勝手なことをするな!

  天皇が生前退位をすると言えば、上へ下への大騒ぎとなりカレンダー業界が大混乱になる。新天皇の即位によってわたしたちの生活が破壊される。あらためて天皇制がわたしたちの実生活に合わない迷惑以外なにものでもないことを銘記しなければなりません。天皇主義者たちは一連の天皇行事を4月末から5月のはじめの連休に当てれば国民の生活に支障はないだろう、そうだ!区切りよく5月1日に即位式を行おうとでも思ったのでしょう。なるほど、天皇主義者たちは連休中にゴルフをしたり海外視察に行ったりと好き勝手なことができるでしょうが、働いても生活が落ち着かない状況、少なくとも10年前には考えられなかった子ども食堂が列島各地で2000ヶ所以上で運営されていること、さらに年金生活者が生活できなくなっている現在、一体どれだけの人々がゴールデンウィークを謳歌することができているのでしょうか。少なくともわたしたちはゴールデンウィークを謳歌できるような余裕はありません。ゴールデンウィークであっても働かなければならない人たちもいますし、せいぜい近所のホームセンターやショッピングモールにでも行くか、あとは家で寝てるぐらいのことです。それだけなら日曜日と変わりはしません。あまりの忙しさと疲労困憊のために労働者の日である5・1のメーデーにさえ行けないのです。現金収入の日雇労働者や野宿者にすればゴールデンウィークは死活問題であり全くロクでもない時期でしかありません。これがわたしたちをとりまく状況とまで言うのは雑すぎますが、それでも言わせてもらうならばメーデーのはじまりが何であったか、19世紀末、1886年のシカゴで8時間労働を掲げてストライキに決起した労働者たちに対して5月4日、資本・権力はヘイマーケット広場で弾圧を行い4名の死刑を執行しました。このような血みどろの闘いの中から8時間労働は戦取された、労働者、思い切って言うならすべての人民にとって記念すべき日であることはまちがいないでしょう。

聞け万国の労働者
とどろきわたるメーデーの
示威者に起こる足取りと
未来をつくる閧の声

汝の部所を放棄せよ
汝の価値に目ざむべし
全一日の休業は
社会の虚偽をうつものぞ

永き搾取に悩みたる
無産の民よ決起せよ
今や二十四時間の
階級戦は来たりたり

起て労働者ふるい起て
奪いさられし生産を
正義の手もてとりかえせ
彼らの力何ものぞ。

われらが歩武の先頭に
掲げられたる自由旗を
守れメーデー労働者
守れメーデー労働者

 とりあえずメーデーに行けば、メーデーのはじまりが何であったかも言ってくれるし、お決まりのようにメーデー歌を参加者たちは放歌するでしょう。しかし、その内実は5月1日ではゴールデンウィークのじゃまになるとでも言わんばかりに、あろうことか東京の中央メーデーでは4月29日!に経団連のオエラ方を来賓に迎え、メーデー主催者が労働者の生活改善云々を訴える、今年も春の叙勲では受賞者として某労働組合会長はその多大なる功績が天皇によって讃えられる、無惨な催物と化しています。メーデー実行委がどこまで本気なのか、一体何と闘っているのか定かではありませんが、それでもまだ労働組合としてメーデーを闘っている気持ちぐらいはあるのでしょう。そして、交通費と弁当代で駆り出された各労働組合の組合員たちはビラやパンフレットを団扇がわりにしてパタパタ扇いだり、日除けに使いながら演説を聞いています。まったく何という気だるい気のぬけたメーデーでしょうか。方や大阪のメーデーではデモ行進の後に阪神デパートの屋上のビヤガーデンで交流会の案内をしていましたが、こんなことはメーデー実行委が言うようなことでしょうか。言うべきこと、やらなければならないことは会社側と一線ぎりぎりの攻防戦と闘っている少数の労働者たちの支援・共闘に駆けつけることではないでしょうか。しかし、戦後最大の階級決戦として闘わなければならなかったはずの『戦争法案』反対にストライキに決起した労働組合がわずかしかなかった、そして、天皇退位、新天皇即位に対してはほとんどの労働組合にとっては関心事でさえないこの状況は絶望的です。しかし、それでも社会の虚偽をうつために、よしそれで生活に支障が出ようともふるい起って全一日をかけるべき時があります!何度でも旗色を鮮明にした旗を高く掲げて翻えさせなければならない時がたしかにあるのです!

 わたしたちは生活と仕事に追われてメーデーに行くこともできないあなたたちや「お前たちは労働者ではない!メーデーに来るな!帰れ!」とメーデー会場から追い払われたあなたたちに呼びかける!わたしたちはあなたたちの心の痛みです!わたしたちはあなたたちをいつまでも黙らせたままにはしない!そうだ!今こそふるい起たなければならないのだ!このご時勢に従ってあてもなくただ流されるだけの浮砂はすみやかに去れ!巖根は残る!闘う者たちはこの隊列に加われ!さいごの勝利は君の手にかかっている!プロレタリア国際連帯勝利!
投稿者 joh.most 時刻: 23:28 0 件のコメント:
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2019年4月18日木曜日

評者のんきちさんへのインタビュー(3):栗原康『アナキズム―一丸となってバラバラに生きろ』の書評(その5)

評者のんきちさんへのインタビュー(3)(インタビュー(2)の続き):書評(5)

タ:「某通信で栗原の本を検証している人がいるのですが、その人によると栗原は伊藤野枝や大杉の言っていることを、自分の都合のいいように改ざんしていて、その通信によると『野枝も大杉も「ただセックスをしたい」という人物にされてしまっているのだ』。これ笑いました。ほんとに、ただセックスがしたいだけだったのなら、2人とも虐殺されることもなかっただろうに」とお書きになっていますが、これは、小池善之「栗原康『村に火をつけ、白痴になれ』を読む」『沓谷だより』(大杉栄らの墓前祭実行委員会発行、2019年1月21日、復刊第4号、1-4頁)のことだと思いますので、以下、小池氏の書評から関連する箇所を引用しておいたうえでうかがいます。この書評で評者(小池氏)が『村に火をつけ、白痴になれ』について指摘していることが、本書『アナキズム』についても当てはまると思いますか。

の:これ探したのですが、よくわかりませんでした。っていうか、なんで、こんなつまらない新書を何度も読んでいるのかと、むなしくなりました(笑)。

タ:「これ笑いました。ほんとに、ただセックスがしたいだけだったのなら、2人とも虐殺されることもなかっただろうに」というのは、小池氏の書評への感想で、本書に対する感想ではない、ということですね。ではこの辺でインタビューを終わります。ありがとうございました。

参考資料:小池善之「栗原康『村に火をつけ、白痴になれ』を読む」『沓谷だより』(大杉栄らの墓前祭実行委員会発行、2019年1月21日、復刊第4号、1-4頁)より
 ・・・[前略]あるいは彼[=栗原康]はこうも記す。「野枝がいいたかったのは、端的にこういうことなのだと思う。わがまま、友情、夢、おカネ。結婚なんてクソくらえ。腐った家庭に火をつけろ。ああ、セックスがしたい、人間をやめたい、ミシンになりたい、友だちがほしい。泣いて笑ってケンカして。ひとつになっても、ひとつになれないよ」(134)。
 意味不明の言葉が羅列されているだけである。
 彼は、セックスという語を多用する。本文中に20回程度つかわれている。たとえば「家のことなんて関係なく、好きなひとと好きに恋をして、好きだけセックスをすればいい」(40)、「ただ好きだ、ただセックスがしたいという純然たるおもいで突っ走っていく」(41)。
 野枝はこのようなことは、一切書いていない。これは彼の憶測でしかない。
 また大杉についても、「オレはなんにもわるいことはしてないぞ。オレはただセックスがしたいんだと。大杉の持論である。」(『村に火をつけ、白痴になれ』76頁)としている。野枝も大杉も、「ただセックスをしたい」という人物にされてしまっているのだ。
 野枝は恋愛論を何度か書いている。『解放』(1920年4月号)、「自由母権の方へ」では、「両性の結合を持続さすものは・・・『フレンドシップ』だと思います」。恋愛とは、フレンドシップ、つまり「友人である状態」であると。また「私共を結びつけるもの」(『女性改造』2巻4号、1923年)では、「私共二人の友人としての話題は実に多種多様なものなのです。ですから私共は一緒にゐれば絶えずしゃべつていますけれど、話に退屈することは先づありません。そして大抵の場合私は其の友人としての会話の間に教育されてゐるのです。多くの知識を授けられ、鞭撻され、いま警しめられ、訓へられるのです。同時に又、彼は何時でも私を一人の同志として扱ふ事を忘れません。」と書いている。つまり野枝と大杉とは友人でありまた同志だというのである。
 そして『婦人公論』(1923年9月号)におけるアンケート、「人生に於ける恋愛の位置」の回答で、野枝は「『如何によく生きるか?』と云ふ人間の大事な問題が、どんな答へで解決するかによつて事は決まるのではないでせうか。そして私は今迄自分の『生命』を恋愛の為めに捧げた勇敢な人達が、つひに本当に現実的にはよく生き得なかつたといふ事実を挙げることが出来ます」と回答している。つまり、恋愛も「如何によく生きるか」ということによって決まる、というのである。
 また野枝は、辻との生活についても、後に振り返って、『婦人公論』(1921年10月号)の「成長が生んだ私の恋愛破綻」にこう書いている。辻のところに入りこんだのは、野枝17歳の時。
 「・・此の結婚について自らを責めなければならぬ点は、私があんまり早く結婚生活にはいつたからだと云ふ事のみです。結婚生活に対する適確な何の考慮をする事も出来ないやうな若い時に結婚をしたと云ふ過失のみです。事実、私は結婚をするまでは、或はしてからでも、何の方面から云つてもまだ本当の子供だつたのです。私の恋の火は燃えました。けれども自ら求めて得た火で燃えたのではありませんでした。それはたヾ行きあたりばつたりに出遇つた火が燃えついたのです。・・・・・でも、私は、それでも強ひられて、いやな結婚をする人達から見れば、自分達がどんなに正しい結婚をし、またどんなに幸福だかと云ふ事を誇りにしてゐました。私のいヽ加減な撰択でも、私はいヽ男にぶつかつたのです。私は勉強をする事も覚え、読んだり考へたり書いたりする事も覚えました。私は今日自分で多少なり物が書けたり物を観たり、考へたりすることが出来るのは男のおかげだと思つてゐます。・・・が、私が漸く一人前の人間として彼れに相対しはじめた時、二人がまるで違つた人間だと云ふ事がはつきりしてきたのです。そして此の性格のはげしい相違が、二人のお互いの理解を以てしてもふせぎ切れないやうな日がだんだんに迫つてきたのです。」
 このように、野枝は生きる過程の中で、みずからの恋愛観をつくってきた。栗原の一面的な見方は、野枝のこのような思考の展開を無視するものでしかない。
 栗原も、「自由母権の方へ」をもとに野枝の恋愛論を紹介してはいる。第4章のおわりで「だいじなのは、性欲それ自体ではない、フレンドシップだ」(128)と。にもかかわらず、その章の末尾では、先ほど紹介したように、「野枝がいいたかったのは、・・ああ、セックスがしたい、人間をやめたい・・・・」(134)と記すのだ。このようにきわめて恣意的な記述がなされているのである。
 もう一つ、第5章のはじめに、「野枝、大暴れ」という項目がある。1919年10月5日、友愛会婦人部主催による「婦人労働者大会」があった。ILO国際労働大会に派遣される政府代表・田中孝子(渋沢栄一の姪)に「実際に労働に従事する婦人労働者の真の要求を告げる目的で」開かれたもので、「八人の女工が・・熱弁」(大原社研『日本労働年鑑』第一集)をふるった(これは当時友愛会にいた市川房枝が企画したものである)。大会が終わり、控室に戻った田中孝子に野枝が詰め寄ったときの顛末を栗原は書いている。その際に使用された資料は、山内みなの自伝、平塚らいてうの自伝である。
(1)栗原本は、らいてうが「外まで聞こえるような怒号」を聞いて、らいてうが「なんの騒ぎだろうとおもって駆けつけてみる」となっているが、らいてう自伝では控え室にいたときに突然野枝が入ってきたと記されている(『元始、女性は太陽であった』完 大月書店、1973年、56頁)。「外まで聞こえるような怒号」は根拠があるのだろうか。
(2)栗原本では、らいてうが「田中がかわいそうだとおもい、とめにはいったが、野枝はきかない」と記されているが、らいてう自伝では、野枝をたしなめるつもりでひとことだけことば(「工場で働く労働者のほかは労働者でないように言うのは間違いでしょう・・」)をはさんだ、となっている。
(3)栗原本では「・・・、さらにまくしたてた。このブルジョア夫人め、ブルジョア夫人め」とあるが、これはまったくのフィクションである。
(4)栗原本では、山内みなが「やめなよといってとめにはいった」となっているが、『山内みな自伝』(新宿書房、1975年、56頁)では、とめたのは市川房枝と記され(「市川さんは、「ここでそんな議論はこまる、やめて下さい」といってやめさせました」)、その後に野枝がみなのところにくるのであって、栗原のいう、みなが「野枝の逆鱗にふれ」たということは記されていない。
(5)栗原本では、野枝がみなに「あなたは婦人労働者として、どうしたら自分が解放されるのか、もっと勉強してください。社会主義じゃなきゃダメなんです、なんでわからないの」と言ったと記されているが、『山内みな自伝』では「あなたは労働者だから、労働者はどうしたら解放されるか勉強しなさい、社会主義でなければだめだということがわかるでしょう、本を送ってあげます」となっている。ちなみに、本はあとでみなのところに送られてきた。
 みられるように、まず、彼は事実をあまり重視していない。明らかに創作がはいっている。彼が描こうとしている野枝像をより際立たせようと様々に修飾を加え、それを根拠にして断定していくという乱暴な手法を用いて野枝像をつくりあげている。
 彼は、大杉栄の本も書いている。『大杉栄伝 永遠のアナキズム』(夜光社、2013年)であるが、これも大杉の考えなのか栗原の考えなのか判然としない記述で、大杉が書いた文献を引用はするが、その解説が解説になっていない。解説ではなく、栗原の考えになっている。この本をはじめて読んだとき、私はこう書き込んだ。「(著者は)自らの主観的世界に大杉を流し込んでしまっている」と。
 彼は大杉や野枝を材料にして、自己の考えを書き込む、自己を表現しようとしているのではないか。
 この『村に火をつけ、白痴になれ』の「あとがき」の最初にこう記されている。「この本を書いているあいだに、かの女ができた。 三年ぶりだ。まだつきあいたてということもあってひたすら愛欲にふけっている。好きで、好きで、好きで、どうしようもないほど。セックスだ。もちろん性的衝動もおおきいのだが、とはいえそればかりじゃない。心も体もマジでぶつかればぶつかるほど、わかってくるのは、ひとつになっても、 ひとつになれないよ、自分とはまったくの別人であるということだ。でもだからこそ、そのかけがえのない異質な相手に対して、手探りでやさしくしたいと思う。泣いて、笑って、ケンカして。・・」(163頁)。先に紹介した、野枝について記したところにも「わがまま、友情、夢、おカネ。結婚なんてクソくらえ。腐った家庭に火をつけろ。ああ、セックスがしたい、人間をやめたい、・・。泣いて笑ってケンカして。ひとつになっても、ひとつになれないよ」とあった。栗原が自分自身を語った内容とほとんど変わらないではないか。
 この本に描かれた野枝像と栗原自身は、おそらく等号で結ぶことが出来るのではないだろうか。
 栗原は、野枝を、自己表現の手段、もっと言ってしまうなら自己の生き方、考え方を正当化するための手段としてつかっている。こういう本を「伊藤野枝伝」とすべきではない。
 大杉も、野枝も、「やりたいことだけをやる」という栗原のアナキズム理解に流し込まれ、同じような人間類型にされてしまっている。この本で描かれた野枝像は、フィクションであると言わざるをえない。
投稿者 joh.most 時刻: 13:23 0 件のコメント:
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評者のんきちさんへのインタビュー(2):栗原康『アナキズム―一丸となってバラバラに生きろ』の書評(その4)

評者へのインタビュー(2)(評者へのインタビュー(1)の続き):書評(その3)

タ:「アナーキストでもない船本洲治」について言及されることについても、違和感を持ったようですが、のんきちさんにとって、船本洲治が、「トイレ」以外のことで、「アナーキスト」ではない、と思うところがあったら、教えてください。

の:アナーキストかアナーキストではないか?は自称しているか、していないかの違いだと思うのですよね。アナキズム人名辞典なんかにも、どう考えてもアナーキストではないような人名もあったり、例えば奥崎謙三なんかはアナーキストではないし、本人も否定したりしているにアナーキストになっているというか、アナーキストにカテゴライズされている。
ウドコックの『アナキズム』にもシュティルナーとか入ってますが、シュティルナーもアナーキストではないよね。あれも、無理から個人主義的アナーキストにされていたりで…
船本も自称していなかったように思うし、前にぼくらもアナーキストをヘイトする在特会みたいに言われたのですが、他からのレッテルと自称しているのは違うと思うのでトイレがどうたら、みたいな話ではなく、船本は自称していなかったという意味でアナーキストではない、といったのですが。

タ:アナーキズムというのは19世紀末から、「アナーキスト」と自称する人たちが、自分たちの考え方を「アナーキズム」と呼び始めてから始まると思います。「アナーキズム」という言葉の方が、使われるようになるのが「アナーキスト」という言葉が使われるようになるよりずっと遅くて、「アナーキスト」というのは、もともとはむちゃくちゃやる人、という意味でフランス革命ぐらいから、政治的な意味で相手を非難する言葉としてネガティブに使われていましたので。
 その過程で、「アナーキスト」を自称する人たちは、自分たちと似通った考えを持った人たちが、遠い過去にもいた、と考えて、シュティルナー、ゴドウィン、プルードン、農民反乱の指導者などなど、「アナーキスト」と名乗らなかった人たちを「系譜」の中に位置づけていったと思います。ですから、「アナーキストとは言わなかったけど、自分が考えていることと全く同じことを言っている人たちが過去にいた」ということで、老子も荘子も「アナーキズムっぽいことを言っていた人たち」ということになってきたのだと思います。
 そこからさらに、奥崎謙三やいろいろな前衛芸術家にも、「アナーキズムっぽいところ」がある場合、「自分の尺度から見てアナーキストっぽい人たちに見える」という意味で「アナーキスト」という言葉が使われてきたんだと思いますが。あるいは、「自分と全く同じことを考えている人」ということで、シュティルナーを「アナーキスト」と呼んだり。そういう使い方もだめなんでしょうか。
 逆に、「自称したらアナーキスト」で、その人の言っていることが「アナーキズム」になる、ということであれば、例えば、ミュージシャンの山下達郎が、「徒党を組めない、人とつるめない性格。心情的アナーキスト」と自称しているそうなんですが(「ライブに賭ける音の職人 ミュージシャン 山下達郎さん(59歳)」『朝日新聞be』2012年10月6日、1頁)、山下達郎を「アナーキスト」だと思いますか。
 それから、著者の栗原さんが「おいらはアナーキスト」と言ったら、のんきちさんは、栗原さんを「アナーキスト」だと考えますか。このあたりは、人それぞれなのですが、船本が「自称していない」ということで「アナーキスト」ではない、ということだと、そういうことにもなるような気がしますが、どのあたりがのんきちさんの基準なのか、教えてください。
 もう一つうかがいたいのは「アナーキズム」を語る場合、本書ではパリでマクドナルドを破壊する人々のエピソード(3-8頁)や、宣教師の言うことを聞かないで人肉を食べたり戦争をしたりするインディオのエピソード(35-38頁)、山形在住の女性でフルーツだけで数年間生きてきた人のエピソード(28-31頁)、ハイリゲンダムサミットに抗議するために集まった人たちのエピソード(77-80頁)などなど、「アナーキスト」と自称しているかいないかわからない人たちの話がたくさん出てきますが、「アナーキズム」を語る上では、こういう話も排除したほうがいいんでしょうか。それとも、これは「あり」でしょうか。そのあたりは、どう思われますか。

の:これはカテゴライズの問題になると思うのですが、アナーキズムにいい印象を持っている人は「おまえの言っていることや考えていることはアナーキストと一緒だ」と言われても、否定、肯定かはわかりませんが、そんなに怒らないと思います。では、例えば、ぼくらも『アナキズム』誌の「三バカ対談」で、アナーキズムに批判的なことをよくいっていたので、「在特会」と言われたことがあります(笑)。アナーキストをヘイトしているから、って(笑)。この場合はどうなるのでしょうか? 在特会にいい印象を持っていない、ぼくらは当然、反発しました。なんで、ぼくらが在特会やねん、って。奥崎はアナーキストって言われて反発していたように思うし、船本もたぶんアナーキズムよかコミュニズムに近いと考えていたように思います。
山下達郎がアナーキストかアナーキストではないかは、ぼくにはわかりませんが、徒党を組むとか人とつるめないとか、今でいう陰キャな性格とアナーキズムは、あんまし関係ないような気がしますし、彼はブルーズが嫌いじゃないですか? ブルーズが嫌いなアナーキストもなんか違うような…(笑)。だって例えばロバート・ジョンソンなんか、クロスロード伝説にしろ殺され方にしろ、すごくアナーキーじゃないですか?
後半の栗原の書いているエピソードですが、こういう話を排除するとかしないとかは、ぼくにはわかりません。たぶん、栗原がおもしろいと思って書いているわけなので、なるほどと思われるエピソードもあれば、ふーん、くらいのエピソードもあったりですが、なんか、なんでもかんでもアナーキストにするのなら、例えばニューオリンズの洪水でスーパーで略奪する人はアナーキスト? 仮にそのスーパーがウォルマートみたいな労働者から搾取し経営者一族だけが強欲な大金持ちからの再分配と考えれば(強欲からの強奪)アナーキズムに近いのかもですが、ぼくは、そういう人たちをアナーキストと考えません。結局のとこ、適当なレトリックを考えて、これもアナとかいえば、なんでもアナーキストになると思う。上記でも言いましたが、単なるミュージシャンのロバート・ジョンソンだってアナーキストにしようとすれば、それなりにアナなるようにも思うし…

タ:おそらく、山下達郎は、「アナーキスト」と呼ばれたら、自称しているから、きっと怒らないと思うので、のんきちさんの基準から見たら、「アナーキスト」だと思うんですが。逆に、ロバート・ジョンソンやスーパーの略奪をした人は、「アナーキスト」と呼ばれたら、アメリカでは、19世紀以来、「アナーキスト」は人殺しで犯罪者というイメージで定義されていますから、きっと怒るのでは、とも思いますが・・・、次の質問にすすみます。
 本書『アナキズム』で出てくる船本洲治の話と「だまってトイレをつまらせろ」という主張ですが(170-173頁を参照)、著者(=栗原康)のこれ以前の著作で最初に出てくるのは、「だまってトイレをつまらせろ」『はたらかないで、たらふく食べたい―「生の負債」からの解放宣言』(タバブックス、2015年、190-215頁)だったと思います。のんきちさんは、本書(『アナキズム』)の170頁以降を読んでから、2015年の「だまってトイレをつまらせろ」のほうを読んで、船本洲治の主張に関する著者の理解を知った、ということだと思いますが、『アナキズム』を読むのと、2015年の文章を読むのとでは、著者の主張について、印象は変わりましたか。それとも同じですか。ちなみに、朝日新聞の記者が、「トイレ」の話を好意的に取り上げたこともあり、知られることになったような気もしますが(深沢明人「だまってトイレをつまらせろ?」)。

の:同じですね、書いていることに、そんなに差異はないように思いました。ただ、「生の負債…」のほうの、生まれてはじめて山谷にいくの体験談は、事実なんでしょうが、よくある運動に入った経緯、みたいなのでつまらないです(笑)。
あと、朝日新聞のえらい人は、きっと自分の使っている社内のトイレを掃除したことはないと思いますよ(笑)。朝日新聞を長いあいだ購読していましたが、最近、購読をやめたのですが、やめてよかった、(笑)。

タ:「アナーキストの若宮正則」とお書きになっています。若宮正則はもともと赤軍派で1970年代には爆弾闘争のようなことをやっていたひとですよね。出獄して1980年代には釜ヶ﨑で労働者食堂をやっていた、ということです(高幣真公『釜ケ崎赤軍兵士 若宮正則物語』彩流社、2001年を参照)。若宮のことを「アナーキスト」を呼ぶのはどうしてですか。「反逆的で攻撃的で行為の宣伝的」な船本の方が「よりアナーキズムの考えに近いのかもしれませんが」とも書いていますよね。でも、「若宮の黙ってトイレの掃除をしている行為のほうが感銘を受けたし影響も受けた」のはどうしてですか。

の: 若宮さんは、ぼくがあったときにはアナーキストって自称されていたしアナ連にも参加されていたので、アナだと思っただけで、それ以上の他意はありません。
若宮さんは、赤軍時代は爆弾闘争なんかもしていたのでしょうが、ぼくらが出会った頃は、思想的なこともあまり話さず、釜ヶ崎赤軍の本に書かれていたような印象とはまったく違った感じでした。

タ:「つまらないイデオロギー(アナーキズム)にとらわれて、いつもそのトイレなどを掃除している人たちのことを、まったく思慮に入れず、サポタージュ?はいはい、えらいですね、さすがアナーキスト」という感想を持った、ということですが、著者(=栗原康)が「つまらないイデオロギー(アナーキズム)にとらわれて」いる、という点について、なぜそう思ったのか、もうちょっと説明できませんか。

の:あ、これは誤解があると思います。イデオロギーがつまらないとか、くだらないとか思っているのは、ぼくであって、栗原は思っていないと思います。だから、大杉や野枝の話を改ざんしてまで、自分の都合のいいように捻じ曲げる*(注)のでしょうから。栗原はアナーキズムに縛られるな、と言いながらアナーキズムに縛られているよね。
*(注)この点については、あとの質問で出てきます

タ:「いつもそのトイレなどを掃除している人たちのことを、まったく思慮に入れず」ということは、著者は書いていませんが、そういう意図が、著者の記述から感じられた、ということであれば、その点について、もう少し説明してください。

の:これは、ぼくが勝手に思ったことで、トイレをつまらせるのはトイレットペーパーをおかない経営者に対する反逆ですよね。でも、それとは別のベクトルで、そのトイレを掃除している人もいる可能性もあります。仮に掃除をしている人がいる場合には、その人に対してどうなの?みたいな…人として同じような労働環境にいて、その人に対して失礼では?と思うのです。最近、ぼくの職場でも問題になっている事例なんですが、何人かの職員が自分たちもトイレを使っているのに掃除をしないのですよね。なんで掃除しないかというと 1、特に汚れていても気にならない 2、したい人がすればいい 3、掃除をすることに思い至らない、などですが、これが掃除をしている人からしたら、かなりむかつくのです。
それで「おめえら何様やねん?」って電話でどなりました、(笑)。
あと、3の「思い至らない」のはどうしてかというと、家庭では母親や女性のパートナーなんかがやっていることが多いので、トイレ掃除に対して理解がないというか、わからないのだと思います。トイレをつまらせる発想自体が、かなり男性原理なんだと思うのですが…
これと同じで、船本の思想にはトイレを掃除する人の視点がないし仮にあっても自分の闘争のほうが大事なんでしょう。ぼくはこういった考え方や、オルタナティブな視点に対して思い至らない奴らが大嫌いです。ルンプロからの異議申し立てをしているのなら、トイレ掃除労働者の視点も入れろよ、と思います。そもそも、このトイレ話の始まりは、弱者はどうするねん?から入っているのですが、なぜ、その弱者にトイレ掃除する人は入れてもらえなかというと、単に上記の3の思い至らないのだと思います、栗原も船本も朝日の高橋もです。あと、船本が活動していた70年代には、すでにポケットティッシュを街頭で無料に配り始めているのですよね。なので、それもらえばすむ話では?と思うのですが…経営側もわざわざトイレ2個作るより安くつくのでポケットティッシュをもらってくればいいのにと考えてしまいます(笑)。

タ: 著者は「相互扶助」についても第5章「あらゆる相互扶助は犯罪である」で書いていますが、若宮の「相互扶助」と、著者の描く「相互扶助」の違いがあるとお考えでしょうか。

の:若宮の相互扶助は相互扶助ではなく、ほぼ一方的扶助だったと思います。栗原の「あらゆる相互扶助は犯罪である」はアナーキズム革命みたいなのが構築できた中では犯罪はない、みたいなパラドックスなんですかね?なんかいくら読んでも、なにがいいたいのかわからないのですよね。相互扶助に対してダブルミーニングみたいに書いているのですかね?なんでコミュニズムが相互扶助なのかもよくわかりません。

タ:「自分が勤務しているガッコや、この新書を出している岩波書店のトイレをつまらせて、逮捕されたら警察や拘置所のトイレをつまらせ、ついでに裁判所のトイレをもつまらせるくらいのことをしてくれれば、かなり有効なのかもしれません」と書いていますが、著者が本気で「だまってトイレをつまらせろ」と読者に要求している、と感じましたか。

の:栗原は船本の「トイレをつまらせろ」を引用し、それをシンボリックに語っているのでしょう。トイレ闘争のようなことを職場とかガッコみたいな場でやっていけば、なんらかの自由みたいなものが得れるのか、あるいは得れないのかは知りませんが、なんか、違うよね?みたいな印象しかありません。上記にも書いたアナ系の飲み会で聞いた話ですが、ある友人の職場にいるアナーキストが、栗原の本を真に受けてトイレはつまらせていないそうですが、いいかげんなことばかりするので、〇〇〇〇〇〇を導入され、それも壊せとかいって大変迷惑していると言っていました。結局のとこ、トイレを壊せ的なのを実践していけば、労働強化につながり周りの人にも迷惑をかける可能性もあるわけですが、これを単に経営側が悪いからというレトリックにもっていくことも可能ですが、それもなんだか違うように思うのです。結論的にいうと、その違いって船本州治と若宮正則の違いなんだと思いますが、これはどちらがすごいとかではなく、スタンスの違いとは思います…。ちなみに、若宮と一番関係があった知人は文献センターの書評で、この栗原の本をほめています。なんか、それがぼくにはなんでなのかはよくわかりませんでした(高橋幸彦「書評『アナキズム』栗原康/岩波書店」『文献センター通信』45号、2018年12月31日、12頁を参照)。(評者へのインタビュー(3):書評その5に続く)
投稿者 joh.most 時刻: 13:18 0 件のコメント:
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評者のんきちさんへのインタビュー(1):栗原康『アナキズム―一丸となってバラバラに生きろ』の書評(その3)

書評(その2)からの続き:評者のんきちさんへのインタビュー(1):書評(その3)

 では、のんきちさんに、私(タナカ)から、以上の感想について、もうすこし細かく説明をしてもらうようにしていくつか質問をしていきます。

タ:「アナキズムにも縛られるな」という点についてです。のんきちさんは、「常にぼくが思っていたこと」とお書きになっていますが、それはどうしてでしょう。もうちょっと説明してもらえませんか。

の:アナーキズムに限らず、すべてのイデオロギーがクソだと思うのですよね。思想や宗教なんかが人と人の対立を呼び、こんなので命までかけて、ほんとバカとしかいいようがない。
 それに同じイデオロギーでも些細な違いで対立したりしているじゃないですか。これって、なんですかね?
 アナーキズムには、なんていうか、そういうくだらない対立構造から逃れられる唯一の思想ではないか?とか考えていましたが、最近は他のイデオロギーと同じだったんだなあ?とか思っています。今回の栗原の「アナキズム」の宣伝文みたいなのに「アナキズムにも縛られるな」みたいなのがあったので、それなりに期待したのですが、なんというか、今までのアナキズムのくだらねえとこを凝縮したような内容でがっかりです。

タ:のんきちさんにとって「イデオロギー」とはなんでしょうか。「人と人の対立」や「命までかけて」という考え方、みたいなことでしょうか。それから、アナーキズムは「くだらない対立構造から逃れられる唯一の思想」ということですが、例えばどういうところで、そのように思っていますか。本書が、「今までのアナキズムのくだらねえとこを凝縮したような内容」だということですが、たとえば、それはどういうところでしょうか。

の:イデオロギーって考えかたですよね? 単なる考え方なのに、いろんな概念を作って、そこから様々なルールを作って、最後は神や王様まで作ってしまうのですよね。それで少しの差異をみつけだし、最終的には殺し合いまで発展していく。権威や権力的なものの構築が支配、被支配になると思うのですよね。で、アナーキズムって、ぼくが勝手に思っているだけなんですが、萩原朔太郎が書く「辻潤と低人教」*(注)みたいな感じで、教祖といえども権威や権力的にならず、反対に信者からボコられていたりで、あらゆる権威・権力から自由になれるように考えていたのですが、アナーキズムも実際には、いろんな権威な人がいたり、とにかく上からもの言う人が多いですよね。ちなみに辻はアナーキストではないです(笑)。*萩原朔太郎「辻潤と低人教」

タ:そうなると、本書でも、概念やルールを作り出して権威や権力的なものを構築する考え方に「縛られている」というように思えた、ということなんですね。では、そういう「考え方」を前提にしながら、「上から」ものを言っている「上から目線」のところがありますか。

の:「上から目線」っていうのは、163ページの質問(「あんたら、たのしそうにアナキストがあばれたはなしをしているけど、ボクみたいな弱者はそんなことできないんですよ。あんたら、自分たちだけ好き勝手にやっていればいいんですか? もっと弱者によりそうべきじゃないんですか? みんなでいっしょに行動できないようなことをするのは、強者の論理なんじゃないですか?」)を受けても「めんどくさい」とか言っているところですかね? これあえて言っているだけです。そもそもこの本自体が、擬音やひらがなの多用でごまかされているのですが、説教くさいのですよね。なんでかというと、「めんどくさい」といいながら、ていねいに答えようとしているからなんですよね。アナーキスムのエバンジェリストみたいな感じでうざいですね。

タ:「エヴァンジェリストevangelist」というのは、キリスト教の伝道者で説教師のことですね。「これを信じろ」みたいなところがある、ということでしょうか。

の:たとえば、アナーキストのステレオタイプ像、どうなんですか? 83ページの「アナキストっていうのは、集会でえらい人がしやべってっても興味なんてないから、ビール飲んでるだけなんだけど、警官がきたらテンションがあがっちまうんだ」って書いてあるけど、ぼくも、いろんなとこで、それなりにデモとか集会、スクワットにも参加してきたけど、栗原のいうようなステレオタイプなアナもいるけど、どんな人が発言していても熱心にきいているアナもいれば、おまわりさんがきても特に関心をしめさないアナもいるよ(笑)。っていうかアナだけで、なんかやっているのって、あんまないように思うのですが…

タ:本書の著者が、現実と矛盾するような「ステレオタイプ」なアナーキストのイメージを描いて広めようとしている、というご意見でしょうか。では、それとは違う点についてご質問します。感想文の中にある、「ベタなお笑い、しょっぱいプロレス」「寒々しい読後感」というのは、どういうところから感じたんでしょうか。具体的な記述があったら、ところどころでいいので、挙げてもらえませんか。それから、私は「ベタなお笑い、しょっぱいプロレス」という言葉の意味が、今ひとつよくわからないので、できたら説明してください。

の:ベタなお笑いは、自分ではおもしろいと思っているのでしょうが、見事にすべっていているようなのです。笑いを強要されて、聞いているこっちが恥ずかしくなるようなのです。
 しょっぱいプロレスは、プロレスの試合が作れない人ですね。例えば一方的に攻撃して勝ってしまうとかです。プロレスができないプロレスラーっていうか、ようは相手との抗争に物語を作れないプロレスラーです。
 それで具体的って引用するのもイヤなんですが「ビバ、エコ・アナキズム!えっ、人類死滅だって?アツチョンブリケ。そいじゃ、またつぎの章でおあいしましょう、チャオ!」(『アナキズム』66頁)って引用していて恥ずかしくなります(笑)。よく、こういうイタイ文章が書けるよね。

タ:「ひらがなが多い」というのは、評価している、とお書きになっていますが、もう一方では、「文体がうざすぎる」ということもお書きになっていますね。それから、「時々出てくる、擬音みたいなのが気になって読みづらい」ということも。これは、前のお笑いとかプロレス、という話とはちょっと違っていて、日本語の表記や表現の問題だと思いますが、どのあたりが、「うざすぎる」「読みづらい」と感じたのか、具体的な記述があったら、一部でいいので教えてください。

の:具体的って…(笑)。上記でも一部、書き写しましたし、書き写して思ったのですが、一つは、この意味のない擬音がアナーキズムの象徴なんですかね?あと、もう一つの意味はトラップ?とか考えてしまいます(笑)。
 この擬音のせいで何を書いているのか、文章がなかなか頭に入ってこなくって、変な誤解をさせて、その誤解のもとに批判したら「残念でした、この文章の趣旨はこういうことでした」みたいなトラップ(笑)。でも、あと、少し前に田中さんとか、そのほかアナ系の人たちと飲んだときに、一人称で「おいら」とか使っているのにロクな奴はいない(笑)みたいな発言を誰かがしていましたが、なんか、わざとらしいというか、こっちが赤面するような文章ですね。(インタビューその2:書評その4に続く)
投稿者 joh.most 時刻: 13:14 0 件のコメント:
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のんきちさんによる栗原康『アナキズム―一丸となってバラバラに生きろ』(岩波書店、2018年)の書評(その2)

書評(その1)からの続き

以下、書評の本文

 栗原康の岩波新書から出ている『アナキズム』ですが、内容紹介のとこに「アナキズムにも縛られるな」と、常にぼくが思っていたことを書いてあったので読んでみました。この手のアナキズム入門書のような本は、たいていつまらないし事実、ちくま新書からでていた浅羽通明の『アナーキズムー名著でたどる日本思想入門』もくだらなかったっていうか、どうでもいい。
で、栗原の『アナキズム』ですが、簡潔にいうと、ベタなお笑い、しょっぱいプロレスを見せられているような寒々しい読後感しかありません。栗原から言わせると、こういった批判も「ああ、めんどくせえな」なんでしょうが、それなりに期待し本を購入して、それがこんな体たらくな新書なら、めんどくさいのを押して批判するのも、かなりめんどくさいのです(それならするなよ、笑)。
たぶん意識的にやっているのでしょうが、やたらとひらがなが多いし(ぼくも漢字が嫌いなので実は評価してます、笑)文体がうざすぎるというか、時々出てくる擬音みたいなのが気になって読みづらい。

栗原はなぜかアナーキストでもない船本州治の「黙ってトイレをつまらせろ」の話を紹介しています。黙ってトイレをつまらせろ、の話がよほど好きなようで、他にも同じようなことを書いています。つまりルンペン・プロレタリアートの方法論からは、サンディカリズムは市民社会の論理になるそうで(御用組合であろうが、戦闘的サンディカリストであろうが)サポタージュの哲学としてのトイレをつまらせろ!になるのだそうです。
同じく寄せ場で活動していたアナーキストの若宮正則はトイレを詰まらせることなどしないばかりか、労働者が汚したトイレを黙って掃除をしていた。この場合、アナーキズムの論理なんかからしたら、船本なんかのほうが反逆的で攻撃的で行為の宣伝的なので(っていうほどのこともないですが)よりアナーキズムの考えに近いのかもしれませんが、ぼくは若宮の黙ってトイレの掃除をしている行為のほうが感銘を受けたし影響も受けた。つまらないイデオロギー(アナーキズム)にとらわれて、いつもそのトイレなどを掃除している人たちのことを、まったく思慮に入れず、サポタージュ?はいはい、えらいですね、さすがアナーキスト、としかの感想しかありません。
 もっとも、若宮もアナーキストになる前には、よくあるアナーキスト的イメージの爆弾を使用していましたが、ペルーでSendero Luminosoに殺されるまで、破壊やサポタージュではなく相互扶助的なアナーキズムを実践していたように思う。
 …っていうようなことを飲みながら、知人に話していたら「トイレはTAZ(一時的自律ゾーン)なのにそこを汚すってアナーキストとしてどうなの?」みたいな反論をしていた、笑。
 確かに最近のガッコなんかではトイレは食事する場であったり避難する場でもあるので、船本が想定していないトイレの使用法もあるわけで、そういうのも含めて、トイレをつまらせるって本気でいっているの?みたいな感想しか出ないのですよね。せめて栗原が実践して自分が勤務しているガッコや、この新書を出している岩波書店のトイレをつまらせて、逮捕されたら警察や拘置所のトイレをつまらせ、ついでに裁判所のトイレをもつまらせるくらいのことをしてくれれば、かなり有効なのかもしれませんが…
 最後に某通信で栗原の本を検証している人がいるのですが、その人によると栗原は伊藤野枝や大杉の言っていることを、自分の都合のいいように改ざんしていて、その通信によると『野枝も大杉もただセックスをしたいという人物にされてしまっているのだ』。これ笑いました。ほんとに、ただセックスがしたいだけだったのなら、2人とも虐殺されることもなかっただろうに…(書評その3に続く)
投稿者 joh.most 時刻: 13:07 0 件のコメント:
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のんきちさんによる栗原康『アナキズム―一丸となってバラバラに生きろ』(岩波書店、2018年)の書評(その1)

 関西アナーキズム研究会では、今回、栗原康『アナキズム―一丸となってバラバラに生きろ』(岩波書店、2018年)の書評をおこなうことになりました。
 この会を立ち上げたときからずっとメンバーで、『アナキズム』誌で「対談」をやったことのある「のんきちさん」から、本書について、個人的にご意見をいただいたためです。まずは、感想を書いていただき、それについて、私(タナカ)からインタビューをする、という形で、「書評」をしていくことにします。
 著者の栗原康さんは、2013年11月15日に東京の明治大学で開催した国際シンポジウム「グローバル・アナーキズムの過去・現在・未来~世界とアジアをつなげるために」で二番目に登壇し「蜂起の思想―大杉栄の米騒動論」というタイトルでお話をしていただきました。
 また、2017年3月4日に東京の明治大学で開催したシンポジウム「アナーキズムから見たロシア革命」では4番目の登壇者として「大杉栄のロシア革命論と現在」というタイトルでお話をしていただきました。
 それ以前から現在まで、栗原さんは、単著・編著だけでも以下の著書を発表されています。

1.『G8―サミット体制とは何か』以文社、2008年。
2.『大杉栄伝―永遠のアナキズム』夜光社、2013年。
3.『学生に賃金を』新評論、2015年。
4.『現代暴力論―「あばれる力」を取り戻す』角川書店、2015年。
5.『はたらかないで、たらふく食べたい―「生の負債」からの解放宣言』タバブックス、2015年。
6.『村に火をつけ、白痴になれ―伊藤野枝伝』岩波書店、2016年。
7.『死してなお踊れ―一遍上人伝』河出書房新社、2017年。
8.『狂い咲け、フリーダム―アナキズム・アンソロジー』栗原康編、筑摩書房、2018年。
9.『何ものにも縛られないための政治学―権力の脱構築』角川書店、2018年。
10.『菊とギロチン―やるならいましかねえ、いつだっていましかねえ』タバブックス、2018年[映画『菊とギロチン』のノベライズ化。映画原作者・瀬世敬久氏による「小説・その後の菊とギロチン」所収]。
11.『文明の恐怖に直面したら読む本』(白石嘉治との共著)Pヴァイン、2018年。
12.『アナキズム―一丸となってバラバラに生きろ』岩波書店、2018年。

 これ以外に、論文やエッセーなど多数書かれていますが、ここでは省略します。次に、著者の略歴ですが、すでにウィキペディアの項目もありますが、ここでは上記の著作の著者紹介の文章をつなげておきます。
 1979年埼玉県生まれ。早稲田大学大学院政治学研究科博士後期課程満期退学。東北芸術工科大学非常勤講師。専門は、「アナーキズム研究、労働運動史」もしくは「アナキズム研究」(『アナキズム』著者紹介より)。ATTAC JAPANで、G8サミットなどのグローバリゼーションの問題に取り組む(『G8』著者紹介より)。『大杉栄伝』で第5回「いける本大賞」受賞[2014年]。紀伊國屋じんぶん大賞第6位。2017年[第10回]池田晶子記念「わたくし、つまりNobody賞」受賞。「注目を集める政治学者」。「個性あふれる文体から紡ぎ出される文章は、講談を聞いているのようにリズミカルで必読」(『現代暴力論』『何ものにも縛られないための政治学』著者紹介より)。「長渕剛、ビール、河内音頭が好き」(『菊とギロチン』著者紹介より)。「ビール、ドラマ、長渕剛、詩吟が好き」(『文明の恐怖に直面したら読む本』著者紹介より)。
 
さて、本書『アナキズム』は、以下のような構成になっています。

序章 アナキズムって何ですか? 手に負えない/やることなすこと根拠なし はじまりのない生を生きていきたい/ビラをまいたら、クソしてねやがれ/この酔い心地だけは
第1章 自然とは暴動である―エコ・アナキズムの巻― 風がかたりかける、うまい、うますぎる/野蛮人は気まぐれだ ついでに、おいらはおっちょこちょい/われわれの任務は、「人間化された自然」をぶちこわすことなのでございます/アントロポセン時代の統治 プリウスにのれば、温暖化は解決できる?/エコ、エコってうるせえんだよ/プリウスか、それとも暴動か
第2章 ファック・ザ・ワールド―アナルコ・キャピタリズムの巻 権力の暴走はアナーキー?/おまえはおまえの踊りをおどっているか?―ブラックブロックの精神/あなたもわたしもロケットボーイ サイバネディクスはファシズムの土台である/クリエイティブはぶちこわせなのでございます/棍棒の哲学―ベトナム反戦直接行動委員会の思想
第3章 やられなくてもやりかえせ―アナルコ・サンディカリズムの巻 人間の最も大切な自由は、自分の自由すらぶちこわすことができる自由である/はたらかないで、たらふく食べたい/自分をなめるな、人間をなめるな、信じてくれとことばをはなつまえに、信じきれる自分を愛してやれ、/はたらいたら、鉄拳制裁!?/労働運動は気分である/一丸となってバラバラに生きろ/ようこそ、ファイトクラブへ
第4章 われわれは圧倒的にまちがえる―アナルコ・フェミニズムの巻 弱者は死ぬんだヨォーーーッ!!!/だまってトイレをつまらせろ/結婚制度なんていらねえんだよ! あんちくしょうけっとばし、トンズラしようか/エマ・ゴールドマン、モストをムチうつ/戦争をするというならば、子どもはうまない、ゼロ子ども宣言!/ダンスもできない革命ならば、そんな革命はいらない/不逞じゃねえよ、太えだよ/ひとつになっても、ひとつになれないよ
第5章 あらゆる相互扶助は犯罪である―アナルコ・コミュニズムの巻 東京のバカヤロー!/きみのゲロを食べたい/無政府は事実だ/コミュニズムを暴走させろ/ここが新天地じゃなかったら、どこにも新天地なんてないんだよ/アナーキーをまきちらせ コミュニズムを生きてゆきたい
おわりに
主要参考文献一覧 

 すでに、新聞や雑誌で書評が出ていると思いますが、こちらで把握しているのは、アナキズム文献センター発行『文献センター通信』45号(2018年12月発行)掲載の高橋幸彦さん、46号(2019年3月発行)掲載の相田愼一さんによるものだけです。
 では、まず、のんきちさんの感想をご紹介します。原文はメールでいただいたもので、特に公表を意識していないプライヴェートなものです。しかし、直接会って話した内容も含まれるため、「研究会」のメンバーからの意見という意味では取り上げるべきと考えました(書評本文に続く)。
投稿者 joh.most 時刻: 13:03 0 件のコメント:
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2019年4月11日木曜日

「石油放火女(Pétroleuses)」の謎(3):栗原康『何ものにも縛られないための政治学―権力の脱構成』(角川書店、2018年)における記述に基づいて

「石油放火女」の謎(2)の続き: 
 また、栗原氏は、女性たちが「ミルク瓶に石油をいれて」まいて火をつけた、と書いているが、この記述もとても不思議なものに思える。
 というのも、上記のルイズ・ミッシェルによる記述、正確にはその翻訳は「ミルクの罐」である。原文を見ると、"une boite au lait"とある。"boite" は「箱」もしくは「缶」としか訳せない。瓶であれば、"bouteille" ではないだろうか。

 そもそもミルクを瓶に詰めるようになったのがいつ頃かはわからない。1871年のパリに、「瓶詰ミルク」はあったのだろうか。
 そこで、当時、パリ・コミューンの敗北直後から広まった「石油放火女」の図像を見ると、彼女たちが持っているのは、おそらく金属製の「缶」か、あるいは、焼き物でできたボトルのようなものである。
  ここで強調しておきたいのは、これらはすべて「イメージ」だということである。つまり、「あったかなかったかわからない」ことに関する噂話を画家が想像して描いたものと見なすべきであろう。
 このような図像、もしくは、その元ネタとなった噂話の目的は、パリ・コミューンに関わった女性たちをおとしめることにあったのではないだろうか。
 もしも、関東大震災直後に、「井戸に毒をまいた朝鮮人」の図像がはやった、ということが、かりにあったとすれば(そういうことがあった、ということは聞いたことがないので、「もし」「かりに」なのだが)、これは、それと同じことではないだろうか。
 それとも、「石油放火女」は、「伝説」や「神話」などではなく、栗原氏が描くとおり、実際にあったことなのだろうか? 「石油放火女(Petroleuses)」の謎(4)に続く(文責:田中)

1871年にフランスで作成された「石油放火女」のカリカチュア
1871年代にイギリスで作成された「石油放火女」の図像
「放火犯たち―石油放火女たちとその共犯者たち『挿絵入りル・モンド』1871年6月3日号掲載
「石油放火女」に関する作成年不詳の図像
 




投稿者 joh.most 時刻: 19:38 1 件のコメント:
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「石油放火女(Pétroleuses)」の謎(2):栗原康『何ものにも縛られないための政治学―権力の脱構成』(角川書店、2018年)における記述に基づいて


「石油放火女(Pétroleuses)」の謎(1)からの続き
ブレディみかこ氏が言及していた栗原氏による記述は、次の箇所であろうと思う。

「ふとあたりをみまわしてみれば、コミューン兵がバシバシとヴェルサイユ軍に虐殺されている。兵隊ばかりじゃない。女も子どもも、おまえもか、おまえもかと、ムダにぶち殺されているのだ。殺戮、殺戮、殺戮だ。ああ、ああ、あああああああああ!!! ああ、ああ、あああああああああ!!! パンパーンッ。ルイズ、覚醒だ。なにをおもったのか、どこからともなく石油をかっぱらってきて、ヴェルサイユ軍がはいっていた建物に、ビシャビシャッ、ビシャビシャッとまきまくった。そして、火を放ったのだ。地獄の炎がいまときはなたれた。オーオーオオッ、オーオーオオッオー、オーオーオオッオー。オーオーオオッ、オーオーオオッ、オーオーオオッオー。ギャア!!! ヴェルサイユ軍がいっせいに焼け死んでいく。それをみながら、ルイズはこうさけんだ。「あの怪物どもを燃やしつくせ! 燃やせ!燃やせ!燃やせ! ヤレ!ヤレ!ヤッチマエー!」。
 それを聞いたパリの女たちが決起する。そうだ、その手があったか。ミルク瓶に石油をいれて、ヴェルサイユ軍が建物にはいると、とにかくまいては火をつけ、まいては火をつけと、ひたすらそれをくりかえした。燃やせ!燃やせ!燃やせ! ヤレ!ヤレ!ヤッチマエー! パリ中に火が燃えさかる。パリが火の海になった。実はこの攻防戦で、ヴェルサイユ軍がいちばんおそれたのが、この女たちだったんだという。どこからともなくやってきて、平然と火をはなってさっていく。こわすぎだ。マジヤベエ。パリの女どもはバケモノだぞと、そんなうわさがはびこった。そしてこの女たちをさして、こんな悪名がつけられることになった。石油放火女(ペトルーズ)。伝説の誕生だ。もちろんこれ、女たちをディスってひろめられたことばなのだが、どうだろう。こんなイカした名前をつけられたら、みんなこうおもっちまうんじゃないだろうか。おら、石油放火女(ペトロルーズ)になりてえ。おらも、おらも!」(栗原、前掲書、200-201頁)。

 栗原氏が、ルイズ・ミシェルとパリ・コミューンについて書く際に参考にしているのは、どうやら、以下の文献のようである。

ルイーズ・ミッシェル、天羽均・西川長夫訳『パリ・コミューン』上・下、人文書院、1972年。

これは、ルイズ・ミシェルが1898年に刊行した、パリ・コミューンに関する回想録である(西川長夫「解説 ルイーズ・ミッシェルとパリ・コミューン」『パリ・コミューン』上、241頁)。

 なお、同書では 「ルイーズ・ミッシェル」と表記されているが、今日、一般的には「ルイズ・ミシェル」と表記されるので、以下では、こちらを使う。

 『パリ・コミューン』には索引がないため、Pétroleusesがどこに出てくるかわからないのだが、同書のフランス語のテキストがウエブ上にアップされているので、それをダウンロードして、Pétroleusesを検索すると、4箇所ヒットする。それほど多くはない。
 その箇所に対応したページを、上記の翻訳から探すと、以下の箇所だとわかる(「石油放火女」には下線を引く。また、(ペトロルーズ)は、実際にはルビである)。

(1)「石油放火女」(ペトロルーズ)にかんする気ちがいじみた伝説がひろめられた。石油放火女など存在しなかったのだ。―女たちは雌獅子のように戦った。しかし、「火を放て!あの怪物どもに火をかけろ!」と叫んでいたのは私くらいのものだった。
 石油放火女だと言いふらされたのは、女性の戦闘員などではなく、占領された地域で、子どもの食物をさがしにいくように見せかけて何か道具(たとえばミルクの罐)をもっていれば安全だと考えた気の毒な母親たちだった。ところが彼女たちは石油を運ぶ放火犯人と見なされ、銃殺された。そして子供たちは母親の帰りを長い間待っていたのだ!
 母親の腕に抱かれた子供たちの幾人かは母親と一緒に処刑され、歩道の両側に死骸が並べられた。
 あたかも子供たちが母親に向かって、灰燼に帰したパリで敗残の身をさらすよりは死をのぞむ、とでも言うことができたかのようではないか!(ルイーズ・ミッシェル、前掲書、下、96頁)。

(2)コミューンが陥ちると同時に、殺戮にひきよせられ正規軍のあとについてきたあの屍肉を食らう返り咲きの魔女たちが、墓場の蠅よりさらに早くあらわれた。彼女たちもおそらく遠い昔であれば、血に怒り血に酔ったたんなる気ちがい女にすぎなかったのであろう。
 彼女たちは優雅に着飾り、屍肉の間をうろついた。彼女たちは死者を眺めては楽しみ、死者の血だらけの目を日傘の端でつついた。
 この女たちの幾人かは、石油放火女(ペトロルーズ)と間違えられて、外の人々と一緒に銃殺され、山をなす死骸の上に積み重ねられた(ルイーズ・ミッシェル、前掲書、下、106頁)。

(3)わたしたちはシェンチエの監獄でも、いぜんとして故意に私たちの仲間にいれられた手先の女たちを見出した。
 シャンチエは、とりわけこのはじめの時期には、居心地のよい監獄ではなかった。
 昼間、座ろうと思っても、地面の上に座らなければならなかった。ベンチが持ち込まれるのはずっと後である。アペールが私たちの写真をとるときに、中庭のベンチが入れられたのだと思う。この写真は外国で売られ、『イストリック』誌のある号にのせられたが、「石油放火女(ペトロルーズ)と歌う女」という見出しがついていた。アペールの写真には両側に私たちの名前が記されていて、私たちの家族を安心させた(ルイーズ・ミッシェル、前掲書、下、133頁)。

 以上のうち、最も重要な記述は(1)であり、中でも以下の部分である。
・「石油放火女など存在しなかったのだ」。
・「石油放火女だと言いふらされたのは、女性の戦闘員などではなく、占領された地域で、子どもの食物をさがしにいくように見せかけて何か道具(たとえばミルクの罐)をもっていれば安全だと考えた気の毒な母親たちだった。ところが彼女たちは石油を運ぶ放火犯人と見なされ、銃殺された。そして子供たちは母親の帰りを長い間待っていたのだ!」
・「母親の腕に抱かれた子供たちの幾人かは母親と一緒に処刑され、歩道の両側に死骸が並べられた」。

 つまり、ルイズ・ミシェルは、女性たちが石油をまいて放火した、という噂話がまったくのデマであるだけでなく、そのデマのせいで、彼女たち、そして彼女たちが抱いていた子供たちも、ヴェルサイユ側の兵士たちによって虐殺されていった、ということを、ここで告発している、ということになる。

 これに対して、栗原氏が描く以下の「石油放火女」のイメージに相当する記述は、ミシェルの著書からは見つけ出すことができなかった。

「どこからともなく石油をかっぱらってきて、ヴェルサイユ軍がはいっていた建物に、ビシャビシャッ、ビシャビシャッとまきまくった」、「それを聞いたパリの女たちが決起する。そうだ、その手があったか。ミルク瓶に石油をいれて、ヴェルサイユ軍が建物にはいると、とにかくまいては火をつけ、まいては火をつけと、ひたすらそれをくりかえした」

 ここで栗原氏は、(1)の記述とは全く逆の「事実」を描いている。これによれば、「石油放火女」は実在した、ということになる。実際、ブレディみかこ氏は、「実際にあったこと」として、この点に言及しているようである。
 しかし、ミシェルが否定するような「事実」を描くこの栗原氏による記述は、一体何を根拠にしているのだろうか? (「石油放火女」の謎(3)に続く)(文責:田中) 
投稿者 joh.most 時刻: 14:30 0 件のコメント:
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「石油放火女(Pétroleuses)」の謎(1):栗原康『何ものにも縛られないための政治学―権力の脱構成』(角川書店、2018年)における記述に基づいて


はじめに
  栗原康氏の『何ものにも縛られないための政治学―権力の脱構成』(角川書店、2018年)についての書評で、ブレディみかこ氏が、次のように述べているのを読んだ。

「著者に女を書かせると行間からぎらぎらと後光が射してくる。今回は、[中略]ルイズ(・ミッシェル)の生きざまが際立つ。パリ・コミューンでの武闘派ぶりもあっぱれながら、銃撃戦の最中に女子の友だちに会い、あらお久しぶりー、と武装姿で無理やりストリートのカフェを開けさせてコーヒーを飲みながら駄弁ったとか、ごっついけどチャーミングな逸話で笑わせてくれる」。「しかもこのルイズ、ばたばたと死んでいく同胞を見て覚醒し、『ヴェルサイユ軍に火をつけ、白痴になれ』とばかりに石油を撒いて放火攻撃を行い、それを見たパリの女たちがあちこちで放火して「石油放火女」とヴェルサイユ軍に恐れられる存在になったという。」ブレディみかこ「長渕剛とセックス・ピストルズ――【書評】『何ものにも縛られないための政治学 権力の脱構成』」

 このように、ルイズ・ミシェルが「石油を撒いて放火攻撃を行い、それを見たパリの女たちがあちこちで放火して」「石油放火女」とおそれられるようになった、と書かれてあった。
 「石油放火女」の語源は、フランス語のPétroleusesで、パリ・コミューンから10年以上経過した1885年に刊行されたドイツ語の百科事典では、コミューン側の女性たちが石油をまいて「石油放火女」と呼ばれたのは「伝説」であると書かれてあったと記憶している。現在、手もとに事典のコピーがないのだが、かつて、この事典の「石油 Petroleum」の記述を見て、次のように書いたので、多分そうだと思う。

「パリ・コミューンの最終局面で、パリ市内に火災が発生したのは、コミューン派の女性が石油を用いて放火したのだ、というまことしやかなうわさが、パリ・コミューンの崩壊直後に流れ、その後、石油は社会主義者などによる放火の象徴となった」(田中ひかる「描かれたアナーキスト―19世紀末のアナーキスト像に見られる近代市民層の時代認識に関する考察」『歴史研究』39,2001年、115-162頁の125ページを参照)。
 
  当時、同時に参考にした、リサガレー、喜安朗・長部重康訳『パリ・コミューン―1871年コミューンの歴史』上・下(現代思潮社、1969年)でも、次のように述べられていた。
 
 「リサガレー氏はすでに600ページにのぼる、『1871年コミューンの歴史』を著された。したがって氏に長々とインタビューをする必要はなかった。われわれは、まずいくつかの小さな話を聞くことにする。
「女性たちは一定の役割を演じたのでしょうか」
「バリケードの後ろには多くの女性の姿が見受けられました。石油放火女(ペトロルーズ)についてはこれまでサラマーンドル[火の中に住むと信じられていた伝説の火とかげ]やエルフ[北欧神話にある、火や空気や地を象徴する小妖精]などと同じように、全く架空の存在にすぎなかったのです。軍事法廷は、ペトロルーズなるものの1人すらも人前に連れ出すことはできませんでした。この軍事法廷は多数の女性に有罪判決をいい渡しました。はっきりとした事件をあげて問われた者は誰もいなかったのです。ただ1人、ルイズ・ミシェルだけは例外でした。法官たちを前にして彼女は挑発的な態度で論争を挑み、告発者にたちむかっていきました」。」[『ルヴュ・ブランシュ』誌(1887)による「パリ・コミューンに関するアンケート」に対してリサガレーが寄せた回答より]リサガレー『パリ・コミューン』下、328頁。

 こういった記述を読んできた私にとって、「石油放火女」というのは、「井戸に毒をまいた朝鮮人」「井戸に毒をいれたユダヤ人」「井戸に毒をいれた女」と同じで、根も葉もない噂話でしかなかった。
 だから、これまでこう思ってきた。
 この「伝説」は、パリ・コミューンに参加した女性たちを放火の下手人であると決めつけ、彼女たちをおとしめると同時に、コミューンそのものをもおとしめるために使われた「伝説」ないしは「イメージ」である、と。
 ところが、ブレディみかこ氏による上の記述から、そうではない、ということを、栗原氏が書いているようであることがわかった。
 私の認識が間違っていたのだろうか? これは、人間の尊厳に関わることなので、調べることにした。

1.一般に共有されている「石油放火女」に関する理解
 まず、一般に、「石油放火女」ということばについて、現状ではどのような認識が広まっているかを確認するために、英語のウィキペディアの「Pétroleuses」にある記述を見ておきたい。

「1870年代に書かれたマキシム・デュ・カン[Maxime Du Camp]によるパリ・コミューンの歴史、およびロバート・トムス[Robert Tombs]とゲイ・グリクソン[Gay Gullickson]を含むパリ・コミューンの歴史家による最近の研究は、「石油放火女」による放火はなかったと結論付けている。コミューンの終結後、コミューン派だという容疑で、ヴェルサイユで何千人もの人々が裁判にかけられたが、そのうち、ほんの一握りの人々だけが、何らかの犯罪に関わったという理由で有罪判決を受けたが、そういった有罪判決の根拠は、ヴェルサイユ軍を射撃したという行為であった。公式の裁判記録によると、放火で有罪判決を受けた女性は誰もいなかったこと、放火で告発された場合でも根拠がないことがすぐに証明されていたことがわかる。コミューンの最終局面で破壊された建物は「石油放火女」によってではなく、コミューンの兵士たちによって全焼されたのである。市役所、 司法宮、チュイルリー宮殿、その他の政府の建物や権威の象徴は、退却するコミューン軍によって焼かれた。 リヴォリ通り沿いのいくつかの建物は、コミューン軍とヴェルサイユ軍の戦闘中に全焼した。グリクソンの説が示唆しているのは、「石油放火女」の伝説が、ヴェルサイユ側の政治家による宣伝キャンペーンの一部であり、彼ら政治家たちは、パリ・コミューンに加わったパリの女性たちを、異常で破壊的で野蛮なものとして描くことで、「異常な」コミューン派に対して共和政府側の軍隊が道徳的に勝利したと主張した、ということである。」

 歴史的な図像に関してフランス語で解説しているサイト「イメージの歴史」でも、2016年に書かれた記事で、当時、図像として広まった「石油放火女」は「神話」であると述べられている。

では、栗原氏は、どのように描いているのか。「石油放火女」の謎(2)につづく)。(文責:田中)
投稿者 joh.most 時刻: 14:02 0 件のコメント:
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